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2017年10月29日 (日)

元祖PLAYBOYはSМ嫌い

 ヒュー・ヘフナーが91歳で亡くなった。説明するまでもなく20世紀後半、一世を風靡したメンズマガジン『PLAYBOY』を創刊した男。ゴージャスなヌードグラビアは世界じゅうの男たちを鼻血ブー(古いね)にさせたものだ。若い人たちには「コスプレで見るバニーガールの制服を作った男」と思われているかな。
 なにせ最盛期は750万部を売ったほどの雑誌の発行人。大金持ちでハンサム。ロス郊外に作った「プレイボーイ・マンション」という豪華な館にはいつも美女がうじゃうじゃと居て、世界的なスターやセレブが招かれては乱痴気パーティに耽っていた。
『PLAYBOY』は現在も世界各国で海外版が刊行されているが、日本でも1975年に集英社が『日本版PLAYBOY』を発刊、創刊当時は90万部を売る人気雑誌になった。インターネットが無い時代、金髪ギャルのフルヌードは最強だった!
 何を隠そう、若き日のぼくは、その『日本版PLAYBOY』立ち上げからフリー編集者として関わっていたのだ。まだ陰毛の一本も写ってはいけないポルノ規制時代、アメリカの本誌から送ってくるヌード写真は無修正で、これは税関をフリーパスで通過できた。ぼくら編集者は当時は希有な金髪ヘアーヌードを毎日見られて、これは業界でも自慢できる特権だった。
 ところが編集者として眺めていると、実は本国版のヌードも記事も、非常に人畜無害、グッとくるものが無いんだね。しかもぼくの大好きなSМやフェチに関する話題はまったく扱われない。健全すぎるのだ。
 そこでぼくはグラビア担当なのをいいことに山口小夜子を口説いてランジェリーヌードを撮らせたり、自分好みの写真や記事を滑りこませるようになった。最後は調子に乗って緊縛師にヌードモデルを縛らせる「初めての緊縛」みたいな記事も載せた。
 ところがある日、編集長に呼ばれた。日本版をチェックしていたヒュー・ヘフナーが緊縛ヌードを見て激怒し「PLAYBOYは絶対にSМを認めない。今後はこんなものを載せるな」と警告してきたのだ。いや、こっぴどく叱られてしまったけど、考えてみれば伝説の男、ヒュー・ヘフナーに叱られたなんて、編集者の勲章みたいなものではないか。まあ、結局は日本版編集部を追い出されたんだけれども、今となってはいい思い出だ。ともあれヘフナーに合掌。

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