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2005年10月28日 (金)

お人形さん風俗

 彼女がここまでブームになるとは思わなかった。いまや全国どこでも誰でも、彼女を抱いて愛撫し、どんなことでもして楽しめる。
 ――と書くと驚くだろう。なに、ラブドール・デリヘルという新しい風俗のこと。
 ラブドールとはほぼ等身大の女性のお人形。昔はダッチワイフと言った。その用途はもちろん性欲処理。
 ダッチワイフ時代はビニールの風船をふくらませた、情けないシロモノだったが、いまのラブドールはまったく違う。材質のシリコンゴムは人間の肌のような感触があり、ずっしりと重くて抱き心地もホンモノと変わらない――そうだ(はは、ぼくもまだ抱いたことがない)。
 アメリカで作られたラブドールは輸入すると六十万円などと騒がれていたが、今は国産でもすぐれた品質のものがその半額以下で手に入るようになった。
 と言っても、性欲処理の道具にそこまでお金をかける男性はそうそういない。もともとは身体にハンディキャップがあって風俗にも行けない人のために作られたものなのだ。
 ところが、外見がとても愛らしく、あまり人形人形らしくないところから「ラブドール萌え」という現象が発生した。製造元が予想していなかった「ふつうの男性」がラブドールを求めるようになったのだ。今ではラブドールファンのための専門誌まで発行され、オーナーたちが自慢のマイドールを連れてのオフ会も開かれるようになった。
 これに目をつけたのが風俗業界。個室でラブドールを抱く、専門のヘルスができた――と聞いたのがついこの間なのに、最近はラブドールをお客のもとに届けて、使用後に回収するというラブドール・デリヘル(宅配ラブドールとも言う)が一気に全国にひろまった。まあ買うとなったら。けっこう高いものだからね。
 電話一本で、お客のもとに業者が届けてくれる。その料金は、まあ生身の女性の三分の一ぐらいか。あの部分は取り外しが出来て洗えるから衛生的にも問題はない。
「いい若い者が、何が悲しくてダッチワイフを金で抱くんだ」と怒るおじさんもいるだろうが、生身の女性に対する気づかいが必要ないし、何をしても怒らない。見た目もホントにかわいいから、ぼくでも試してみたくなる。
 そのうち、女性が男の子のラブドールを抱いて楽しむ日も来るのだろうか。ちょっと興味があるんだけど、どうだろう。

(画像は「オリエント工業」ホームページより)
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2005年10月21日 (金)

「屁股」って何?

 インターネットの世界では地球の裏側でも一瞬にして情報が届くから、国と国の距離は無いに等しい。問題は言語だ。どんな情報でも読めなければ役に立たない。
 その点、中国は日本と同じ漢字を使っているから、中国のサイトに入っても何となく意味が通じる――ような気がする。親しみやすさが違う。
 とはいえ、大きく意味が違ってくる場合もあるから油断はならない。この前、偶然に中国のホームページで卓球の福原愛について書いた記事が目に留まったが、なんと彼女のことを「白痴」と表現しているではないか。
「愛ちゃんを白痴と呼ぶとは何てことだ!」とファンなら怒りまくるだろう。ぼくも最初はびっくりした。しかし記事全体の感じは愛ちゃんをほめているようだ。
 だんだん分かってきたことだが、日本では「知能程度が低い」という意味の言葉が、中国では「愛らしい」「愛嬌がある」という意味なのだ。こちらでは悪い意味があちらでは良い意味。ここまで正反対だと何かの拍子にケンカになりかねないね。
 そういえば少し前だけど、日本の出版社で出している官能小説誌を台湾で出すことになり、創刊号にぼくの作品も中国語に翻訳されて掲載されたことがある。
 中国語版が贈られたのでさっそく自分の作品を読んでみた。すべて漢字の羅列だからお経を読んでいるようなものだが、「秘裂間湧出了愛液」「連大腿内側都被濡」なんて部分は高校で習った漢文よりもっと分かりやすい。
 それはいいのだが、読みすすむうちにやたら「屁股」という語が登場するので首をひねってしまった。もちろんぼくはそんな単語を使ってない。
「ヘマタ」って何だよ、と原文と参照してみたら、それは「お尻」とか「ケツ」と書いた部分の訳語だと分かった。へーッ、お尻は中国語で「屁股」なんだ!
 発音は「ピーグゥ」。特別にワイセツな意味などなく、ごくごく一般的に使われる語のようだ。調べると台湾では『拍拍屁股去戀愛』というラブソングが売れてたりする。
 それにしても「屁」は中国語でも「おなら」という意味だよ。それはまあ、お尻はおならのでる股のあたりに違いないけどねえ……。
 ちなみに「打屁股」といえば「厳しく批判する」という意味だそうだ。隣国の言葉なのに理解できない人が多いという現状は「打屁股」しなければいけませんな。

(画像は中国語に翻訳されたぼくの文章)

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2005年10月15日 (土)

SMの心

 先ごろ亡くなられた明智伝鬼さんから生前にお聞きした話を書こう。
 明智さんといえばSM業界では知らぬ者のいない緊縛師、晩年はボンデージアーティストとして知られたかただ。
 ふだんは温厚そのもの、人間味溢れる人なのに、女体を前にしてひとたび縄を手にすると情け容赦のない、まさに「縄の鬼」と化して女体を責めて残酷美を生み出してみせた。
 追悼会には大勢の女性が多数参列して涙を流していたが、多くは生前の明智さんに縛られて魅せられたM女さんたちだったろう。
 そんな明智さんのもとに、ある時、どうしても縛って欲しいという人妻さんが地方から上京してきた。ごくふつうの家庭でごくふつうの生活をしている女性だったらしい。
 望みどおりに緊縛され責めてもらった女性は、感謝して帰郷していった。
 それ以来、彼女は年に一度か二度、上京して明智さんの事務所を訪ね、縛ってもらうのが恒例になった。もちろん夫や家族には内緒だ。ふつうの家庭の主婦であれば上京するための時間や費用を捻出するのも大変だったろうが、彼女にとっては明智さんを訪ねることが生きがいになっていったらしい。
 訪問できない間は、緊縛されて責められることへの思いを胸に秘めて耐えているわけだが、その夢がかなって上京して、明智さんの事務所のドアを開けて足を踏み入れた時、感極まって文字どおりオルガスムスを味わって倒れてしまうほどになったという。すごい話ではないか。
 ぼくもSMの世界でいろいろな人に会ってきたが、やはりマゾヒストの女性というのは永遠の謎だ。人間は快を求め苦を避けるのが当たり前なのに、なぜ好き好んで痛めつけられ、辱められたがるのだろうか。
 最近分かってきたのだが、そういう人のSMプレイというのは、肩こりや腰痛に悩む人が受けるマッサージや整体のようなものではないだろうか。
 マッサージや整体は受けている間、やたら痛いし苦しい。ひいひい泣き叫ぶこともある。でもその痛さが快感につながり、終ったあとはとても気分がいい。
 マゾの人には「そんなに簡単なものではない」と怒られるかもしれないけれど、SMプレイが心のマッサージだと思えば、なぜ彼らが夢中になるのか分かるような気がする。苦しい思いをすることが心の解放につながるからなんだね。なんかあの世で明智さんが苦笑しているような気がするが……。合掌。

(画像は97年、渋谷デパートメントHでSMショーを実演中の明智伝鬼氏。裸女の股間に著者の顔が……)

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2005年10月 7日 (金)

ドライな絶頂感

 男と生まれて女性をうらやましいと思うのは、やはりオルガスムスの違いだろう。
 男性のそれが一瞬で終ってしまうのに対して、女性の場合、性感が豊かに開発されていれば、何回でも連続した絶頂感を味わうことができる。これを「マルチプル・オルガスムス」(多重絶頂感)というそうだが、男性には不可能だと思われていた。
 ところが最近、「男でも女のようにマルチプル・オルガスムスを味わえる」という説が唱えられるようになった。
 男のマルチプル・オルガスムスは射精しないわけだから日本では「ドライ・オルガスムス」と呼んでいる。射精してイッた場合は「ウエット・オルガスムス」だ。
「射精せずに絶頂感を味わうなんてできるわけがない」と思うでしょ。ぼくも最初はそう思っていた。
 ところがある朝、ぼくは性夢を見た。色っぽいので有名な熟女女優のMとやっている夢だった。そしてぼくは夢のなかで絶頂に達した。気の遠くなるような快感が頭のてっぺんまで突き抜けた。次の瞬間、それが夢だと気づいて「しまった!」と思った。てっきり射精してしまったと思ったからだ。
 しかし――とび起きてパンツを脱いで調べてみると、なんと精液の形跡もない。呆然とした。これがホントの「夢を見たような気分」だ。
 では、あの快感はなんだったのだろうか。確かにホンモノの射精と同じ、いや、それ以上の快感が全身を貫いたのだ。
 ――ということは、男は射精しなくても、脳だけでも同じような快感を味わえるということではないか。その体験以来、ぼくはドライ・オルガスムスが可能だと確信するようになった。
 現実にドライ・オルガスムスを楽しんでいる男性の多くは、肛門から特殊な器具を挿入して前立腺を刺激し、射精なしの絶頂感を味わっている。達人になるとひと晩中、強烈な絶頂感を楽しんで、その域に達すると「もう女なんかいらない」と思うらしい。
 言ってみればオナニーの一種なのだが、ここまでくれば究極のオナニーと言っていいだろう。しかし長時間の努力も必要なようで、ダメな人間はどれだけ練習してもダメらしい。
「それだったら、イクのは一回きりでも生身の女の体を抱いてイクほうがいい」と思うだろうか。ぼくはその技術を身に着けておきたかったが、年齢的にもう遅いだろう。残念ッ。

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