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2009年10月21日 (水)

宇宙でセックス

 このところ、性体験を告白した応募原稿をずっと読んでいた。なかでも面白かったのは「変わった場所でのセックス」に夢中になる男性の話。映画館や公衆トイレは言わずもがな、墓地、競馬場、公衆電話、ビルの屋上、踊り場……いろんなところでセックスしてきた自慢話を書いている。
 官能小説、ポルノ小説というのは「非日常の性的快楽」を描くものだから、夫婦が自分の寝室でセックスしてるのを描いても誰も読まない。変わった場所でセックスすると喜ばれる。作家もそういう読者の欲求に対応しなきゃならないから大変だ。
 先頃、NASAの国際宇宙ステーションに日本が組み立てた実験棟がドッキングして、いよいよ大掛かりな実験が出来るようになった。そこで期待しているのが「宇宙でのセックス」だ。
 いずれ人間はどんどん宇宙へ進出してゆく。そうなると宇宙でセックスするのは当然のこととなる。これまでも男性に混ざって女性の宇宙飛行士(向井千秋さんとか)が宇宙船で旅行しているが、短い期間だからその間は禁欲だ。まあ向井さんは人妻だから宇宙船のなかではやるわけにはゆきません。しかしそのうち、恋人同士とか夫婦が宇宙ステーションに送られることになると思う。つまり「宇宙でセックスしてもOK」というカップル。
 もちろん彼らは宇宙でセックスするとどうなるか、という人体実験の貴重なデータをもたらすわけで、これはもう科学者ばかりではなく一般人も関心を抱かないわけにはゆかない。注目の的になるだろう。
 ところで無重力になる宇宙空間で、果たしてうまく男女が結合できるかという問題がある。ふわふわ空中を漂っている時、どこかに力がかかれば、必ず反対方向に力がかかる。うっかり空中に射精したりすれば、男性は反作用で後方に飛ばされるんじゃないか。そうすると、どこかに捕まったり、体をくくりつけたりしてセックスするんだろうか。それだとあまり情緒がないね。
 無重力空間でセックスする男女の話はSFでは何度か描かれているけれど、想像で書いてるからウソ臭いものが多い。果たしてどんな気持ちがするのだろうか。ぼくの目が黒いうちにカップル宇宙飛行士にぜひ実行してもらいたいものだ。女性飛行士は「宙に浮いたような気持ちです」と言うかな。(笑)

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関西のエロパワー

 ある雑誌で読者の性体験告白を募集している。その投稿原稿を選考してくれと言われて毎日、せっせと原稿を読んでいる。
 こういうのに応募するのは圧倒的に男性だ。やはり男性のほうが性体験が豊富だからだろう。そして中高年が多い。なかでも、かつて「企業戦士」と呼ばれ、いまは退職して年金生活に入った世代が多い。原稿の内容は一種の自伝ポルノになるわけだが、青春時代やサラリーマン時代に体験した忘れがたい体験を、ひまになったこの際、文字にしておきたい——という願望が強まるのだろうか。
 その老人パワーにも圧倒されるのだが、何よりも印象的なのは「関西からの投稿が多い」ということ。会話の部分が関西弁だからすぐ分かる。そういう投稿が三分の二ぐらいを占める。
 昔からそうだが、エロの世界では関西が圧倒的に強い。ストリップは今でも「関西ストリップ」と看板に書かないと客が入らない。ストリップに限らず、エロな風俗は関西で生まれ関東にやってきたものが多いのは有名。ポルノ文学の世界でも、団鬼六先生をはじめ、売れっ子は軒並み関西系の作家だ。
 ぼくがSMポルノを書きだした頃、勝手に師匠として仕えていた蘭光生先生に「君は北海道生まれだな。この世界で大成しないぞ。SMポルノは関西生まれでないとダメだ。おれも東京生まれだから苦戦しとる」と言われたことがある。そして実際、蘭先生に言われたとおりぼくは大成しなかった。(笑)
「その頃も今も事情は変わらないなあ」と、投稿作品の選考をしながらつくづく考えさせられる。よく関西人は「えげつない」とか「ねちっこい」とかいうけれど、なにごともアッサリ、サッパリを旨とする関東人にはない持続するバイタリティがある。
 エロの分野でもそれが横溢しているのだ。告白原稿の行間から「わてはこんなおもろい体験しましたんや。どや、おもろいでっしゃろ」と、書いた人間の意気込みがジクジクと伝わってくる。カッコつけたがる関東人の原稿にはない生臭さがある。どぎついサービス精神がある。
「うーん、これはかなわんなあ」とぼくは唸ってしまうのである。といって、これから関西人に生まれ変わるわけにもゆかんしねえ。
 まあ、ぼくがSMポルノで大成しなかった理由は、他にもあるんだと思うが。(笑)

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男が捨てられないモノ

 高田馬場に、人が借りている事務所の一画を借りて机を置かせてもらっている。部屋の借り主の都合であっちこっちに移動する。
 今度また別の場所に引っ越すことになった。それで机のまわりを片付けて、不要なものは捨てていた。そうしたら引出しの奥からメジャーが見つかった。服を作るとき、体のあちこちの長さをはかる小さな巻き尺だ。
「うーん、まだあったか」
 この前の引っ越しから六年たつのだけれど、その時もこのメジャーを眺めて感慨に耽った記憶がある。
 そもそもはもっとずっと昔のこと、つきあっていたひとりの女性がいた。惚れていたし惚れられてもいた——と思っている。
 その彼女がある時「チャイナドレスが着てみたい」とぼくに言った。一度友達か誰かのを着て気にいったらしい。セクシーな体型なので、ぼくも似合うと思った。
「だったらプレゼントしてあげよう」と思ってあちこちを調べてみた。本格的なのを仕立てるとなったら高いけれど、横浜かどこかの専門店で「寸法を測って送ってくれたら作る」というところが見つかった。価格もリーズナブルだ。では注文しようと思って買ったのが、そのメジャーだった。
 ところが寸法を測る前に何かがあって、彼女との仲はそれきりになってしまった。決して憎んだり恨んだりしてるわけではなく、何だか知らないが疎遠になってしまったのだ。
 そんなわけで、メジャーは空しく引き出しの奥で何年も眠っている。引っ越しのたびに「捨てようか」と思っては捨てないでいる。彼女のことが懐かしく思い出されて捨てられないのだ。なにか感傷的になってしまう。
 そういう男はぼくだけでは無さそうだ。女性は男と別れると、彼に関係したものはポンポンいさぎよく捨ててしまうものと聞いた。男は違う。前の彼女、その前の彼女……、つきあった女たちのあれやこれや、記念の品、思い出の品はなかなか捨てられなくて、どっかにしまいこんである。君はどうだろうか。
「それにしたって、こんな物には価値がないよな」
 そう思って今度こそは捨てよう——と思ったのだが、セクシーだった彼女との思い出も一緒に捨ててしまうような気がして、結局はまた引出しのなかにしまいこんだのである。うーん、いつになったら捨てられるんだろ。まったく困ったもんだ。
 

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性に関係した職業

「卑しい職業など無い。卑しい人間がいるだけだ」というのはリンカーン大統領の言葉。今回しみじみ噛み締めることになったのは、衆院議員になった田中絵美子さんをめぐる一連の騒動があったからだ。
 過去に風俗ライターだったことや乱歩原作のホラー映画に出演してバストを揉まれる演技をしていたことが問題視されて、まあ一部のマスコミにはさんざんの言われようだった。
 そのことに関しては反論も多かった。リンカーンの言葉が持ち出されたのは、まるで汚いものでも見るかのような報道をする連中に対する抵抗の武器としてだ。乱歩原作、鬼才石井輝夫監督の作品に出演したのだ。ぼくらの周囲では「誇りに思いこそすれ恥じることはない」という声が圧倒的だが、非難の声を圧倒するほど高くはない。
 ぼくだって風俗ライターのはしくれだったし、今はエロを書きまくっている。AVにだって三本ぐらいは「出演」しているよ。ち×ぽは出してないけど。(笑)
 だから「このことについてどう思いますか」と各方面から訊かれることが多かった。たいてい「どこが問題なんだ。ちっとも悪くない」という反論を期待してのことだろう。しかしぼくの答えは「仕方ないんじゃないの。これぐらい言われるのは」だ。
「えーッ、冷たいですねえ」と言われるが、ぼくは田中議員を非難するつもりはまったくない。同情しているし応援もしている。だけど性や風俗の世界に一度でも関係した人間は、「卑しい者」と見なされる。それがこの世の「掟」なんである。
 前に「性行為非公然の原則」というのを書いた。今の世の中は、この原則の上に成り立っている。だからどこの国でも人に見られる場所でセックスはしない(特殊な趣味や職業は別よ)。どんなに偏見のない人でも自分の子供の前でセックスはしないだろう。
 この原則にあえて逆らって性を表現してみたいと思う者は、世間の蔑視は覚悟しなければいけないのだ。どんなに気高い理想に燃えていても、経歴によって差別の目で眺められる。それは仕方がないことなんである。というか当然のことなんである。「卑しい者」というレッテルを貼られたくなければセックス関係の業界に近づかないに限る。
 それでも「卑しい者じゃないんだ。非難するほうが卑しかったんだ」と分からせることは不可能ではない。田中議員もこれからの行動で「りっぱな政治家」と思われるように努力してほしい。

Emiko_tanaka

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奇妙な嫉妬

 嫉妬、やきもちというのは、人に対して覚える感情である。ところが、モノ、物体に対して覚えたという珍しい例が身近にあった。
 人妻とラブラブ関係にある友人G君の話である。相手の彼女は家庭があるのだからそうたびたび逢えるわけではない、月に二回ぐらいしか逢えない。
 夫との結婚生活ではオルガスムスを味わえなかった彼女だが、G君の奮闘に本人の体質も幸いして、今はセックスするたびにオルガスムスを味わえているという。そうなるとますますデートできない間が辛くなる。ひとりで悶々することが多い彼女は、家族が留守の時、オナニーで欲望を満たすようになった。
 G君と人妻さんは逢えない時はネットやメールを通じて自分のことを伝え相手のことを知る。もちろんオナニーで満足したということはすぐG君も知ることになった。
 彼は若い頃、大のストリップファンで、特に「ベットショー」(この業界ではベッドのことをベットと呼ぶ)が大好きだった。マットを敷いたうえで赤いベビードールを着た踊り子さんが大股びらきでやって見せるオナニショーのことだ。
 彼女がオナニーで満足していると聞いたG君は、SM関係の「ご主人さま」である特権を駆使して彼女に詳しく問いただすと、その時に用いるのは「オルガスター」と呼ばれる、特に女性の肉体を考慮して作られたバイブレーターだという。
 彼女の報告にいたく興奮させられたG君は次のデートの時、そのバイブを持参させて、目の前で「ベットショー」をやらせてひとり鑑賞を楽しんだ。くそ、とんでもないやつだ。
 驚いたことに、そのバイブを深く挿入した彼女はアッという間に昇天してしまった。これにはG君も驚いた。通常のセックスでは彼が汗まみれになって奮闘してようやくイカせられる。バイブに彼が負けたことになる。まあ相手は機械なんだから勝負を挑んだって仕方ないんだが、G君はその時、彼女のバイブに対して猛烈な嫉妬心を覚えたんである。まるで自分より若くて体力のある男性がライバルとして現れた時のような感情だ。
「そのあと、バイブを使いながらフェラさせたり結合したりしたけど、まるで彼女の愛人と3Pしてるような錯覚を味わったよ」とG君は言ったものだ。そんなこともあるんだねえ。

Olgaster

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モンローとケネディの性生活

 どうしてマリリン・モンローのことを書く気になったのかというと、先頃、エドワード・ケネディ上院議員が病死したからだ。
「四人兄弟のうち末弟のエドだけが畳の上で死ねたわけだ」と思った。まあアメリカだから畳ではないが。
 そうするとどうしても彼の二番目の兄、ジョン・F・ケネディのことを思いだす。第三十五代アメリカ合衆国大統領。暗殺されて死んだ。暗殺の真相はまだ解明されていない。
 そのジョン・F・ケネディ(JFK)の愛人が「世紀のセックス・シンボル」とうたわれた女優のマリリン・モンローだったことはよく知られている。彼女は一九六二年八月五日にハリウッドの自宅で謎の死を遂げた。
 深夜、寝室のベッドの上で全裸で死んでいた。手には電話の受話器を持ったままだったという。この死因は一般的に薬物の過剰摂取だと言われているが。謎の部分があまりに多く、後になってCIAやマフィアによる暗殺説が取り沙汰されている。弟で司法長官だったロバート・ケネディが殺させたという説まである。実はマリリンはこの弟とも愛情関係にあったのだ。
 どちらも非業の死を遂げた二人の関係については多くの事実や推測が流されたが、ぼくが一番印象深く受け止めたのは、「モンローの直腸はからっぽで奇麗だった」という検死報告なんである。
 どうして何もなかったかというと、その夜のマリリンは家政婦に頼んで自分に浣腸してもらい、それから寝室に入ったからだ。「マリリンはケネディが訪ねてくる夜はいつも私に浣腸してくれるよう頼んだ」と家政婦は証言している。
 浣腸の目的は「JFKがアナル・セックスを好んだからだ」と言われている。だから死んだ時、モンローの直腸はからっぽだった。愛人と楽しむために。
 このことから後に「暗殺者はその習慣を利用して浣腸薬に毒を入れて殺したのだ」などという説も流れた。
 真偽は永遠に分からないだろうが、あのマリリン・モンローがアナルセックスでジョン・F・ケネディを受け入れて楽しんでいた——と思うと、その姿を想像してぼくはちょっとオツな気分になるのだ。当り前のセックスをしているマリリンとJFKを想像するより、ずっと人間味が感じられるではないか。キミはそう思わないか。

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