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2006年12月29日 (金)

現代の奴隷市場

 以前、このコラムで『オークションの快楽』というのを書いた。その中で《モノを競り落したり、競り合わせて高値で売ったりするのがこれだけ楽しいのだから、もし人間をセリで売買したらどうだろうか? ……奴隷オークションはサディストやマゾヒストの最高の快楽のはずだ。ネットではなく、実際に女奴隷を壇上に引き出しての「女体セリ」というのが行われた話はぼくも耳にしているのだが、残念ながらこの目で見たことはない》——と書いた。
 その後、都内の某所で「おんな市」という女体セリが行われていることが分かった。消費者金融の内幕を追究したノンフィクション『下流喰い』(ちくま新書)という本のなかで、金融ジャーナリストの須田慎一郎さんが潜入ルポを書いているというので読んでみた。
 氏は噂をきいて知り合いに頼みこみ、関係者のような顔をして「おんな市」の会場に潜入することに成功した。会場はホストクラブで、営業していない昼間に行われた。集まってきた中年の男たちは、風俗業界の闇の部分にいる人間だ。
 やがて女たちが十人ほど姿を現した。全員パンティ一枚の裸で、ヘソのところにマジックインキで番号が書かれていた。
 寒々しい蛍光灯の明かりの下で彼女たちは無表情でうつむき加減に立ちつくし、裸身に男たちの視線を浴びている。二十代の茶髪の娘もいれば四十代のオバサンもいて、タイプはいろいろだったが、外国人や未成年はいなかったという。
 参加者が紙に金額を書いて入札する形式で、女たちは無言のまま、買われた業者たちによって連れ去られた——。
 年に何度か開かれる「奴隷市」に出品されるのは、ホスト狂いの果て何百万というツケや借金を作った女性客。風俗業者たちが借金総額に五十万円程度という相場でセリ落とし、彼女たちをタコ部屋に住わせ、ある期間、体を売らせて稼がせる。もちろん最低限の生活だろう。
「ひどい話だ」と思うのがふつうだろうけど、ぼくは読んでいてSM作家の血が騒いで興奮したね。ただ、女たちは身の不幸を嘆く様子など少しもなく、アッケラカンとして、セリは愁嘆場もなく淡々と終了した——というのが残念だ。もう少しSM的に盛り上がってほしい。(笑)
 ホスト遊びにのめりこんでいる女たちに、こんな末路が待ちかまえているとは——。いや、いい勉強になりました。

(画像は、まさか現代の奴隷市場というわけにもゆかず、ジャン=レオン・ジェロームの描いた『ローマの奴隷市場』です)

Dorei_ichiba

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2006年12月22日 (金)

百人一首はポルノチック

 そろそろお正月も近いので、それらしい話題を探そう。(笑)
 ここ何年か、百人一首に取り組んでいる。別にカルタをやるためではなく、ひたすら暗記しようと努力しているのだ。
 百という数は、暗記するのに多すぎず少なすぎず、もの忘れ防止、記憶力増強のトレーニングにちょうどいいのじゃないか、と思ったからだ。
 一日一首づつ覚えていったから、三カ月ちょっとで百首全部を暗記できた——と思ったら、最初のほうをすでに忘れてしまっていた。一つ覚えると一つ忘れる、というふうで、いつまでたっても百首パーフェクトに暗記できるようにならない。情けないことである。
 ただ暗記するだけでは脳に刻まれないんだろうと思い、今度は『mixi(ミクシィ)』の日記に、ちょっとしたメモや感想をつけて書き残すことにした。そうすると確かに忘れにくい。今ようやく二十首を書いたところだけど、読んでくれる人(マイミクという)はわりと面白がってくれる。
 百人一首は、最近は「一首も知らない」という人も多いけれど、学校によっては生徒に暗記を義務づけているところもある。少なくなったにしろカルタを楽しむ人たちも健在だ。日記を読んでくれた仲間も「百人一首は日本人の基礎教養。面白いから子供に読ませてます」という感想も届いた。そうするとちょっとまごつく。
「ん? 子供に? そ、それは問題だな……」と困惑してしまうんである。(笑)
 なにが問題かというと、百人一首は平安時代、宮廷にいた貴族や女官が詠みかわした和歌から選ばれたもので、実に半分近くが恋の歌だからだ。男から女へ、女から男へ、誘ったり誘われたり怨んだり怨まれたり、ずいぶんと生々しい愛欲の感情が歌われている。
 たとえば儀同三司の母の《忘れじの行く末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな》なんてのは、恋人と初エッチしたあとの若い娘が「これ以上の歓びはもう味わえないだろうから、いま死んでしまったほうがいいかも」という、セックスの感激を歌った歌なんである。そこんところを子供にどう教えたものかねえ。
 百人一首のほとんどはエロとポルノなんである。こうなったら、そっちの方面から百人一首を観賞する本でも書いてやろうかね。いやまあ、それよりも百首、ちゃんと暗記するのが先なんだけれど——。

(画像は儀同三司の母「忘れじの」の取り札)

100nin_gido

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2006年12月15日 (金)

太腿の魅力

 先日、NHKがキャンディーズの回顧番組を放映した直後から、ネットでは中年オヤジたちの感激の声がとびかった。
「いやー、懐かしい、泣けた!」「好きだったランちゃん、あんな感じだっけ?」「たまらん『ほほ笑み返し』!」「みんなかわいかったなー!」
 デビューが1973年、解散コンサートが78年4月。三十年がたつのだから、当時紅顔の少年だった連中も四十代、五十代の中年オヤジ。それでも熱く感想を語りあう姿はかわいいもんである。(笑)
 かく言うぼくも見ましたよ。若かった頃の甘酢っぱい思い出が甦ったね。しかし一番驚いたのは、彼女たちの着ていたフリフリのドレス。やたら短くてパンツがすぐに見えそうだ。ほとんど付け根まで見えてる三人のスラリとした太腿がやたら眩しい。
「えーッ、あんなに超ミニだったっけ?」
 ちょっと信じられなかった。記憶と違う。
 そういう印象を抱いたのはぼくだけでなく、他のオヤジたちも同じ感想を洩らしていた。
「あれだけ短かったのに、当時は別に何とも思わなかった。どうしてだろう? 今でもググッとそそられるのに」
 三十年という時間が記憶のなかのキャンディーズにもう少し裾の長いドレスを着せてしまったわけだ。これは不思議な現象だ。
 キャンディーズの太腿を思い出したついでに、この冬の太腿の話。ぼくが住む六本木・麻布界隈ではホットパンツというのか、超短いショートパンツにロングブーツというスタイルの女の子がやたら目につく。
 そうすると白い素肌が露出している太腿から膝のあたりまでが、やけにググッと迫ってきて、うーん、そそられる!
 まあ、もともと女性の太腿にはそそられるタチなのだ。官能作家仲間には「ふともも作家」と称せられる牧村僚さんがいるが、ぼくだって負けないぐらい太腿が大好きなんである。
 太腿の魅力は何かというと、女性の力強さが凝縮しているからだと思う。誰だって、あの太腿で首をギューッと締めつけられたいと思うでしょ。え、思わない? そりゃヘンタイだ。ほら、○×○をしていて女性がイッた時、ぐぐッと……。(以下略)
 ついつい妄想が膨らんで、「首を締めつけられたい太腿女性ベストテン」なんてランクを考えてしまった。一位はなんと言ってもフィギュアスケーターのミキティだ。ぼくの場合、フィギュアを見る楽しみは、力強い太腿を見る楽しみだからね。さて、あなたの一位は誰?

Candies

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2006年12月 8日 (金)

荷風の未公開ポルノ

 永井荷風といえば文化勲章をもらった文豪でありながら、『四畳半襖の下張り』という、きわめてすぐれたポルノ小説を書いた人だ。
 1959年に79歳で亡くなったが、生前、もう一編のポルノ小説を書いたことが知られている。荷風の日記『断腸亭日乗』の1948年1月3日の項に「春本濡ズロ草紙を草す。また老後の一興なり」と記されているからだ。しかし荷風の生前はもちろん、死後もその作品は発表されなかったし、その作品が存在するかも定かではなかった。ところが1986年になって、その抜粋がある雑誌に発表され、ようやく『ぬれずろ草紙』と題された荷風ポルノの概要が分かった。
 荷風がこれを書いたのは戦後の混乱期で、巷にはパンパンと呼ばれた米兵相手の娼婦が横行していた。『ぬれずろ草紙』のヒロインは、パンパンに混じって米兵相手に乱交を繰り広げる若い未亡人の話だった。
 しかも彼女は戦死した夫がまだ生きている時に、強盗に襲われて夫の目の前でレイプされるという体験がある。おかげで夫婦とも変態露出プレイの快感に目覚め、いろいろ快楽を追求してきたという過去がある。そのあたりが後半、回想シーンとして描かれている。つまりSMっぽいの好き未亡人が相手かまわず進んで股を広げてやりまくる過激なポルノなのだ。
「お、それって面白そう!」と思うでしょ。(笑)
 いや、雑誌には、穏当なところだけこま切れに紹介されているのだけど、『四畳半』が格調高い文語体なのに『ぬれずろ』は口語体。読みやすく分かりやすく、いやらしい部分は徹底的にいやらしい。荷風も発表を前提にしていないからのびのびと筆を走らせていて、ポルノが氾濫している今でもどぎついぐらいの描写だ。著作権者のかたが「これは発表できない」と思ったのは当然だ。文豪の名を汚すことになるしね。
 しかし、荷風というのはひどく高潔かと思うと信じられないぐらい卑俗な面を見せる、二面性の作家だった。その人間性を研究するためにも、『ぬれずろ草紙』の完全版をどこかで出版してくれないものかと、ずっと願っている。ああ読みたい読みたい。死ぬまで読みた〜い。

(画像は、秘蔵されている『ぬれずろ草紙』原本。一と二の二冊に分かれている。
『永井荷風ひとり暮らしの贅沢』(永井永光ほか、新潮社より))

Kafu_nurezuro

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2006年12月 1日 (金)

やっぱり卵は精力剤

 フランスに在住のH画伯が個展を開くため久しぶりに日本に帰ってきた。。
 女性の下半身や性器をモチーフにした非常にエロチックで特異な鉛筆画を描く。その細密な技法は驚異的とも言えるもので、A4版ぐらいの大きさのを完成させるのに毎日10時間描いて一カ月はかかる。それに費やすエネルギーは莫大なものだ。
 そのエネルギーを何から得ているか興味があったので食生活を尋ねてみたら「卵です」という答が返ってきた。なんと一日に十個の卵を食べているというのだ。
 聞けばH画伯は一日二食主義で、どちらもスパゲッティ。それに卵を五個づつ入れて食べているという。あとは缶詰のツナと野菜を炒めたものぐらい。炭水化物たっぷりの高カロリー食で、医者が聞いたら怒るような食生活だろう。しかしH画伯は五十代の後半なのに髪も黒々、肌も若々しく、筋肉は隆々、冬でもコートは着なくて、Tシャツで過ごしている。まあ毎日ジムに通って熱心にトレーニングしているというから、それぐらい高カロリーの食事をしても問題はないのだろう。
 ぼくなんか生活習慣病のカタマリだから、「コレステロールの多い卵は食べないほうがいい」と言われ、本当は大好物なんだけど二日に一個ぐらいに押さえている。毎日十個も食べていたらどうなるんだろう?
「問題ありません。いたって健康です」とH画伯は言う。それに、卵はあっちの意欲ももり立ててくれるんですよ」と聞き捨てならないことも言うではないか。
 絵の題材が女体だけに、旺盛な性欲も描くためには必要なのだが、卵のパワーが性欲をもりもりと強めてくれるらしく、卵を食べないとあっちの方もたちまちパワーダウンしてしまうらしい。
 昔から卵は精力剤として愛用され、女性と一戦交える前に生卵を呑むのはおまじないだった。調べてみるとウソではなさそうだ。卵にはメチオニンというタンパク質とビタミンAが豊富に含まれていて、これらは脳から睾丸に送られる性腺刺激ホルモンを増やす役目がある。つまり卵をたくさん食べることでヤル気もわいてくるのだ。最近の研究では卵のコレステロールはさほど心配するほどのことはなく、一日二個ぐらいなら毎日食べても平気のようだ。実際、卵を食べても食べなくても心筋梗塞の危険度に影響はない、という結果も発表されている。卵はどんどん食べて、ヤル気まんまんでGОだ!

(画像上は参考写真、下はH画伯作品)

Egg

Hayashigahaku_leggirls

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