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2006年2月24日 (金)

女とフェロモン

「女の子たちの生理が重なってしまうことがあって、そういう時は本当に困ってしまう」
 知りあいの風俗業者が嘆いていた。
「それってフェロモンの関係かな」と答えたのは、ヒトフェロモンが発見されるきっかけになったのが、女性の生理が重なる現象だったと伝えられているからだ。
 フェロモンのなかでも異性をひきつける性フェロモンは人間には存在しないとされていた。ところが1980年代、アメリカの大学の女子寮で、同室になった女子学生の生理周期が同じになることが分かり、それがヒトフェロモンの発見につながった。
 その業者のところには女の子たちが待機している部屋があって、何人もの子がそこでおしゃべりしたりゲームをしたりマンガを読んだり、まあみんなでゴロゴロしてるから女子寮に似ている。
「そうか、女の子が一緒にいるとよくないのか。待機させる場所を考えないといけないかなあ」と、彼は頭を悩ませていた。
 しかしまあ、そうは言ってもフェロモンについては分からないことが多い。ただ分かっていることは、女性の発するフェロモンは匂わない、ということだ。
 よく「フェロモンがむんむん匂う発情女」なんてキャッチコピーを見かけるが、ありゃ大ウソ。フェロモン自体は匂わない物質なのだ。嗅覚を感じるのとは別の部分で察知している。むんむん匂っているとしたら、それは女性特有の体臭だ。
 もう一つ、フェロモンを嗅げば男はたちまちビンビンに発情する――というのも、まったくのウソ。女のフェロモンは逆に、男の気持をやわらげるほうに働く。発情させるというより「一緒にいたい」という気持を促進させるらしい。
 男だけの職場や組織――たとえば軍隊や刑務所などではケンカや暴動が発生しやすい。そういうところに少しでも女性がいると殺伐とした雰囲気がやわらいで、争いが減ることが分かっている。これもフェロモン特有の作用だという。
 今は「フェロモン含有」をうたった香水や化粧品が発売されているが、それをふりかけるだけで一発で男性や女性がその気になってくれる――なんてことはあまり期待しないほうがいい。
 出会って「なんか気になるなあ」と思う子がいたら、案外、それがフェロモンの効果なのかもしれない。まあ、ともかくよく分からないものなんである。

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2006年2月17日 (金)

戦う女はエロティック

 トリノ・オリンピックで熱戦がくり広げられている。
 ウインタースポーツで何が好きかといえば、かつてはフィギュア・スケートだった。もちろん女子。
 早い時期にビデオデッキを買ったのも、女子フィギュアをじっくり見たかったから。一時はけっこう夢中になって見ていた。
 お尻が好きだから、後ろ向きで滑走している時にユニフォームの裾がまくれて、まるいお尻がくっきり見えるのがね、実にいいですなあ。
 今でも見ることは見るけれど、昔ほど熱心ではなくなった。自分でも不思議で、どうしてかなと考えてみたら、あれは「女らしさ」が過剰なまでに表現されるスポーツだからだと気がついた。女の美しさというのを「これでもか、これでもか」と押しだしてくる。その部分に引いてしまうようになった。
 昔はストリップの舞台が大好きでいつもかぶりつきで見ていたけど、だんだん興味が失せてきて、今はめったに見なくなったというのも、「女らしさ」というか「女そのもの」をムキだしにして押し付けてくるから引けてしまったんだと思う。
 ではどういう魅力をスポーツの女性に求めているかというと、「なりふりかまわぬ真剣さから生まれる女のエロティシズム」とでも言おうか。もう「女らしさ」なんてどうでもいい、ただベストを尽して勝つのだ! と力強く戦う女性選手の姿にしびれてしまうんである。
 男でもそうだろうと思うが、一つことに熱中している人間の姿というのは官能的に美しい。ぼくの場合、女性がエロなんてまったく関係ないところで髪振り乱して何かとぶつかりあって戦っている現場に、かえってエロを感じてしまうことが多い。不思議だ。
 スキーの滑降の女子選手なんて、滑ってる最中はフルフェイスのヘルメットかぶってるし、体型だって男子選手とそんなに変わらない。滑ってる間は男もなければ女もない。だけどゴールしてからヘルメットを脱げば髪がぱあッとなびいて白い歯と一緒ににこやかな笑みがこぼれる。あの瞬間がいいよね。
 うーん、説明するのが難しいけれど、戦ってる時と戦い終えた時との落差に感じてしまうんだろうね。まあぼくが「強い女」にしびれるタイプだと言えばそれまでのことなんだけど。
「美しくて強い女がなりふりかまわず戦いまくる」冬の祭典、バンザイ。

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2006年2月10日 (金)

ポルノ小説の影響

 官能小説とポルノ小説はどう違うのか、と聞かれることがある。一般的には官能小説はエッチ部分の描写がソフトで、ポルノ小説はハードということになっているが、じゃあハードとはどういうことなのか。
 ぼくの定義によれば「読んで必ずオナニーしなければならない状態にもってゆくのがポルノ小説、そうでないのが官能小説」だ。ポルノ作家はそういう計算をしながら「どうだ、これでもか、これでもか」と読者を興奮させ勃起させるように描いてゆく。
 ところが昨今、官能もポルノも女性の愛読者が増えてきた。ぼくら男性作家は男をどうしたら興奮させるかはお手のものだけど、女性がどの部分にどう反応するかは、いまひとつよく分からない。女性を興奮させるポルノについては、女性作家のほうがやはり巧みではないかという気がする。
 まあこういう作品は性的に興奮させるだけだから、オナニーしてしまえばスッキリするわけで、たとえばSMでいくら残虐な行為を描いても「よし、おれもやってみよう」とは思わないものだ。
 実際、そういうジャンルのポルノが解禁されている社会のほうが抑圧されている社会よりも実際の犯罪が少ないとされている。ポルノ作家は社会から性犯罪を低下させることに貢献しているのだ。えへん。
 それでもポルノに影響される読者がいないわけではない。ぼくの場合、美少年や美青年が女装して性的な体験をするという「シーメールもの」というジャンルの作品を早くから書いている。『ナイロンの罠』という作品を発表した時は、ずいぶん大勢の読者が影響されたようで、今でも「あれにはハマりました」と言われることがよくあるし、そういう関係のお店に行くと「あれを読んだおかげでシーメールになっちゃいました」という妖しいおねえさん(?)に必ず声をかけられたものだ。それで幸せになってくれればいいけど世間的には「オカマ」だからねえ、いろいろ大変だと思うと、やっぱり書いた責任というものを覚えないわけにはゆかない。
 つい最近は、強制的に女性化されマゾ奴隷になる男を描いたぼくの作品に影響され、女装に夢中になったあげく奥さんにバレ、離婚したという男性からファンメールをいただいた。今は独身でバリバリ女装ライフをエンジョイしているらしい。
 ぼくの小説がその人の人生を大きく曲げてしまったわけで「これからももっとあのような作品を書いてください」と言われても、家族の運命も考えると、ちょっと複雑な心境になってしまうのである。

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2006年2月 3日 (金)

子供のトンデモな名前

 フランスでは最近まで、子供に名前をつけるのに法律で制限があった。キリスト教の聖人500人のうちから選ぶ以外、好き勝手に名前をつけられなかったのだ。そのためフランスの俳優をみれば分かるように「ジャン」だの「ポール」だの「アラン」だの同じような名前がズラリと並ぶ。
 あまりに変わりばえしないので、親の中には二つの名を組みあわせて「ジャン=ポール」のように変化をつけたりした。ジャン=ポール・ベルモンドがその例だ。
 それではあまりに不自由だというので、この法律は改められたが、そうすると「ケビン」「ボブ」「トミー」といったアメリカ人のような名前が増えて、伝統を愛するフランス人を嘆かせているらしい。
 日本は使える漢字に制限はあるものの、どんな読みかたをしてもいいので、かなり自由である。それでも昭和の時代まではある程度の節度があった。せいぜい森鴎外が自分の子供に於菟(おと)杏奴(あんぬ)、茉莉(まり)、類(るい)と付けたのが「西洋かぶれ」として話題になったぐらい。それだって日本の社会のなかでじゅうぶん通用するよう、考えられていた。
 しかしヤンキーと呼ばれ「夜露死苦」なんてクルマに書いて喜んでいた世代が親になるにつれ、子供にトンデモな名前がゾクゾクとつけられるようになった。
 最近の子供につけられた変わった名前を集めたサイトを見れば、たいていの人間が「ありえねー!」と叫ぶだろう。ぼくも「マジかよー!」とのけぞってしまったね。
「麻理緒音都」って名前がある。「まりおねっと」と読むのだそうだ。「樹茶」は「きてぃ」なんだと。親の顔が見たい。それとも子供の将来は芸能人と決めているのだろうか。
「光凛」は「こうりん」じゃなく「ぴかりん」で「光宙」は「ぴかちゅう」。こうなると正気なのかどうか疑いたくなる。
 極めつけは女の子の名で「亜菜瑠」。「あなる」って、それ……。絶句してしまうよ。役所は受けとった時「アナルというのは『お尻の穴』っていう意味ですよ」と教えたのだろうか。知ってて付けたのなら「悪魔」より悪質だね。
 この子、必ずや「やーい、ケツの穴」とからかわれいじめられるだろう。ぼくだったら自殺してしまうかも。親が早く心を入れかえて子供が物心つく前に改名してくれることを願うしかない。
 しかし、こういう親を取り締まる法律が必要なんじゃないかね。これってりっぱな虐待だよ。

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