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2016年5月26日 (木)

デカチンがバカにされた時代

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(イラストレーション by 中村成二)
「なぜ昔の彫像のペニスはあんなに小さいのか?」という記事をネットで見つけた。読んでみて「おお、そうだったのか!」と思わず膝をパンパンパンと叩いてしまったではないか。いや面白い。
 ここで言う「彫像」というのは、古代ギリシャや古代ローマの、神話の神々を彫刻で表現したものを言う。
 ぼくもギリシャやローマを訪ねたことがあって、博物館や美術館で、そういう彫像をイヤというほど見てきた。神々の股間にはちゃんとペニスはリアルに股間にくっついていて、陰毛まで表現されている。
 それらを見ていて「なんかバランス的に小さいなあ」と思っていたのだ。筋肉隆々とした荒ぶる神さまなのに、股間のイチモツは子供のそれみたいに小さく、しかも包皮でくるまれている。いくら平常時とはいえ、他の部分にくらべてペニスの迫力が足りないんである。
 記事に紹介されていたエレン・オドソンという人も同じ感想を抱き、調べてみてこう結論づけている。
「それは当時の男性的な美しさの基準が、現代とは大きく異なっていたためです。現代では男らしさを示すものとして大きなペニスに価値が見いだされていますが、古代ギリシャでは大きなペニスよりも小さなペニスのほうがよいと考えられていました。当時、大きなペニスは「愚かさ」「色欲」「醜さ」を連想するものであったため、小さなペニスの方が文化的には価値が置かれていたのです」
 うはあ、そうだったのか! 古代ギリシャでは男性は全裸になることが多かったが、当時、デカブツをぶら下げていた連中は、みな「セックス狂いの醜い愚か者」というレッテルを貼られて、体を小さくしていたんだねえ。笑ってしまうではないか。いい気味だ(って、何を言ってるんだか)。
 古代ギリシャのペニスが基準とされて、古代ローマから中世にいたるまで、男性ヌードの彫像は「大の大人が子供サイズのペニスをぶら下げている」ようになった。「世界で一番有名なペニス」として知られる、フィレンツェにあるミケランジェロのダビデ像も、全体のバランスからみるとあまりにも小さい。
学者は「強敵ゴリアテと戦う前なので恐怖に縮みあがったからだろう」なんて言ってたけど、大きくできなかった理由があったんだね。ネットなら簡単に見られるから、見るといいよ。
(↓参考画像 ミケランジェロのダビデ像)
David

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2016年5月15日 (日)

悩ましいレーススカート

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(イラストレーション by 中村成二)
 いまの日本語で「悩ましい」というと「決めるのに悩む」という意味になっている。「どちらの候補者に投票するか、悩ましいところだ」なんて年配者も言う。本来は「男が女性のお色気にあてられて心が揺さぶられること」という意味で使われていた。で、ぼくが言う「悩ましい」は本来の意味で「モヤモヤさせられる」ってことだからね。
 何のことかというと、今年の春先からやたら目につくようになったレーススカートをはいた女性をみると、視線をつい奪われてドキドキしてしまう。それが「悩ましい」のだよ。
 以前から裾にレースがついたスカートがあって、それはまるで「シミチョロ」と言われた現象に見えて、スリップを知ってる中高年おじさんはドキッとしたものだが、最近のはもうスカートが全部、透けるレースで作られている。こうなると「スカートはくのを忘れて下着で出てきたんじゃないか」なんて思わず錯覚してしまうではないか。
 それを人に言ったら「タモリさんもそんなこと言ってた」そうだ。オッサンは皆同じことを考えるってことだね。で、みんなこう言うのだ。「あれは内側に裏地が貼ってあって、膝の上ぐらいまでしか透けて見えないようにしてある。下着が透けるなんてことは、まず無いのだ」と。
 いや、そんなことはぼくだって百も承知である。下着が透けて見えるスカートを好んではいて歩く女性はいない。とは言うものの、ぼくのようなエロのことしか考えてないオッサンは「百パーセント、そうだろうか」と思ってしまうのだね。
 というのは、この世には「見えて恥ずかしいところを赤の他人に見られると快感を覚える」という人たちが少なからずいるからだ。つまり露出症と言われる人たち。男性の露出症にはまったく興味はないけれど、女性の場合は、出会うのを厭うものではない。見られて嬉しいのなら見てあげましょうというのが男というものだろう。
 実際、ネットで探してみると、案の定、レーススカートを工夫して、下着や、もっと過激にノーパンの部分が透けるように工夫して出歩き、露出プレイを楽しむ女性やカップル(男性に命令されて女性がそれに従う)があちこちに出現している。露出プレイはあまり堂々とやっては面白くないし危険だ。レーススカートは彼らにとって絶好のアイテムなのだ。というわけで、レーススカートを見るたびエロなおっさんは視線を奪われてしまうのだよ。ああ悩ましい。

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2016年5月 7日 (土)

セックスボランティアという職業

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(イラストレーション by 中村成二)
『五体不満足』のベストセラーで有名になった乙武洋匡氏が、五人もの女性相手に不倫をしていたという報道は、その後、夫人までが謝罪するという事態になって、いろいろ騒がれてしまった。
 今年はどういうものか、有名人のスキャンダルが連続しているので、乙武氏の話題もはやばやと忘れ去られつつあるようだが、身体に障害をもつ人のセックスはどうあるべきかという深刻な問題について、まじめな議論が全然されていない。ぼくとしては「いい機会なんだから、みんな、少し考えようぜ」と言いたい。
 障害者であっても性欲は生じる。パートナーがいなくても、健常者であれば手を使ってオナニーすれば解決する問題だ。風俗店にゆけば料金を払えば満足させてもらえる。
 では、手に障害があってオナニーも出来ない者はどうしたらいいのか。そういう問題はこれまでずっとタブーとされてきた。障害のある息子を持つ母親が仕方なく手で解消させるという例もあるが、そういうことは「話したり聞いたりすることではない」とみんなが沈黙を守ってきた。
 しかし「障害者であってもセックスを楽しむ権利はあるはず」と思う人はいて、ごく狭い範囲であるが「セックスボランティア」と呼ばれる人たち(ほとんどが女性だが)が、障害者の性の悩みを解消するため、活動を続けている。
 乙武氏の場合も「不倫はよくないが、性欲を解消するだけなら、セックスボランティアの援助を受ければ問題なかったのではないか」という声もある。
 セックスボランティアと言っても、無償で活動するわけではない。要望があれば、専門の風俗店やセックスワーカーを紹介したり、障害のある体でも用いられるオナニー用品を代理で購入してあげる人もいれば、自身が障害者のもとを尋ねて射精を介護したりして料金をもらうシステムだ。
 難しいのは、法で規制される風俗業に属するのか、医療介護をするヘルパーに属するのか、グレーゾーンにあるので、どうしても社会的に白い目で見られがちなところ。
 性の先進国、オランダでは、障害者もセックスを楽しむ権利があるとして、セックスボランティアを頼めば健康保険が適用される。社会が真剣に対応してくれているのだ。
 日本でも『ホワイト・ハンズ』というNPOが、障害者の性欲処理に積極的に取り組んでいるようだ。障害者の性に関する問題をタブーのままにしてはいけないぞ。

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