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2009年6月27日 (土)

パンティとショーツ問題

 官能作家が集まった場でよく話題に上がるのが「女性の下半身を覆う、ぴったりした下着」をなんと書くかという問題だ。
「それは『パンティ』だろう。なんの問題もないじゃないか」と思われるだろうが、「現代人の言葉」を使って作品を書いてゆく官能作家にとっては、そう簡単に片付けられない問題なんである。
 というのは、今どきの女性、まず「パンティ」なんて言葉を口にしないからだ。「パンティ」と口にする女性がいたとしたら、たぶん中年以上の年代ではないだろうか。パンティなる言葉は、女性にとってもはや死語に等しいと言って差し支えない。せっせと使っているのは男性、とくにオヤジ世代だけである。
「では、かつてパンティと呼んでいた下着は、今何と呼んでいるのだ?」と思われるだろう。日常会話では「パンツ」と言い交わしているはずだ。
「それではパンツルックのような、ズボンのパンツと区別がつかないではないか」と思われるだろう。しゃべり言葉では「ツ」にアクセントがつくので判断できるが、文字にすると区別がつかない。
 で、一般的というか、官能小説以外の文章では「ショーツ」と表記されることが多い。日本国内の大手下着メーカーのカタログは、そろってショーツを使う。パンティという衣類は存在しないことになっている。
 官能小説でも大勢に屈してショーツと書く作家が増えてきた。しかし、これではエロが感じられない。男性オヤジ読者にアピールするには、やはりパンティのほうが「効く」。だがそれは死語だ。うーむ、困った。
 優勢になってきた「ショーツ」だが、実は英米ではパンティを意味しない。バミューダショーツのように「短いズボン」が本来の意味で、まあ用いられても男性のブリーフのようなものだ。
 英米では女性のパンティは今でもパンティが「正しい」用語としてしっかり使われていて、外国製品を多く扱う通販会社のカタログ『PJ』もパンティと表記している。つまりパンティのことをショーツというのは、日本だけの、いわば方言のようなものなのだ。
 いったいどうして「パンティ」という言葉が日本で嫌われるようになったか、それはまたの機会に説明するとして、あの小さな布きれをどう表記するか、いま官能作家はみんな頭を悩ませているのである。

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ポルノの母は羞恥心

 アイドルグループのことじゃないよ、本来の「羞恥心」つまり恥ずかしいと思う心について。
 先週の「白木屋のズロース」に関連するのだけれど、羞恥心というのは時代によっても土地によっても違う。その人が包まれている文化のあり方で羞恥心の現れというのは千変万化だ。
 今はアマゾンの奥地のような未開の地にでもゆかない限り、成人男女が性器を隠すのは当然とされる。性器を見られると恥ずかしい、隠す。そこまでの羞恥心はかなり普遍的なものだ。
 問題はそこから先で、下着をつけて性器を隠したら、その下着が見えてもなんでもないはずなのだが、だんだん下着自体を見られることを恥ずかしがるようになった。性器の羞恥心が下着の羞恥心へと移動していったのである。
 それが進行すると妙なことになってゆく。西欧では中世以降、足を見せるのがタブー化されていった。足が性器と同様に「ワイセツな部位」とされてしまったのだ。西欧の女性が脛(すね)やふくらはぎを見せられるようになったのは、実に二十世紀になってからのことだ。
 インドでも地方へゆけば女性の下半身は、膝から下は許されるが、腿の露出は嫌われる。だからショートパンツやミニは許されない。そのせいか女優が水着になる映画はすごく客の入りがいいという。(笑)
『パンツが見える』(朝日新聞社)という下着風俗の研究書のなかで山下章一氏は、「中国では80年代まで女性はパンティを見られることを気にしていなかったが、90年代になって気にするようになった」と書いている。
 性器に対する羞恥心が下着、あるいはそれ以上の部位にまで拡大してゆくから、下着は性器と同一視され、男たちを誘惑するようになる。パンティ泥棒とかパンチラ盗撮などという倒錯は、今の日本の文化が「パンティも性器の一部であり、隠さねばならない」という羞恥心を男女に植え付けているからだ。アマゾンの原住民にはとうてい理解できないヘンテコな現象だろう。
 前にも書いたけれど「性行為非公然の原則」があるからポルノが商売になるのだけれど、実は「性的羞恥心」というのも重要な条件なのだ。ポルノ作家としては、日本人にはいつまでも羞恥心を強く持ってほしいと願うものである。だいぶ危険な状態になってきてるけどね。(笑)

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白木屋のズロース

 先日の『いろ艶筆』で井沢元彦さんが「白木屋の火事」について書かれていた。
 東京日本橋のデパート白木屋は、1932年(昭和7年)に火災が発生し、上の階にいた女性店員八人が逃げ遅れて殉職した(男性は六人が死亡)。
 この時、女性店員が死んだのは「ロープを伝って下る時に和服の裾がまくれて陰部が見えるのを恥ずかしがって手で押さえようとしたから」だと言われてきた。
 それまではノーパンだった女性がパンツ(ズロース)をはくようになったのは、この悲劇が教訓になったから——というのが「白木屋の火事」。井沢さんは「都市伝説だという話もある」として確認を求められていたようなので、不詳エロ問題研究家の小生がお答えしてみたい。
 ズバリ、都市伝説です。この事件については風俗史研究家の井上章一さんが『パンツが見える』(朝日新聞社)という書のなかで徹底的な検証を行ない、目撃者の証言や新聞報道などから「恥ずかしがってロープを手放したなどという事実は無い。完全な虚構である」と断じている。つまり真っ赤なウソってこと。
 では、どうしてこういうウソが真実のように伝わったかというと、経営陣の責任逃れだったようだ。避難訓練などしないで死者を出した経営者は「女性店員が死んだのはズロースをはかなかったため」という作り話をでっちあげ、自分たちの責任を軽くしようと思ったのだ。ひどい話である。
 井上さんは「白木屋の火事が女性のズロース着用の動きを促進した証拠もない」とも言っている。
 それはともかく、多くの男性がズロースとパンティの違いを知らないようだ。中には「同じものだけれど名前が違うだけ」と認識している人もいる。おじさんに多いが、困ったことである。
 どちらも「女性のパンツ状下着」であることは同じだが、ズロースは全体にゆるく、肌に密着していない。さらにボクサーショーツのように腿の部分でゴムで締めつけている。
 パンティは股の部分で切れて腿を覆わない。そして全体に肌に密着している。日本では戦後、昭和二十年代後半からズロースにとって替わり、三十年代(1955年〜)にパンティという名称も定着した。
「ズロースとパンティは違うモノ」としっかり覚えてほしいものだ。

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マスクで快感を

 新型インフルエンザが終息してゆくのを惜しむ者がいたとしたら、それはマスク・フェチ人間だろう。
 マスク・フェチには二つの派がある。異性のマスクに欲望を覚えて、眺めたり集めたがる鑑賞収集派と、自分で好んでマスクをしたがる装着派だ。
 鑑賞収集派は、異性の肌に密着した布きれに執着する下着フェチと同じようなもので、当り前のフェチである。それに比べれば装着派のほうが特異だしフェチ度も高い。
 口や鼻を覆うマスクというのは正常な呼吸の妨げになり、息苦しく感じられるものだ。不快感を与えるモノをどうして好んで着けたがるのだろうか? 不思議なことである。
 どうやら、正常な人間が「不快だ」と感じる息苦しさこそ、装着派が求める「快感」の源泉のようだ。
 人間は別にマゾヒストではなくても、苦痛や不快感を進んで味わいたがる生き物だ。登山を考えてみれば分かるだろう。体に無理をかけることが「気持ちいい」につながる。
 呼吸もそうで、口や鼻をふさぐと酸素が欠乏する。そうすると苦しさと同時に恍惚感を覚えるようになる。
 セックスの時に相手に首を絞めてもらうと、よけいに快感を覚えるという男女がいるが、彼らが求めるのも脳に意識的に酸素不足を起こすことによる恍惚感である(危険だからよい子はやらないように)。
 マスク装着フェチ人間は、わざと息苦しい状態にさせる布で顔を覆うことにより、精神的にも生理的にも不快感を快感に変える能力をもった特異な人々なんである。うらやましい——ような気がしないでもない。(笑)SMプレイで猿ぐつわが用いられるのも、声が出せないようにするだけではなく「呼吸困難による快感」も味わえるからだ。
 よく「欧米では日本のようなマスクをかけることはしない」と言われる。そのとおりだが、やはりマスク・フェチというのはいる。
 欧米人が「息苦しい快感」に目覚めたのは、たぶん第一次大戦で毒ガスが大量に使用された結果、ガスマスクが普及したからだろうと言われている。
 第二次大戦でもガスマスクは一般市民に大量に配給された。その結果、欧米ではガスマスク・フェチが非常に多い。まさかあれを着けて街を歩くことは出来ないが、ガーゼマスクより強烈な「不快感=快感」を味わえるだけに、ガスマスク愛好家は減ることはないし、日本人の間でも増えているようだ。

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揺れて恋心

 新型インフルエンザの蔓延で街じゅうにマスクが溢れかえってる。そこでネタとしてマスク・フェチを扱おうと少し調べていたら「吊り橋効果」という言葉が出てきた。
「吊り橋」とは綱でぶら下げられた橋。ゆらゆら揺れてかなり歩きにくくて、高所恐怖症の人間にはとても恐ろしい粗末な橋だ。英語では「サスペンション・ブリッジ」という。
 で、マスクの話は後まわしにして、今回は吊り橋効果について語ろう。これは心理学の用語で「精神的な動揺や緊張を目の前の異性に対する性的興奮だと誤認する」現象をいう。
「なんのこっちゃ」と思うだろうが、早くいえば「精神的に不安定な時ほど恋に落ちやすい」ってことだ。
 カナダのバンクーバーにカピラーノ峡谷という観光名所がある。その谷にかかる長い吊り橋を使って1970年代にひとつの実験が行なわれた。吊り橋の真ん中に一人の女性をおき、吊り橋を渡ってくる男性にアンケート調査をさせた(少しエッチな問題らしい)。そのあとで「結果が知りたかったら私に電話して」と彼女の電話番号を教えておいた。まあ早くいえばアンケート形式の逆ナンパだね。
 同じことを揺れない橋の上でもやって、その結果を調べると、吊り橋の上でアンケートに答えた男性のほうが、そうでないほうの男性よりもずっと多く、彼女に電話してきた。逆ナンパに引っかかりやすかったんである。
 そのことから学者は「不安定な状況では、異性に対する関心が高まる」と結論づけ、これを「吊り橋効果」と名付けたわけだ。
 マスク・フェチは、その人が病院にかかった時にマスクをした医師や看護師と接した体験に由来することが多い。病気の診察や治療の時、患者は不安に襲われて緊張している。その時に見たマスクが性欲を刺激しと錯覚してしまうんだろうね、脳のなかでマスクが性欲を刺激するものとして刷り込まれた結果、マスク・フェチが誕生するわけだ。
 このことで思い出されたのが、あるナンパ師の言葉。「女に声をかけるのは、何かをしようとする時とか、何かをし終えた時がいい。不意をつけ」
 つまり予期しない状況で声をかけられると動転して「吊り橋効果」を相手に与えやすいということで、ナンパのテクニックは心理学的にうまく説明できることになる。
 なんか難しい話になったけれど、要するに「女はドサクサまぎれに口説け」ということだ。彼女が悩んだり不安だったり動揺している時がチャンスということ。試してみる価値はあると思うよ。
 

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2009年6月12日 (金)

オトコノコ風俗

 草食系男子という風潮の一環なのかもしれないが、男性の間に女装ブームが浸透している。
 先日、新宿で開かれた『オトコノコ★ナイト』というイベントに参加したのだけれど、女装に興味がある男性、実践している男性で会場が埋め尽くされ、異様な熱気に頭がクラクラしたものだ。(ちなみにオトコノコというのは「男の娘(こ)」という意味である)
 これまでは女装というといろいろネガティブで暗い何かを背負っていたものだが、今の若い人たちはおしゃれの一環として、またコスプレの一種として気軽に女装を楽しんでいるようだ。オ◯マだのなんだの、バカにされていたジャンルが、いまや何の抵抗もなく世間に受け入れられそうな気配だ。世の中変われば変わるものである。もちろん女装者が嫌いではない(というか好き)なぼくにとってはたいへん悦ばしいことである。
 そのイベントの時に一人の女装のお嬢さんと会った。正しくは女性ホルモンを使っているから「シーメール」と呼ぶべきなんだろうけど、タマもサオもちゃんとあるオトコノコである。どうしたってふつうのかわいい女の子にしか見えない。
 その彼女、そういうオトコノコが好きな男性を相手にする出張ヘルスをしているそうだ。以前はシーメール専門の風俗店で働いていたのだけれど、お客の大半はネットで情報を得てメールしてくる。今は店舗を構える風俗店は禁止されたので、出張するのは同じこと。だったら店に勤める必要がないと思い、店を離れて独立した。
 今はホームページにシステムを掲載して、それを読んで興味を持ってくれたお客で「個人経営」が成り立っているという。
 これは女性がやっても出来るような気がするが、女性が出張ヘルスを開業する場合、風営法で届けが必要になり、ある程度の規制もかかる。
 ところがオトコノコ風俗の場合、「異性を誘う」わけではないので、異性を相手にすることを前提とした風俗産業を規制する風営法に該当しないのだそうだ。これはかなりのメリットなので、将来、こういったオトコノコ風俗がしだいに増えそうな気がする。
 ただし、規制も何もなければ犯罪や病気などの問題が生じてくる。知り合った彼女はセーフセックスについては非常に神経を使い、お客にも注意を促していた。規制が緩いからといって衛生面も緩くならないよう、お客になる人はじゅうぶん気をつけて遊んでくださいね。

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オトコノコの時代

 草食系男子についていろいろ言われている。どういう男子が一番草食系のイメージかというと、自分的には「女装する男子」じゃないか、って気がする。
 そういう男子を「オトコノコ」という。「男の子」じゃなくて「男の娘(こ)」のこと。秋葉原のメイドカフェでも男子がメイドさんになって人気を集めている。そういう「オトコノコ」現象がいまブームだ。
 オトコノコをテーマにした女装専門誌が発刊された。ネットではいち早くかわいいオトコノコのブログなどが増殖している。「オンナノコになりたい」など女装のハウツウ本もいろいろ出版されている。ぼくのような女装系男子が好きな人間にはウハウハの時代だ。
「では、女性はどうするんだ。彼女たちは女装する男の子なんかに興味はないだろう」と思うでしょ。それが違うんだね。長年オトコノコを研究してきたけれど、彼らに関心を抱くのは、やはり男性だ。ゲイの男性もいればバイセクシャルの男性もいるし、ぼくのようにふつうの男性もいる(ふつうじゃないだろうと言われるけどね)。
 ゲイの男性を好むオコゲ(オカマにくっつくからだそうが)と呼ばれる女性は昔からいたが、その数は多くなかった。ところが最近、こういう女装する男子を賞賛し仲良くなろうとする女の子が異常に増えてきた気がする。
 ところが最近の女装する男子は、ゲイかというと、そうでもなく、セックスの対象は基本的には女子というのが多い。だからそういう女装男子とラブラブになってもセックスは問題ないわけだ。ネットではこういったオトコノコたちと女性の性生活がいろいろ報告されているが、このあいだはひどく驚かされたのがあった。
 男性ともセックスできる男子と結婚した女性の話。妻は自分の夫が男性に抱かれるのを見るのが好きなんだという。逆スワッピングだね。そうすると昂奮して自分も夫とセックスするわけだ。
 そのうち妻は夫に女装を要求するようになり、カツラや化粧品や衣装や下着を買い与えてやった。夫は妻の協力で美しい女性の姿で男に抱かれるのが習慣になった。「妻が喜ぶからどんどん女装にハマってしまったけれど、最近、ぼくのタマを抜きたいらしい。ぼくはいったいどうなるんでしょうか。怖いですう」
 うひゃあ、ぼくもずいぶん変わった夫婦を見たり聞いたりしてきたけれど、ここまで変わった夫婦は初めてだ。どちらも幸せならそれでいいんだけどね。

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