いろ艶筆 降板のご挨拶

私が東京スポーツの「いろ艶筆」欄の執筆者として選ばれたのは、1995年1月のことでした。

以来、24年の間、中途に何度かの休載期間はありましたが、1000余回にわたり連載を続けてこられたのは、それなりに楽しみにして読んでくださっていた方々のおかげでしょう。

2019年8月26日付号掲載をもって、館淳一の「いろ艶筆」は終了します。ごく私的な理由で、私のほうから降板をお願いしました。

毎週『何を書こうか?』と悩むことが多かったのですが、小説と違い、エッセイとしての文章を書く楽しみを味わわせていただいたこの欄を去るのは断腸の思いがありますが、筆者の力が失せたことが最大の原因です。これまでのご愛読、深く深く感謝いたします。

館 淳一

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厳しい躾けが娘を淫乱にする!?

 SМ界ではよく知られた調教師のサロンに出入りした時期があった。お金が目当てではなく、純粋にSМが好きな男女が集まる場で、そこでずいぶんいろいろなマニアに出会った。なかでも印象に残ったのは俗に「真性マゾ」と呼ばれる若い女性たちだった。
 大勢のS男性によってたかって責められ辱められたがる彼女たちは、その場ではどんなことでも進んで受け入れる淫乱きわまりない好色女のように思えるが、プレイが終わって帰るときは、どこから見ても「良家の子女」(今はあまり使わないが)といった感じの、知的でしとやかなお嬢さんになっている。
 その落差が不思議で、そういう女性たちをいろいろ取材して分かってきたことがある。実際、彼女たちは親が中流以上で教育熱心でいい学校へいれたがり、家庭での躾けが厳しいという共通項があるのだ。ある娘さんは「少し夜遅くに帰ると母親の前で下着を脱がされ、アソコを点検されるんです。男と遊んできたのではないかと確かめるんですね」と言ったので驚いた。「私がSМプレイやってるなんて知ったら、殺されちゃうぐらいお仕置きされます」という子もいた。「あなたも殺されちゃうかも」と言われた時はさすがにビビったね。親はすごい権力者らしかったから信じてしまった。
 そういう、特にセックスについて躾けの厳しい親のもとで育った女性たちが、みんな淫乱マゾ女になるわけではないだろうけれど、その確率が高い、ということを、のちに『性依存症』という精神症状を知ってから理解できた。彼女たちは意識的にではないが「親の好むいい子にされた」自分を壊したいという衝動に駆られるようになる。つまり無意識のうちに、セックスから自分を遠ざけてきた親に対して復讐したくなる。だから隠れたところで思いきり淫乱になる、男たちのセックスの道具になる、そしてめちゃくちゃにされる、という行為を求めるようになるんである。
 すべての真性マゾ女性がそうだというわけではないが、多感な少女時代、無理やりセックスから遠ざけられる躾けをうけた女性ほど反動が大きく、淫乱になりやすい——という公式を、ぼくは信じるね。だから、娘を持つ親たちは、セックスを自然なものとして受け入れるような、おおらかな環境で育てたほうがいいと思うよ。いや、それだと、淫乱なマゾ女性を求めているぼくのようなS男は困るんだけれども(笑)。
(2019年8月23日付号——最終回)

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女装マゾ夫と妻の奇妙な関係

 先日、パソコンの奥底にしまいこまれていたエロ画像を整理していたら、かつてぼくのファンから送られてきた、夫婦の行為を記録した画像が見つかった。
 どんな画像かというと、一人の大柄で豊満な女性が椅子にどっかりと股を広げて座っている。身に着けているのは黒いブラに網タイツにハイヒール。その広げた二本の腿をまたぐように彼女よりちょっと細身の女性が後ろ手に縛られてカメラを向いて腰を低めている。こちらは黒いブラに赤いパンティ、黒いストッキングという扇情的なランジェリー姿。
 パッと見ただけでは、女性同士のSМプレイの一シーンのように見える。すなわち股間にペニバン(ペニスバンド、女性が相手を犯すための用具)を装着したSの女性が自分の膝の上に座らせたМ女に挿入して責めている、レズSМプレイ。
 しかしよく見ると、太い人工ペニスに貫かれている細身の女性の赤いパンティの股間がものすごく隆起している。スケスケの下着の内側に見えるのは勃起したペニスなのだ。
 つまり女装したМの男性がSの女性の膝をまたぐ姿勢で、穴あきパンティごしにアヌスを犯されているんだね。二人とも仮装用のマスクで顔を隠しているけれど、すぐに思い出した。
(これはМさん夫婦が自己紹介で送ってくれた画像だ。懐かしいなあ)
 ほとんど二十年ぐらいも前になるだろうか。ぼくが女装者のSМプレイをテーマにした作品を書いていた頃、「私たちも同じ趣味です」と言ってメールを送ってきた。画像はそれに添付されていたものだ。
 夫のМさんは三十代の商社マン、妻のA子さんは二十代で、職場結婚をした。最初、ごくふつうの性生活を送っていたが、やがて情熱が薄れセックスの回数が減ってきた。A子さんが不満を訴えると、「実はぼくは女装趣味があってマゾなんだ。それにつきあってくれたらもっとセックスできる」と告白された。
 もちろんA子さんは驚きたまげたが、試しに夫を下着女装させてみたら、ものすごく興奮する。縛ってアヌスを責めたりすると、何度射精してもすぐに勃起する。
 最初は「変態プレイなんてイヤだ」と思っていたA子さんも、男を責める快感に目覚め、日夜、女装した夫をペニバンで犯しながら、自分も彼を強姦(?)して楽しむようになった。「これはすごい夫婦だ」と、何度か実際に会って、熱烈な行為を「取材」させてもらった。連絡は途絶えたが、今は中年となったあのМさん夫婦、まだ楽しんでいるのだろうか。

(2019年8月16日付号)

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SМ初心者は縛りに注意!

 先日、突然に右手の指先がしびれてしまった。正座したあとに足がジンジンとしびれて動けなくなるような、あんな感覚を伴ったしびれだ。右手の指でモノをつまもうとするとうまく出来ない。ペンや鉛筆で字を書こうとするとミミズがのたくったような解読不明のものになる。
「まあ、何かの拍子だろう。そのうち治るだろう」と思っていたら、いつまでたっても治らない。だんだん心配になってきた。「ひょっとしたら脳梗塞?」なんて疑惑も脳裏を駆けめぐる。しかし、あちこち動かしてみると、しびれているのは指と掌の部分だけ。たとえば顔とか口なんかに異常はない。脳梗塞ならもっと広範囲にしびれがくるだろう。
「なんだろう、このしびれは?」と悩んだね。何せ右手だからペンで文字が書けないというのが困る。実はカードの支払いはサインでやっているのだ(暗証番号でもいいんだけど、それを忘れちゃったからね)。こんな状態では絶対に自分のサインだと認めてくれないだろう。各種の支払いができなくなる。
「仕方ない、医者に行くか」と思いながら、しびれる前のことを思い出してみた。その時は手すりに腕をのせるような姿勢で、ある光景をしばらく眺めていたんだね。手すりに手首の内側の少し肘よりの部分を押しつけるようにして、ちょっと体重がかかった感じで何分かその姿勢のままでいた。そして手すりを離れた時、ジンジンというしびれを感じたんである。
「そうか!」と、私はようやくピンときた。「これは橈骨(とうこつ)神経麻痺と同じ症状だな!」
 橈骨神経麻痺のことはずっと前にここで書いたことがある。上腕部の外側を走る神経だ。SМプレイの時にこの部分をヘタに強く縛ると神経が傷ついて、手首から先がしびれてダランと垂れてしまい、動かせなくなる。ぼくの知り合いの女性も慣れてないS男に腕を縛られて、一ヶ月ぐらい両手が使えなくなってしまった。腕から指へかけての神経は圧迫や締めつけに案外弱いのだ。
 ネットで調べてみると、ぼくの症状は手首のところを走る正中神経というところが圧迫されたのが原因だろうと分かった。放置しておいても治るという。そのとおり一週間ぐらいでしびれは消え、文字も書けるようになった。しかし驚いたねえ。ちょっとしたことで手先は麻痺してしまうのだ。SМが好きで縛ることが好きな男は、相手の神経を痛めないように、よくよく注意しないといけないよ。
(2019年8月9日付号)

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絶滅したエロ本の思い出

 アダルトメディア研究家、安田理央さんが『日本エロ本全史』(太田出版)という本を著した。昭和20年代から現在に至るまで発行された主なエロ本100冊の創刊号をとりあげて表紙と共に紹介し、これを全部読めば戦後のエロ本の歴史がすべて分かる、という力作だ。
 そういう本はこれまでもあったが、この本の特色は、著者が現役のエロ本ライターであることから、今世紀に入ってから最新のエロ本まで取り上げられていること、そして「日本のエロ本は終わった!」という結論に到達している部分にある。
 知ってのとおり、最近になって大手コンビニがエロ本の取り扱いを中止した。その結果、わずかに生き延びてきたエロ本出版社は軒並み潰れるか撤退してしまい、エロ本というジャンルはほぼ絶滅してしまった。
 この書の腰巻き(帯)には石野卓球が「学校やテレビが教えてくれない大切なことは大体エロ本から教わった」という文章を書いているが、まさにぼくなんか、そうやって「女というものは、セックスというのは、こういうものなんだ」と教えてくれた裏教科書みたいなものだった。インターネットが普及して今や女の裸なんてイヤというほどタダで手に入れられる。日本の男の子は、もう「エロ本」というものに何の興味も抱かないのである。
 しかし寂しいことである。『日本エロ本全史』にとりあげられている『りべらる』や『あまとりあ』はぼくの父親の本棚から出てきた。ぼくは高校時代に『100万人のよる』とか『世界裸か画報』なんてのを読みたくて仕方がなかった(高校生が書店で買うには勇気が要った)。そのあと『週刊プレイボーイ』や『S&Мスナイパー』などに自分が関係するようになるとは夢に思っていなかったが(「『週プレ』はエロ本じゃないだろう」と思われるかもしれないが、パンチも週プレも当時は充分にエロ本だったんだよね)エロ本は常に「エロ心のふるさと」だった。
 この書を読めばほとんどの男たちが「ああ、、こういう雑誌でずいぶん抜いたなあ」と思い、懐旧の念に浸るに違いない。親に見られないように隠し場所に苦労したとか、古本屋で見つけたエロ本の肝心のヌード部分が切り取られていた苦い思い出とかね。
 しかしそういったエロ本文化が絶滅してしまったこれから、多感な少年たちはあのドキドキワクワク感をどこで得られるんだろうか。エロ本が無い時代は幸せなんだろうか、と思わずにはいられないおじさんであった。
(2019年8月2日付号)

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女性の声帯は性感帯?

 ぼくは六本木ヒルズのわりと近くに住んでいる。あそこにはイベント用のアリーナがあり、よく若い子向けのライブコンサートをやっている。オープンスペースなので通りがかりの人間にも歌や演奏はよく聞こえる。ある時はジャニーズ系らしい男の子グループが出演していて、その時は聞こえてくるのは聴衆である女の子たちの絶叫というか悲鳴というかすさまじい叫び声だけだった。「こりゃもう音楽を聴きに来たんじゃないな、叫びまくりに来てるんじゃないか」と思ったけれど、だからといって驚いたわけではない。
 ぼくはGS華やかなりし頃、某芸能週刊誌の記者で、当時はザ・タイガースなどを担当していた。ジュリーこと沢田研二の人気がピークに達するのを傍で見ていたから、女の子たちがセクシーな男子アイドルを追っかけまわし、コンサート会場は阿鼻叫喚の場と化すのなんか見慣れた光景であった。
 そんな昔のことを懐かしんでいると、ふと女流漫画家のTさんのことを思いだした。彼女はアラフィフ年代でありながら、ティーンの女の子たちにまじってジャニーズ系アイドル男子の熱烈ファントしてライブに出かけてるという。ぼくは驚いて「やっぱり会場ではぎゃーぎゃーと叫ぶの?」と尋ねると、「そりゃもちろんそうよ。ライブで叫ばなきゃ行く理由が無いでしょ」と言う。で、彼女によると、他のファンと一緒に絶叫していると、性的な興奮も強まり、セックスの時と似た、恍惚感、陶酔感に包まれるんだという。「だからコンサート会場で失神する女の子がいるのよ。みんな叫んでるうちにイッちゃうのね」
 うーん、やっぱりそうだったのか。アイドルの歌と音楽がオスだとしたら、絶叫しまくるファンは彼らと一種のセックスをしているわけだ。これは男たちには分からない感情であるな。
 そこでまた、ある人妻さんのことを思い出した。教職にいた夫とSМカップルで、よく「取材」させてもらったが、この奥さん、セックスで感じてくると、ものすごい大声をあげるのだ。夫が苦笑して「子供がいるので、家ではセックスできません」というぐらい、家鳴り震動するよがり声をあげるのだ。ふだんは控え目で目立たないタイプなのに、どうしてそんなに声をあげるのか。彼女は「声をあげてるうちに、どんどん感じてくるんですよ。叫ぶから興奮するのか、興奮するから叫ぶのか、どっちかわからないぐらい」と言っていた。うーむ、男はアノ時、めったに絶叫しないからねえ、女の声帯は叫ぶと快感を味わうように出来ているのかしら。
(2019年7月26日付号)
 

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最高に興奮させられたマゾ女性

 今から十年ほども前になるだろうか。麻布にある、知る人ぞ知るSМプレイ専門のラブホテルで、ある女性を「取材」することがあった。当時は、フロントの近くにカウンターバーのような待合室があり、先に着いたぼくはそこでしばらく待つことになった。
 その時、待合室には何組かのカップルが居て、ぼくは彼らをチラチラと眺めながら「この二人はどういう関係かな。女性はSМクラブ勤めかな。男性はМかな」などと想像をたくましくしていた。まあ作品の材料にもなるから、これも取材の一種である。
 その時、男女のカップルが待合室に入ってきた。その女性のほうを見てぼくは呆然としてしまった。どう考えてもこんなSМプレイ専門、世間的に見れば「いかがわしさ100パーセント」という場所にいるはずがない雰囲気の美女だったからだ。
 年齢は三十代後半、スラリとして均斉のとれた肉体を品のよい黒いスーツで包んでいる。ぼくを驚かせたのは、知的な顔立ちと気品の溢れた雰囲気である。有名企業の幹部クラスのキャリアウーマンと言われても信じるだろう。「女王さま」と呼ばれるSの女性にそういうタイプは少なくないけれど、連れの男性との会話に耳をそば立てると、完全なマゾ女性で、どうもこういう場所に来るのは初めてのようだ。表情が緊張してこわばっている。連れの男はパートナーではなく、彼女を誰かに紹介するために来ているらしい。「心配することないですよ。○○さんは経験豊富で紳士です。安心して身を任せて大丈夫。ところで下着は命令どおりの黒いものですか」なんて言われ、その女性は真っ赤になって下を向きながら「はい」と頷き、もじもじしている。 話を聞いてるうちに、彼女は自分のマゾ気質に気付き、自から念願して経験者に調教されることになったらしい。
 ぼくはこの女性がこれから変態ホテルの一室で「経験豊富なSの紳士」にどのようなことをされるのか、想像しただけで激しく勃起したものだ。タイミング悪く、取材相手が来たので、彼女の肉体を好きなようにした(に違いない)紳士の姿を見られなかったが、今思い出しても「あんな気品のある女性が……」と興奮してしまう。職業柄、いろんなМ女性と会ったが、彼女のような雰囲気と気品を持つマゾ女性にはついぞお目にかかったことがない。あの彼女は何者だったのだろうか。今もSМホテルでプレイしているのだろうか。
(2019年7月19日付号)
 

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日本人は湿気のせいで性欲が弱い!?

 日本列島、梅雨のど真ん中である。毎日シトシトじゃぶじゃぶ、雨が降る。何もかもしけってジメジメして気分が晴れない。カビが至るところに繁殖しだす。人によっては耳の中にもカビが生えて、ひどい時は音が聞こえなくなるという。うう、気持悪い。
 そんな雨の朝、朝日新聞を読んでいたら、驚くべきことが書かれたエッセイが目に飛び込んできた。宗教学者の山折哲雄さんの『湿気に覆われたこの国の宿命』と題する一文。文豪・谷崎潤一郎が1931年に書いた『恋愛及び色情』というエッセイを紹介している。
 谷崎のエッセイといえば日本文化の伝統、日本人の美意識を論じた『陰翳礼賛』(いんえいらいさん)が有名で、『恋愛及び色情』の方はほとんど知られていない。しかし山折さんは「こっちの方が谷崎を知る上で重要な文章だ」と言うのだ。
 ぼくも知らなかったこのエッセイの中で谷崎は、日本特有の湿気が日本人の気質を形成していると論じている。中でも驚くのは、性欲と湿気の関係。彼は《日本人の性欲が西欧人のそれにくらべて弱いのは、風土的特質である湿気の強さによる》と主張しているんだって。これにはぼくものけぞったね。だって今まで、性欲と湿度の関係を論じた文章なんかにお目にかかったことはなかったもの。
《西洋人の性欲は明るい太陽のもと、乾燥した大気のなかであくどいまでに追求されるのに対し、われわれの性欲がそれほど「あくどく」ないのは、体質というより、風土、食物、住居などの制約によるのだろう》
 山折さんは「このエッセイの中で谷崎は、湿気の多い、べとべとする不快な肌の感触をいいつのるの谷崎の、憤懣やるかたない表情が見えてくる」と書いているが、いや、まったく谷崎は、湿度の多いこの国のあらゆるものが嫌いだったようだ。そのあと「日本人は明るい光よりも暗い影が好きだ」という『陰翳礼賛』を書いて絶賛されたけれど、本当はこの国のジメジメした風土が嫌いで嫌いで仕方がなかったんだねえ。彼が生きていたら今のような梅雨の季節、不機嫌すぎる毎日を送っていたことだろう。
 というわけで、特にオチは無いのだけれど、あのマゾ変態文学作家(大きい女の足に踏まれることを夢見ていた)谷崎の「湿気は日本人の性欲を弱める」という論、みんなはどう思われるだろうか。ぼくなんか「そう言われると、何となく納得できるかなあ」とは思うんだけれども。

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超絶!性の達人の最期

 SМや官能小説を書くかたわら、ぼくは長いこと週刊誌や雑誌のライターをやっていた。いろんな人間と出会ったが、中でも忘れられないのが「これ以上の性の達人はいない」と思わせてくれた、ある中国人の気功術師、それもかなりの超能力の持ち主だったリンさん(仮名)である。
 もう二十年ほども前になるか、来日してその能力を披露したところ、誰もが驚いた。そこで「日本で超能力タレントとして売り出そう」という企画が進められ、ぼくに「ゴーストライターとして彼の自伝を書いてくれ」という依頼が舞い込んだ。ぼくはリンさんと密着し、その能力をこの目で見ることになった。
 確かにリンさんは不思議な能力をいくつも有していた。自分の前に背を向けて人を立たせ、脱力させてから自分が手足を動かすと、その人物は背後にいてリンさんが見えないはずなのに、彼に操られるように、まったく同じ動きをするのだ。
 彼をプロデュースする人たちはいくつかの民放テレビの番組にリンさんを出演させた。その中で彼は巨大な象の前に立ち、腕を回転させるだけで象を横倒しにする術を見せたものだ。
 ある時、そんなリンさんと打ち合せしていたら、中国人女性が途中でやってきた。すごい美女だった。中国から派遣されたジャーナリストだと紹介されたが、彼女の挙動というのがひどくぼくを困惑させた。打ち合せちゅうなのもかまわずリンさんにすり寄りベタベタしハアハアと息を弾ませ、目はとろんとうるんでる。途中でリンさんは「ちょっと急用が出来たので」と言い、くにゃくにゃ美女を連れて姿を消した。
 彼をよく知る中国人プロデューサーは「あれはリンさんの愛人の一人です。彼には愛人が数えきれないほどいるんです」と苦笑いして説明してくれた。「リンさんの性のテクニックはそれこそ超人的で女性を三日間、ハメ続けてイカせまくりながら、自分はまったく疲労しないという能力の持ち主なんです」
 なるほど、それであの美女がくにゃくにゃとすり寄ってたわけだ。
 しかしリンさんとの関係は突然途切れた。アメリカのエンタメ業界から声がかかり、リンさんは日本よりもアメリカでの成功を望み、それまで協力していた人たち(ぼくを含めて)をふり捨て、渡米してしまったのだ。
 後日、リンさんはアメリカで肺ガンになり故国で死んだと聞いた。超能力者もガンという病に勝てなかったのか。「あの時、邪心を起こした報いだ」と語っていたそうだ。

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同性愛について日本が誇れること

 憲法を擁護する人たちは「第二次大戦後、70年以上にわたり、日本は戦争で一人も殺されていない。こんな国は非常に珍しい。戦争を禁止した日本国憲法はわが国の誇りである」。
 この言葉を読み聞きするたび、ぼくは「日本には、もう一つ、誇れるものがあるぜ」と思うのだ。それは同性愛に対する刑法の扱いである。
 というのも、この間、『イミテーション・ゲーム』を見た時、ちょっとした驚きを味わったからだ。映画ではベネディクト・カンバーバッチが演じたが、のちのコンピューターの原形となる暗号解読プログラムを作り「コンピューターの父」とさえ称されるまでの天才的数学者チューリングの伝記映画である。
 映画ではチューリングが英国政府の依頼を受けてドイツ軍の暗号『エニグマ』を自作の計算機で解読し、おかげでドイツの潜水艦を多数撃滅し、自国の艦船や兵員の命を救うことが出来た。その知能によって母国の勝利に貢献したから、英雄と賞讃され、勲章を授与されておかしくないのだが、暗号解読技術は高度の軍事機密だったので、チューリングの功績は秘密にされて世に知られることがなかった。それだけでもひどい扱いなのに、のちに彼は「同性愛者である」ということを理由に官憲に逮捕されてしまう。第二次大戦後のイギリスでも、同性愛は「犯罪」だったのであるね。刑務所行きを逃れるためには女性ホルモンを服用する「薬物去勢」という措置を受けねばならず、後者を選んだチューリングは精神が不安定になり、ついに自殺してしまう。これには呆然としてしまったね。イギリスという国家は、自国を救った天才的英雄をゲイであるというだけで、死に追いやったのである(最近になってイギリスはチューリングの名誉を回復した)。
 しかし同性愛を憎み、禁じ、罰する国は今だに多い。つい最近もブルネイ王国では「同性愛の性交で有罪となったとき、石打ちによる死刑を科す場合もある」という法律を布告して、LGBT運動を加速させる世界を驚かせた。キリスト教国やイスラム教国、さらに社会主義国のなかでは、同性愛者はうっかりすると投獄されたり死刑にされたりする危険がある。
 そこで日本である。わが国では仏教が伝来して以来、稚児つまり少年とセックスする風習が根付き、それは武士階級から一般庶民まで広まり、同性愛が禁じられたり、処罰されたりすることは一度としてなかった。日本は「同性愛者」を処罰しない、世界でも有数の人権国家だったのだ。まあ法律とは別に差別意識がまだまだ多いのは、残念なことであるけれども。
(2019年6月29日付号)
 

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エッチなジョークは社会の潤滑油

 この前『母親を侮辱するジョーク』という記事をここで書いた。仲間うちでは案外、評判が良かったので、気をよくしてもう一本、面白いジョークを紹介しよう。なにせぼくのSМエロ以外の趣味は、ジョークの蒐集と研究なんだからね。
 きっかけは、まだ『日本版PLAYBOY』という雑誌があった時、その中の『パーティ・ジョーク』という欄を任されていたからだ。アメリカ人は特にジョークが好きだ。パーティなどで初対面の人間と顔を会わせた時、会話のきっかけにジョークを口にする。それで相手が笑ってくれれば、親密な雰囲気が生まれ、話も弾もうというものだ。だからアメリカ人はせっせと新しいジョークを探索し、機会があればどんどん使う。日本とは違ったジョーク文化がそこにはある。『PLAYBOY』は中流より上の階層の成人男子向け雑誌なので、そこで紹介されるジョークはエッチなものがほとんどだが、女性が聞いても愉快に笑える、気がきいたものが多かった。中でもぼくが好きなジョークがこれ。
《朝、ビルは自分の家のベッドで目を覚ました。二日酔いでひどい気分だ。ようやく体を起こし、むりやり目をこじ開けて見ると、サイドボードにはアスピリンが二錠と水の入ったコップが置かれていた。それを服んでベッドから出ると、椅子にはきれいに洗われアイロンをかけられた下着と服が置かれていた。それを着るとメモが置かれていた。
『ハニー、朝食はオーブンで温めてあります。私は買い物に行ってくるわね。愛してるわよ』
 よろよろと階段を降りてダイニングルームに行くと、ちゃんと朝食が用意され傍には新聞も置かれていた。彼の息子もテーブルについて朝食を食べている。ビルは息子に訊ねた。
「なあおまえ、昨夜はいったい何があったんだ?」息子は答えた。
「パパは午前3時にベロベロに酔っぱらって、帰ってきてママの大事な置物を二つ三つ壊し、玄関にゲロをまきちらして、ドアに顔をぶつけて気絶しちゃったんだよ」
 ビルは困惑して訊ねた。「じゃあどうして家のなかはこんなにきれいになって、朝食まで用意されているんだ!?」
 息子は答えた。「ママとぼくはパパを二階まで引きずりあげてベッドに寝かせたんだよ。そしてママがパパのズボンを脱がそうとしたら、パパが叫んだんだ」
「な、な、何て?」「やめてくれ。おれは結婚しているんだ!」》
 ホンワカとした気分で笑えたかな?

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それでもやっぱりハイヒール

 先頃、根本厚生労働相が国会で「パンプスやハイヒールの着用を義務づける業務は社会通念に照らして妥当」という発言をしたことで、「ハイヒールが女性をどんなに苦しめているか知らないのか」と、働く女性たちが一斉に反発、ちょっとした騒動になった。
「そういえばよく似た騒ぎがあったなあ」と思い出した。1977年、大阪大学のアメリカ人講師が、ジーンズをはいてきた女子学生に「スカートをはいてこい」と強制し、女子学生たちが「とんでもない」と怒り、ついには講師が辞めされるという事件があった。いつの世にも「女というものは、男が見て好ましいスタイルをしていなければいけない」と考えるオヤジたちはいるもんだ。
 ハイヒールをはきなれている欧米女性などでも、映画なんかで見ると、ドレスアップしたパーティが終わったあとでハイヒールをポーンとかなぐり捨てて「あー、楽になった」と述懐するシーンがよくある。彼女たちでもハイヒールをはくのは苦痛なのである。
 ハイヒールはその形態からして足の先端部分に体重がかかる結果「外反母趾」という症状を招きやすい。オヤジたちにその患者たちの写真を見せたら「ハイヒールをはけ」なんて強要できないと思うぞ。人によっては拷問道具みたいなものなのだ。動きやすいペタンコの靴でいいではないか。
 ——と、ここまでは女性の味方として書いたけれど、その実、ぼくはハイヒールにはすごい愛着があるのだ。『素足にハイヒール』という傑作短編も書いた。そもそもは『O嬢の物語』というポルノ文学の名作で性的嗜好がすり込まれた結果、ハイヒールをはいた女性の脚に強く反応する男になっちまったせいである。もちろん、ガーターベルトでストッキングを吊り、さらにハイヒールという三点セットが一番のツボであり、SМプレイを実践するにしても、お相手の女性には必ずハイヒールをはき続けてもらう(もう、そういう機会も少なくなったけどねえ……)。
「どうしてハイヒールじゃないと興奮しないのよ」と、ハイヒール反対の女性から問われるかもしれないが、答えようがない。フェチというのはそんなもので「好きだから好き」なんである。でも、誰が見たって、女性の脚はハイヒールをはくと一段と美しく見えるはずだ。別に長時間、はき続けてくれとは言わないけれど、特別な時間、特別な相手(男性)と過ごす時だけはハイヒールをはいてあげてほしい——とすべての女性に望みたい。
(2019年6月14日付号)

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パソ通時代にすごいSМマニアがいた!

 先頃、ぼくが自分に興味のあるSМやフェチ関係の人脈を広げたのは、パソコン通信(パソ通)を始めてからだと書いた。世はまだまだバブル景気で浮かれていた時代だ。
 今もそうだが、ネットワークのオンラインで名乗りをあげる人間と情報をやりとりする時、一番、気をつかうのは「本人が書いてることがどこまで本当か」という問題だった。「私はあなたの作品が大好きなМ女です。デートしてください」なんてメール(当時は電子メールといった)が来ても、すぐは喜べない。「私は女」というユーザーのほとんどは男で、彼らのことを「ネットオカマ」、略して「ネカマ」と呼んだが、そんな連中が溢れかえっている中で、信用できる人間を見つけるのは、なかなか難しいことだった。
 そんな時、あるSМ専門ネット局の掲示板に「L」と名乗る男性が入ってきた。彼の自己紹介がすごかった。出生地は香港で今は米国籍をもち、英語・日本語・広東語に堪能。LAの高級住宅地に暮らし、リッチなビジネスマンでありながら某政府の秘密機関職員。車は元A級ライセンスの持ち主で愛車はジャガーの最高級車。趣味は射撃で愛銃はコルトパイソン。アメリカライフル協会会員。家庭をもち男子二人の父親だが、常時、数人のペット(SМ奴隷)を調教。ほとんどがコンパニオンでとびきりの美女ばかり。のち女優やタレントになった者も多い。国際会議やビジネスイベントで来日するたび確実に二人はペットにする——と、まあ、とにかく信じられないことばかり書いてくる。
 ネカマのようなインチキ会員の書き込みにうんざりしてた常連会員は「よくもまあ、好き勝手にこれだけホラを吹けるなあ」と、裏で笑いモノにしていた。まあ当然だね。当時はそういう仮面をかぶったユーザーばっかりだった。
 いい加減アタマに来た一人が「こいつの化けの皮をはがしてやろう」と「じゃあオフ会を開くから、来てくれ」と招待してみた。オフ会は実際に会員たちが顔を合わせる場。ウソならすぐバレる。ところが、当日やってきたL氏はバリッとしたスーツを着こなす渋いハンサムな東洋系紳士。なんとコートの下は全裸の美女を連れてきてみんなの前で羞恥プレイを披露させた。彼が言ってることはみんな本当のことだったのだね。
 仮面をかぶったスケベたちが集まる場に、リッチでモテモテ、ハンサムな東洋系ジェームズ・ボンドが現われて、陰で笑っていたぼくらはシュンとしてしまったよ。オフ会に来るたび、とびきりの美女を裸にして晒してくれるL氏のことは、今も忘れられない。今や老境に入ってると思うが、どうしてるんだろうか。

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究極のマゾ女性の謎

 先週、「平成とはパソコンが人と人をつなぐようになった時代だ」と書いた。ぼくはインターネット以前、パソコン通信時代からのネットワークを通じて、SМやフェチの人々と知り合うことが出来た。
 令和と元号が変わってから、その頃につきあった人々のことをいろいろ思い出している。
一時はオンラインでもオフラインでも親しくつきあったのに、どういうわけかパッタリと連絡が途切れてしまった人のなかに「もう一度会いたいなあ」と思う人が何人もいる。そんな中に、名前は出せないがМ子さんという女性がいた。当時まだ二十代だったが、見た目にはごくふつうにOLしてた娘さん。ところが、ネットでやりとりしているうち、とんでもないМ、つまりマゾヒストだと分かった。いや、その頃でも今でも、ぼくが徘徊している世界ではМの女性は大勢いたが、М子さんはそこらへんのふつうのМ(というのもヘンだが)とはまったく違った、変わった性格のМだった。
「私は苦痛だけ与えて欲しいんです」と言うのだ。SМの世界ではプレイは常にセックスと密接な関係がある。SとМのカップルは、SМプレイで性欲を高めあう。オルガスムスを得たがるのは、ふつうの男女と変わりはない。
 ところがМ子さんは、Sの相手が自分に性的な欲望を抱いてほしくないというのだ。彼女が特に好んだのは鞭打ちプレイだったけれど、ただひたすら痛めつけられるだけでよくて、その後にはセックスなんか必要ない。愛撫されたりするのもイヤだという。
 これにはぼくも驚いた。多くのМ女性は痛めつけられ辱めを受けて性的に興奮するものだ。М子さんのように「セックス無用、ただ痛い思いをさせて」という女性とプレイしたがる男性は、まあ、少ないだろうねえ。
 その後、いろいろマゾヒズムを研究しているうち「アルゴラグニア=苦痛嗜好症」と分類される人々がいることを知った。日本で一番有名なアルゴラグニアは矢作ヨネという女性で、検索すればМ子さんを百倍もすごくした「肉体的苦痛を愛する人間」だと分かるだろう(ぼくのように苦痛に弱い人間はご注意を)。
 ただひたすら、痛みだけを与え、性的な接触も愛情も与えてくれないパートナーをアルゴラグニアのМ子さんは見つけることが出来ただろうか。平成の初めごろ知り合った彼女ともう一度会って、それからどういうことがあったか、聞いてみたいと思うこの頃だ。

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日本には無いポルノのジャンルとは?

 ネットで世界中のポルノ画像や動画を探索している毎日だが、そうやっているうちに気がついたのが「日本では、ほとんどこういうポルノは見られないなあ」というジャンルの存在。
 一人の女性を相手に何人もの男性がセックスするプレイを「ギャングバング」という。日本語なら「輪姦プレイ」。これは日本でもAVでなら珍しくない。しかし、欧米でよく見られる「インターレイシャル・ギャングバング」というジャンルは、ぼくは日本製のモノを見たことがない。
「インターレイシャル」というのは「人種間の」という意味。つまり「インターレイシャル・ギャングバング」は「人種間輪姦プレイ」ということだ。そのほとんどは、一人の白人女性が何人もの黒人男性とセックスする、あるいは犯されるという内容。これのさまざまなパターンのコンテンツが、ずいぶん多くアップロードされている。
 日本のAV作品と同じようにスタジオで撮影されたものもあるが、個人的に開催される、それが目的でのパーティでの記録というのも多い。凄惨なものは少なく、パーティでの実況撮影では、女性が笑いながら喜んで応じているのが多い。
 前にも書いたけれど、海外ポルノにはBBCというジャンルがある。黒人の巨根(ビッグ・ブラック・コック)を受け入れる白人女性の痴態を写したものだが、インターレイシャル・ギャングバングはBBCの輪姦プレイである。
 集められた黒人男性はみなプロレスラーのような体格。彼らのイチモツも日本男性の倍ぐらいはありそう。その真ん中にいる白人女性の裸身は対比で真っ白に見える。その白い体にのしかかるいくつもの黒い体。これは視覚的にすごいインパクトがある。
 こういった、一人の白人女性が大勢の黒人男性と交わる、輪姦されるという画像や動画は、どうも白人が制作し、白人が喜んで見ているようだ。そういったシチュエーションに興奮する白人男性や女性が多いということだね(インターレイシャルものを見てゆくと、白人女性が積極的に黒人男性を求め、受け入れてゆく内容のものが多い)。
 ここで想像してほしい。きみは白人女性を日本人女性に置き換えて作られたインターレイシャル・ギャングバングがあったら見たいと思うだろうか? うーん、今回はちょっとアブナイ話になりそうなので、ここまで。

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平成が変えた男女の仲

「平成とはどんな時代だったのか」と問いかけられれば、ぼくは「パソコンが人と人をつなぐようになった時代だ」と答えるだろう。
 平成の初期、パソコン通信というのがあった。大きなサーバーをもつネットワークの中心には掲示板、電子会議室など、いろんな趣味嗜好をもつ人間が集まる仮想空間があり、テキストで対話できるようになった。ぼくが必死にパソコンを習い覚えたのは、ひとえに、パソコン通信ユーザーの中に多いと言うSМマニアと知り合いたかったからだ。
 ぼくはパソコン通信をやるまで十年間、SМ小説を発表していたが、ファンレターをもらったのはたった2通だった。それがパソコン通信をやり、SМ専門のネット局に参加したりすると、あっという間に何百人ものファンと出会うことが出来た。それまで出会うことが難しかった「変態」たちを見つけ、仲良くなれた。おかげでぼくは大勢のSМやフェチが好きだという人々と知り合うことが出来、彼ら彼女らの多くは、インターネットにとって変わられた今でもぼくの「財産」となっている。
 そうやってパソコンで通信で繋がりあったいろんな知り合いを思い出していると、ふとある女性のことを思い出した。まだパソコン通信の時代、ぼくが主宰するSМがテーマの掲示板で知り合った若い男女が相思相愛の仲になり「結婚します」と報告してきたことがあった。
「おお、時代はついにここまできたか」と感動を覚えたのだが、二、三年後、二人は別れてしまった。というより女性が男性をふり捨ててしまったのだ。「なぜ別れたの?」と女性に聞いたところ「ネットで知り合った別の男性に本当の中イキを教えられたから」だと言うではないか。
 結婚前はそれなりにSМプレイで満足させてくれたカレが、やがてセックスもしてくれなくなったので、SМのチャットボードで適当にS男を見つくろってチャットプレイしたところ、相手の男性の言うなりに手元のサインペンの太い軸をアソコに入れさせられた。その結果、彼女はものすごいオルガスムスを覚え、椅子ごと後にひっくり返ってしまったという。
「チャットだけでイカせてくれる男性と会ってから、カレなんかどうでもよくなったのよ」
 まだ「出会い系」などという言葉が出来る前のことだ。キーボードを打つだけで快楽を分かちあえる相手と出合えるようになった時代。それが平成だ。彼女は今も元気かなあ。

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母親を侮辱するジョーク

 SNSで『昭和時代を懐かしむ』という趣旨のグループに参加している。子供の頃の暮らしや文化、習慣など、いろいろなことを思い出しては「知ってる?」「覚えてる?」と呼びかけると、「あったあった、懐かしいなあ」などという反応が返ってくる。同じ時代を生きたもの同士の連帯感が生まれて、ほんわかとした感じが味わえる。
 最近は「『おまえの母さん、出べそ』ってまだ言うのかな?」という、たわいのない書き込みがあった。「もう、言わないんじゃなの」という反応が多かったが、どうなんだろう。まあ、ぼくが子供の頃は、喧嘩の時は必ずどっちかが口走る悪口で、言われた方は頭にきて、争いはエスカレートしたものだ。
 誰でも、自分の母親を悪く言われるのは、最高の侮辱行為だ。男性優位主義の強いアメリカなんかもっと強烈で「マザーファッカー」なんて、うっかり口走ったら半殺しにされる悪口がある。「おまえの母ちゃん、ヤリマンだ」なんていうのも殴りあいになる。それぐらい母親に対する侮辱は絶対に許せないことなので、言われたら殴りかからないと臆病者とみなされ、本人が軽蔑される。
 そこで思い出したのがこんなアメリカンジョーク(ぼくは知る人ぞ知るジョーク研究家でもあるのだ)。
《そのバーのカウンターには3人の客がいた。そこへ一人の酔っ払いが入ってきて、真ん中の若い男を認めると、やおら彼のところへ行き、顔に指さしてわめきちらした。
「おまえのかあちゃんは、この町で一番のやらせ上手だぞ!」
 店の中の者は、誰もがケンカが始まると思った。しかし指さされた男は、まったく酔っ払いを無視した。酔っ払いはしぶしぶカウンターの端に座り、ぶつぶつ言いながら酒を呑んでいたが、やがてまた立ち上がり、同じ男のところに行き、指をさしてわめいた。
「おまえのかあちゃんと今やってきたところだぞ! それも三度も!」
 誰もが息を呑んだが、男は黙ったまま。がっかりした酔っ払いはまた自分の席に戻った。
 十分後、酔っ払いはまた立ち上がり、同じ男のところへ行き、指さしてわめいた。
「おまえのかあちゃんは、それはそれはよがってたぞ!」
 今度ばかりは男もたまりかねて酔っ払いを殴るだろうと誰もが思ったその時、彼は静かに言葉を口にした。
「……父さん。あんた、呑み過ぎだよ」》
 笑えましたかね。
(2019年5月17日付号)

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性欲は死と隣りあわせ?

 NHKでやってるバラエティ番組『チコちゃんに叱られる』が人気だ。5歳の女の子、チコちゃんが、質問に答えられない大人に対して「ボーッと生きてんじゃねーよ!」と怒鳴りつけるところがウケてるんだろうね。
 この前も、ボーッと『チコちゃん』を見てたら、ふと私より若い友人から打ち明けられた話を思い出した。
 その時の話題は性欲についてで、「一番性欲がさかんで、セックスをやりまくったのは、いつ、どのような状況だったか」ということを、何人かの仲間たちがそれぞれ打ち明けあった。たいていは、新婚当時というのが多かった。そりゃ、おおっぴらにセックスが公認された仲になったのだから、当然といえば当然だ。
 そうしたら、くだんの友人(四十代。A君と呼んでおこう)がポツンと呟いた。「オレの場合、そろそろカミサンとのセックスがマンネリになって、あんまりやらなくなってから、いきなり再燃したんだ」
 そのキッカケは、実家の母親がガンになって、入院し手術すると知らされたことだという。大急ぎで実家に帰ることになり、明日の朝は早立ちしなければいけないと早めに床に着いたのだが、A君、いきなり発情したというのだね。隣に寝ている妻に襲いかかるようにして猛烈なセックスをしたという。それも二度、三度。その頃はセックスレスが続いていたので妻は驚いたのだが、A君も驚いた。
「おふくろが死にそうな病気になったのに、どうしてこんなことをしているのだ」と罪悪感を覚えながらも、夢中になってセックスしたのだという。
 幸い、その時は母親の手術も成功したのだが、完全な治癒にはいたらず、その後も何度か入院、手術を繰り返した。そのたび、A君は猛烈に発情して、実家に帰る前に妻と激しく交わったという。
 その母親は先年、亡くなったそうで、それからというもの、A君はまたもとのセックスレス生活に戻ってしまったという。「どうして母親が危機の時に発情したのかな」とA君は不思議がり、ぼくらも首を傾げたのだけれど、たぶんこういうことではないのか。
 日常の目先のことに捕らわれて、それこそボーッと生きていると、性欲も眠りこんでしまう。それが、母親が死ぬかもしれないという事態、つまり『ボーッと生きてんじゃないよ!』とチコちゃんが叱る状態で、人の生き死のような非常事態に直面すると、眠っていた性欲は突然、目が醒めるんだろう。キミもそういう経験は無いだろうか。

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女装はストレス解放の妙薬!?

 女装関係のSNSで、ぼく好みのビジネスが展開されていることを知った。『××コンシェルジェ』という、女装願望をもつ男性にコンサルタントを行なっている専門店。
 宣伝文句がいい。“ストレス社会に生きる現在、対人関係・仕事の悩み・行き詰まり・理由のわからないもやもや感等……大人になった時、自分で自分をリセットしなければならない瞬間が必ず訪れます。そんな時、こんなリセット方法はいかがでしょう? それは……変身。いつもと全く違う自分、女性になって遊んでみませんか? 「完全女装」を施し、もう一人の自分になりきって遊ぶ……それは日常のストレスからの解放……そして発見。新しい遊びを探している貴方も一度体験してみませんか?“
 つまり「女装してみたいなあ」と思うけど実行できない男性の女装願望を満たしてあげるコンサルタント業だが、そういうビジネスはこれまでも存在した。ところが、この専門店の特色はメイクやスタイリングで完全女装をさせ、写真やビデオを撮影するだけでなく、そこからさまざまなプレイ(SМ、女装レズ、3Pプレイなど)に導いて、女装した客が主演するAV作品まで作ってくれることだ。
「そんなビジネス、儲かるかな」と思う人もいるだろうが、今は東大でさえ女装コンテストをやる時代、男子が女装することは、もう恥ずかしいこと、秘密にすることではなくなってきている。これまで地味で冴えなかった男の子が一転、かわいいセクシーな女装子になって別の世界でヒロインになれれば、確かに絶好のストレス解消になる。
 しかし、自分の部屋でひとりこっそり女装を楽しめても、人前に出て女を演じられるまでは高いハードルがある。そのハードルを女装の専門家が手伝って越えさせてくれるとなれば、女装志願者がどんどん応募してくれるんじゃないかね。
 ぼく自身のことを振り返っても、少年時代から女装願望は抱いていた。江戸川乱歩の『少年探偵団』で、明智小五郎の助手、美少年の小林少年が女装してかわいい女の子に変身して捜査活動するシーンなんか、ドキドキして読んだものだ。結局、ハードルを越える機会も勇気も無いまま、官能小説のなかで妄想を描いてきたが、もし若い頃にこういうビジネスがあったら、さっそく訪ねていったかもしれない。変身するのはセーラー服を着た小林少年。彼が怪人二十面相に捕まり、いろんなことをされるAV作品を作ってもらえば、それは一生の記念になっただろうなあ、なんてことを、つい考えてしまうよ。

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射精するバイブで女性も満足!

 ぼくは女性がオナニーする姿を観賞するのが好きだ。一時、ストリップにハマった時はオナニーショーに一番、夢中になったね。自分で自分を刺激して快感を高めながら、悩ましい声で喘いだり、淫らに腰を振ったりしてオルガスムスに至る姿は、たとえ演技であっても、すごく興奮させてくれる。
 だからネットでも女性のオナニー映像を見まくっているのだが、男性と違って、女性はあまり過激な姿勢や方法をとらない。主に手やバイブ、ディルドー(張り型)、電マなどを使うのが一般的だ。男性のように凝った設定やメカを用いるということもない。
 そういう点では、女性のオナニーは、まあ誰がやっても同じような行為ではある。しかし欧米の女性のほうが、アナルを刺激する率が高いかな。前と後の穴にそれぞれバイブを挿入して同時に刺激するというのをよく見る。日本女性は、欧米女性よりアナルを積極的に刺激する習慣が無いというか、なるべく触らないでおこうという気持が強いのか、オナニーではあまり見ない。
 そんなふうに東西のやりかたを見比べていたら、アメリカの動画で面白いのを見つけた。ミッキーマウスのぬいぐるみを改造して、下半身にバイブをとりつけたのである。たぶん彼氏にでも造ってもらったのか、このミッキーは腰を使ってピストン運動までするのだ。まあ人間なら幼児ぐらいの大きさだけれど、そのミッキーが女の子にのしかかって腰を振ってる姿は、何ともシュールで面白かったねえ。商品にしたら売れるだろうけど、ディズニーは怒るだろうなあ。
 そうそう、最近の女性用グッズの進歩は著しく、震動やくねりだけでなくピストン運動もするようになったけど、今や射精するディルドーが人気らしい。欧米モノだったけど、絶頂に達してから引き抜くと膣口からドッと白い液が溢れてきて驚いた。根元部分にタンクがあり、強く握ることでポンプが作動し、勢いよく模擬精液が噴射するようになっている。調べたら日本でも輸入モノが売られている。知らなかった。「ホースディック」(馬のチンポコ)と呼ばれる特大型の射精ディルドーなんか、ペットボトルの大一本ぐらいの液が噴き出す。「これを使えば男性に中出しされた気分が味わえます」と宣伝している。使ったことのある女性がいたら感想を聞きたいものだ。

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«子宮移植で男も妊娠できる!?