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2007年12月27日 (木)

想像力強化オナニー

 男のオナニーというと、セックスの相手をしてくれる女がいないので、仕方なく一人寂しく——というイメージがあるせいか、あまり肯定的に語られることが少ない。
「女に不自由しないからオナニーなんてする必要がない」なんて嘯く男がいたりするものだが、実は、そういうやつはバカである。
 オナニーは男性の生殖機能のメンテナンスのようなものだ。独身、既婚、恋人の有無に関係なく、男なら定期的にやるべきものなんである。その結果、脳もペニスも「いざ」という時、スムーズに対処できるようになる。
「オナニーすると精子がムダに捨てられてしまうのではないか」と思う「もったいない派」がいるかもしれないが、実はそのほうがいいのだ。
 精子というのは睾丸で製造され精嚢で蓄えられるが、やはり保存期限はあって、古いものほど元気がなくなる。オナニーというのは常に元気いっぱいの精子を蓄えておくためにも必要なんである。
 そのオナニーに際しては、「おかず」——性欲を刺激してくれるモノを用いる男性が一般的だろう。エッチな雑誌グラビア、マンガ、小説、あるいはDVDのポルノ映像などを見て興奮させ、その勢いを借りて射精にもちこむ。まあ、中には女装した自分を鏡に映して、それを見てオナニーする——というテクニックを使ったりもするだろう。
 しかし「おかずオナニー」には欠点もあるのだ。それは、想像力を必要としない、ということだ。視覚的な刺激でいとも簡単に勃起してしまうから、頭のなかでいろんな妄想を組み立てる努力が必要ない。
 本来、オナニーはおかずなしでやるのが本当だろうと思う。昔からオナニーというのは何かしら罪悪感を伴っていたものだが、それはなぜかというと、自分の頭のなかに浮かんでくるさまざまな空想を組合わせふくらませて「すっごくいけない、人には絶対言えない、ものすごく恥ずかしくていやらしい」という妄想に育てあげて、その結果として強い勃起を生じさせ、勢いよい射精へと導いたからだ。
 おかずオナニーは、そういった「いけなすぎる」妄想をふくらませる間もなく射精させてしまう。その結果として妄想を生みだす想像力が衰退してしまう。そこが問題なんである。
「ポルノを書く時、いいアイデアとかネタが思い浮かばないんですが、どうしたらいいですか」という質問をされると、ぼくは「おかずなしでオナニーしてごらん」とアドバイスすることにしている。

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2007年12月21日 (金)

下着の謎

 超常現象というほどでもないけど、日常生活のなかで「どうしてこんなことが起こったのか?」という不思議な出来事があるものだ。
 ぼくも、誰に話してもその理由を説明できない現象に遭遇したことがある。ちょっと色っぽいことは色っぽいので、皆さんに謎を解いてもらえればと思い、ここで紹介するとしよう。
 もうずいぶん前になるのだが、今住んでいるマンションに引っ越してすぐの頃だ。
 ある日、まだ眠気のさめないボーッとした頭でマンションの玄関ホールにある集合郵便受けに郵便物を取りにいった。寝るのが遅いので起きるのも遅く、まあ昼に近い時間だった。
 自分の郵便ボックスの蓋を開けて中に入っているものを見たとたん、目を疑った。
 女性の下着が、郵便ボックスに押し込められていたのだ。
 薄いブルーのブラジャー、両サイドを紐で結ぶ淡いピンクのTバックショーツ、それに白いパンスト。要するに若い女性が肌に着ける下着ひとそろいが丸められて入っていた。
「な、な、何だ、これはッ!?」
 眠気もふっとんだ目で何度も見てみたが、それはふわふわスベスベした、色っぽい女性の下着以外の何ものでもないんである。
 どれも明らかに肌に着けたもので、ショーツなどはパンストと一緒に脱いだので、裏返しになってくるみこまれている。香水の匂いがほのかにする。
「ど、ど、どうしたものか!?」
 公共の場で女の下着を手にボーッと立っていたら痴漢か下着泥棒と間違われる。あわててそいつをポケットに押し込み、部屋に戻った。戻ってからじっくり検分してみた。
 ブラジャーもショーツも有名ブランドのもので、着用した痕跡はあるものの、そう汚れているわけではない。パンストも伝線すらしていない。
 ぼくは引っ越したばかりで、住所も知らない知人の誰かがいたずらをするとも思えない。犯行?声明もない。まったくそんなことをされる心あたりがないのだ。
 しかも、それを着けていた本人は、いったいその後どうしたのだろう? 深夜、無人の玄関ホールで全裸になり、下着だけを郵便ボックスに適当に入れて、服だけまた着てどこかに行ったのだろうか? それにしてもなぜ下着だけ脱いだのだ?
 どう考えても分からない。「こんな事情があったのだ」と推理できたかたは教えてください。

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2007年12月14日 (金)

「ぶってぶって」の何が悪い

 最近、不愉快なのが「ぶってぶって姫」という言葉。その人物のことではなく、そう名付けて笑い者にしている連中が不愉快なのだ。
 まあ、その人物が何故マスコミに嘲弄されるかはさておき、彼女がセックスに際して、相手に「ぶってぶって」とねだったのをことさら笑いものにしているのがどうも許せない。
 一番許せないのが、そういう閨房のことを暴露した相手の男性だが、その部分をさも「この女はこういう変態だぜ」と指さして貶めている連中の品格のなさだ。下劣としか言いようがない。
 セックスのパートナーに痛めつけられたり辱められたりして快感を得る人間はいっぱいいる。マゾヒストでなくても、乳首を軽く噛まれる痛みが興奮を呼ぶので「もっと強く」とねだる女性に会うのは珍しくない。「ぶってぶって姫」のおねだりもこんなものだ。
 マゾヒストの快感は、苦痛が脳内のベータエンドルフィンといった物質を作り陶酔感を生みだすためで、これは個人差がある。その人の体質というか特質であるから、品性の卑しさとは無関係である。
 ぶってぶって姫はどこにでもいるし「ぶってぶって殿」だの「ぶってぶって王」だの「ぶってぶって若」だのもいっぱいいる。
 ぼくは商売柄、「女王さま」と会って話を聞く機会が多いが、セックスのパートナーに虐待されて興奮し快感を得る男性のなかには、各界の「大物」と言われる人物が大勢いる。ぶってぶって姫をあざ笑っている下劣な人間よりずっと品性品格のある人たちである。
 ぼくのようなSMモノにしてみれば、「ぶってぶって」と迫ってくるような女性は、これはもうありがたい拝みたいぐらいのもので、こういう女性がいなければサドの男なんて困ってしまうのである。
 だいたい性的な嗜好というのは、ゲイもそうだが各人の自由であって、法律に違反せず誰かに迷惑をかけないかぎり、何をやってもいいのである。特に男女の寝室のなかの行為は、キリスト教でも「神は閨房を覗かない」として、あえて咎めることをしない。
 セックスで「あれをするな、これをするな」と言っても人間はしてしまう生き物なんであるから、神さまも目をつぶって許している。それを、何をえらそうに笑うのだ。ぶってぶって姫の「行為」をバカにする者には天罰が下るであろう。あー、今週はキレてしまったわい。(笑)

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2007年12月 7日 (金)

初めて書いたポルノ小説

 ぼくがエロ雑誌の小説を真似て、自分なりのポルノを書いてみたのは、小学校六年生のことだ。原稿用紙にして四枚ぐらいだったけど、あれが文字通りの処女(童貞か)作だった。栴檀はまさに双葉より芳しかったんである(分かるかな)。
 なんでそんなものをガキが書いたか、という話をしてみよう。
 ぼくの家は若い男たちを多く住み込みで雇う商売だったので、便所は彼らと共通だった。
 時代が時代だったから汲み取り便所で、トイレットペーパーなんてもちろん無く、お尻を拭くのにもチリ紙があればまだいい方、古新聞や雑誌が置いてあって、それを破いて手で揉んで柔らかくして、ゴシゴシと拭いたのである。いやまったく、温水シャワーでお尻を洗って温風で乾かす水洗トイレなんて想像も出来なかった時代だ。
 住み込みの若い男たちはエロ雑誌もいっぱい読む。読んだらそれを便所に持っていってお尻を拭く、そういう習慣になっていたから、便所に行けば、まだ童貞の小学生でもいやおうなくエロ写真やらエロ雑誌やらを読むことになってしまう。
 そういうわけで早くからエロに目覚めてしまったのだけれど、ある時、そういう雑誌のなかですごくエロな小説に出会ってしまった。しゃがみながら激しく勃起してしまったぼくは、しかしひどい失望を味わった。せっかくいいところになったのに、それから先が破かれていた! 先に入った誰かがその部分でお尻を拭いてしまったのだ。
「ちくしょー」と口惜しくてならない。そこから先、どのように物語が展開したか、知りたくて知りたくてたまらない。木の枝を見てもムラムラとヘンな気持ちになる年ごろだったから、頭のなかはそのことばっかり。
 そこでハタと気がついた。
「そうか、読めないんだったら書けばいいんだ!」
 登場人物の性格や舞台の設定はすでになされて、半分まで筋は分かっている。「こんなふうになったらいいな」と思うことを原稿用紙に書いていったら、なんと結末でスンナリと書けてしまった。半分は真似だから処女作というのもおこがましいが、まあ習作だ。「ポルノ小説を書いてみたい」という方がいたら、こういう練習方法もある——と教えることにしている。

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2007年12月 1日 (土)

全裸で毛皮

「暑い、暑い」と悲鳴をあげていたのが、ついこないだのような気がするのに、季節は着実に巡ってきて、今や木枯らしがびゅうびゅう吹くなかを、毛皮のコートを着た女の子が歩いてる。そうだ、今日のテーマは毛皮のコートにしよう。
 毛皮のコートというとミンクとか銀ギツネとかいろいろあるけれど、あれはホントに温かいものだ。極端な話、下はスッポンポンでも上に毛皮のコートを纏えば寒くない。
 露出プレイというのを好む男女は多いが、全裸の女性に毛皮のコートだけを着せて連れ回す男——というのが増えるのも、この季節だ。まあ、夏に毛皮のコートで露出プレイもないだろうからね。
 実際、いい女が毛皮のコートをパッと脱ぐと、下が素っ裸というのは、こりゃインパクトがありますぜ、だんなさん(どうしてそういう口調に)。
 それで思いだしたのがパリの女。
 一番最初に訪ねたのが三十年も前だろうか、ちょうど今ごろのシーズンだった。
 右も左も分からない典型的な「お上りさん」という風体で、パリのあちこちをウロウロ歩き回ったのだけれど、とある夕暮れ、バスに乗ろうとして停留所にいたら、そこに豪華な毛皮のコートをまとったいい女が立っていた。金髪ではなかったけれどもちろん白人。
 で、バスに乗ったら彼女がぼくの前に向いあうように立った。どうも妙な目つきでぼくを見ているなあ、と思ったら、いきなりコートの前をパッとはだけた。なんとその下はパンティも着けていないオールヌード。栗色の逆三角形が目に飛び込んできた。
 彼女はよく考えていたらしく、その角度でヌードが見えるのはぼくだけ。つまりぼくだけに見せつけたわけだ。
「うわわ!?」
 予期していないからね、そりゃパニクリましたよ。いったい何事なんだか分からない。露出狂なのかと思ったりして。
 ぼくがただ驚いて呆然としてるのを見て、ふいにつまらなそうな顔になった美女は、コートの前を閉じて、次の停留所でそそくさとバスを降りていった。
 パリ在住の知人にその体験を告げたら、「ああ、それは観光客狙いの娼婦です」
 なーるほど、あれは無言の勧誘だったのか! それから何度かパリを訪ねたけれど、そういう体験は二度となかった。あの栗色の逆三角形が目に焼きついてるが、そういう娼婦は今でもいるんだろうか。

画像はイメージ参考画像です。

Furcoat

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