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2006年4月28日 (金)

女性のセックス中毒

 ぼくの最近の研究テーマは女性の「性依存」だ。早くいえば「セックス中毒」かな。
 毎日誰かとセックスをしないと不安で、落ち着かない。誰でもいいから相手を求めてうろつく。そういう女性が少なくない。最近は出会い系サイトというのがあるから、性依存の女性にはとても便利だ。
「セックス中毒」というから「セックスするのが好きで好きで仕方のない淫乱な女なんだろう」と思うけど、必ずしもそうではないのが、この性依存症患者の不思議なところなんである。
 数年前、東電OL殺人事件というのがあった。昼は有能なキャリアウーマンが、仕事が終るとケバケバしい装いをして渋谷の盛り場の街頭で「立ちんぼ」として客をひいていた。その女性が殺された。
 被害者の表の顔と裏の顔が極端に違うので誰もが驚いたものだ。その後、ルポライターの佐野眞一さんがずいぶん詳しい調査をされたけれど、彼女がなぜ「立ちんぼ」という最低の娼婦となったのか、最後まで納得のいく説明はできなかったようだ。
 しかし佐野さんの取材で、被害者の女性は特にセックスが好きではなかったこと、セックスでオルガスムスを得ることはなかったことが分かっている。金が欲しいわけでもなくセックスが好きでもなかったのに、誰に強要されたわけでもなく何年も娼婦をやっていたのだ。
 結局は「心の闇」として片づけるしかないのだが、ぼくはのちに「性依存」という精神症状を知って、この被害者は、これだったのではないか、と思うようになった。
 性依存——セックス中毒に陥る女性はいくつかの共通点がある。知能程度も学歴も高く教養がある。どちらかというと厳格な親(特に母親)に躾けられて従順な性格である。そして必ずしもセックスで快感を覚えていない。
 そういう「育ちがいい」女性が、ある時期から突然、男を漁るようになる。男に抱かれないと不安になりイライラする。それはアルコール中毒や薬物中毒の患者が、酒やドラッグを切らした時に覚える症状と同じだ。
 ひっきりなしに男を求める場合、一番いいのは風俗の世界である。風俗で働いている女性のなかには、それこそ東電OLに負けない有能な、社会生活では高い評価を得ている女性が珍しくない。
 ぼくもSMクラブなどでM女として働いている女性のなかで、そういう女性を何度も見た。つまり正真正銘の「お嬢さま」「元お嬢さま」が娼婦になっているのだ。
 なぜ、彼女たちは娼婦に身を落すのか——それについては次週で考えてみよう。

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2006年4月21日 (金)

スリップはなぜ消える?

 最近、よく見かけるのが「裾レーススカート」というやつ。街中で出会うと思わず「あれッ」と思って視線がはりついてしまう。
 一瞬、スリップの裾がはみ出ている、いわゆる「シミチョロ」状態なのかと錯覚するんだね。スリップ大好きおじさんとしてはどうしてもドキドキしてしまう。
 夏になってヒラヒラと涼しげな素材のスカートにレースがついたのが出回ってくると、まるでスリップのまんま歩いてるんじゃないかと錯覚することもしばしばだ。
「それぐらいだったら、いっそスリップを着て外を歩いてくれないかな」と思う。キャミソールが外着になったのだから、同じ現象がスリップに起きてもいいんじゃないか。そういうファッションを誰か仕掛けてくれないか。
 そんなバカげたことを妄想するのも、最近めっきりスリップを見る機会が無くなったからだ。若い女性や少女たちに関しては、スリップという下着はもはや死語に近いかもしれない。
 スリップなんて一枚も持っていない女性が大多数という時代、昔ながらのスリップを愛するおじさんたちは、残念で悲しいんである。
 しかし海外のランジェリー関係サイトを見ると、スリップは日本ほど衰退している様子がない。ネット上のカタログにはちゃんと多様なデザインのスリップが掲載されている。どうして日本だけ、スリップが衰退してしまったのだろうか。長いこと理由が分からなかった。
 たまたま海外に住んでいる女性が日本に里帰りした時、スカートをまとめて買ってゆくので、不思議に思って理由を聞いてみた。
「だって向こうのドレスやスカート、裏地が付いてないのよ。自分で縫い付けるか、それが面倒ならスリップを着なきゃならないの」
 そ、そうであったか! 上に着た服が肌にまつわりつかないように、滑らせるために着るから「スリップ」なのだ。それは本来、服に裏地がなかったから必要とされたものなのだ。
 ところが日本の婦人服というのはひどく親切で、買った時から裏地がついている。そうであればスリップは不要になるわけで、だから衰退してしまったのだ。
 うーん、日本というのは、目に見えないところに妙に丁寧なことをする国なのだなあ。おかげで大好きなスリップが消えてなくなるじゃないか。スカートに裏地を縫うなー。はは、無理か。

(画像はアメリカのスリップ・フェチサイトから)

Slipsoft1

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2006年4月14日 (金)

永井荷風の異常性

 永井荷風といえば、文化勲章を受けた文豪だが、日本で一番有名なポルノ『四畳半襖の下張り』の作者でもある。
 ぼくは、生涯、情痴小説しか書かなかった偏屈な荷風が好きで、いろいろ調べているのだが、調べれば調べるほど新しい事実が分かって、ますますその人物像にひきこまれてしまう。
 たまたま、ある資料を読んでいたら「荷風は異常性欲の持主です」と主張する人物の発言に目が留まった。
 性的な異常といえば、荷風の後輩、やはり文豪と呼ばれる谷崎潤一郎のほうが濃厚だ。強くてたくましい女の足に踏まれたがった人だからね。荷風は性欲が旺盛で、いろんな女たちと交渉をもったが、ぼくの目から見て変態だと思ったことはなかった。
 ところがその人物は「荷風は異常にフェラチオを好んだ」と言う。まあ現在、フェラチオを異常だと思う人間は少ないだろう。フェラチオなしのセックスでは、男たちはつまらないんじゃないだろうか。ぼくも「このおっさん、ヘンなこと言うなあ」と思った。
 ところがもっと読んでいったら「確かにこれは異常だ」と驚かされた。
 荷風は昭和の初め、ある娼婦と出会い、彼女の性愛テクニックに魅了され、身請けして愛人とする。そして九段に待合を経営させた。待合というのは芸妓(この場合は娼婦)を呼んで楽しむところだ。
 荷風はそこで客の男たちと娼婦たちの性行為を覗き見して楽しんだりしていたらしい。そこまでは荷風の伝記に記されている。
 ところがその愛人、歯を全部抜かれてしまったというのだ。荷風がそう命令したのだろう。あるいは大金を払って身請けしたというのは、総入れ歯にすることと交換条件だったのかもしれない。
 総入れ歯をはずせば固い歯がないのだから、フェラされる男性として実に気持がいい——という。ぼくは試したことが無いから分からないけどね。(笑)
 荷風は女の肉体には執着したけれど、情は薄く、飽きるとすぐに捨てる人物だった。ところがこの女性は飽きられる前に、精神に異常をきたしたことが理由で進んで別れるんである。
 実は、彼女が荷風のあまりの異常性に「これでは殺される」と怯え、わざと精神異常を装って逃げ出した——というのが真相らしい。
 女の歯を全部抜いてしまった荷風という人物、まだまだいろんな秘密が隠されていそうだ。

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2006年4月 7日 (金)

ニセモノの時代

 民主党永田議員の「偽メール事件」が問題になったが、電子メールはいくらでも書き換えることが可能なモノだから、内容だけを手に入れても証拠能力はゼロに等しい。
 アメリカでは八十年代にすでに「電子メールそれだけでは証拠にならない」という裁判所の判断が出ているのだ。
 偽メールは文章の問題だが、画像もまた同じ難問に直面している。
 いったんコンピューターにとり入れられた写真や絵は、いくらでも描き変えて似たような別の画像にすることが出来る。ウェブ上では、アイドルやらセレブの女性が全裸になったりセックスしているワイセツな画像が氾濫して当事者たちを悩ませている。
 もちろん他人の体に本人の顔をくっつけただけの代物なのだが、出来のよいものはよほどの専門家が見ても分からない。される側にとってはひどい迷惑だが、そういうニセの画像をせっせと作って流しまくる「アーティスト」が大勢いるのだ。いろんなパーツを組みあわせて作品を作るのをコラージュというのだが、ネットの世界では「コラ」と縮めて呼ばれている。
 ぼくの「いろ艶筆」はバックナンバーをブログにして掲載しているが、適切な画像があればつけることにしている。前回は『パンチラの楽しみ』だったので、いろいろ探してみたら、女性アナウンサーらしき女性が街頭でナマ中継ちゅうに風が吹いてスカートがめくれ、パンティが丸見えになった画像が見つかった。なかなか刺激的である。
 テレビの画面から録ったもののようで「この放送はぼくも見ました」というコメントもついていたので、実際に放映されたものなら間違いないだろうと思い、拾ってブログに転載しておいた。
 ところがなんと、詳しい人から「これはコラの名作として知られている作品ですよ」と指摘されてしまった。
 改めてしげしげと見つめてみたが、上半身と下半身、実にうまく組みあわせているので、ぼくの目ではとてもコラとは思えない。それぐらいよく出来ている。
 こういうふうに技術が発展してくると、困るのは報道カメラマンではないだろうか。タレントの不倫現場をカメラに収めても「それはコラです」と言われたら反証するのが難しい。最近のカメラマンはほとんどがデジタルカメラを使っているから、写真からもすでに証拠能力が失われてしまったことになる。文章も画像もホンモノかニセモノか分からない、そんな時代になってしまったのだ。

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