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2018年11月26日 (月)

江戸にいたスーパー不倫マダム

 江戸時代に詳しい人ならとっくに知っていることなのだろうが、ぼくは最近まで知らなかった。文政(1818〜30)の頃、江戸の人々を大騒ぎさせた、とんでもない連続不倫妻がいたのだ。
 大スキャンダルを巻き起こしたのは、当代きっての歌舞伎俳優、三代目坂東三津五郎の妻、通称お伝。もとは竹本小伝(こでん)という芸名で、そのあでやかな容姿で世の男どもを悩殺した女義太夫のトップスター。
 彼女のほうが三津五郎を口説き落とし、本妻を追い出して妻の座を得てしまった。今でいえばキムタク級の人気俳優を安室奈美恵級の人気歌手が略奪婚しちゃったようなもので、これだけでも大変な事件なのに、それからがすごいことに。
 歌舞伎役者の妻といえば夫の陰で世話をする「おかみさん」だが、このお伝は、三津五郎が体力を弱らせてくると、七代目市川団十郎、三代目尾上菊五郎、関三十郎、三桝源之助、清元延寿太夫親子など、芸能界の人気スターと次々に関係してゆく。さらには将軍お抱えの目医者として名声を得ていた土生玄碵(はぶ・げんせき)、幕府ご用金を扱う政商の大久保今助などの富豪までメロメロにしてしまう。いやはや、それだけでもすごいのに、あげくの果ては夫、三津五郎の男色相手、つまりホモダチの五代目瀬川菊之丞(きくのじょう)とまで相愛の仲に。
 ややこしい逆三角関係なものだから、それを知った世間は大騒ぎ(たぶん大喜びだったんだろう。それは今も変わらない)。三津五郎と菊之丞が共演する舞台は、ものすごく下劣な野次が飛び交って、観劇どころではなかったとか。
 あまりにも騒ぎたてられたのでお伝は菊之丞と手に手をとって駆け落ちまでした。その旅先で手を切って江戸に舞い戻り、また男から男へ渡り歩く日々。たまりかねた三津五郎は離縁して元の妻を呼び戻したものの、脳卒中で死んだ。前後して菊之丞も死に、さらにお伝まで死んだものだから、これはもうお伝は死神のようなもの。このスキャンダルは当時の芸能ジャーナリズムを刺激して、お伝の間男(不倫相手)リスト」まで出版された。それによると三津五郎の妻になる前まで入れると五十数人。使用人のような無名の者は数えないでこれだけだからすごいとしか言いようがない。
 しかし「淫婦」と言われながら本人も不倫相手もいっこうに悪びれたふうもなく名声も落ちなかった。昨今は一人相手にした不倫でも叩かれる。今とは違った大らかさがあったんだね。

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