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2009年12月12日 (土)

女のイキ顔、男のイキ顔

「私、ヤッてる時、どんな顔をしているのかしら?」
 還暦すぎたくせに熟女人妻とラブラブ関係にある友人が、彼女にこう尋ねられたという。
「どうしてそんなことが知りたいの」と聞きかえすと、ネットかどこかで男たちが言ってた言葉が気になったのだという。
 その連中は「ヤッてる時に鬼みたいな顔になる女には、百年の恋も冷めるな」というようなことを語りあってたらしく、彼女は「私もそんな顔をしてるのかも。そうしたら恋人に嫌われてしまう」と心配になったらしい。
 まあ、セックスしてる時の自分の顔、ってのは、女でも男でも、ビデオカメラを回してでもいなければ、まず見ることができないだろうからね。こんなこと言われたら心配になるのももっともだ。
 質問された友人は「きみは最初、痛いのをこらえているような顔を見せるけれど、だんだんうっとりとした表情になり、最後は天女のように美しいよ」と言って、安心させてやったそうだ。
 ぼく自身の体験からしても、それが女性一般の表情だろうと思う。よく「女のアノ顔には般若(はんにゃ)顔と菩薩(ぼさつ)顔があり、選ぶとすれば後者だ」なんて言うけれど、最初から最後まで鬼のような恐ろしい顔をしている女性はいないだろう。
 挿入されてピストン運動されてるうちに快感が高まってきて、やがてイキそうになる時まで、女性の顔は苦痛を覚えているように歪んだりする。しかし一度、達してしまい、それからずうっと快感が高まったままの状態(プラトー期という)になると、恍惚とした表情が続く。友人はじぶんの恋人については「夢見る少女に帰ったようないい顔になる。惚れ直すよ」と評していた。
 なんのことはない、アノ時、「鬼のような顔」しか見たことが無いという男は、彼女にセックスの真の歓びを与えていないのだ。自分の責任を女性のせいにしてはいけない。恍惚の表情に変えてやって、初めて男の責任を果たしたことになるんである。
 ところで、男性のほうはどうだろうか。AVビデオなどでいろんな男性の表情を見てみると、女性の「般若顔」なんてもんじゃないね。たいていの男は瀕死の重傷を負ってのたうち回ってる獣のような苦悶の表情を浮かべている。うっとりとした表情で射精する男なんていないだろう。男のほうがよっぽど見苦しいといえば見苦しい。アノ時の女性の顔を「鬼のようだ」なんて言えた義理か、ということだ。まずは女性をうっとりさせる技術を磨こうではないか。

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140字のエロ世界

 知ってる人は知ってると思うけれど、いま「ツイッター」というサービスがネット上で大流行している。
 早くいえば140字以内の文章を書き込んで、読みたい人に読ませてあげる「ミニブログ」のようなものだ。ツイットというのは英語で「ぶつぶつと呟く」という意味。自分がいま何をしているか、それを呟くように言い表わすために考え出された。
「140字なんて1行20字の原稿用紙でたった7行。そんな短さで何が表現できるのか?」と、ぼくも最初は半信半疑だった。
 たいていの書き手は「腹減った」とか「眠たい」とか「居酒屋なう」などという、読んでもあまり意味のないようなことを書き散らしている(「……なう」というのは「いま……している」という意味)。
 だから最初は「こんなのやっても意味がないかな」と思って無視していたのだが、ケータイ小説の女王と呼ばれる内藤みかさんが「面白いからやってみたら」とさかんに誘うし、彼女たちが「ツイッター小説」などという新しいジャンルに挑戦しはじめたことにも刺激されて、「ちょっとだけよ」と初めてみたら、これがけっこう面白くて、今はmixiの日記や自分のブログ以上に熱中して時間を費やしている。
 何より140字しか書けないのだから、あまり悩む必要がない。いましてること、考えたこと、悩んでること、ぶつぶつと言ってるうちに、読んでる人、レスをつけてくれる人、同じことをしたり考えたりする人との間に「ゆるい」繋がりが出来てくる。これがなんとも面白いんである。
 140字の制限のなかで書く小説というのも、書き込めない部分が想像力を刺激するので、上手な作品はけっこう感動を与えてくれる。そこで作家の人たちもいろいろな実験を始めている。
 ぼくは何よりエロが好きなポルノ作家だから、ツイッターを使ってのエロ小説に挑戦している。140字の制約があるポルノ小説というのは難しいけれど、どこまで興奮させられるか、いろいろ試してみるつもりだ。
 小説以外でも、セックスやオナニーの実況中継をやってる男女もあちこちにいる。あまり詳しくは書けないがいろいろなエロっぽいことに利用している例が増えてきた。
 今や利用者が百万人を超えたツイッター、これからどうエロ的に爆発するか、面白くて目が離せないぞ。

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よみがえれストリップ

 ストリップ劇場が激減しているらしい。一時は千数百軒もあったのが最近は百五十軒ぐらいまで減ったそうだ。
 ぼくはまだ「特出し」など無かった頃からストリップが好きで、学生時代から独身サラリーマン時代は、映画よりもストリップを見る回数のほうが多かった。かぶりつきに座りたいため、正午開場なのに朝の九時に切符売り場に並んだりもした。ストリップばかりはかぶりつきでないと本当に楽しめないからね。
 大学を卒業する頃は本気で「ストリップ劇場の文芸部員になろうか」と考えたぐらいだ(大学まで出してくれた親の嘆きを考えると、さすがに出来なかったが)。
 それだけ好きだったストリップなのに、今はほとんど行かない。見せるだけ見せてしまったという興業形態もあるし、テープやタンバリンがうるさい応援のせいもあるし、踊り子が外国人ばかりになったせいもあるし、過激な個室サービスに走ったせいもあるかもしれない。気がついたらストリップ劇場から足が遠のいていた。
「インターネットで女の裸がいくらでも見られる時代になったせいだ」とも言われるが、はたしてそうだろうか。生きてる美女が目の前で服を脱ぎ、妖艶な肌を見せて踊る舞台は、絶対にネットでは味わえない独特の興奮と視覚的な快感を与えてくれる。今でもストリップほどすてきなショーはないと思っている。
 しかし、ストリップ興業の問題点は「入りにくさ」にあるんだろうと思う。街のなかでも最も猥雑な(いかがわしそうな)地帯に、見ただけでギョッとするような毒々しい看板を掲げている劇場に平気で入れる人間は、相当に世を捨てた(ぼくみたいな)オヤジぐらいしかいない。だからオヤジ以外のファン層はなかなか増えないんじゃないだろうか。
 かといってあまり「明るく健全な」ストリップというのも反対だ。ストリップはいかがわしさが魅力の興業だ。その程度が難しい。
 ぼく自身は「若くて美人でスタイルがよくて踊りがうまい」踊り子さんにはあまり興味がない。登場してきただけで、まだ服を脱ぐ前から勃起してしまうような、そういうエロの塊みたいな踊り子さんがいればそれでいい。ぼくが好きだったベットショー(ストリップはベッドと言わないのが正しい)を見せてくれれば言うことはない。
「古き良き時代」のあのストリップをもう一度見てみたいのだけれど、かなわぬ望みかなあ。

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大阪をセックス天国に

「こんな猥雑(わいざつ)な街、いやらしい街はない。ここにカジノを持ってきてどんどんバクチ打ちを集めたらいい。風俗街やホテル街、全部引き受ける」
 大阪府橋下知事の発言は、東京人にとってはうらやましいかぎりだ。石原都政下、東京はどんどん「清潔な街」になってしまい、風俗業は壊滅させられ面白くもなんともない街になってしまった。
 人間、いつもいつもマジメに仕事ばかりしてるとストレスがたまっておかしくなる。時々「飲む、打つ、買う」でパーッと発散しなきゃいけない。アメリカのラスベガスがいい例だが、どんな人間が訪ねても上から下まで楽しめる歓楽都市というのがあってしかるべきだ。無いほうがおかしい。
 確かに大阪は、その点で最高の適地だと思う。何より関西人大阪人というのは、欲望にすなおだ。女性もセックスについておおらかだ(と思う)。ギャンブルを楽しんで、セックスもストリップからソープまでフルコースのセックスパラダイスが出来たら絶対に成功すると思う。性の後進地帯、関東からも大勢行くだろうしね。
 かつて日本の都市には、遊廓という大人の男の遊び場があった。それが滅びたところに日本人が少子化によって国力が衰えた原因があったと思うぞ。セックスが何か悪いことのように思う風潮がのさばってる。
 老若男女、誰もが楽しめて息抜きが出来る現代の遊廓をどこかに作らないと、日本はますますダメになる。橋下知事の政策におおいに期待したい。
 ——と書くと「男ばかりが楽しむ施設」と受け取られそうだが、そうではないのだ。ラスベガスがその好例だが、家族で行っても楽しめる施設は充実している。妻子がそういう施設で楽しんでる間にお父さんは命の洗濯ができる——というのがいいんじゃないか。女性が楽しめるホストクラブ的なのも充実させればいい。ゲイのための施設もあれば、もちろんSMマニアの施設も作ろう。
 どんな人間も平等にセックスを楽しめる快楽天国が実現すれば、これはもう日本は元気が出て、不況なんかどっかに飛んでっちまうよ。そういうのが無いから男たちはコソコソ外国へ行くしかない。外貨を流出させてる。世界に誇るべき日本女性の性的サービスの粋が味わえるとなったら世界じゅうの男が大阪にくるぞ。大阪人よ立ち上がれ! はは、つい気が大きくなった。(笑)

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アンスコを考えなおせ

 先週、お父さんたちには懐かしいブルマが消えた話を書いたけれど、そういえば「アンスコ」も消えたなあ、と思った。特にフリル——ピラピラした飾りが何列もついたやつ。
 アンスコとは、テニスウエアのスカート(スコートという)の下に着ける下着。アンダースコートの略ね。
 本来のパンティの上に履くもので、いわゆる「見せパン」のようなもの。つまりいくらその部分が見えてもいいように着用するものだった。
 ところがある時点から「見られてもいい」が「見られたい」→「もっと見て見て」という積極的な方向性をもつようになった。
 もともとは単なる白いブルマのようなものだったのが、女性らしいレースやフリルで飾るようになり、一時はフリルだらけのパンティ形式のアンスコが流行した。
 あまりにもフリルが着きすぎて、遂には横に十二列もフリルがついたアンスコを着用するプロテニスプレーヤーまで現れた。これではギャラリーはプレイよりもそっちのほうが気になって仕方がない。
 一時、ウインブルドンでは「フリルは四列まで」なんて規制を出したとか。人間というか女性の見せびらかしたい本能というのは、すさまじいものである。
 そういう風潮だから、当然ながらアンスコフェチになる男性も続出した。ラブホテルに行くとコスプレ衣装を貸し出してくれるサービスがあるが、そういうところで用意しているアンスコは、昔ながらのフリルびらびらのアンスコと決まっている。それでなくてはアンスコフェチ男性には満足できないんである。
 それが一転して、今は公式戦でフリフリのアンスコが見られる例はほとんど無くなった。
 美人選手シャラポアらがはいているアンスコはふつうのパンティ状のものか、ひどい時はスコートではなく短パンという「お色気ゼロ」の時がある。
 アマチュアの世界でも同様で、テニスコートにスコートを着けてプレイする女性は珍しくなった。ほとんどが短パンだという。
 男性にとってこれは面白くない現象だ。あのフリフリびらびらのアンスコがなければ女子テニスとは言えないだろうがッ。おれが怒っても仕方ないけど、テニス協会は考えたらどうか。
 女子テニスを観戦する楽しみの重要な部分であるアンスコを復活させてほしい。女子選手はフリルつきのアンスコを着用すべし——というルールを採用せよ。(笑)

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消えたブルマ

 男性誌のグラビアでAKB48の運動会を掲載していた。要するにぴちぴちギャルのお祭り騒ぎなんだけれど、それを見ていてふと「ブルマは遠くなりにけり」と思ったことだった。
 おじさん世代なら運動会の女の子といえば、やはりブルマ(ブルマー)をはいたまぶしい太腿が目に浮かぶことだろう。しかしAKB48の女の子たちはみなハーパンなのだ。つまり膝ぐらいまでのたぷたぷした短パン(ハーフパンツ)ね。まぶしい太腿なんてチラとも見えない。ひと昔前ならここはブルマだったはず。
 これは現実の世界でも同じことで、小中高の運動会でブルマを見られる機会はほとんど無い。女子の体操着は今、ほとんど短パンなのだ。ブルマが見られるのは、えーと、陸上のジャンプ競技ぐらいかな。かつて「ちょうちんブルマ」で金メダルに輝いた女子バレーでさえ短パン化してしまっているのだ。泣けるではないか。
 体操着といえばブルマというぐらい全国的に普及していたユニフォームがどうして消えてしまったのだろうか。
 きっかけは80年代後半らしい。最初は小学校中学校の生徒たちが「はきたくない」と言い出した。成長期の少女たちが体の線、とくにお尻の線がハッキリ見えて太腿がまるまる見えるブルマを嫌いだしたのだ。
 それに母親たちが同意しだした。ブルマ姿を好む男たちが増え「ブルセラショップ」などという言葉まで生じるに及んで「ブルマは好ましくない」という意識が生じた。
 この頃に子育てした母親たちに聞くと、廃止に一番抵抗したのは男性の体育教師たちだったらしい。「短パンでは教え甲斐が無い」と思ったんだろうねえ。正直な連中だ。もう少し抵抗して欲しかったのに。(笑)
 ともあれ九十年代後半からブルマは衰退の一途をたどり、いまブルマ少女はトキと同じ絶滅危惧種になってしまった。
 ぼくはセーラー服愛好家ではあるけれど、ブルマにはこれまでさほど興味がなかった。だけどこうまで少なくなると「少しは残しておいてもいいんじゃないか」と思いたくなる。
 ブルマは今も生産販売されているが、もっぱら男性マニアを喜ばすためのもの。女の子たちから完全に見捨てられたブルマだけど、いつの日かその良さが見直されないものか。まあ、だめだろうな。(笑)

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男の悲しい本性

 この前、この欄で、何年も前に別れた女性について思い出のある品を捨てられない、という自分のことを書いた。その前にも「女は元カレの物などバンバン捨てるのに、男は元カノに関した物は保存する」という男女差を書いた。
 そうしたら最近、ネットの掲示板で「男ってどうして女の前の相手のことを詮索するのかしら」と疑問を呈している女性がいて、多くの女性が「そうだそうだ、ヘンだ、おかしい」と賛同しているところに出くわした。
 ふむー、言われてみるとそうなんだよね。
 知り合った当初は口にしないけれど、ある程度なじんでくると、男はつい「おまえ、これまで何人の男がいたの」と聞いてしまうものだ。「何人の男と寝たんだ?」と露骨に聞いてケンカになってしまうこともある。まあ、たいていの男性はそういう経験があるだろう。
「おれの彼女がこれまで何人の男と寝てきたかなんて、興味ない」という男は、そうそういないんじゃないか。
 これって男の本性なのだろうか。自分の女がこれまで何人かの男を経験しているとしたら、果たして自分はそのなかでどのぐらいの順位にいるのか、気になるというのが。
 もちろん一番気になるのは、セックスのことだろうね。女性だってバカじゃないから、正直に「実は◯人と寝た」なんて言うわけがない。まあ処女じゃなければ最低一人の相手はいるわけで、それだけはウソをつけないが、永続的な関係をもちたければなるべく少なく言うに決まっている。
 しかしベッドのなかの反応というのは、これはなかなかウソをつけないものだ。特に頼みもしないのに積極的にフェラチオをしてくれて、あそこやらここやらを巧みに刺激してくれたり愛撫してくれたりすると、いくら気持よくても「誰がこいつにこんなことを教えたんだ?」と気になる。
 まあぼくもこの年齢になると「いやあ、どこのどなたか知らないが、ここまで教えてくれてありがとう」とお礼を言いたくなるぐらいだけど、若ければやはり、要らざる嫉妬のようなものを抱いたことだろう。
 考えるに、男というのは「自分の女はなるべく白紙状態で、それを自分の色に染めてゆきたい」と考える生き物らしい。女性にしてみれば「自分の学習した結果で喜ばせてあげるんだから、そんなことで文句を言われるなんて心外だ」と言いたくなるだろうがね。
 しかし、それが男の悲しい本性(さが)なんである。もし女性がこの文章を読まれたら、「ふーん、そうなのか」と、少しだけ参考にしてほしい。

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