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2011年1月29日 (土)

男の剃毛

 先日、某週刊誌で気になる記事を見た。欧州のサッカーチームで活躍している日本人サッカー選手の香川真司や本田圭佑ら何人もが、下の毛を剃っているというのだ。香川なんか自分の口からそのことを打ち明けている。
 理由は「向こうの選手はみんな剃っている。一緒にシャワーを浴びていて自分だけ生えてるのは恥ずかしい」からだという。
 確かにまわりの選手がみんな剃ってて自分だけモワモワ黒いのを生やしているというのは、仲間はずれにされそうな気がする。髪や髭と違って見えない部分だから剃ったってかまわないといえばかまわない。極端にいえば「無くても別に問題がない」毛だしね。
 だけど、どうしてサッカー選手が陰毛を剃らなきゃいけないんだろうか。調べてみたら、陰毛だけじゃなくて体毛そのものを剃る習慣が広がりつつあるようだ。つまり「男が毛むくじゃらだとモテない」という風潮が背後にあるらしい。
 かつては体毛が多いからモテないということは無かったような気がする。あの長嶋選手だって日本三大胸毛の一人としてもてはやされたのだ。007のショーン・コネリーも毛深かったよね。
 ——と思って最近のスターを思い浮かべてみると、うーん、かつてのように髪はもしゃもしゃ髭はくろぐろ、腕も胸も猿みたい、という多毛の男は少ないよね。
 どうやらこの「無毛化現象」は、女性の側から発生して男性へと波及しているらしい。かねてから盗撮されるセレブ女優のヌードをネット上で見てると。きれいさっぱりヘアーが剃られて割れ目がくっきりという写真が多い。
 さらに最近の少女たちは、思春期になるとアンダーヘアーを剃り、親たちもそれを励行する風習が増えているらしい。その原因は何より「見た目が清潔」というのに尽きると思われる。
 今や「髪以外の場所で毛が多いのは不潔」というイメージが女たちに定着し、それに影響される形で男たちも下の毛や体毛を剃り始め、結果として「男性剃毛時代」に突入してきたらしい。これからは日本でも脱毛産業が流行しそうだ。
 しかしぼく個人的には、男のはどうでも、女のアンダーヘアーは大好きなんだよね。見るのも好きだしサワサワとした繁みを触る感触も好き。日本の女に剃毛時代は来ませんように……。

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2011年1月24日 (月)

歩きオナニーのころ

 ポルノ作家として信じたくないニュースが目についた。厚生労働省の調査によれば、「16〜19歳の男子の3分の1は、セックスに関心がないか、嫌悪している」という結果が出たのだそうだ。この比率は2年前から倍増したという。
 16歳から19歳といえば高校生から大学生になるあたり。自分の経験からしても、男の子は性欲が強くて、ムラムラしっぱなしの時代のはず。なぜ、そんなことに……。
 先日、官能系作家と編集者の新年会で、若い頃のオナニーの話で盛り上がっていた時、編集者のO君が「ぼくは毎日歩きオナニーしながら学校から家に帰っていました」と打ち明けた。
 Y県の田舎生まれの彼は、通学路が田んぼの中。人の姿をめったに見ることがないので、いつもズボンから堂々とペニスを出して、シコシコしごきながら歩いていたという。
 不思議なのは、射精する時はペニスをパンツのなかに戻すので、いつもパンツを汚していたという。誰も見てないんだから射精も外に出せばいいのに、見通しがいいだけに「誰かに見られる」という恐怖心が湧いて外に出せなかったという。妙な心理だ。
 それを聞いていた官能作家のT氏は「ぼくも歩きオナニーだったよ」と打ち明けた。彼は佐渡の生まれ。通学路は山道だったので、やはり人の目がいない。O君同様、ペニス丸出しシコシコしごきながらの通学だったとか。
 木が視界を遮るせいか、射精も外に出したままでやっていたという。いやあ、何とおおらかだったんだ。ぼくはそれなりに人がいる町なかで育ったから、そのような歩きオナニーはしたくてもできなかった。
 それを聞いた女性たちは「何も歩きながらしなくても」と目を丸くしていたけれど、ぼくも同じような環境だったらやっただろう。それぐらい、射精の快楽を覚えた男の子は女の子に憧れながら、むらむらモンモンと悩み、オナニーに明け暮れていたのだ。
 それがなんと、今どきの男の子は「セックスに興味がない」と平気で言いだすようになった。いったいどういうことなんだろうか。草食系どころか拒食系。これじゃ少子化も当然だ。
 おおらかに歩きオナニーできるぐらい、広々とした世界がもうどこにも無くなったせいなんだろうか。青少年を奮起させたいポルノ作家としても、出るのはため息ばかりである。

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2011年1月19日 (水)

勃起にもほどがある

 去年の暮も押し迫った真夜中、「痛い、痛い!」とツイッターで叫んでいた人がいた。
 誰かと思えば薬物評論家として知られているIさんだ。自己紹介には「永遠のヤク中」と書いてるぐらいの豪傑。ふだんから服用している薬物の量はハンパではない。ぼくなら一錠二錠で効く睡眠剤を平気で六錠ぐらい飲んでケロリとしている。
 その人がなぜ痛がっているのか、発言をさかのぼって読んでみたら驚いた。
 四十五歳のIさんには今、愛してやまぬフィアンセがいる。彼女とセックスするためにはバイアグラでは足りないと思ったIさんはICI療法を受けたのだ。陰茎海綿体自己注射法といい、勃起が困難な患者のペニスに薬液を直接注射するという、考えただけで痛そうな治療法だ。
 その結果、Iさんのペニスは隆々と勃起して、彼女とデートするために乗った電車のなかで困ったというぐらい効果があったらしい。もちろん彼女とのセックスは大成功だった。
 ところがそのあとにとんでもない副作用が襲ってきた。四時間ほどで効果が消えると言われた勃起がおさまらないのだ。しかもだんだん痛くなる。さすがのIさんも激痛に耐えかねて注射してもらった医者に助けを求めた。
 深夜の病院で、Iさんは怒張したままのペニスに何本も注射針を突き立てられ、血を抜き取ってもらい、ようやく勃起がおさまったという。ペニスはどす黒く変色して血まみれ。それで「痛い、痛い」と叫んでいたわけだ。
 医者によれば、本来はバイアグラも効かないような勃起不全症患者のために使う強力な療法をしかも大量に用いたのが原因らしい。何ごとも「過ぎたるは及ばざるが如し」なんである。
 勃起持続症といって、強い勃起が一日続くとペニスの海綿体が繊維化してしまう。そうすると組織が死ぬ。下手をすればペニスをちょん切ることになる。幸いなことに、Iさんのペニスはもと通りになった。それでも「今度は量を少なくして挑戦してみる」と言っている。懲りない人である。
 力強くギンギンに勃起したペニスは「男らしさの根源」である。ベッドで女性を抱こうとして勃たない、あるいは途中で萎えるというぐらい男としての自信を失わせることはない。だからバイアグラのような勃起促進剤が用いられるわけだが、欲張るととんでもないことになりかねない。くれぐれも注意しようぞ。

(画像はICI治療の注射器と薬剤。無痛針で患者自身が薬液を注射することができる)

Ici


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2011年1月10日 (月)

やせてセックスに強くなる!

 これは二〇一一年で初めての「いろ艶筆」なので、一応、新年の計みたいなのを書いてみよう。
 まあ、とにかく体だけは健康でいたいから、何はともあれ「やせる」ということを目標にしよう。
 中年を過ぎると人間、黙っていてもどんどんぜい肉がついてくる。ぼくはこのところ年に二センチづつ腹囲が増えてきて、まずいと思っているところだ。
「あなたはまだ若いんだから、あと四キロやせればずいぶん長生きできますよ」とかかりつけの医者は言う。世間には四十キロ五十キロもやせないと命が危ない肥満体の人は多い。それに比べれば四キロなんて屁でもないような気がするが、これが難しい。
 ここ数年、その四キロぐらいをなんとかしようと悪戦苦闘しているのだが、体のほうがダイエットに対する抵抗力をつけてきているので、どうもじりじり負け続けている。
 いや別にそんな深刻な症状もないのだけれど、裸になった時にぽよんぶよんという腹の出っぱりは情けない。
 独自のダイエット法で五十キロもやせた岡田斗司夫さんは『いつまでもデブと思うなよ』という本を書いたが、そのなかで、やせたことによって容姿に自信がつき、セックスも積極的になったとある。それはそうだろうね。どんなに言い訳したってデブだという劣等感が異性に対して弱腰にさせる。よぶんな肉は精力を弱める方向に働くはずだ。太っていいことはまったく無いのだ。
 そういうことはもう、肥満に悩む人間なら心底から分かっていることなのだが、ダイエットに成功する人は少ない。それは食欲という本能が非常に強力なものだからだ。
 自殺する方法はいくつもあって「餓死」というのも選択肢の一つだが、餓死で自殺する人はほとんどいない。あまりにも抑制することの難しい本能だから必要以上に食べ物をとりすぎてかえって死期を早めてしまうんである。
 この困難をのり越えるのは「やせたらもらえるご褒美」の必要性だ。前に四十キロ痩せて心身ともに変革を遂げた三十代独身男性が、恋人もできて「リア充」ライフを満喫しているという実話を紹介したが、「やせていいセックスを楽しめるようになる」というご褒美を念頭におけば、漫然とやせたいと考えるよりずっと励みになりそうだ。どこかに「四キロやせたら好きなだけやらせてあげる」という魅力的な女性はいないか。(笑)
 

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都知事こそ「足りない」

 石原慎太郎という人はつくづく幸せな人だなあと思う。
 裕福な家に生まれ、若くして有名になり(その知名度は弟の裕次郎によるところが大きい)、これまでの人生、ほとんど何の苦労もなくチャホヤされっぱなし、誰に頭を下げることもなく人を見下して勝手なことを言って痛い目に会うことがなかった。
 晩年は一国の首相に近い権力権限をもつ東京都知事の椅子に座っている。その仕事も、都庁に出てくるのは週に二、三日。都民の税金で豪華な旅行や食事を楽しみ、新銀行東京という自分のアイデアで作りだした銀行が4000億円という損失を出しても「おれが悪いんじゃない」と他人のせいにして、反省するそぶりはちっともない。
 そして今年(2010年)、その老害が最後の爆発をしてくれた。「非実在青少年」で知られる青少年健全育成条例の規制を推し進めたことだ。
 自分自身『太陽の季節』という過激な思想行為を表現した作品で世に出たのに、「いまのコミックやマンガはポルノ表現が過激すぎる」として、性的表現を大幅に規制しようというのだから「表現の自由」をどう考えているものやら。もう老害としか言いようがない愚行である。
 そして年の暮になって悪口雑言の標的はゲイの人々に向けられた。たぶんマツコ・デラックスのようなタレントを対象としているのだろうが「テレビに同性愛者が平気で出ている」と非難しはじめた。さらに「同性愛者はどこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」とまで言ってのけたんである。
 まあ人の好き嫌いはいろいろで「ゲイが嫌い」というのは仕方がない。であっても為政者がそれを差別し非難するというのはとんでもないことだ。欧米ならその一言で失脚するだろう。
 マスコミはどういうわけか、こういう差別的な発言を報道しないので不思議と騒ぎにならないのだが、同性愛というだけで嫌悪し差別する石原慎太郎という人こそ、「人間としてやっぱり足りない」とぼくは思うね。彼の親族、友人、知人、部下のうちにも同性愛の人はきっといる。文学者だったのにそういう人たちのことを思いやる心が足りないどころか「無い」のだ。つまり想像力というものがもうゼロってことだ。ハッキリ言って「人間として最低」だね。どうしてこんな人物が都知事になったのだろうか。ああ、来年はもう消えてほしい。それがぼくの二〇一一年の最大の願いである。

(この記事は、2010年12月30日付けの『九州スポーツ』のみ掲載されました)

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