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2007年2月23日 (金)

捨てる女、捨てない男

 女性イラストレーターのMさんが、mixi(ミクシィ)内の日記に書いていた。
「男は昔の女の写真や手紙は取っておくらしいけど、どうして? 女は昔の男のモノなんてパッパッと捨ててしまうのに」
 この疑問については、大勢の友人知己から意見や感想が寄せられて、実に六十四個も発言がついてしまった。
 それらを読むかぎり、男は確かに以前の女の思い出につながるモノを捨てないで持ち続けることが多い。反対に女性は、昔の男のモノなぞ「おぞましい」とばかり徹底的に捨てている。
 んー、そう言われてみればぼくもそうであるな。「秘密の隠し場所」みたいなところには、過去の思い出につながるモノがいろいろしまいこまれている。
 性格にもよるだろうけど、男は過去にこだわり、女はこだわらない、ということは言えると思う。Mさんの日記に反応して発言を寄せた人たちもその傾向は認めている。
 そこからぼくが連想したのは、フェティシズムの男女差だ。セックスに関してモノにこだわるのは圧倒的に男だ。女性の下着を盗む男はいっぱいいるが、男性のパンツを盗む女なんて聞いたことがない。性に関するモノのコレクションは圧倒的に男がやるもので、女性が何かのコレクターだというのは非常に珍しい。
 つまり、本来の意味におけるフェティストは男だけだということになる。これが昔から不思議だった。なぜ女性は男性のように、異性の身体パーツや身につけるモノに執着しないのだろうか。
 男はまったくの見ず知らずの女性の下着でも盗んでまでコレクションするのに対し、女は自分に関係のあった男のものはなおさら汚らわしいものであるかのように捨てて捨てて捨てまくって後悔することがない。
 男を蝶、女を花に例えることが多いが、花から花へ飛び回るはずの男のほうが過去について未練たらしく、女のほうがアッサリしているのは本当に不思議だ。
 そういえば学校の同窓会などでも、積極的に呼びかけ参加するのは男のほうではないだろうか。最近は特に、卒業すると同時に学校時代を懐かしむ男の子が異様に多いように思える。女の子のほうが現在を楽しみ、将来に夢を持ち、過去にこだわらないように見えるのだが、ぼくだけの錯覚だろうか。誰かその理由を説明してくれないか。

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2007年2月16日 (金)

デジタルコピーの時代

 官能作家仲間のAさんが怒っている。
 ネットのなかで電子本を売っている電子出版サイトで、彼の長編作品がタイトルそのまま、作家名だけ変えて売られていたのだ。その作家は女子高生だと名乗っていた。
 愛読者からの通報を受けて調べてみたら、驚いたことにその「女子高生作家」は官能作家の有名どころの作品を軒並み二十数本、Aさん同様完全にパクって売って、利益を得ていたのだ。
 もちろん他の作家さんや出版社も激怒してただちに販売サイトは作品を削除、目下、告発や損害賠償を含めた法的措置をどうするかの交渉が進んでいる。
「女子高生作家」は自分のブログで「ごめんなさい」と謝っているが、ごめんですむような問題ではない。著作権侵害はレッキとした犯罪なので「出来ごころ」として簡単に見過ごせるようなものではないのである。関係者がみんな怒っているから、まあただではすみそうにない。
 それにしても、プロの作家が書いた本二十数冊を女子高生と名乗る人物が「私が書いたものですう」と持ち込んできて、内容どころかタイトルも何もチェックしないでオンラインで販売していた電子出版社もどうかと思う。こちらの責任もきつく問われなければならない。
 どうも犯人は「まともに日本語も書けない」国語力の弱い人間らしい。そんな人物が完全パクリの本を多数売りだすことが出来たのは電子本が出回っているからだ。電子本のテキストはデジタルデータだから一瞬にして完全なコピーが出来る。つまり一冊ぶんのデータがあれば何の手間もなく無限にコピーが作れるという仕組が、犯罪を誘発することになる。
 そのことを知ってしまうと犯罪の誘惑に駆られやすい。コピーが精密簡単になって増えるのはニセ札だ。そのために紙幣は「透かし」などの技術でニセ札を作りにくくしている。
「これからの時代、デジタル盗作を防ぐための策が必要だ」という議論も作家のなかで交されるようになった。その中で面白いと思ったのは、自分の作品のなかに「デジタル透かし」のようなものを入れる技術。たとえば「王」という文字があればわざと「玉」としておくのだ。盗作者は一字一字校正などしないで一気にコピーしてしまうから、そういう誤植があれば、たちまち盗作だとバレてしまう——という仕組み。ふむ、うまく出来ている。でもこんな対抗策を考えなきゃならないご時世というのも困ったものだねえ。

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2007年2月10日 (土)

お姫さまだっこ

 ある朝、起きてみたら体じゅうが痛い。いったい何をしたんだと考えてみた。
 まったく色っぽい話と関係なく、完全に意識のない女性の体を抱えあげて運んだことを思い出した。
 まあ五十キロぐらいの体重だろう。ぐにゃりとしたのを抱えあげて歩いたのだ。その時は必死だから何とも思わなかったが、一夜明けて関節や筋肉が悲鳴をあげるのは無理もない。
 いや実際、人間の体とは重いものである。殺したあとでどうにもならず、バラバラにしてしまう殺人犯の気持はよく分かる。
 おじさんたちは知らないかも知れないが、若い人たちの間に「お姫さまだっこ」という言葉がある。男性が女性の体を横抱きにかかえ上げるスタイルを言う。
 欧米で結婚式の後、新郎が新婦を抱いて家に入る時の、あのスタイルね。若い女性にとってはロマンチックな抱かれかただろう。
「お姫さまだっこして〜」とねだられた男もいるだろう。さて、きみは出来るかな?
「簡単だよ」と言えるのは、若くて体力に自信がある人だろう。中年すぎて腹に肉がついた男性は気をつけたほうがいい。まして相手がぽっちゃり型の女性だと、ヘタをすりゃ腰を痛める。
「お姫さまだっこ」は、抱かれる相手が首に手をかけたりして協力するから、まだしもラクだが、これが完全に意識がないか死んでたりしたら、重さは倍にも感じられる。
 ぼくは二十代の頃、プロパンガスの配達に従事したことがある。五十キロ入りガスボンベは容器を入れると六十キロの重さがある。それを一人でトラックから下ろし、肩にかついで二、三十メートルぐらいは歩くことが出来た。
 今はとても自信がないが、その時にかつげたのは、ボンベというのはガチガチに固いからだね。
「六十キロぐらい大丈夫」と思っても、人間のぐにゃりとした体は持ちにくいことはなはだしい。たとえば完全に酔いつぶれた大人の体を持ち上げるのは、大の男が二人がかりでも難しいものだ。
 えーと、何を言いたいか忘れてしまったが(笑)つまり男なら、女性をいつでも「お姫さまだっこ」できるぐらいの体に鍛えておきたいということだ。女性も時々、「お姫さまだっこ」をせがんで、男性の体力を測定してみるといいかも。ついでにロマンチックな気分にもなれるしね。

(画像は、お姫さまだっこの古典?映像「風と共に去りぬ」のクラーク・ゲイブル、ビビアン・リー)

Dakko

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2007年2月 2日 (金)

叔母という存在

 先々週・先週と2回、兄と妹の「あぶない関係」を書いたので、今回は叔母さんと甥の関係について。(両親のどちらかの姉は正しくは「伯母」だけれども「叔母」に含めることにする)
 先日、ある雑誌に叔母と若者のエッチな関係を書いたら、編集者から「公序良俗に違反するのでまずいです」とクレームがついた。最終的にはパスしたのだけれど、最初はかなり戸惑った。
「これは近親相姦だ」↓「公序良俗違反だ」と言われると、近親愛もよくとりあげる官能小説はかなりつらい。確かに叔父と姪、叔母と甥は結婚できないけれど、エッチしてはいけないという法律はない(もちろん親と子のエッチも直接禁止する法律はない)。
 男の子の場合、叔母さんというのは、家族の周辺にいてかなり接近する機会の多い成熟した女性であるし、叔母さんのほうにしても母親よりは客観的に「男」として眺められる余裕のある相手だ。要するに「エッチの教師」「エッチの教え子」として好適な関係なので、官能小説の世界では描かれることが多いテーマなんである。
 実際、叔母さんによってエッチを教えられた青少年の実例は、かなりひんぱんに見聞きできる。
 これが叔父と姪となると、わりと嫌われるようになる。つまり「教える」というより「性的虐待」「レイプ」に近くなるからだろう。
 自然主義作家の島崎藤村を「嫌いだ」という人は多い。なぜなら彼は、兄の娘である姪のこま子とセックスして、子供まで生ませてしまった「いけない叔父さん」だったからだ。特に後始末に困って自分だけフランスに逃げていったので、「こんな卑怯者、偽善者はいない」とまで憎まれる原因になっている。
 ともあれ、日本の古代では叔父と姪、叔母と甥の関係は今ほど避けられていなかった。これをいちいち咎めていたら日本の歴史は大変なことになってしまう。この関係を禁止するようになったのは人類の歴史のなかではきわめて最近のこと。優生学的な意味、つまり悪い遺伝子を表面化させないということでは正しいけれど、「近親相姦だから」と厳しく目くじらをたてていては、性に目覚めた青少年が実地教育を受ける最適の相手を失うことになる。
 性愛のパートナーとして叔母さんの存在を認めてやらなくては、日本の将来は危ない、とぼくは主張したいのである。

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