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2008年1月25日 (金)

さらば「ブラジャー」

 Mixiの仲間が「これはおかしい」と怒っていたのが、某清涼飲料のCM。
 女優のSが、フラフープを回している映像の最後に、「ブラジャーが透けるほど汗をかいた最後っていつだろう?」というナレーションが入る。
 このナレーションに「不快だ」という苦情が寄せられ、メーカーは「こんなに汗をかいた最後っていつだろう?」というセリフに差しかえた。そのことを怒っているのだ。
 どうも「ブラジャー」という具体的な名詞が「不快感」の原因らしいけど、ブラジャーのどこがいけないんだ?
 たぶん文句をつけたのは、中年の汗かきおばさんじゃないか、って気がする。そういう人はブラジャーの締めつける部分が肌と擦れて、汗をかくと湿疹になったり痒くなったりするものだ。だから「ブラジャー」と「汗」の組み合わせがそういう連想を生んで「不快だ」ってことになったんだろう。
 男性にとってブラジャーは単に「おっぱいを包む、セクシーな下着」だ。自分は着けたことがないからそういう連想は働かない。汗をびっしょりかくとブラウスが肌に貼りついて、ブラジャーが透けて見える。そういう光景を想像しただけで元気になるではないか。(笑)
 清涼飲料のCMとしては傑作だと思うけどねえ。二十代から三十代の女性をイメージしたというから、中年の汗かきおばさんのクレームなんか無視すればいいのに。
 ただ、「ブラジャー」ではなく「ブラ」にしたらどうだったろうか、という気はする。クレームは少なかったのではないか。
 いま、女性の下半身を包む下着のことを、公衆の場では「パンティ」とは言わない。「ショーツ」あるいは「パンツ」(アクセントが平板になる)と言う。それと同じような「なまなましい、いやらしい」という語感がブラジャーにも付着してしまったのかもしれない。
 だとすれば女性たちに嫌われた「ブラジャー」という言葉は死語になって「パンティ」同様、使うのはオヤジ年代だけということになりそうだ。官能小説やポルノの作家としては由々しき事態だぞ。(笑)
 とはいえ「ブラジャーとパンティ」と書くから想像力が刺激されるんであって、これが「ブラとショーツ」じゃ、いまいちインパクトに欠けるよね。
 まあ官能やポルノの読者は圧倒的に男性だから、それでもいいといえばいいんだけれど、言葉を駆使する職業だけに、やはりそういう「変化」も考えなきゃいけない。悩むところではあるのだ。

(画像はブラジャーなるものを知らない人のための参考画像。上がそうです。(笑))

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2008年1月19日 (土)

撮らせたヌードの守り方

 かつて、シロウトがプライベートなヌード写真を撮るのは難しかった。撮影はできても現像や焼き付けが難しかったからだ。
 性器やヘアが写ったヌードのフィルムを街のDPE屋さんに持ち込もうものなら焼き付けを拒否されたり、ひどい場合はフィルムを勝手に処分されたりした。自分でDPEが出来る人でないと撮れなかったのだ。
 だから世の女たちは安心していられたのである。「きみのヌードを撮らせてくれ」という男なんていなかった。男たちはみな、一期一会とばかり自分の網膜に女たちの裸像を焼きつけて、思いだしてはオナニーしていたんである。
 ところが今や、誰もがカメラを持つ時代になった。今どき携帯にデジカメがついていないのは珍しいだろう。どんな光景風景でも携帯デジカメでパチリと撮って、その場でメールにして送りつけることが出来る。
 もちろんふつうのデジカメも安くなって普及した。こちらはもっと細かいところまでありありと記録してしまう能力をもつ。
 女たちのヌードも、今や取り放題。パソコンで処理するからいくらでもプリントできるし、インターネットメールや掲示板の投稿でどこへでも送り、誰にでも公開して見せることが出来る。
 こうなると女たちはうかうかと男にヌードを撮らせることが出来ない。後になって自分のエッチ過ぎるヌードが恐喝のネタにされたり、嫌がらせに色々なところで公開されて大勢の人目にさらされたりする。有名女優やタレントのプライベートヌードがあちこちで流出するのは、もはや珍しくなくなった。
 みんな「誰にも見せない。ぼくだけの思い出にするんだ」という言葉にだまされるんだろうが、そんなの大ウソに決まっている。男は自分の獲物を自慢したがるものだ。女性は撮らせたら最後、誰かに見られることは覚悟したほうがいい。
 では、そんな恥ずかしい目に合わないためにはどうしたらいいだろうか。女性映画監督の大宮エリーさんが週刊誌に書いていた。
「自分のヌードを撮らせるのなら、撮る相手のヌード、それもものすごく恥ずかしい姿をこっちも撮らせてもらう。この交換条件に応じないやつには撮らせない」
 なるほどね。これでは男もうかつに外部に見せられない。美しくエロなボディをもつ女性は参考にしてください。

(画像は参考流出画像。(笑)こんなのを顔を修正されないで流布されたら、たまりません)

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2008年1月13日 (日)

日本人が誇れるもの

 最近のニュースで報じられたことだけど、日本の子供たちの学力が国際的な比較でどんどん低下しているらしい。特に理数系の学力は、日本の将来が不安になるぐらい下がってきてるようで、教育関係者も政治家も「なんとかしないと」と危機感を募らせているようだ。
 そりゃまあそうだろうね。日本人はかつて世界でも一番ぐらいの識字率の高さを誇っていた。誰もが字を読める。つまり教育程度が高い。アジアで一番早く民主化を遂げ、工業国として発展できたのも、国民の知的能力が高かったからだ。
 ところが、日本人自慢の知力がどんどん低下しているのだから、かつてのように高度に発展した工業生産が維持できなくなってゆく。資源が無い日本は知的な活動でメシのタネを稼がないといけないのだけれど、この調子ではお先真っ暗——ということになる。
 そりゃ当然だろう。今の日本ぐらい「金が金が」という拝金思想にまみれてる時代はなかったのではないだろうか。マジメに勉強しても、必ずしもお金をかせげるものではない、と分かってきた子供が勉強したがらないのも当然だ。これは、そういうふうに導いてきた男たちの責任だ。
 しかし大丈夫だよ。日本には世界に負けない有数の財産があるんだから。
 それは何だろうか。他でもない、「日本の女性」だ。
 女性なら世界じゅうどこにでもいると思うだろうが、いやいや、日本女性ぐらい美しく魅力的な女性はいない。肌は白くキメ細かで美しく、愛撫していてこんなに官能的な喜びを与える体をもった女性は世界各国に類を見ない。
 みんな比較しないから日本の女性の素晴らしさを自覚できないだけで、本当はこれぐらい国際競争力のある「財産」は無い。ためしに外国の女性と接してみなさい。日本女性の素晴らしさをつくづく理解できるだろう。
「で、日本の女が素晴らしい財産だとして、それをどうしたらいいのだ?」と質問されるだろうね。答えは「分からない」。(笑)
でもいいじゃないか。世界で一番いい女を独占していると思えば、子供の知力が少しぐらい低下したって。うは、なんかヤケ気味だけれど、ダメになってゆく男に代わってこれからは日本の体も心も美しい女たちが新しい国を作りあげてゆく——そういう気がするなあ。

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2008年1月 6日 (日)

タイホされたい!

 新年そうそう、物騒な言葉を吐いてしまうけど、ぼくは逮捕されたいのだ。ミニスカポリスではなく本当の警察官に。
 何の罪かというと刑法百七十五条の「わいせつな文書、図画を頒布し販売し公然と陳列した罪」だ。
「なにを物好きな。そんなの簡単だろう。非常識にエロいことを書けば、すぐ逮捕されるんじゃないか」と思われるるだろうが、それは作家以外の表現者、たとえば写真家、画家、イラストレーター、映画監督……などの、映像で表現する人たちの「特権」みたいなもので、ぼくらのように文章でエロを表現する作家は、警察もお呼びじゃないのだ。
 かつては「チャタレー裁判」や「四畳半襖の下張り裁判」などで文章表現がわいせつだからと関係者が有罪にされる事件があったから、今でもポルノ小説を書こうとする人たちの中には「法律に違反しない書き方ってあるんですか?」と聞かれることがある。
「ありません。悲しいことに何をどう書いてもいいんです」と答えている。
 実際、文章表現がわいせつだとして作家が起訴されたのは、一九七九年に有罪判決を受けた中川五郎の「二人のラブジュース」事件が最後で、それから三十年、裁判になったことはない。いまや「文章のエロは問題にしない」というのが、表現を取り締まる当局の考えかたのようである。
「だったらいいじゃないか。何をどう表現してもいいんなら自由で、困ることはないだろう」と言われるかもしれないが、実はそこが問題なんである。
 エロな文章が規制されていた時代は、作家は間接的な表現で読者の想像力をどう刺激するか、技巧の開発に余念がなかった。ここで筆を間違えると手が後ろに回る、と思えば緊張するよね。
 その規制が外れて自由に用語を使えるようになった今、文章にこめられる「エロの力」というものが増したか、というと、かえって逆なんである。
 取り締まる側が「これはけしからん!」と怒るような表現が失せてしまったのは、取り締まってくれないから書くほうの張り合いが失せたのかもしれない。
 映像表現では当局と表現者の間で熾烈な攻防が行なわれている。そうすると作品には緊張が生じる。ポルノ小説には、そういう緊張感が欠けているんである。それもこれもタイホしてくれない当局が悪い。(笑)
 これからは、絶対にタイホされちゃうようなエロい文章・作品を書きたい、と、そういう意気込みで書いてゆきたい。それがぼくの新年の計である。

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