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2009年1月22日 (木)

消えたネグリジェ

 女性が身に着ける衣類は、今はみな洋服系統だ。例外は成人式の振り袖、卒業式の袴スタイルか夏の浴衣(ゆかた)ぐらいなものだろう。
 浴衣といえば、かつては女性たちの寝間着として一般的だったが、戦後すたってきて、一時はネグリジェという、西洋風のぴらぴらしたものが流行した。
「そういえば最近、ネグリジェというのを見たことも聞いたこともないなあ」
 そう思って周囲の誰かれに聞いてみると、なんとネグリジェ着て寝ている女性は一人もいない。いないどころか「ネグリジェってどんなもの?」と不思議な顔をする若い娘までいる。そんな彼女たちは何を着て寝るかというと「Tシャツの大きめなの」。
 うむむう。昔はキャバレーに行くと“ネグリジェ歌手“というのがいたんだよね。え、知らない? なんてことはない、女性歌手が透けるような透けないようなネグリジェを着て歌うだけなんだけど、それだけで客を呼べた時代があったのだ。
「ひょっとしたら新婚夫婦は着てるかもしれない」と思い、あるブライダル業者に尋ねてみたら、苦笑して「最近の新婦はやはりパジャマが多いですね。ネグリジェを持参して新婚旅行に行かれる新婦は少ないのでは」と言われてしまった。
 そうかー、ネグリジェはもう消えてしまった衣類なのか。ふだんは「あんなぴらぴらぞろぞろしたもの誰が着るんだ」なんて悪口を言ってたけれど、無くなってしまったと思うと寂しいものである。
 しかし海外の下着通販サイトでカタログを見てみると、ネグリジェは健在のようだ。いろいろセクシーなデザインのものが作られ売られている。
 閨房(寝室)文化というものがあるとしたら、西欧のベッドルームにはちゃんとした文化がありそうだ。そこでは女性はセクシーなネグリジェを着て、夫や恋人に抱かれるのを待っている。日本の女性はパジャマかTシャツである。これでは少子化に歯止めがかからないわけだ。
 寝室に入って妻や恋人を見たら、それだけで頭に血がのぼりそうな色っぽい寝間着や下着を着ける習慣があれば、男たちは刺激されてせっせとセックスし、その結果として子供がいっぱい生まれてくる——と思うがどうだろうか。政府も少子化対策として、閨房文化をもっと啓発するようアピールするべきだろう。女性にはネグリジェ、男性には官能小説。それで人口が増えること間違いなし(ホントか)。

(画像はナイロン製シースルーネグリジェ。パートナーがこんなのを着てくれればどんな疲れた男もたちまち元気になるのでは……)

Negliger

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2009年1月11日 (日)

日本ポルノの世界進出

 お正月だから少し夢のある話題を——と考えてたら、年末に個展のためパリから里帰りしたK画伯と会って話したことを思いだした。
 彼はフランスに三十年以上暮らしていて、フランス国籍も保有している。個展を終えてパリに帰る時、画伯に「おみやげとして日本のポルノDVDを買って帰りたい。安く買えるところはないだろうか」と訊かれた。
 ぼくのいる事務所にはポルノDVDは山のごとく積み重ねられているので「どうぞどうぞ」と段ボールひと箱ぶん差し上げた。それらはてっきりパリに住んでいる日本人向けのものかと思ったら、そうでもないのである。
「フランスでは日本のポルノに人気があって、こういうDVDは飛ぶように売れてるんですよ。でもあまり輸入されていないので、いつも品薄です」
 フランス人の日本ポルノのファンにお土産としてあげると大変喜ばれるんだそうだ。ポルノショップには日本ポルノのコーナーも出来てるらしい。
 去年のお正月にも書いたことなんだけれど、日本人が世界に誇ることができるものの中には、日本女性の美しさ愛らしさがある。白人女性は少女でも大人びてるし肌は汚いしザラザラしてるし毛が多い。シミソバカスも多い。
 そこへゆくと日本女性は成人でも少女に見えるピチピチさだし肌の白さなめらかさは宝石のようだ。そういう美しくて愛らしい日本の女性が出演して、いろんな姿態や行為を見せてくれる日本ポルノは、欧米のポルノを見慣れた向こうのアダルトには驚異的にエロを感じさせるらしい。
 それに欧米ポルノはただズコズコバコバコの性行為を見せるだけで、工夫というのがない。その点、日本のは競争が激しいせいか制作者側のサービス精神が旺盛で、こまやかにいろいろ感じさせる工夫をこらしている。
 日本人には当たり前でなんということのないポルノDVDだが、欧米のポルノファンが見ればすごくエロでファンタジックでインタレスティング!なのだね。
 K画伯のそういう話を聞いてハタと気づいたのである。この円高時代でもポルノは外貨獲得を期待できる優れた輸出商品になるではないか!
 これからは欧米に向けてバンバンと日本ブランドのポルノを輸出するべきである。経産省も補助金を出して育成すべきだ。たぶんもう気がついてる人もいるようでそういう活動も初まっているようだから、二〇〇九年はジャパンポルノ海外進出元年になるんじゃないか。はは、景気のいい初夢だ。(笑)
 

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2009年1月 4日 (日)

ネット愛はオフ会で

 新年そうそうだから明るい話題でゆこう。
 久しぶりに会った友人がやけにニコニコと楽しそうだ。聞いてみたらSM趣味のパートナーが見つかったという。人妻だけど性格といい趣味といい彼の求めていたMのタイプにぴったり。ラブラブで調教デートにいそしんでいるという。
「いやあ、この年齢で理想的な女性に出会えるとは思わなかった」と熟年の彼はデレデレしっぱなし。羨ましいことではある。
 ネットは昔からやっているが、出会い系やチャットなどはやらないはず。どういうキッッカケで出会ったか聞いてみたら、やはりオフ会だった。
 オフ会というのはネットで知りあった同士が現実の場所で開く集会のこと。実際は同好の士の飲み会という形になる。
 友人の場合はあるSNSで官能小説ファンのコミュニティが居酒屋で開いたオフ会だという。
 そこに参加してきた人妻さんと話したら好きな作家が同じ。意気投合して別れ、翌日からメッセージのやりとりが始った。
 オフ会というのはネットでしか知らなかったメンバーが現実に顔を合わせるわけだから親近感が増す。「二人でオフ会をやりませんか」とデートに誘ったら成功したというわけだ。
 出会い系で知りあうというのは、セックスが目的だから恋愛になることは少ない。一発やり逃げスタイルになる。オフ会での出会いなら持続的な関係に発展することが多い。オフ会で知りあったカップルが結婚した例は数多く見聞きしている。
 いくらネットの時代といっても、現実に会わなければ恋も愛も生まれない。一番いいのはやはり同好の士が出会い、飲み食いするオフ会だろう。友人のように少し引っ込み思案の人間でもちゃんと理想の相手が見つけられるものだ。
——と、なんだか結婚相談所の宣伝文句のようなことを書いているが、オフ会の効用はウソではない。性愛のパートナー探しでなくても、自分の世界を広げるためにも、オフ会ほど役にたつものはない。
 ぼくは今年でネットを始めてから二十年になるけれど、パソコン通信といわれる時代からオフ会で知りあった友人知己は、それ以外で知りあった人間たちよりもずっと多い。メール一本ですぐ繋がれる貴重な人脈だ。
 そういう濃密な関係を築き維持するためにも、これからもオフ会には積極的に参加してゆこう。

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2009年1月 1日 (木)

性行為の謎

 性能のよいパソコンに替えたら、前はあまりうまく再生できなかった動画がよく見られるようになった。そうなるとXTube(エックスチューブ)に代表されるエッチ系投稿動画サイトばっかり見るようになってしまった。
 こういうサイトでは、世界中の老若男女が自分たちの性行為(オナニーも含む)を撮影したポルノショー的な作品を毎日数えきれないほど公開している。公開されないのは児童ポルノぐらいだ。
 あまりにも数が多いので全部見るとなったら一日中パソコンの前にかじりついてもまだ足りない。ぼくは女装者、シーメールのオナニーやセックスに絞って見ているがそれでも莫大な時間をとられる。
 あちこちにあるサイトを飛び回りながら、しみじみ「人間というのは他人の性行為を見たがり、自分の性行為を見られたがる生き物なんだなあ」と感心してしまう。
 一般人のそういうポルノショー的な画像が氾濫するということは、つまるところ日常生活では逆に見ることができないからだろう。毎日見慣れているものなら誰も投稿したりアクセスしたりするわけがない。
 これは考えてみれば不思議なことだ。人間は大人になればセックスするのが当たり前だ。セックスは繁殖行為だから、人間が存在するために必要不可欠だ。人間は誰でもどこでもいつでも、異性や同性を相手にセックスしている。独身だったりパートナーがいない人間はオナニーに精を出す。
 それなのに誰もが「こっそり見たがる」「見られたがる」というのは、日常の社会のなかで性行為が「めったに見られない」からなのだ。他の動物たちは他の成員にセックスを見られることを厭わない。子供の前でも平気でセックスする。人間だけがこそこそと「悪いことをするかのように」どこかに隠れてセックスするんである。
 人間だけに見られるこの特徴的な行動様式は「性行為非公然の原則」といい、動物行動学的にも説明ができないようだ。「セックスする時は無防備になるから危険を避けるためだ」というが、それなら仲間や身内の真ん中で堂々とやるのが一番安全だろう。
 いずれにしろそういうよく分からない基本原則のおかげでポルノとかエロが商売になっているわけだし、ぼくらの性欲も刺激されてセックスをしたくなるわけだ。「性行為非公然の原則」が原則でなくなった時、人間は滅亡するに違いない。だからいつまでも「セックスは隠れてするもの」であってほしいものだ。

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