2008年12月24日 (水)

日本女性の口が……

 テレビで糖尿病を扱った番組をやっていた。こちとら中年になったとたんに糖尿病になってしまったから、当然関心はある。熱心に見ましたです、はい。
 いろいろ勉強になったけれど、初めて知ったのは、食生活が原因の糖尿病(2型)って西欧人は少ないってこと。これは体質というより、体の機能がぜんぜん違うからなんだね。
 森深いヨーロッパで獣を狩り、やがては牛や豚を家畜として肉や脂を食料としてきた西欧人は、そういう食物を消化吸収しやすい体になっていった。
 糖尿病というのは膵臓から分泌されるインシュリンというのが不足してしまう病気だけれど、穀物と野菜主体できた日本人の膵臓は、明治以後の洋風の食生活に対応できないため、ちょっと肉や脂や砂糖の多い食事が過ぎると簡単に膵臓がやられて糖尿病になってしまうらしい。
 そう聞いて「ハハー、なるほど」と納得した。前も超デブ女のことを書いたけど、欧米には自力で動けないほど太った化け物みたいな超デブ人間が少なくないのに、日本にはめったにいない。そこまで太る前にみんな死んでしまうからだろう。その違いは膵臓の強さにあったのだ。
 ぼくらは西欧人のような生活スタイルで、西欧人のような食事(ハンバーガーとかドーナツとかケーキとか)を何とも思っていなかったけれど、体は困っていたんだねえ。「私どもの内臓はそういうふうに出来てないので困るんですよう」と悲鳴をあげているうちに壊れてしまい、メタボになり糖尿病になり高血圧になり心臓病になり、デブは西欧人より早く死んでしまうことになる。
 そこでハッと気がついた。食べ物や食事の習慣は内臓ばかりではなく、口や歯にも現れたはずだ。だとしたら西欧人のほうが口がでかく歯ががっちりして、日本人は口が小さいことになる。
 女性でみるとそうなんだねえ。日本女性はいわゆる「おちょぼ口」が多い。kぼくが好きなジュリア・ロバーツのような大きな口の女は少ない。これってやっぱり固い肉をガツガツ食ってた民族と柔らかい米を食ってた民族の差なんだろう。
 そうなると、どういうことになるだろうか。西欧女性はフェラチオがやり易く、日本女性はやりにくいはずだ。だからきわめて最近まで日本女性はフェラチオに熱心ではなかったのである。おお、これは新しい発見ではないか。(笑) 

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2008年12月17日 (水)

顔は性感帯

 昔つきあってたある女性のことが、懐かしく思いだされることがある。
 彼女はベッドのなかでちょっとした愛撫法を使ってくれた。それが懐かしいのである。
 どんなテクニックかというと、こっちが仰向けになって無防備でいるスキを狙って顔にキスしてくるのである。
「キスぐらい当たり前じゃないか」と思われるだろうが、これがふつのキスじゃないんである。
 唇だけじゃなく、顔全体にキスしてくれる。額も瞼も頬も鼻の頭も顎も耳も喉も、とにかくいたるところ唇を押し付けてくれるし舌を這わせてくれる。
 犬はよく人の顔をペロペロ舐めてくれるけれど、あれに近いテクニックだと思えばいい。案外、そこまでやってくれる女性は少ないと思う。ぼくも、その彼女しか知らない。
 犬に舐められてもくすぐったいぐらいだけれど、女性にやられるとね、これが気持ちいいのだ。フェラチオをされるのと同じぐらい気持ちいい。顔面フェラチオ。(笑)
 性感帯っていうのは、人に触られて気持ちいいのはもちろん、自分で触っても気持ちがいいのがふつうだ。しかし顔の場合、自分で触ったり擦ったりしても特に気持ちよく感じない。それだったら朝、顔を洗うたびに勃起しなきゃならない。(笑)
 そういう部分なのに、なぜベッドで女性にキスされたり舐められたりすると、すごく気持ちいいんだろうか。ぼくだけが異常に感じるのだろうか。これを読んで興味を抱いた人はぜひ試してみてほしい。
 では、女性はどうだろうか。これは明らかに感じてくれる。唇以外の部位にいっぱいキスしてあげてイヤがる女性はいない。たいてい温泉に浸かった時のようなうっとりした表情になるはずだ。
 女性にベッドで好かれたかったら、顔じゅうにもキスしてあげること。これは最近しみじみ分かった鉄則である。
 まあ性感帯は人間の体中いたるところにあるのだから、顔にあっても不思議はないけれど、あまりにも目の前にふつうにあるので、性器や乳房や脇の下などに集中してしまい、愛撫の標的としては、ついなおざりにしてしまいがちだ。これからは顔をもっと大事にしたい。
 しかしね、「顔じゅうにキスしてくれ」って男から女には言いにくいんだよね。なぜなんだか。(笑)

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2008年12月 8日 (月)

女が大将

 アメリカでは初の黒人大統領が誕生する。でもオバマが負けたらヒラリー・クリントンが初の女性大統領になるところだった。アメリカはついに女性が大統領になる一歩手前まできている。現在は閣僚トップの国務長官まで黒人女性だ。有色人種差別と同時に女性差別も著しかった国が、ここまで変わったかと感慨を覚える。
 そうしたら今度は、アメリカ陸軍で初の女性大将が誕生したというニュースが届いた。これにも驚かされた。アメリカでは今は元帥という位が無いから、大将が軍人の最高位。女性がそこまで辿りついたのだ。その名はアン・ダンウッディ将軍。大学卒業後に陸軍に入隊、空挺師団の戦闘軍団司令官などを経て、33年めで大将位に。彼女が就任するのは装備資材軍団司令官。世界各国に展開する彼女の指揮下に入る将兵は13万人だという。
 このアン将軍、就任演説で「ここまでやってこられたのはパパやママ、夫や子供たちのおかげ」と言った。日本の政治家軍人は絶対こういうセリフは言わない。アメリカ人は必ず言う。だけど女性将軍まで言うとはね。ちなみに彼女の夫は空軍の佐官だという。位ではまさに「かかあ天下」。どういう家庭なんだろうか。
 かなり体格のいい女性だが、顔立ちは凛(りん)として威厳に溢れ、しかし笑った顔は女性らしさに溢れてチャーミング。ぼくのような「強い女」が好きな男にはグッとくる。
 アメリカ陸軍にはこういった女性将軍が21人もいて、海軍、空軍、海兵隊を含めれば50人ほどの女性将軍がいるらしい。なにせアメリカ軍の将兵のうち14パーセントが女性だという。戦闘機にも女性パイロットは珍しくない。
 そうしたら別の日、テレビで金髪碧眼、スリムな体型の熟女美人がブルーのドレスも淑やかに登場していた。まるでグレタ・ガルボかイングリッド・バーグマンか。その正体は、なんと、イラク戦争で悪魔の捕虜収容所として恐れられたマルグレイブ刑務所などを管理していたアメリカ陸軍第800憲兵旅団司令官だったジャニス・カーピンスキー准将。彼女もれっきとした女性将軍である。
日本で「憲兵」といえば泣く子も黙る存在だった。それはアメリカも同じだろう。その司令官が背筋がゾクゾクするような冷たい美貌の女性だとは。「彼女になら拷問されてみたい」という男はぼくばかりじゃないだろう。(笑) アメリカ人は中途半端じゃなく「強い女」たちに活躍の場を明け渡しているんだねえ。

(画像は初の女性大将、アン・ダンウッディ将軍)Woman_general

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男性用女性下着の時代

 なんだかややこやしいタイトルだ。(笑) 
 春先に『男性用ブラジャー』をとりあげた。“ブラ男“といってブラジャーを着けて日常生活する男性がいる、という話題。「体が締めつけられて緊張感がある」という理由からだそうだ。
 そういう愛好者たちから「男性用ブラジャーを作ってほしい』という声が出ている、というので「ちょっと理解しにくい」と書いたのだ。
 いや、いいんだよ、男性が女性の下着を着けたって。誰が迷惑するわけでもない。でも女性のものを着けるからドキドキワクワクするんであって、最初っから男向けに作られたものを着けても意味が無いんじゃないか、と思ったのだ。
 そうしたら最近、とうとう男性用ブラジャーが発売されて、ネット通販ではなかなかの人気商品だというではないか。
 いまのところ二社が作っているらしいが、一社はコスプレ用と銘打っている。ははあ考えましたな。(笑)コスプレ用とすれば「これはお遊びなんです」という言い訳が出来る。買いやすいし持ちやすい。ただあまりブラジャーブラジャーしていないデザイン。
 もう一社はカップ部分に重点を置かない。服の下に着ても分からない程度のふくらみ。デザインは女性用に近い。
「女性の気持に近づける」というコピーがいいね。男のなかには女の部分がある。ブラジャーを着けたら、その部分がもっと目覚めて、やさしい気持になれるんだったらそれもいいでしょう。「もう一人の自分」を持っているのは大切なことだ。
 で、これだけ大きなうねりがあるのだから、反対しても仕方がない。男性用ブラジャーは認めよう。(笑)
 さて、そうなると下の下着のほうだね。上がブラジャーなら下はパンティでなければいけない。トランクスやブリーフだったらおかしい。
 しかし、こちらはよけいな突起があるから女性用だと不具合がある。特に勃起した時なんか。だから当然、今度は『男性用パンティ』というか『男性用女性用ショーツ』といったものが開発されなきゃいけない。その二つがペアになって初めて「男が女の下着を着ける」という行為が意味あるものになると思うのだが、どうだろう。
 女性のショーツは男性用に比べてはき心地がよろしい。自分にフィットするそういう製品が出来たら買うかも〜。(笑)

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SM雑誌の衰退

 SM雑誌のなかでは最後の最後まで健闘していた『SMスナイパー』という雑誌が、ついに年内で休刊する。これからはネットでやってゆくらしい。
 これで月刊のSM専門誌は一冊も無くなってしまった。残るは隔月刊の小説誌とマニア誌ぐらい。SMブームといわれた一九七〇年代末から八〇年代始め頃は、SM雑誌がいくつも創刊され、多い時は十誌近くのSM雑誌がしのぎを削ったものだ。そんな時代が夢のようだ。
 ぼくは「官能小説作家」ということになっているが、本来はSM作家だと思っている。そもそもデビューしたのがSM雑誌で、SM小説をずっと書き続けてここまでやってこられた。
 ぼくを育ててくれたSM雑誌が消滅してしまっては、ハッキリ言って「SM作家」がいられる場合がない。発表する場も無いのだからSM作家が育つわけがない。ぼくが最後のSM作家になるのだろうか。だから名刺を渡すたびに「絶滅危惧種に指定されているSM作家というものです」とウケを狙って言うのだが、笑ってくれる人は少ない。もう絶滅にしたに等しいのかね。
 そうは言うけれど、これがネットの世界にゆくと、SMはどこにでもある。画像や動画、DVDの販売などは盛況だし、小説だってけっこうサイトがあっていろんな人が書いた作品が発表されている。
 これだけSMが広くゆきわたっているのに、どうして雑誌がダメになるんだろうか。それはやはりインターネットに負けたんだろう。
 以前はSMに関する情報は映像でも本でもなかなか手に入れるのに苦労したものだ。今ではほとんどのものが何の苦労もなしにタダか安い金でネットから手に入る。難しかったパートナー探しも、雑誌よりはネットで探すほうが絶対に早い。特別な趣味ならなおさらのことだ。
 その点、雑誌はけっこう高い金をとりながら、ネットで手に入るのと同じようなもの、どうでもいいような情報ばかり載せてきた。スピードという点でも、書いた時から一カ月しないと知らせることが出来ない月刊誌は、もう完全に負けていた。要するに読者から離れてしまったのだ。
 というわけでSM雑誌が衰退するにはそれなりの理由があるのだけれど、しかし寂しいものだね。どこかに「ネットに負けないSM雑誌を造ろう」という気概のある出版社は無いものか。ネットでは見つけられない熱い欲望を求めるマニアはいっぱいいるはずだ。

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父親の匂い

 ぼくは「匂い」について表現する時「臭」という言葉が嫌いだ。たとえば女性の肌の匂いとか性器の匂いについて「体臭」とか「膣臭」などと書きたくない。それが悪臭でない場合は「香」でいいのではないかと思う。「体香」「膣香」。うっとりするではないか。
 しかしまあ、男の場合は「体臭」としか言いようがないね。性的に興奮しない。(笑)
 ところでこの前、いろんな世代の人と呑んでいたら、若いパパが「最近、娘に嫌われて困っています」と言う。娘さんは中学生だ。
 そうすると、七十代の男性が言うには「娘は小学生までは父親になつきますが、中学高校と離れてゆきます。でも安心しなさい。社会人や大学生になったら父親と仲直りします」。
 mixiの仲間に聞いてみても、父親、娘の双方がだいたい認めていた。これはどうも普遍的な真理のようだ。
 では、どうして小学生までは父親になついているのに中学生になると避けるようになるのだろうか。デリケートな娘心というのは難しいものだが、やはり性の目覚めというのがあると思う。
 一説によると、初潮前までの娘は父親と疑似恋愛をしているが、初潮を体験すると現実的に配偶者としての男を探すようになる。そのために父親をまず除外する心理が働いて、避けたり嫌ったりするのだという。分かったような気もするけれどよく分からない。
 そうしたらテレビで興味深いことを伝えていた。白血球には両親から受け継ぐHLA因子というのが二組あるのだが、それは嗅覚に現れるというのだね。特に父親から同じHLA因子を受けた娘は、父親の体臭に敏感になり、実験してみると、その匂いを嫌ったり避けたりするのだという。
 これは極端にいえば近親相姦を避けるように動く。人間がなぜ近親相姦をタブーとするのかいくつもの説があるのだが、年頃に父親の体臭を嫌うように遺伝因子がプログラムされているとすれば、非常に分かりやすい。社会人や大学生になる頃には仲直りするというのは、他の男たちと付きあって体臭に免疫が出来るせいかもしれない。
 娘をこよなく愛する世のパパには残酷なことだが、かわいい娘が離れてゆくのは誰のせいでもなく、パパの匂いのせいなのだ。せいぜい体臭がひどくならないよう気をつけて、娘が男たちと付きあいだすまで待つしかない。

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2008年11月 7日 (金)

夢の絶頂マシン

 先週は『オルガスマトロン』という装置について触れた。
 これさえあればどんな不感症の女性でもオルガスムスを味わえる——という、男に比べてイキにくい女性たちには夢のような装置である。
 このオルガスマトロンというのは、ウディ・アレンの『スリーパー』という映画のなかに出てくる「その中に入れば男も女もセックスなしでイッてしまう」という架空の装置。それにちなんで命名された現実のオルガスマトロンは、コインぐらい大きさで脊椎に埋めこまれるらしい。
 今世紀に入り、スチュアート・メロイというアメリカの麻酔・鎮痛医が、痛みを止めるために女性の脊髄に電極を挿入すると、患者が性的な快感を覚えることに気がついた。
 もともと男性でも女性でも、セックスの快感は性器と脳の間でやりとりされている。その接続部分は、男なら腰骨のところにある。射精する時、腰のあたりにズキンという衝撃を覚えるから分かる人は分かるだろう。
 どうやら女性も、そのあたりに快感中枢というか絶頂中枢があるらしい。メロイ医師が行なった実験では、それまで感じたことのない女性のうち91パーセントがその装置でオルガスムスを味わえたという。これは画期的なことだ。全女性への福音だ。
 先週も書いたが、セックスでイケない女性は男性の何倍も多い。精神的な要素、肉体的な要素がいくつもあって、それがカチリと全部合わないとイケないようになっているのではないか、という気がする。
 このオルガスマトロンは、脊髄に埋め込んで体外からリモートコントロールで電流を神経に流す。そうすると脳が刺激を受けて快感とオルガスムスを味わえる仕組らしい。男が下手でも関係ない。
 聞くところによれば「イク」とか「オルガスムス」というのはクセのようなもので、一度イキかたを覚えてしまうと、あとは簡単にイケるようになるらしい。リモコンスイッチで操作するところがSFチックだが、これが普及したら、男のバイアグラにならぶ性科学の輝かしい発明になるだろう。
 ただ4年前の時点で電極埋め込み手術に130万円ぐらいかかるので、大がかりな実用化テストをやるのには実験台になる患者さんが足りなかったかもしれない。研究論文が発表されただけでそれ以後、進展したという情報がない。どうしたのだろうか、気になってしかたがない。宗教団体が反対でもしているのだろうか。

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イク男とイカない女の不平等

 男女のセックスを考えるとき、いつも思うのは、性の違いによる不平等だ。
 よく「女のオルガスムスは男の何倍も気持ちイイ」なんて言われる。確かに腟で感じる女性のイク姿を見てると、ドピュッと射精して終わり、なんていう男のオルガスムスなんて、実にあっけないものだと思う。
 しかし男性はある年頃になると、自然に射精を体験できる。ペニスの形状からして簡単にオナニーでイクことが可能で、不感症の男性というのは稀である。男は感じ方の差はあまりなく、誰でも絶頂感を味わえる点、みんな平等だろう。
 ところが、腟でイケる女性は、実はそんなに多くない。いろいろな調査はあるが全女性の半分にもはるかに満たないのではないだろうか。クリトリス刺激によるオルガスムスも、味わえない女性は少なくないのだ。
 知りあいの熟女さんは人妻を五、六年やってから離婚したのだが、その原因は夫のセックスが下手だったからだと告白してくれた。
「夫が留守の時、ネットでチャット・セックスをやってたら相手が『太いものを腟に入れろ』と命令したの。手近にあったのは机の上の太いサインペンだったからそれを入れてみたら、ものすごく快感を覚えて、最後は失神して椅子から転げ落ちてしまった。正気に返った時、まず思ったのは『こんな気持ちいいことをダンナはどうして味わわせてくれなかったの!』という怒りだったわ」
 腟で感じる体だったのに、それを開発してやれなかった夫は確かに責められるべきかもしれないけれど、女性はひとりひとり感じ方が違う。イケない女性はどうやってもイケないものだ。精神的なものも深く関係しているんだろうね。女の間でもオルガスムス格差があるんである。
 それで四、五年前、『オルガスマトロン』という、どんな女性でもスイッチ一発で究極の快感を味わえる体内埋め込み装置が発明された——というニュースが報じられた時は、「これで男と女の不平等は解消される」と思ったものだ。
 ところが何年たっても装置の実用化の話はきかない。実験が成功しなかったのだろうか。これが普及すれば、男と女、女と女の間に存在する不平等は消滅するはずだが「それはまずい」と誰かが邪魔してるのかな。『オルガスマトロン』については次回また説明しよう。
 

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包茎になりたい!

「アメリカでこんなモノが売られているんですって」
 エロ関係の知り合いが教えてくれたサイトで、そのモノを見て驚いた。
 早くいえば厚めのコンドームだ。色は赤みを帯びたピンク。ただ、コンドームなら先端まで覆うはずだが、そいつは先っちょがない。筒抜けなんである。そして先端が——よく見ると包茎のペニスのように包皮がついている。
「な、なんなんだ、これは!?」
 説明を読んで納得がいった。ズルムケ亀頭の持ち主がそれをかぶせると、ゴムの包皮が亀頭を包んでくれるわけだ。
 つまり「人工包皮」だったのだ!
 なんでこんなモノが作られ、売られるようになったかというと、アメリカの特殊な医療事情がある。
 前にもここで書いたことだが、アメリカで生まれた子供の六十パーセント以上が、幼児のうちに包皮切除手術を受けている。ユダヤ教は割礼が当たり前だけれど、キリスト教信者でも無宗教者でも関係なく「そのほうが後々のためになるから」と医者が奨めて、男の赤ちゃんの包皮をチョキンと切ってしまうわけだ。
 ところが最近になって、アメリカの男性社会に「包皮は必要だ」という意識が生じてきた。もともと包皮は亀頭を保護するためのものだし、セックスする時は「遊び皮」として女性性器を刺激する役割を果たす。オナニーも包皮があるほうが快感を得られやすい。
「あんなものは邪魔だから切ったほうがいいんだろう」と誰もが何となく思っているけれど、女性たちに聞いてみると「包皮があったほうが気持ちいい」「見た目がかわいい」「興奮してくるにつれ包皮が剥けて赤いカメちゃんがピヨンと頭を出すと感動する」など、ぼくの周りの女性に聞いても「包茎はイヤ」と言うものがいない。
 セックスの前に洗ってきれいにしておけば仮性包茎(セックスの時に亀頭が完全に剥けるもの)はなんの問題もなく、かえってズルムケペニスより具合がいいのだ。アメリカでは「包茎」とは真性包茎のことで「仮性包茎」にあたる言葉はない。仮性包茎がいちばん自然なペニスの形なんである。
 そういう考えかたが広まってきて、アメリカでは今「包皮をもとに戻す器具」が売られ「包皮再生手術」がブームになっている。
 そしてとうとう「これを嵌めればあなたも包茎になれる!」という人工包皮まで作られたわけだ。仮性包茎諸君、コンプレックスを持つ必要はまったくないのだよ。

(画像1)これが包皮つきペニスカバー。いざという時に着けても、ふだんから着けてもいい。

(画像2)包皮つきペニスカバーの仕組み。コンドームのようにかぶせて使う(避妊の用は足さない。オナニーの時も具合がいいという。
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2008年10月25日 (土)

スパンキングをめぐる誤解

 ぼくがスパンキング愛好者だと知って、ある人がご自分のプレイの画像をメールで送ってくれた。
 ぼくは女性についてあまり好みを言うほうではないが、スパンキングに関しては豊満タイプがいい。映っている叩かれる人(マニアの間ではスパンキーという)は、まさにむっちりしたヒップの持ち主で、肌が白くてきれいだ。その部分がベルト状のものでバシバシ叩かれて、ピンク色、赤い色に染まっている。この眺めがね、いいんですよ。うーん。叩くほうも叩かれるほうも楽しんだはずだ。
 最近は静止画像だけでなく、携帯でもムービーが撮れるようになった。それで音声が入ればすごく迫力がある。今度はそういうのを送ってくれることを期待しよう。
 スパンキングは言うまでもなくお尻を叩く「お仕置き」のことで、本来は親が子供に対して、躾けの一環として行なうもの。しかしお尻はエロチックゾーンであるからお互いの性感を刺激する。だから大人がセックスをより楽しむために、スパンキングをとり入れている。
 脂肪が厚く筋肉を覆っている。少しばかり強く叩いてもダメージが少ない。そういうわけで「気持ちよく痛みを感じるプレイ」として多くの男女に愛好されるわけだ。
 そんなスパンキングに対して「変態的なSMプレイだから」と嫌う人がいる。困ったものである。
 こないだも『スパンキング大全集』などというDVDの広告があって、内容を見たら、女を磔にして鞭で打つような、拷問プレイばかりだったので、がっかりすると同時に腹がたった。
 スパンキングは多くは素手で、他はベルトやヘラのような幅広のもので叩く。音は盛大に出るけれど皮膚は傷まない。鞭のような、強く叩けば傷つき血が出るような、そんな残酷なプレイではない。
 それなのに無知な人間が鞭を使う拷問や処刑プレイのようなSM行為までスパンキングだと思いこんでいる。まったく困ったものである。
 そりゃぼくだって鞭を使うSMプレイは嫌いじゃないけれど、誰に対しても楽しめるものではない。スパンキングのように安心して誰でも楽しめて興奮も高まる「愛の行為」とは違うのである。皆さんもこの違いをしっかり覚えてほしい。そのうえでスパンキングをおおいに楽しんでほしい。

(画像は、うれし恥ずかし楽し気持ちイイ、ラブスパンキングプレイの画像です。服は着けたまま下着だけおろさせて叩くのが基本)

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2008年10月15日 (水)

日本人のおっぱい観

このところ、春画のことを調べている。
 春画とは江戸時代に描かれた浮世絵のなかで、男女のセックスを描写したポルノ絵だ。これをいろいろ見てゆくと、不思議なことが分かってくる。
 乳房の描写が淡泊なのである。単にふくらみの頂上にぽつんと乳首が描かれているだけで、下の秘部では毛の一本一本まで細かく描写されているのとは大違いだ。
 しかも、そのふくらみを愛撫したり吸ったりという構図がきわめて少ない。浮世絵師のなかではいちばんの乳房マニアだったと思われる歌麿の作品にいくらか描かれているだけで、おっぱいの役割はひどく控えめなんである。
 これは西洋の絵画とはひどく傾向が違う。あちらは女性の乳房をエロティシズムの象徴のように扱い、ポルノ絵でも乳房を愛撫したり乳首を吸ったりしている構図は当たり前のことである。
 だいたいにおいて日本では豊かな乳房は嫌われていた。「鳩胸、出ッ尻(ちり)」といっておっぱいが大きいのとお尻が張りだしている女は尊重されなかった。今と反対である。和服もそういう女性は着にくいように作られている。
 ところが西洋では、裸婦だけでなく貴婦人や聖女の肖像などでも、胸をはだけているのはいくらでもある。夜会服なんか乳首まで見えそうなぐらい谷間を強調する。突き出ていればいるほどいいというのでコルセットで胴体をぎゅうぎゅうに締めつけている。
 その反面、日本人は昔から混浴していたし、幼児をもつ母親は公衆のなかでもおっぱいを出して乳を呑ませて平気だった。羞恥心という点から言えば、日本人のほうが希薄なんである。
 西洋人は女性のおっぱいを見て強く欲望を覚え、女たちはそれを知っていて見せつけるような服を着た。日本では男たちがおっぱいを見てもあまり欲望を覚えないし、愛撫もしたがらないので、女たちは強いて隠そうとしなかった。日本では女性の乳房は「赤ん坊のお乳をやる器官」でしかなかったのである。
 いま、ポルノの世界は「巨乳」「おっぱい星人」「スイカップ」「ボイン」(古いね)というふうに、乳房を強調する傾向があるけれど、これは日本人本来の伝統に反しているのである。生活が西洋ふうになったので女体に対する執着の度合いも西洋風になったのだろうか。それともマザコンが増えたのだろうか。不思議な現象である。

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2008年10月10日 (金)

女の下半身が変化している

 先週、「日本女性は上つきが多く、白人女性は下つきが多い。だから日本女性には輸入ショーツはフィットしない」と書いた。
 同時にmixiの日記にもそのことを書いたら、女性を中心にけっこうその話題で盛りあがった。
「そのとおりです。輸入ショーツはクロッチ(股布)の縫い目がクリトリスに当たってヘンな感じなので、はくのをやめました」なんていう意見があって、やはり白人女性に合わせたショーツは日本女性に合わないらしい。
 しかし、全然平気だという女性も少なくない。そういう人たちはどうも背が高く、体格がよい若い女性だ。
 人類学的にみると女性は上つきで生まれてくるが、膣口の位置は発育するにつれ徐々に肛門へと近づく。日本女性はその移動が早めにストップしてやや上つきになるが、白人女性はストップするのが遅く、その結果下つきになるらしい。
 だとすると最近の日本女性は、以前よりも膣口が移動する距離が長くなっているといういことだ。
 下着のセールスをしている女性によれば、最近の女性の体格はどんどん変化していて、以前は輸入ショーツはくとハイレッグになってしまうのが、ヒップに厚みが出てきて、ジャストフィットするようになってきているという。
 これは驚くべきことだ。男たちが知らないうちに(彼女たちだって知らないだろうけれど)、日本女性の下半身は膣口が肛門側に移動して下つきが増えている! これは地球温暖化・日本沈没にも匹敵する大変動ではないか!
 将来は国産のショーツも輸入ショーツなみに下つき用が増えてくるか、あるいは上つき用と下つき用に区別して売られるかもしれない。
 この変化は、たぶん食べ物の変化や、暮らし方の変化(椅子の生活が主、トイレも洋式でしゃがまなくなった)が影響を与えているのではないか、という気がする。性的に成熟するのが早まったせいもあるだろうね。
 では、女性の肉体が下つきに変化していって、男たちにどのような影響が出るだろうか? まあ、正常位が少しやりにくくなるが、脚をあげたり腰を持ち上げればどうということはない。反対にバックでやるぶんには具合がよくなる。女性はもともとバックでやられるほうが感じる——というのがぼくの理論。これからのセックスライフは、バックから攻めるのが主流になるかもしれないよ。(笑)

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2008年9月28日 (日)

日本女性は上つき? 

 ぼくはあんまり気にしたことがないのだけど、気にする人は気にするらしいのが、女性の「上つき」と「下つき」。
 つまり膣口と肛門が離れて、前から見てクリトリスや割れ目がよく見えるのが上つき、逆に膣口が肛門のほうに近づいて、前から見ると性器のありかがよく見えないのが「下つき」。日本女性の場合、膣と肛門の間は平均して三センチから四センチぐらい離れているらしい。
 上つきの女性とする場合、正常位が具合がよく、バックからの結合はやりにくい。下つきはこの逆でバックでの結合が容易なわりに正常位だとしっくりこない——と言われている。
 ところがぼくは、どんな女性といたしても「あ、上つきだからバックがやりにくいな」とか、「下つきだから正常位がうまくいかない」などと思ったことはない。マネキン人形のようにコチコチなら別だが、彼女たちの体は柔軟性に富んでいる。角度が合わなければ少し姿勢を変えればすむことだ。
 この上つき下つき問題には定説みたいなものがあって「白人の女は上つきで、日本女性は下つきが多い」と言われていた。そもそも関心がなかったので、会う女性ごとに肛門からの距離を測定したこともなかったから、なんとなく「ふーん、そんなものか」と思っていたら、実際に白人の女性とやりまくってきた男性が著書のなかで「白人女は下つきが多い。日本女性のほうが上つきだ」と言っているので「へえー」と思った。そうしたら『性的唯幻論』のなかで心理学者の岸田秀氏も同じことを書いているではないか。
 実は西欧人(白人)は何かにつけて自分たちは進化した優秀な人種だ、と主張したがる。下つきは類人猿に近いので、そうだとすると自分たちは進化していないことになる。だから無理に「上つきだ」と主張しているのではないか。実際、白人女性は子供の頃は上つきなのが、成人するにつれ下つきになるのが正しいようだ。ぼくは体験が無いので保証できないけど、ネットで見る無修正画像を見ても確かに上つきは多くない。
 岸田氏が若い女子学生から聞いた話では「輸入モノのパンティをはくと、二重になっている股布の部分が後ろに来るので、はき心地がよくない」そうだ。これも手元に持っていないので分からないが、比較できるかたがいたら比べてみてください。ぼくとしては「ホントかねえ」と半信半疑なのだが。

参考画像は輸入ランジェリーショップのカタログから。
なるほどこれではかなり下つき用だ。

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2008年9月19日 (金)

壊れた性本能

 心理学者・岸田秀さんの『性的唯幻論序説』(文春文庫)を読んでいる。岸田さんは「人間の本能は壊れている」という仮説をたて、それをもとに人間の行動をいろいろ分析している。
 人間の性本能も壊れている——といわれると「どこが?」と思うかもしれないけど、動物のうち発情期が決まっていなくて、のべつまくなしセックスをやっているのは人間だけなのだと聞くと納得する。実際、ぼくの知ってる年配の男性はもう定年もすっかり過ぎて奥さんも同じぐらいの年齢。それなのにまだ、週に二、三回はセックスしているというので驚いた。それも主に奥さんの方から求めるのだという。
 動物は生殖能力を失なうとセックスしなくなる。更年期をとっくに過ぎ、絶対に妊娠しない体になった女性が自ら夫にセックスを求めるというのは、これこそ人間だけだろう。
「奥さんを相手によく出来ますねえ」と感心してみせると、そのかたは苦笑しながら「まあ応じてやると家庭円満ですから」と言う。それはまたよく出来た人だ、人格円満がパンツをはいているようだ。
「でも立ちますか」と思わず聞いてしまった。
「最近はバイアグラの助けを借りてようやくですね。入ってもなかなかイカないので、頭の中で若い頃の愛人とやっていると想像して、ようやくイクことができます」
 奥さんはご主人に愛されたと思っているのだけれど、実際のところ、ご主人の頭のなかでは若い頃の愛人とやってたわけだ。それを思うと奥さんがかわいそうな気がしないでもないが、彼女もその最中、誰か別の若い男性とやってると想像して興奮しているのかもしれない。
 どちらも違う別の相手のことを考えながらセックスしている老夫婦——というのもかなり不気味で滑稽だけど、世の中のカップル、老若を問わず同じようなものかもしれない。
 別の知ってる人妻は夫とセックスしている時、あまり興奮しないのも悪いと思い「私はレイプされている」と想像するそうだ。そうすると興奮してきて、夫もヤル気が出て満足するらしい。
 こうなると夫も妻も相手の性器を利用してオナニーしているのと変わらない。こんな妙なセックスをしているのは、確かに人間だけだろう。やっぱりわれわれの本能は壊れているのだ。まあ壊れているから楽しい部分もあるのだろうが。

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吸い込む穴

 人間の体にはいくつかの穴がある。その穴から入ってゆくものがあり出てゆくものがあって、人間の体は成り立っている。
 その「出入り」の問題だが、男にとって一番興味のある膣は、入口だろうか出口だろうか。
「そりゃあアレが入ってゆくんだから入口だろう」とたいていの男は言うだろうが、産婦人科の医者は「出口」だという。一番大事なのは赤ん坊が生まれる出口。それに月経の出血やおりものを排出する出口。
 セックスを妊娠のためと考えると、一人の子を生むためには最低限、一回入れればいいわけで、もともとそう何回も入れたり出したりするために作られてるもんじゃないのだ。
 まあ神様が「せっせと子作りに励むように」と快感を与えてくれた結果、必要以上に出し入れする穴になっちゃった。それでも基本的には出口なんで、ペニスを挿入しても力が失せると自然に押しだされちゃう。
 ところがなかにはとり込み能力が優れた女性がいて、まるで自分から吸い込んでしまうような動きをみせる。ぼくの知ってる一人の女性は、発情すると入り口部分がひくひく蠢(うごめ)いて、指でも何でも近づけてやると内側へひきずりこもうとするので、驚いたものだ。
 この能力をもっと訓練すると、いわゆる「花電車」という芸が出来るほど「出し入れ」が自在になるわけだ。
 では、その後ろのほうにある穴はどうだろうか?。
 男はこちらのほうにも好んでペニスを出し入れするけれど、膣以上に、何かを取り込むなんて最初から想定していない出口専門の器官なのだ。メカニズムに逆らって取り込もうとする動きをするなんて、まず無理だろう——と思っていた。
 ところが最近、ある女装者さんがアナル・オナニーをしている動画を見ていたら、驚いたことにバイブを入れて押し出し、中ほどまで出てきたところでそれをギューッと吸い込んでいるではないか!
 手を使わないのにバイブがゆっくりピストン運動するのを見ていたら、人体というのはまったく神秘的なものだといたく感心してしまった。この人はたぶん、長年の努力が筋肉の特殊な能力を発達させたんだろうね。「こういう穴なら入れてみたい!」と、相手が男なのに思わず欲情しちゃったよ。(笑)

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2008年9月 8日 (月)

前立腺の時代

前々回のこの欄で、男の潮吹き現象について述べた。東京スポーツに鷹澤フブキさんが詳しく書いたところから“フブキ現象“と命名することにしたのだが、それをぼくのブログ版『いろ艶筆』で読んだのが、フェチ評論家、ライターの下関マグロさん。
「それはぼくも前から書いているけれど、間違いなく男の潮吹きです」とコメントをつけてくれた。あらら、それだったら”マグロ現象”でもあるわけだ。まあ、マグロというとセックスの時にゴロンと動かないでいる状態を言うから、この際、フブキ現象でとおしたほうがいいだろう。許せマグロさん。
 下関マグロさんの現象も、直腸を刺激されながら前立腺射精直後の亀頭を強引に刺激することで発現した。大量の液体が尿道から噴射され、その液体は透明で匂いがせず、味はほとんどない。明らかに尿ではない。それを噴く時の快感は、射精と放尿の中間ぐらいの快感を味わうらしい。
 女性は膣の奥のGスポットを強く刺激されることで大量の潮を噴く。男性もGスポットと同じ部位にあたる前立腺を刺激されることが前提なので、噴射のメカニズムはほとんど同じようなものだと思われる。
 これは医学的には大発見のように思われるのだが、フブキ現象の正体はそう簡単には解明されないだろう。というのは、病気でも何でもないわけだし、この現象を体験しようが体験しまいが肉体的健康に何の影響もない。そんなことを研究してくれる医学者がいないのだ。ぼくらは面白いと思っても、医学界は関心を持ってくれない。
 しかし、男にも潮吹きがあることで、女性にも前立腺の機能をもつ器官が隠されていることが改めてシロウトにも理解されてきた。でなければ女の潮吹きが説明できないからだ。
 前立腺というのは、これまでは精子を薄める液体を分泌する器官だとばかり思われてきたのだが、男はもちろん、その痕跡があるとされる女もその部位を刺激すると独特の快感を得られるのだから、特殊な性感帯としての重要な役割をもっているのは疑いなさそうだ。
 男性であっても炎症や肥大といった病気にならないかぎり、なかなか意識されない地味な器官だった。しかしこれからは、セックスの時に快感をもたらす重要な器官として、もっと注目される必要があるだろう。何せ、ここを刺激することで男性はドライオルガスムスという、女性に負けない連続的な射精なしの快感を味わえるのだから。

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2008年9月 5日 (金)

知性が「性」の邪魔をする

 このところ、中年の男性、女性と性生活について話しあう機会が多かった。
 驚いたのは、性交をしないセックスレス夫婦の比率が多いこと。三十代後半から増えて四十代になるとほぼ大半の夫婦がセックスレスになっている。最初の子供を生んでしまうと、その傾向が強まるようだ。
 では、夫も妻もセックスに興味が無いかというと、そうでもないんである。どちらもそれなりに性欲はあるのだが、それがセックスに結びつかない。不倫に走ったり、相手に隠れてオナニーしたりで性欲を解消している。
「いや、今さらセックスでもないかなという気がして……」と照れながら言う夫や妻たちを眺めていて気がついたのは、夫婦のどちらも高学歴で、知的なかたが多い。いわゆるインテリ層。
「そうか。知性が邪魔をするんだ」と、ハタと気がついた。
 セックスは知性と関係のない営みである。その間、人間は獣のようになる。だから昔は性欲を「獣欲」などと言った。逆に獣のようにならないとセックスは楽しめない。照れとか恥ずかしさとかを克服し、欲望を剥きだしにしないと、性の歓びは味わえないんである。
 ところがインテリ層は、若い時、まだ子供を作らない期間はせっせと励むのだけれど、子供ができてしまったりすると、互いに相手に対して獣の状態を見せたくない気持が強くなるんじゃないか。
 それは知的な人間ほど「セックスは知的なものではないから抑制しなければいけない」「セックスに我を忘れる姿を妻(夫)に見せるのは知的ではない」と思いたがるからだろう。 インテリの好む趣味嗜好はみな、知性を必要とするものばかりで、それを抜きに本能的な欲望に耽溺するもの、性欲を剥きだしにしたものは避けられる。
 ポルノ映画やポルノ小説、あるいは風俗業のようなものが軽蔑され差別されるのは、それが知性とは無関係に性欲を刺激し、インテリをも獣にするからだ。それが怖いから差別するんである。
 これは困ったことだ。国の教育程度が高まれば国民の知的能力も高まる。ということは性的なパワーが弱まるということで、セックスレス夫婦が増え、少子化が進む。
 知性が性欲を妨げない文化というものを、どうやって築くか、文化国家の課題はそこにある。
 ——今回はなんか難しい話になったけれど、政府が国民にポルノ小説や官能小説をもっと読むように奨励するのが一番だと思うが、どうだろうか。(笑)

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2008年8月24日 (日)

男の潮吹き”フブキ現象“

 男性には直腸と膀胱の間に前立腺という器官がある。一部の男性は、直腸の奥を刺激することで強い独特な快感を味わい、射精に至る。訓練をつめば、射精なしの絶頂感も味わえるようになり、いわゆるドライ・オルガスムスで何時間も陶酔していられるという。
 一カ月ほど前、他ならぬこの東京スポーツ紙上で官能作家仲間の鷹澤フブキさんが、『鷹澤フブキのM男めくり』というコーナーで、自分の体験談として“男の潮吹き現象“を発表していた。
 後日、直接彼女の口からも聞かせてもらったけれど、それはマゾの男性に対して女王さまとして責めのプレイをした時に遭遇したことだという。
 ペニスバンドで肛門を犯し、前立腺を刺激しながら何度も続けざまに強制射精させて、男性が半死半生の状態になってしまっても、まだ射精させようと(本人の希望でもあった)責め続けていたら、いきなりペニスから透明な液体を、大のペットボトル一本ぐらい、つまり五百ミリリットルほども勢いよく噴射したというのだ。このM男性はこれまでにもそういう経験があったという。
 それこそ女性の潮吹き現象とそっくりだったので、フブキさんはその液体を調べてみた。「匂いもなく味もなく、サラサラしていて、女の潮とそっくり。あれは絶対におしっこじゃないわよ」と彼女は断言してくれた。
 では、いったい何だろうか? ぼくはそれが精子を含まない純粋な液体成分だったろうと思う。
 蓄えられていた精子は何度も射精させられて、もうゼロになっていた。だから精子を含まない液体だけが射出された——とすれば理解できる。男なら誰だって何度も続けざまに射精すると、最後は水のような液体だけしか出ないというのを体験している。
 でも、どうしてペットボトル一本ぶんもの量が勢いよく噴き出たのだろうか。それが分からないけれど、男の体はそこまで責められると、そういう反応を示すように出来ているらしい。
 ——この現象は実に貴重な発見だから、歴史に残さねばいけないと思う。だからぼくは発見者の名前にちなみ“フブキ現象“と命名した。
 先日、ご本人の了解を得て官能小説志望者が集まる講座でフブキ現象を発表した。これからも機会あるごとに人に伝え、この現象の謎を解明してゆきたいと思う。
 同様な現象を経験した人がいたら、ぜひぼくが鷹澤フブキさんに知らせてください。

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2008年8月20日 (水)

トイレの怪?談

 怪談の季節だから、なにか色っぽい怪談でもしようか——と考えたけど、どうも適当な話が見つからない。本来の怪談ではないけれど、怖いといえば怖い話を思いだしたので、それを紹介してみよう。
 アダルトビデオの世界で、いつも人気があるのが「盗撮」モノだ。特に女性用トイレを盗み撮りした作品は、普遍的な需要がある。
 AV業者は、盗撮専門のカメラマンからそういう「作品」を買うことが多いが、必ずしも「良い」(売れるような)作品が、定期的に供給されるとは限らない。
 最近は、不特定多数が利用するトイレでは女性も警戒心が強く、どんなにうまく隠しカメラを取り付けても、発見される確率が高くなった。
 どこに据えつけてもいいというわけではない。局部がよく見える位置となると場所は限られる。そういう場所に、ふだんは無い、妙なモノが置かれていたり穴が開いてたりしたら、「なにこれ?」と怪しまれて、すぐに通報される。
 それを知らずに撮影機材を回収にゆくと、張り込んだ警官に御用にされて、逮捕されてしまう。そうなると「作品」の提供がストップする。
「不安定な供給を安定させるには、どうしたらいいか」
 そう考えたある業者が、とんでもないアイデアを思いついた。
「最初っから盗撮専門のトイレを作ってしまえばいいのだ」
 彼らは、女性が利用しやすい場所に土地を求め、そこに公共トイレを作ってしまったというのだ。もちろん女性用の個室のなかには、最初っから隠しカメラが備えつけられている。設計の段階から考えられているから、まずふつうの人間には発見できないようになっている。
 もちろん何百万円という金がかかったけれど、一度作ってしまえば「作品」は毎日どんどん自動的に出来てしまう。投資した金などすぐ回収できる。
 ——そういう公共トイレが、あちこちにある、という。これを読んでる人の奥さんや恋人やかわいい娘たちが、そこを利用するかもしれない。いや、もう利用して撮影されてしまったかもしれない。
 どうです、何かゾッとしません? これはあくまで聞いた話で、ウソかホントかぼくも判断できないんだけどね。

(参考画像は、トイレで着替えを盗撮された某有名スポーツ選手だといわれる姿。真偽のほどは定かではありません)

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2008年8月13日 (水)

逆アナルに走る男たち

 ニューハーフ、シーメール、女装者のための専門誌に長いこと作品を書いている。
 ちょっと説明しておくと、ニューハーフというのは肉体的な改造手術をして限りなく女性に近づいた元男性。シーメールとは外見は女性だけれど男の機能を保持した男性。女装者とは衣装やメイクで女性に見えるよう努力している男性。
 ぼくは同性愛でもないしゲイでもない。ふつうに女性が好きなエロおやじだけれど、近年ますます、特に女装者を好ましいと思って、探求心はつのるばかりである。
 それはさておき、その専門誌の編集長と話していたら、「最近のお店の子は大変ですよ」と教えられた。「お店」というのは、ニューハーフやシーメールが男性客の相手をする風俗店のことである。
「特にありありの子は、逆アナル希望の客が多くて、毎日バイアグラを服んで働くので、ヘトヘトらしいです」
「ありあり」というのは「玉あり竿あり」のことで、「逆アナル」とは男性客が店の子にアナル・セックスをしてもらうこと。つまり「掘られる」こと。
 かつては「ありなし」や「なしなし」のように男性機能を喪失して、うっかりすれば女性と分からないまま抱いてしまうようなニューハーフが持てはやされたものだが、今はどういうものか、逆アナルが可能な「ありあり」のシーメールや女装者が人気なのだという。
 逆アナルをする風俗店の子は「掘る」ために勃起しなければならない。射精もする。となると複数のお客を相手にするのはとても大変なことだ。バイアグラでも服まなければやってられないわけだ。
 以前は、逆アナルプレイを好むお客は少数派だった。それがどうして増えたのだろうか。ぼくはお尻が不感症なのでとてもそういう気にはなれないが、もし感じる男性なら、そういうプレイに走る気が分からないでもない。
 ふつうの男が、見た目は女性としか思えない美しいシーメールや女装者のペニスで犯される。それは「非日常」「あり得ない」セックスの極致だからだろう。絶対にふつうの世界では味わえない「犯される自分」というのを体験したくて、逆アナル希望者は今日もニューハーフ風俗店を訪ねてやってくる。ぼくはその気はないけれど、逆アナルで楽しめる男性にはちょっと敬服の念を抱いてしまう今日この頃、くそ暑い時期に暑苦しい話題でごめんなさい。(笑)

(参考画像は、shemale fuck guy というサイトから逆アナルの実態。上のおねえさんがありありのシーメール)

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2008年8月 7日 (木)

浴衣はなぜセクシー?

 毎年、夏になると浴衣(ゆかた)姿のギャルが増えた。もう夏のファッションとして定着したようで、花火大会だけでなく、ふつうのイベントやコンサートでも、浴衣姿はふつうになった。
 若い娘たちの浴衣姿は、なんとなくセクシーだと思うのはぼくだけではないだろう。デートの時に彼女が浴衣を着て現れたら、喜ばない男性はいない。
 しかし、タンクトップにホットパンツ、肌を極限まで露出したファッションが横行するなか、浴衣はなぜ男心をそそるのだろうか。浴衣メーカーの回しものではないけど、考えてみた。なかなか分からなかったけれど、この前、連れ立って歩いている浴衣ギャルを見てるうちにハッと気がついた。
「浴衣は大股で歩けない!」
 当たり前だ、着物はみんなそうだ——と叱られそうだが、実はここがポイントだったんだねえ。
 今はミニスカートやジーンズがふつうだから、女の子たちは大股でスタスタと歩ける。のしのしと外股で歩いても平気だ。しかし日本の歴史でこんな風潮はつい最近からのことなのだ。和服は基本的に女性の歩幅を制限するから、どうしても小股でしかも内股気味に歩くしかない。大股で外股だとかえって歩きにくい。しかも素足に下駄である。その結果、どうしてもおしとやかな歩き方になる。つまり浴衣は、自由な動きを制限した、優雅な歩きかたを強制する衣服なんである。
 考えてみると、人類の歴史で女たちは、常に足の動きが不自由なファッションを要求されてきた。極端なのは中国の纏足(てんそく)で、幼児の時から足を包帯できつく巻いて成長させない。その結果、大人になってもヨチヨチ歩きを余儀なくされた(解放後、禁止されている)。西欧のハイヒールもそうだ。あれは女奴隷が逃げないように発明された——なんて説があるように、わざと歩きにくくした靴なんである。しかもタイトやロングのスカートは大股では歩けない。
 こういう目で見てくると、どこの民族でも女性の伝統的な衣装は「歩きにくい」ように、つまり優雅に見えるように工夫されてきたことが分かる。そのほうが男たちの目にはセクシーに見えるからだ。
 いま超ミニ、ホットパンツの時代、浴衣姿で小股、内股で歩く女の子の姿は、長い歴史で培われた「好ましい姿」を再現して、男たちの心に深く根ざしたエロ感受性を刺激するんである。はは、少し強引なようだけど、これは正しい理論なのだ。

(参考画像は、日本橋ゆかた祭に集まった浴衣ギャルたち)

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2008年7月31日 (木)

オレ流オナニー

 先週の『オナニー天国』で「今の日本ではどんなふうにオナニーを楽しんでも誰に咎められることはない」と書いた。
 とは言うものの、人に迷惑をかけるオナニーというのもある。たとえば露出オナニー。誰か女性に見られながらオナニーしたがるやつ。それが高じて通りすがりの女性に自分のオナニーを見せつけるオナニー露出魔となると、これはもう立派な犯罪だ。よいこはやってはいけません。
 こういう性癖の男性は少なからずいるようで、そんな願望をもつ男性が複数の女性にオナニーで射精するところを見てもらえる風俗店もできている。
 ただ見てもらうだけでこちらがお金を払う——というのはノーマルな男には理解できない部分だが、まあそれで満足するのだから他人がとやかく言うことはない。露出魔になるよりずっといい。
 ネット上にはオナニー愛好家が同好の士のために作ったホームページや掲示板がいろいろあって、そこでは毎日のように新しいオナニーのアイデアが発表されている。
「そんなことを考えてるヒマがあったら、もう少し生産的なことに頭と体を使ったらどうだ」と呆れかえるような実験魔がいたりする。
 そういった”オレ流オナニー”のなかで感心したのは、あるスリップマニアのオナニー術だ。
 スリップというのはキャミソールに圧倒されて最近の女性は着なくなったけれど、あのスベスベしてフリフリしてヒラヒラしてピッタリしてスケスケだったりする色っぽい下着に夢中になる男性は多く、そういう男性は自分でスリップを買って、それを着てオナニーにいそしむ。
 一番簡単なのは、勃起したペニスをそのままスリップごと握ってシコシコする方法。まあ布地の肌ざわりをペニス全体で楽しむにはこれしかない。
 ところが、このスリップマニアの男性は、全裸の上からスリップを着て、床に立つんである。それから両手でスリップの裾を掴んで左右に広げながらもちあげる。そうすると勃起したペニスが下前方から圧迫されるね。
 その状態で「亀頭の下側に布地が擦れるよう、靴みがきの要領でスリップを左右に動かす。痺れるような快感が生じてたちまちドピュウ!」となるんだそうだ。
 なるほどねー、このテクはスリップマニアでなくても使えそうだ。スリップが手に入るひとは試してみるといいよ。

(参考画像は、スリップを着た女装子さん)

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2008年7月22日 (火)

足にからまる下着

 フェチというほどのこともないけど、人それぞれ、セックスの時にどうしてもこだわることがある。
 まあたいていの男は、女性が体を洗う前に一発やりたがるでしょう。そういうクセみたいなもの。え、そんなクセないですか、そうですか。
 ぼくの場合、こだわりは「セックスの時でも女性を全裸にしない」というもの。
 前にも「全裸反対」という題でこのコラムに書いたけど、女性を素っ裸に剥いてしまうのが嫌いなのね。理由は分からない。とにかく全裸の女体を見ると性欲が湧きにくい。
「これから夏の暑い時に、服を着せてセックスなんかできるか」と怒る人がいるかもしれないけど、スリップでも浴衣でも、何かにくるまれてる女体の必要な部分だけを露出させて、コトを行ないたい。
 まあ、あまりにもゴテゴテ服を着せてヤリたいとは思わないけれど、最終的にはパンティぐらいは着けててほしい。
 そりゃ、いざ挿入となればパンティは脱がせる。脱がせるけど足首から抜いてポイ、というのはしないんである。
 片足は抜くけれど片足にはまだ残っている。太腿あたりがベストだけれど足首でもいいや。(笑)
 パンストとパンティは、たいていいっしょに脱がすけれど、その時もね片足は脱がすけど片足は脱がさない。そうするとふくらはぎとか足首のところにくしゃくしゃになったパンストと、そのなかに丸め込まれたパンティが一見ボロ切れのようにからまったままでいる。その状態がね、最高なのだ。
 理由はどうもよく分からない。全裸が嫌いというより、そういうふうに「男によって剥かれている」という状態にひどく感じるものがあるんだね。あるいはサディズムが根本にあるのかも。
 そういえば走り幅跳びの池田久美子選手がこないだの南部記念陸上競技大会で六メートル七十センチの記録を出して、ようやく五輪代表になった。
 ぼくもハラハラしながら見てたんだけど、踏みきってポーンと砂に着地して、その勢いで前にゴロンと転がって、手足をついてようやく立ち上がると体は砂まみれ。
「あ、いいなあ」と思って思わず欲情してしまうでしょ。あれですよあれ。砂によって女体が汚された感じがズキンとくる。分かるでしょ。え、分からない? 困った人だねー。

(参考画像は、パンストとパンティが一緒にからまっている例)

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2008年7月18日 (金)

オナニー天国

「いい国、いい時代に生まれたもんだ」としみじみ思ったのは、前にもあげた鹿島茂さんの『SとM』(幻冬舎新書)を読んでの感想だ。
 なんのことかというと「今の日本では、オナニーを思いきりやっても平気だ」ということ。
 キリスト教の抑圧が強かった西欧では、中世から現代にかけて性的なタブーがやたら強かった。そもそもセックス自体「子供を作るため以外にしてはいけない」なんて言われてたし、ソドミー(アナルセックス)も同性愛も、ばれたら死刑だった。
 オナニーもそうで、本来なら死刑に値する罪だったという。まあそれでは男は全員死刑になっちゃうから、カソリックは「懺悔すれば許す」という抜け道を作った。
 それにしても「禁じられた罪悪行為」であることにかわりはなく、ついうっかりオナニーしてしまった青少年は「ああ、地獄に落ちてしまう」と絶望的な気分になったに違いない。
 二十一世紀の現在でも、その風潮はまだ残っていて、おかげでノイローゼになってしまう青少年はあとを断たない。西欧に残虐な性的事件が多いのは、性が抑圧されているからだと思う。
 日本はその点、アナルセックスも同性愛にも寛容な国だった。何せ偉いお坊さんから武将にいたるまで、みんなお稚児さんを抱いてアナルセックスを楽しんでいたお国柄、オナニーだって「ひとり遊び」と称され、どれだけ楽しんでも恥じることはなかった。
 明治時代に西欧文化を導入した時、オナニーが罪悪だという思想が入ってきて、戦前までは「夜そんなことをしないように、昼のうちスポーツに励ませろ」なんていう狂ったことをいう教育者がいっぱい出てきた。
 幸い、戦後はそういう思想も一掃され、老若男女、誰でもいつでも好きなだけオナニーしても、誰にも咎められないし罪悪感を感じる必要もない。まあ、時には「やりすぎだなあ」と反省することはあるにしろ、地獄に落ちると悩む必要はさらさらない。いい国、いい時代に生まれたとしみじみ感じるわけだ。若い人はその幸運をもっと祝ってもいいと思うよ。
 そうしたら海外から「週五回以上オナニーをする男性は、前立腺ガンに罹る確率が、そうでない男性の三分の一に減る」というニュースが伝えられた。実に朗報ではないか。諸君、健康のためにもせっせとオナニーに励もうではないか。(笑)

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2008年7月10日 (木)

日本流フレンチ・カンカン

 若い人に「フレンチ・キス」の意味が通じなくなったんだって。「あいさつがわりの軽いキス」だと思われてるようだ。
 本当は舌をからめあう濃厚なキス(つまりディープキス)を言うのだ。フランス人は濃厚で情熱的なセックスが好き——と思われているので、そういう名称になったのだろう。そこで連想されるのが「フレンチ・カンカン」だけど、知らない人もいるかな。
 十九世紀末、パリの『ムーラン・ルージュ』というキャバレーで完成された女性によるショーダンス。ドレスのスカートをまくりあげ、下着と太腿を見せつけながら脚を大きく振り上げたりお尻をさらけ出したりする、非常にエロティックな踊り。今でもお上品な人が見たら「まあおゲレツ!」と顔をそむけるかもしれない。
 しかしこれがパリの観光名物になったのだから面白い。パリに行ってフレンチ・カンカンを見ないのは京都に行って舞妓を見ないようなもんだ(違うかな)。
 ぼくは子供のころにフランソワーズ・アルヌールという女優さんが主演した『フレンチ・カンカン』という映画でこの踊りに魅せられて「いつかは本場で見たい!」と熱望したものだ。願いというものはかなうもので、パリにゆくたび『ムーラン・ルージュ』をはじめあちこちで四。五回も見ることが出来た。
 そこで思い知ったのは「これは日本人がやってもダメだ、かなわない」ということ。現代のフレンチ・カンカンは下半身を思いきりさらけ出す。その焦点は太腿の力強さ、引き締まったお尻、そして全体的な脚線美。
 世界から一級の美人ダンサーを集めたパリのフレンチ・カンカンが表現する圧倒的な迫力はすごい。息をするのも忘れてしまう。ヅカガールだろうがSKDだろうが、とても対抗できるものではない。日本で本場のフレンチ・カンカンを楽しむのは、まず絶望的なことだ。
 そこでぼくは考えた。「体型でかなわないなら、スタイルを変えてみたらどうか」
 思いついたのが「セーラー服カンカン」。ダンサーがセーラー服を着た女子高生になってカンカンを踊るのだ。スカートの下はペチコート。ニーハイソックスに赤いガーターで絶対領域を強調する。これならオヤジも大喜び。本場フレンチ・カンカンに負けないエロな美を楽しめると思う——がどうだろうか。
「何をバカなことを」と笑わば笑え。しとしとじっとりの梅雨どきだからウサばらしに書いてみたんだよん。

(参考画像はパリのキャバレー『リド』でのフレンチ・カンカン・ショー)

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2008年6月30日 (月)

日本SMはなぜ「縄」か

 ぼくの専門はSMである。SMというと、ぼくら世代の人間は、たいていは団鬼六さんの『花と蛇』が出発点いうことになる。
 しかしそうではないのも少数ながらいたのである。フランス人作家ポーリーヌ・レアージュの『O嬢の物語』で西欧のSMにかぶれた派があって、ぼくはそちらのほうだ。
 この二派は和装派と洋装派、羞恥派と苦痛派などというように、あらゆる点で対照的なのだが、日本人は『花と蛇』に代表される日本型SMを圧倒的に好み、ぼくのような『O嬢』型SMは反主流派というか異端派に属する。
 たいていの人が「SM」というのは日本も西欧も同じようなものだと思っているが、実際のところ、そのありようはまったく違う。先回、フランス文学研究家鹿島茂さんの『SとM』(幻冬舎新書)を紹介したが、それを読むとこのあたりの差異を的確に説明していて感心した。
 ぼくらは現実のSMにのめりこんでいるから目の前の状況しか見えない。ところがひとたび海外のSMに目を向けると「これが同じSMか!?」と、驚いてしまう。その第一が日本人の好む縄を西欧人は重視しないし、彼らが重視する鞭を日本人はそれほど好まないという点だ。
 この差は今まで「西欧は牧畜文化、日本は農耕文化」だからと片づけてきたのだが、それだけではないようだ。
 西欧SMはキリスト教文化のもとにあったから「原罪」とか「贖罪」(しょくざい)「犠牲」などという概念がSMの土壌になっている。さらにキリスト教のタブーというものがSMを苦痛を味わう方向へと走らせる。そこで鞭による処罰、拷問というものが主流になる。
 一方、宗教的タブーが寛容で同性愛もオナニーも許されていた日本では、罪とか罰とか言われてもピンと来なかった。そういう状況でMが求めるものは何かというと「自由を徹底的に奪われること」なんである。
 だから日本のマゾはまず「縛って」というし、サドも「縛ってやる」という。こんなに縄で縛ったり縛られたりするのが大好きな変態が多い国は日本ぐらいしかない。
 ぼくは手先が器用ではないからあまり複雑な縛りは出来ない。だから適当に縛れればそれでいいと思うのだが「縄師」などという専門家たちは時間をかけ工夫をし複雑極まりない緊縛を施さないと満足しない。これは西欧人からみれば——ぼくから見ても「過剰な倒錯」である。どうして日本人はこんなに縄による緊縛SMが好きなんだろうか。そのうち、また詳しく説明しよう。

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2008年6月23日 (月)

もてない男のセックス

 六月九日の昼過ぎ、上野から秋葉原に向って歩いていた。するとパトカーやら救急車やらすごい勢いですっとんでゆく。空中にはヘリがぶんぶん飛びかってる。「何かあったな」と思って近づいていったら救急活動の真っ最中。血まみれの被害者の周囲には所持品が飛び散っていて、それは悲惨な光景だった。もう少し早めに現場に着いていれば、ぼくも被害者になったかもしれない。それを思うとゾッとしたね。
 犯人の加藤智大という二十五歳の男はどうして罪もない、そもそも彼とはなんの関係もない人々を殺さなければいけなかったのだろうか。現時点では、動機の一つに「女性にもてない苦悩」というのが指摘されている。
 彼がずっと書き込んでいたネットの「もてない男」掲示板には、いかに自分が女性に縁がないか、その恨みつらみがえんえんと書き込まれていて、読んでいて息苦しくなるほどだ。
《ちゃらんぽらんに生きてるニートにも彼女はいるのに、一生懸命仕事をしてきた私に彼女はできなかった。女性にとって真面目な男性はプラスのステータスじゃなかった》《目の前をカップルがいちゃつきながら歩いている。なぜこんなに不愉快なのでしょう》《この世で彼女がいないのはオレだけ》……。
 自分は「不細工』だから、彼女ができることは絶対ないと思いこんでいたらしい。当然セックスできないことの悩みも強かったろう。しかし、どんなにもてない男でも風俗に行けば快楽は得られる。
 事件の直前、彼は先輩に連れられてソープへ行っている。初めての体験だったようだ。ところが楽しい思いを味わえなかったらしい。《二度と行きたくない》と書いている。いったい何があったのだろうか。緊張してうまくできなかったのか。
 もし、この時に「楽しい」と思えたなら、違った展開になっていたのではないだろうか。風俗のあるおかげで、もてない男たちもセックスの満足感を味わっている。しかし犯人は楽しめなかった。嫌悪感さえ抱いたようだ。そこが残念でならない。
 ぼくも若い頃はもてたわけじゃないから、その苦悩だけは共感できるのだ。もし彼が何かのきっかけで女の子と仲良くなっていたらねえ……。世の中はホント不公平だ。(溜め息)

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引き締める快楽

 川上宗薫という官能小説家がいた。彼の作品は毎回違った女性とセックスして、その内容を詳細に書きつづるという、いわば性交ドキュメントのようなものが多かった。だから亡くなるまで何百何千人という女性を相手にした。
 その宗薫さんが晩年嘆いていたのが「洋式便器の普及」だった。ラクをして排泄できるようになった結果、女性の粘膜トンネルはユルユルになった——というのである。
 他ならぬ宗薫さんのことだから、この説は信用できると思う。昔から下半身を鍛えている女性——今は見かけなくなったけれどバスの女車掌など——は「具合がいい」という定評があった。今ならさしずめバスガイドだろうか。
 では「下半身を鍛える」というのは、具体的にどういうことだろうか。それは「骨盤底筋(こつばんていきん)群」という一連の筋肉を強化するということだ。
 女性が出産すると膣の周囲の筋肉がダメージを受けた結果、ゆるくなるのは避けられない。子宮をふくめた内臓の位置も狂う。そこで経産婦はたいてい、骨盤底筋群強化体操というのを教わっている。知りたければ子供を生んだ女性に尋ねてみなさい。まあ怒らせないようにね。(笑)
 この体操の原理は「肛門を引き締める」というところにある。肛門の筋肉は膣の筋肉と繋がっているから、肛門が絞まれば膣も絞まる。その肛門を引き締める力は腹筋とか臀筋とか大腿筋だ。早くいえば和風便器にしゃがんでイキむ時に力が入る筋肉。宗薫先生の説は正しかった。洋風便器ではこれらの筋肉が鍛えられることがないのだ。
 といって便器を取り換えることなど、いまの女性たちが許すわけがないので、男性がより楽しみたければパートナーに骨盤体操をしてもらうようお願いするしかない。
 この訓練を熱心にやった女性とイタしたことがあるが、腰を動かしている最中に「締めるわよ」と言われたとたん、激しく往復していたピストンがピタリと停まってしまった。強く締めつけられて進むも引くも出来ないのだ。いや、気持ちいいというより痛いぐらいだったよ。それぐらい効果があるのだ。
 実はこの運動、男性でも効果がある。昔から肛門を引き締める運動というのは男性のセックスの機能も高めると言われている。いろいろなやり方はあるが、要は肛門を内側にひっこめるようにして締めつければいいのだ。まあダマされたと思って一日何分かやってみるといいです。メタボ対策にもなりそうだ。

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2008年6月11日 (水)

子供時代の性

 東京・弥生美術館というところで『山川惣治展』というのをやってたので、観に行ってきた。
 最近の人は聞いたことがない名前かも知れないけれど、戦後、少年向けの絵物語作家として大活躍した人だ。最初のヒット作が『少年王者』で、その次に『少年ケニヤ』も人気を集めた。後に復刻されているので昭和生まれの世代は何となく覚えてるのではないだろうか。どちらもアフリカの密林のなかで日本人の子供がターザンのように猛獣や原住民たちと闘う冒険談だ。
 ぼくは戦後隆盛した少年雑誌で育った世代だから山川惣治の絵におおいに影響された。要するに「ターザンの子供版」なのだから健康なお話しなんだけれど、山川惣治の描く腰布一枚の半裸の少年には不思議なエロティシズムが感じられた。
 特にぼくの記憶に残っているのは、主人公の少年が原住民に捕えられて、地面に打った四本の杭に手足を縛られ、大の字に拘束されて責められるシーン。どういうものか、その絵を見て胸がドキドキして息苦しくなったのを覚えている。小学校一年か二年ぐらいの年齢だった。あるいはそれがぼくを最初に興奮させた性的なイメージだったかもしれない。
 その絵が、『少年王者』のものか『少年ケニヤ』のものか、確かめたい気持もあって展覧会に行ってみたのだが、記憶にあいまいな部分もあって、どちらだったか確かめることはできなかった。どっちの主人公も同じようなキャラクターイメージなのだから仕方がない。
 ただ相手役の少女が『少年王者』は「すい子」という日本人で、『少年ケニヤ』では「ケイト」という白人。だったらどっちの少女が出ていたかで作品の区別がつくはずだ。
 ところが不思議なことに、どちらだったか覚えていないのだ。あれだけ熱心に、胸をワクワクドキドキさせながら読み耽っていたのに、かわいい少女のキャラクターが思いだせない。
 ということは、小学校一、二年生の頃のぼくはかわいい少女よりも裸で動き回っている少年のほうに関心があったということになる。性的な興味も彼の方に抱いて、やはり半分裸の少女ヒロインには向けられていなかったわけだ。
 そのうち、性的な関心は女の子だけに向けられるようになったのだが、性に目覚める一時期、男の子は異性よりも同性の裸体にエロを感じる瞬間があるようだ。あなたはどうだったろうか。
『どらえもん』のしずかちゃんの入浴シーンを咎める大人がいるようだが、男の子は案外、感じていないのかもしれないね。

(画像は山川惣治『少年ケニヤ』より。ケニヤが土人に捕まって拷問されるシーン。ドキドキ)

Syonen_keniya

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2008年6月 1日 (日)

Mの女はズボラでわがまま?

 フランス文学研究者の鹿島茂さんが最近『SとM』(幻冬舎新書)という本を著した。日本人とSMの関係を自分なりに解釈されている。
 ご本人は「ぼくはイヤになるほどノーマルな人間」とケンソンしているけれど、嫌いじゃなければ研究などしないわけで、実際はそのケがありそうだ。プレイもしてるのじゃないか、って気がする。
 それはさておき、思わず膝を打って笑ってしまったのが「あなたはSかMか」という鹿島流?判定術。
 封書が届いた時、あなたはそれをどうやって開封するだろうか。いちいちハサミやカッターを探してキチンと封を切る人はS。面倒くさいとばかり、ビリビリと手で破る人はM——だという。
 ぼくはいつもレターオープナーを使って開封する。とてもではないが、どんな相手からの封書でも封を指でビリビリなんて破けない。ぼくはSが強い性格なので、この判定術はズバリ当たっているだろう。
 どうしてそうなのかは本を読んでもらえば分かるけれど、だいたいにおいて、今の日本では、Sが几帳面でマゾがズボラだ——と鹿島氏は見抜いたところが鋭い。実際、Mの子の部屋は散らかし放題で、行動もあまり計画性がない。
 そういう彼女たちから「ご主人さま」と呼ばれたがるSの男性は、彼女たちとデートするとなると、綿密にプレイの予定を組んで、必要な道具を揃え、頭のなかでイメージプレイを繰り返して現場にのぞむ。まあ、そうやって練り上げた計画なんて、ズボラでわがまま勝手なMの子を相手にしてはたちまち崩れてしまうのだけれど。
 鹿島さんも少し触れているけれど、ぼくがいつも思うのは、日本のSはサディストなんてものではなく「サービスプレイヤー」のSだということ。「さあ私を喜ばせてちょうだい」とデンと構えているM女性をいろいろな方法でせっせと楽しまようと涙ぐましい努力を惜しまない男——それがS男性なんである。
 その結果、どういうことになるかというとMはSに失望し、新しい「ご主人さま」を求めて去ってゆき、とり残されたSはくやしがったり悲しんだりする。いったいどっちがSやねん。
 そういう妙ちきりんなSとMの関係になるのは、日本のS男性が「ご主人さま」がどういう存在であるべきか誤解しているからだと思う。これは大きなテーマなので、後日、また論じてみよう。

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2008年5月25日 (日)

身内バレの悲喜劇

 二週前のこのコラムで職場バレに怯える女装娘さんのことを書いた。
 自分の隠してきた性癖を周囲に知られてしまうのことを「身内バレ」という。親にバレれば「親バレ」だし、会社にバレたら「職場バレ」だ。
 以前、あるアダルトビデオ作品にゲスト出演した時に会った男優さんは、JRに勤めていた人だった。最初はエキストラとしてAV作品に出演して「趣味と実益」を堪能していたら、ある作品に少し顔が映っているのを職場仲間に知られ、上司に通報されてクビにされてしまったという。やはり大きな組織だと、社員がAV男優(アルバイトだとしても)してるのは世間体が悪いと問題にするようだ。
 バレ話のなかでは本人には気の毒だけれどおかしくて笑ってしまう話はいっぱいある。女装趣味のある青年は、同居している親には内緒で自分の部屋でこっそり女装して楽しんでいたのだが、真夜中、どうしてもトイレに行きたくなり「せっかくお化粧したのだから」と女の子の姿のままトイレへ。そうしたらトイレから出てきた父親とバッタリ顔を合わせてしまった。
 二人とも固まってしまったのだけれど、先に父親がフッと目を反らして立ち去ったのだそうだ。翌朝、何か言われるかと思ってビクビクしていたけれど父親は何も言わない。その翌日も……。結局、何にも言われないまま彼はずっと父親と暮らしている。父親は「寝ぼけて夢でも見たんだ」と思いこんでいるのか、それとも「もしゲイだったらどうしよう。答を聞くのが怖い」と思っているのだろうか。まあもしぼくがその父親だとしたら、やっぱり相当悩むと思うが。
 あるテレビ番組に出演していたニューハーフのお姉さんはこんな「親バレ」話を紹介していた。
 学生時代、親元から離れて東京でひとり暮し。親の目が無いから思いっきり女装して楽しく遊び回っていたら、ある時、その子の留守中に母親が上京し、大家さんが親切にも部屋を開けて中に入れてくれたんだって。
 見れば部屋じゅうに女の服や下着や化粧品。てっきり「息子は誰か女性と同棲している」と思いこんだ母親は、真夜中、遊びから帰ってきたフリフリ女装姿の息子に、正座してふかぶかとお辞儀をして「息子がお世話になってます」と挨拶したんだって。
「お母さん、私よ、あなたの息子よ」と言われて、この母親は二度びっくりさせられたわけだけど、うーん、どんな気持だったろうかね。

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2008年5月19日 (月)

動画の時代

 ネット上では有名な『ユーチューブ』を始め『ニコニコ動画』とか動画投稿サイトが精力を広げている。人気テレビ番組がそっくり録画されて投稿され問題を引き起こしたりするけれど、そればかりではなく、自分の撮影した個人的な動画を投稿して、みんなに見てもらうことができる。
 今は携帯についたデジカメでも動画を撮影できるようになった。高価なビデオカメラでなくても数分程度のムービー画像なら誰でも撮影できる。
 もちろんぼくの専門はポルノだから、研究のためにもエッチ動画はいろいろ見て回っている。静止したエッチ画像はいくらでも見られるから食傷気味になってきたけれど、これが動画だと、なかなか新鮮なんだね。
 やはり目の前でパコパコズコズコぶるんぶるんと動くものってのは迫力がある。音声も入るから静止画像では得られない臨場感もある。
 こないだもある人とデートしたら、動画サイトにアップする作品を撮ってくれ——と頼まれた。もちろん喜んで引き受けた。デジカメを動画モードにして五分ぐらいの動画作品を二、三本撮ってやったけれど、いや、不思議なもので、「はい、スタート」「よし、カット!」と気分は映画監督。(笑)
 なに、単にだんだん服を脱いでヌードになりオナニーするだけのことなんだけど、何の技術も知識もない人間がいきなりポルノムービー撮ってそれを公開できる時代になったのだ。ぼくが頼まれて撮った「作品」も別れて家に帰ったら、もうエッチ専門動画サイトにアップロードされていた。
 そんなわけでネット上にひしめく動画サイトをあちこち見て歩く毎日だが、面白いもので、ふつうのエッチなんかいくらズコパコ動いてもやはり飽きてしまう。
 投稿する側もただエッチ画像だからといって工夫もなく撮影したものを発表するだけでは見向きもされない時代がもう来ているのだ。
 これからエッチ動画を撮って投稿しようとする人は、いろいろ創意工夫をこらした作品を作ってほしい——なんて言っても、ただ、カメラの前でエッチな動きをさせて悦にいる「監督プレイ」だけでも楽しいもんだ。動画を撮影できる道具を持ってるのなら、それを使って刺激的なエッチを楽しんでみるといいよ。

(画像は動画サイトで公開されている、女装美女・中川涼子さんのオナニームービー)

 Movie04

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2008年5月11日 (日)

ひっそりと女装

 最近、テレビのバラエティ番組などで、ふつうの少年青年を女装させる企画がはやっている。
 芸能人が女装するというのは、これはもう「芸の内」で当たり前のことだが、シロウトさんが女装してマスコミにポカポカ登場してきて、みんなが「かわいい〜」「きれい〜」とほめそやす光景には、違和感を覚えないわけにはゆかない。
 ぼくは昔から美しく化けた女装子さんには目がないけれど、GID(性同一性障害)でないフツーの男性が女装するのは、やはり「異常なこと」「秘密にしておくべきこと」「やってはいけないこと」だという前提があって、そのタブーを破るところに快感があり昂奮が生まれるんだと思う。
 それをマスコミが煽って、そこらの美少年美青年がこぞって女装してテレビカメラの前に出てくる風潮は「ちょっと待て」と言いたい。言ってもムダだろうけど。(笑)
 だいいち、最初っからテレビで全国放送されたら「人知れずこっそり女装してみる」という、あの秘密のときめきが感じられないんじゃないかしらねえ。
 女装子さんは誰にも見られないように知られないようにドキドキしながら女モノを身に着け化粧をして、どんどんエスカレートさせてゆく。
 その過程を抜きにして「おまえかわいいから女装しろよ」と、家族まで後押しして女装させるというのは、チト間違えてないか。秘密ゼロの女装に何の価値があるのか。
 女装に耽っている女装子さんは、家族に、仲間に、職場にいつバレるかと思いながら、それでも自分の変身した姿を撮影してネットで公開し続けている。
「隠したい」「でも見られない」という相反した欲望の葛藤。これが女装子さんの生き甲斐なんだろうと思う。それを味わえないで瞬間の女装スターになっても、あんまり意味ないじゃないかねえ。
「まあ、そう言うなよ、お遊びなんだから」と言われそうだが、最近の女装ブームというのはどうも納得いかないんである。
 先日もある女装掲示板で常連の女装子さんが「会社バレしそう」と恐怖を覚え、顔を思いきり修正した画像を発表するようになったけれど、そうやって怯えるところが本来の女装子さんなんである。日影でひっそりと咲く花を日なたにもち出すな。バラエティ女装はんたーい。(笑)

(画像は某民放テレビ局のバラエティ番組がやったアマチュア女装者の特別番組から。ファッションショーにまで登場した。やりすぎ! でも可愛かった(^_^;))

Joso_paradis01

Joso_paradis03

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2008年5月 5日 (月)

男の人形遊び

 デートした女性がバッグの中から取りだしたのは女の子のお人形。三頭身、頭でっかちに独特の大きい目。キューピーちゃんをバタ臭くしたような感じだ。
「へえー、きみもブライスのマニアなんだ」
 最近、この人形にハマってる女性が多いと聞いた。
 1972年にアメリカの玩具メーカーが発売したが、人気が出ないまま生産中止に。ところが2001年、日本でテレビCMに登場してから爆発的な人気が出た。今では日本のメーカーがレプリカを発売している。
 リカちゃん人形なら少女が対象だが、ブライスはオトナの女性がもっぱら可愛がってるらしい。そもそもお値段が高い。一体が一万円以上する。アメリカで生産されたビンテージ・ブライスは四、五十万円で売買されているという。
 その女性は九体のブライスを持っていて、二年ほどの間に百万円ぐらいお金をかけたという。着せ替え人形だから、衣装に凝ると、いくら金をかけてもキリがないらしい。いまや《ブライス産業》と言っていいほどお金が動く巨大市場になっているのだ。
 どこに行くにもブライスを連れて歩いているという彼女に「男には分からない趣味だね」と言ったら「男の子にもブライスのファンは多いのよ」と言われた。調べてみて驚いた。ホントにブライスに夢中になっている男性はたくさんいる。それもいいトシした大人が。
 セックスが出来る等身大のセックスドールならいざ知らず、ブライスはただのお人形。いったいどこがよくて男が夢中になるんだろう?
 さらに調べてゆくと、面白いことが分かった。女性はブライスをいろいろ飾りたてることに熱中するが、男性は、ブライスを改造することに熱中するのだ。
 ノコギリやカッターで頭から胴体まで切り離し、本体部分に外科手術というか整形手術を施して個性的なブライスに徹底改造してしまう。そういった分野でカリスマと呼ばれる男性が何人もいるという。
 女性を自分の好みに変えようとする心理はギリシャ神話のピグマリオンという王様の名からピグマリオン・コンプレックスという。ブライスを分解して自分好みに改造してしまう男性は、まさに現代のピグマリオンということになる。同じ人形遊びでも男と女はずいぶん違うんである。

(画像はキモノを着た黒い目のブライス。目は四色に変えられる。かわいいけどお色気はありません(笑))

Blyth

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2008年5月 3日 (土)

アマゾネスの不思議

 ぼくは本を買うのにインターネット通販の『アマゾン』をよく利用する。アメリカで生まれた書籍専門のネット通販会社だったが、世界中にサイトを置き、今やどこの国の本でもアマゾンを利用することで簡単にすぐ手に入る。
 最近は書籍ばかりではなくゲームや衣料品、靴、時計まで扱ってる。ちょっとしたオンライン上のショッピングセンターだ。だから今の若い人は「アマゾン」と聞けば通販サイトだと思うけれど、ネットをしない人は、まずブラジル北部の大河、ジャングル地帯を流れるアマゾン河のこと思うに違いない。
 しかし、少数だけれど「アマゾネス」という言葉を連想する人間——男がいると思う。
 そういう名前の映画もあったと思うが、ふつう「男に負けない力を持つ強い女」「女闘士」「女戦士」——つまりモーレツな女のことを言う。
 マゾの男性を相手に鞭をふるったりする「女王さま」はアマゾネスと呼ばれたりするし、女王さまがいるSMクラブの店名に「アマゾネス」というのは多い。
 ところが「アマゾン」というのは、もともと黒海沿岸部に住んでいたという女性だけの部族のことを言ったのだ。そこの女はみな戦士で馬に乗り弓の名手。弓を射やすいように乳房を切除したといわれている。伝説だけどね。
 つまりアマゾンと言うだけで女人族の女戦士という意味がある。本来男はいないのだから、女性形のアマゾネスにする必要は本来ない。(ホストは男だから女の場合はホステスという)。実際、『アマゾネス』という映画の原題は『アマゾン』だった。
 どうしてこんな妙なことになったのだろうか。「フランス語ではアマゾネスというのだ」という説もあるが、綴りはそうでも発音はアマゾーン。どうもアマゾネスという言葉を発しているのは日本だけらしい。つまりアマゾネスは誤用が定着した和製英語なのだ。知らなきゃなんてこともないが、知ってしまうとアマゾネスと聞くたび違和感を感じる。
 同じような違和感は「アナルを広げてファックする」というような文章を見ても感じるね。アナルは形容詞。アナル・セックスというのは正しいが、「アナルを責める」とか「アナルで感じる」というのは間違いで、その場合はアヌスと言わないといけない。しかしアマゾネス同様、もう間違いを正すことは無理だろう。誤用も皆が使えば正しい言葉になっちゃうんであるから。

画像は日本で売られている「アマゾネス」もののDVDジャケット。
英語では amazon と書かれていることに注目。

Amazon_amanda

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2008年4月21日 (月)

絹の誘惑

 知りあいの女性が「最近は、下着は全部、絹のを着けています」というので「豪勢で色っぽいですね」と言ってあげたら、「ぜんぜん色っぽくない話なの」と笑いながら理由を話してくれた。
 最近、ある薬の副作用で肌に発疹ができ、痒くてたまらなかったのだそうだ。どんな皮膚の薬を使っても発疹が押さえられない。
 ある日、持っているだけで使っていなかった絹の下着を着けてみたところ、驚いたことに、肌に触れる部分の発疹が徐々に治ってきたではないか。
 そこで下着を全部、絹にしてみたら、長いこと悩まされた発疹はウソのように消えてゆき、その効果は医者も驚くほどだったという。
 絹は言うまでもなく蚕の繭からつむぎ出す動物性の自然繊維。とても肌ざわりがよく、美しい光沢を示すことで知られている。しかし高価なものだから、絹の下着といえば「ぜいたくな生活」の代名詞みたいなものだった。
 話はいきなり飛ぶが、ずっと以前、ぼくはある男性雑誌のフリー編集者で、ぜいたくな下着特集というのをやった。ただ商品だけ映しても面白くない。ゴージャスな下着にはゴージャスなモデルを——ということで、当時人気絶頂のモデル、山口小夜子さんに頼むことにした。
 トップモデルはふつう下着モデルなどやらない。当然断わられると思ったが、「日本で一番高い下着を用意します」と言ったら「それはステキ」と、喜んでモデルになってくれた。
 その時に用意した最高のランジェリーはイタリア製のネグリジェで五十万円した。今の価格だったら三百万円ぐらい。やはり絹のショーツは四万円で、これも今なら二十万円はくだらないだろう。
 それぐらい高いのが絹なのだが、特徴は繊維の内側に水分をたっぷり含むことが出来ること。この高い保水性で、しっとりとした、持ち重みのする独特の肌ざわりがする。「絹のようになめらかな肌」というけれど、女性に絹の下着を着けさせて愛撫したら、思わず肌ではなく下着のほうを撫で回してしまうことだろう。
 同じ理由から匂いの成分もよく吸着させるので、絹のパンティにしみ込んだ女性の匂いは豊富にしかも長時間保存される。匂いフェチにはたまらない素材だろう。そうだ、『ジョイ・オブ・セックス』というベストセラーを書いたアレックス・コンフォート博士は「絹のパンティの上からクンニリングスすることは、最高の前戯である」と言っている。これもお試しあれ。

(画像はシルクサテンのスリップドレス。ゴージャスですね。某インポートショップで29000円。驚くほど高いということはありません)

Silkslip

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2008年4月13日 (日)

料理はセックスだ!

 ある会食の席で、出されてきた料理についてウンチクを少ししゃべったら「料理がおできになるんですか」と、女性の出席者に感心された。
 まあ吹聴するほど料理が好きでも得意でもないけれど、カミサンが数日寝込んだり留守にしたりしても、自分でご飯を炊いて適当におかずを作ったりするのは苦にならない。そういう時こそ好物のつまみや料理を好きなだけ作れたりして、楽しいぐらいのものだ。
 そう言うと「私の夫なんか」「私の父なんか」と、女性たちが口々に身近の男性たちが料理が苦手で全然やらないと嘆きだした。それは問題だなあ。
 今はコンビニで弁当は簡単に手に入る。インスタントの食品もたくさんある。何もわざわざ自分で面倒なことをしなくてもお腹は満腹になる。しかし、人と生まれて自分の手で食べ物をまったく料理しないということは、一生オナニーしか知らないで死んでゆくようなもので、男としても味気ないといえば味気ない。生きている甲斐もないような気がする。
 料理を作るということは、素材を見つけ、選ぶところから始まり、それをどのように旨く食べられるか、いろいろに工夫するということだ。そして最後に生きている喜びをシミジミ味わう——考えてみれば、これはセックスに似ている。いろいろ努力して手にいれても、いざとなったら一瞬にして満足してしまう——という部分までよく似ている。
 そこで「面倒くさい部分は誰かにまかせて、自分は食べる(やる)だけに専念する」というのは怠け者の論理だ。それではセックスをじゅうぶんに楽しんだことにならない。料理もそうだが、セックスもまた「オルガスムスにいたる過程を楽しむ」行為だからだ。
 周囲を見てみると、性の強者(つわもの)と言われるような人間ほど、味に敏感で旨いものに目がなく、しかも自分でも面倒がらずに、嬉々として手料理を楽しんでいる。
 性の快楽も食の快楽も、手間ひまかけて自分の嗜好に合うように準備し、セッティングを整え、おいしくいただく——これが人間だ。
 この春から新しい環境に飛び込んで、食生活も変わってしまう人が多いと思うが、自分の手で食べたいものを作って食べる——という基本を忘れたらダメだと思う。それができて初めて充実したセックスも楽しめるというものではないか。

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2008年4月 4日 (金)

桜とSM

 桜の季節は例年より早く過ぎてしまったが、いまぼくの周囲のSMマニアたちの話題は、「撮れた」「撮れなかった」だ。
 何のことかというと、満開の桜を背景にした野外緊縛写真のことである。
 SMマニアはたいてい緊縛マニアで、彼らはモデル——妻や恋人や愛人たちを野外に連れ出して、いろいろな状況のなかで緊縛写真を撮影する。
 これは明治大正の責め絵師として知られる伊藤晴雨からしてそうで、彼は自分の妻を腰巻一枚の裸にして縛りあげ、雪の庭に転がして責めながら撮影をしたことで知られている。最後は息も絶え絶えとなったという妻の雪中責め写真は、今見ても迫力満点な傑作である。
 現在だって緊縛した裸女を雪中で責める写真や動画を撮りたがらないSMマニアはいないと言っていいぐらいだ。ネット上にはそういう野外で撮影された作品がいつもアップされている。
 当然、桜が咲くと、彼らは今度は桜の花の下での緊縛写真を撮りたくなる。ところが、これがなかなか難しいんである。
 桜の木というのは、たいてい人の目につくところにある。
 SMプレイだ緊縛だなんて人の目に触れないところでひっそりやるべきものだから、みんなが花見に興じてる場所で裸女を幹にくくりつけたり枝から吊るしたりなど、できるものではない。だから野外プレイ、野外撮影が好きなマニアは、早くから撮影に適した桜を求めて奔走するわけだ。
 せっかく目的にぴったりの桜があったとしても、ふつうの人もそういう静かな場所にある桜を求めているわけで、撮影する時になってワイワイと人がやってきてダメになったりする。モデルさんには悪いが、写すほうからすると、雪の中で撮るほうがずっと簡単なのである。雪山には人が来ないところがいっぱいあるからね。
 というわけで、今ごろのシーズン、見事な桜を背景に緊縛された裸女の写真などが発表されると、マニアはみな「おおー」と感心してしまうのである。みんな撮影の苦労を知っているからだ。
 こういう四季おりおりの風景をとり入れた野外でのSM写真なんてのは、日本人だけのもののようだ。自然の美に敏感で、それをSMのような遊びの中にとり入れてしまう特異な才能をもっているのが日本人なのだろう。
 だから「SM写真を撮るのにぴったりの桜を知っている」という人は教えてください。来年撮りにゆきます。(笑)

画像は参考

Sakurabd163

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2008年3月28日 (金)

男性用ブラジャー

 ここ三、四年、しきりに「ブラ男」のことが話題になってきた。「ブラジャーを着ける男性」だからブラ男くん。
 ぼくは知る人ぞ知る女装小説作家でもあるから、女装する友人知己愛読者は多い。だから「ブラ男」についての話題には無関心でいられないのだが、どうもいま一つ、分からないところがある。
 女装を趣味とする男性は大きく二つに分けられる。完全女装と下着女装だ。完全女装は顔や髪形をバッチリ女に見えるようにすること。外出も出来るようになれば一人前の「完女」だ。
 一方、そこまでの自信がない男性、初心者などは下着だけ女性のものにして、首から下の「女になった自分」だけを眺めたり撮影したりして楽しむ。「首下女装」ともいう。
 こういった下着女装愛好者は女性下着の肌触りやセクシーさに魅惑されているわけだから、四六時ちゅう、たとえば会社で働いている時も女性下着を着けていたい、と考える。そういう人はけっこういて、時に下着女装状態で事故に遭い、それで家庭が壊れたなんて話も聞く。
 ぼくは「ブラ男」というのは、そういった下着だけ段階の女装愛好者だとばかり思っていたら、そういう人もいるけれど、そうじゃなくて「男がブラジャーを着けることの緊張感を味わうため」というブラ男が多いんだって。だから下はブリーフやトランクスなどの男性下着。「下も女性用だったらただのヘンタイじゃないですか」と言うブラ男もいるんだそうだ。
「???」とぼくは頭が混乱してしまったよ。ぼくに言わせれば女性下着に魅せられてブラとショーツ、どちらも女モノを着けるのが「正常」で、「ブラだけ」というほうがヘンタイに思える。どうしてそんなハンパなことをするんだろうか。「体を締めつける緊張感がたまらない」と言うのなら腰痛防止用のコルセットを着けたほうがよっぱど健康にいいと思うけどね。
 しかも彼らの中から「男性用のブラジャーを作って欲しい」という要望も出ているんだそうだ。そりゃ女性とは胸板の厚さが違うから男の肉体に合うブラジャーは見つけにくいだろうけど、しかし、そんな男性用に作られたブラジャーを着けて楽しいんだろうか?
 いやまあ、人の好みはいろいろだし、まさにニッチ(隙間)な商品だから、出せば以外とヒットするかもしれない。反対はしないけど、しかし……、どうも納得できないぞ。(笑)

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2008年3月22日 (土)

笑う射精

 不思議なものを見てしまった。
 ネット上には女装者用の投稿画像掲示板がいくつもあるが、そのなかの一つに、女装子さんの射精したショットが投稿されていた。
 そこは「見た目は女性、あそこはしっかり男性」という女装子さんがひしめく所で、ぼくのお気に入り掲示板の一つ。どこから見ても女なのに、股間には巨根がそそり立ち、オナニーで勢いよくドバッと射精している、迫力ある画像(カム・ショット)が見られるところなんである。
 で、そこに常連のR子さんという女装子さんがセルフ撮りのカム・ショットを投稿していたのだ。まあ、それ自体は珍しくない。
 驚かされたのは、射精した瞬間なのにR子さん(正真正銘の男性ですぞ)が白い歯を見せてニッコリ笑っていること。
 このR子さん、セルフ撮りの自分の写真はいつも朗らかに笑っていて、それが独特の魅力なのだけれど、射精した瞬間も笑っているのには、思わず目を疑ってしまった。
 いったい、こんなことが可能だろうか?
 オナニーやセックスによる男性の射精は、最終段階に達するともう意識では制御できない。背骨の腰のところにある射精中枢のスイッチがオンに入ってしまうと、前立腺のところから尿道が断続的に収縮を開始して、精液がドビュッ、ドビュッと数回に分けて噴射される。この時、男なら誰もが知ってる、あのズキーンという快感がペニスから脳を駆け抜けるわけだ。
 だから射精する瞬間の男は、知らない子供が見たら「痛がっている」「苦しがっている」と思うような表情をするのがふつうだ。
 快感は個人差があるから、固く目を閉じ、歯を食いしばって唸ったり叫んだりするのから、溜め息をつくぐらいで終わってしまうのまでさまざまだが、笑いながら出来るとは思えない。
 周囲の友人たちも「あの瞬間に笑うなんて、そりゃ無理だ」と言うし、風俗の女性も「そんな男、見たことない」と言う。
 はてさて、このR子さん、非常に特異な体質なのだろうか。それとも練習すれば出来るようになるのだろうか。試してみて成功したかたがいたら教えてください。

(画像は女装子R子さん、魅惑のセルフ画像です)

Rako03

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2008年3月14日 (金)

春愁エロチカ

 ようやく春だ。陽気がよくなるにつれ、冬ごもりを余儀なくされていた生物の世界は、活発な活動を開始しはじめる。
 人間も生き物だから、どんどん元気になるはずなのだが、そうではない場合がある。
 やる気が失せ、気分が落ち込み、なんだかとても悲しい。今ごろ、そういった精神状態になることを「春愁」と呼ぶ。
 もともと季節の変わり目はホルモンのバランスが崩れ、精神状態が落ち込むことが多い。これを「季節性情動障害」などと呼ぶ。秋から冬への変わり目はかなりの人が気分が落ち込むことで知られるが、春先にも同じことが起きやすいのだ。
 しかも春は、入学、卒業、転勤など、人の移動が激しい。仕事の内容も変わる。人間は慣れ親しんだ環境が変わると不安になり落ち着かなくなる。それも影響しているのだろうね。「なんとなくヘンだ」と思っているうちに本格的なうつ病になってしまう例だって少なくない。
 実はぼくも「春愁」を覚える体質だ。春が来るとなんとなく憂うつになる。桜の花だよりなんてのも嬉しくない。自分だけが落ち込んでいて取り残されていく状態。「なんとかしなきゃ」と焦れば焦るほど泥沼に足をズブズブととられるような、こればかりは春愁人間ではないと分からない苦しい物悲しい気分が続く。
 ある年の春、ふいにそういう状態から脱出できたことがある。
 下校中の女子高生の後を歩いていたら、風が吹いて彼女のスカートがまくれ、白いパンティと眩しい太腿がが目に飛び込んできて、脳にパンチをくらったような衝撃を覚えた。「ラッキー!」と思ったら、今までの憂うつな感情がどっかに吹っ飛んでしまっていた。
 何のことはない、エロティックな欲望が春愁をうち負かしてくれたんだねえ。弱っている脳に下半身が活を入れてくれたというか。
 それ以来、春愁を覚えたら、なるべくエロな気分を高めるような行動をとるようにしている。
 もしぼくと同じような春愁人間がいたら、この時期、積極的にエロを求めるようにしたらいい。風俗に行くのもいいしストリップを見るのもいい。エッチな本やDVDを買ってエロの世界にひたるのもいい。そうやって下半身を優先させると、脳を支配する春の憂いを負かすことができる。ぼくがそれに気づいて書いた短編の題名が、実は『春愁エロチカ』。なかなかいい題だと気に入っている。

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2008年3月 7日 (金)

好きだから官能ポルノ

 ときどき「いつ純文学書くんですか」と聞かれることがある。「へッ?」と聞き返す声が裏返ってしまうよ。(笑)
 どうもぼくについて何かの誤解があるみたいなのだ(原因は分かっている。噂をばらまいたやつがいる)。
 つまり「館淳一はもともと純文学志向の文学青年で、そっちのほうで芽が出ないので官能ポルノに転向した」という根も葉もない噂を信じている人がいるのだ。
 ぼくの作品の文体がどことなく純文学調に思えるのかもしれない(自分ではまったくそう思わないのだが)。それもあって「あの人が官能を書くのは、世を忍ぶ仮の姿、いつかは文学賞を狙っているのではないか」という憶測を勝手に抱かれてしまう。うう、困ったことである。
 確かに、官能作家のなかには文学青年くずれというか、そちらのほうで修業した作家が多い。そちらで芽が出なくてポルノに転向して食えるようになり、それでも「いつかは純文学を」と虎視眈々と狙っている作家もいる。実際、名を聞いたら驚くほどの「ホンモノの作家」が、それこそ世を忍ぶ仮の姿で官能ポルノで稼いでいたりする。中には、どうしてもポルノ以外では認められず、腐ってしまった人もいる。
 だから、ぼくもそういう「本当は純文学」系と思われているのだが、実情はまったく違うのである。ライター稼業は長かったものの、純文学に関心を抱いたことは一度もないし、そんな才能はゼロに等しいと思っている。
 ぼくがSMを主体とした官能ポルノを書くのは、ひとえに「SMが好き」「ポルノが好き」ひいては「エロが好き」ということに尽きる。
 SMポルノを書くのは、最初の頃「SMをしたい」「エロなことをしたい」という欲望が強かったからである。SM作家になればSMを楽しめるようになるのではないかと、大先輩である団鬼六さんの姿を仰ぎ見て、そんな錯覚を覚えたからである。ああ、バカだった。(笑)
 SM作家になってもSMがすぐ出来るわけではないのである。書くことと実行することは別の世界のことで関係ないのだと分かった時はもう遅く、ぼくはどっぷりSMポルノ作家になってしまっていた。SMが好きだからこれからもエロを書き続けるつもりだけれど、かくのごとく純文学など一切、関係ないのである。ただのヘンタイなんである。信じてほしい。(笑)

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2008年3月 1日 (土)

いつから成人?

 最近、選挙権年齢の引き下げが議論されている。
 現行では成人年齢に合わせた二十歳で選挙権を得るが、これを十八歳からにしようというものだ。基本的には賛成である。
 少子化が進行するにつれて、選挙権をもつ世代が老齢化してゆくのだから、政治が「老人のもの」になってゆく傾向が強まる。若い世代を政治に参加させるためには、早いうちに選挙権を与え、政治に関心をもってもらうにこしたことはない。
「いまの若いやつらは頼りない。十八歳で選挙権を与えるのは早い」という意見もあるだろうが、それはおとなが彼らを「子供扱い」するからで、困ったことに「子供扱い」されたほうがラクなので、青少年はいつまでたっても自立成長しない、という悪循環に陥る。
 いまより肉体的成熟の度合いが遅かった江戸時代でも、女性は十二、十三で嫁入りするのは珍しくなく、男の子は十五歳前後で「一人前」とみなされ世に出て働いていた。
 少子化対策になるかならないか分からないが、今や男の子も女の子も中学校を卒業した頃からどんどんセックスを体験している。昔と違って性に関する情報量も比較にならないほど豊富に得られる。だから選挙権だけでなく成人年齢も同時に引き下げ、十八歳で社会的責任を持たせ、セックスも責任を持ってやらせるようにすればいいのだ。
 いまは少年法などで庇護されすぎの「セックスやり放題、だけど責任はない」という未成年ウハウハ状態。これはいろんな枷を嵌められてセックスも十分に楽しめない大人にとっては不公平極まりない。はは、ひがんでるな。(笑)
 成人年齢ということ自体、いったい何を基準にして決めるのか、という問題がある。重大犯罪を犯しても「少年」「未成年」ということでことさら庇われてきたことには批判が多いが、それは「十七、八ぐらいなら、もう知的にも体力的にも一人前だろう」という、社会的通念があるからだ。
 だから成人年齢はすぐに十八歳に引き下げるべし。そうなればもちろん、必要以上に未成年を保護する青少年保護育成条例のような悪法は廃止である。セックスマーケットには新鮮ピチピチの十八歳ギャルが大量に出回る。これでいいのだ。(笑)
 ずいぶん乱暴な論理のようだが、それが時の流れなんである。少子化の日本、若い世代の働きなしにはやってゆけないんだから。

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2008年2月22日 (金)

エロの記憶

 最近、ぼくの掲示板に読者さんから投稿があった。
 ずっと以前に出した、中年男が美少女を養女にしてかわいがるという作品を気にいってくれて、何度も何度も読んではオナニーしていたという。
 そのうちボロボロになってしまったので、「新しいのを買おう」と思って処分したのだが、その時はもう、その本は絶版になってしまって、もう手に入らなくなっていたのだ。それを知った時は呆然としてしまったらしい。まるで愛した猫が行方不明になったような気分だったかもしれない。
 幸い、その作品は最近になって別の出版社が復刻(元の本どおりに出版する)してくれたので、そのひとも何年ぶりかで探していた本を手にすることができた。
 ご本人はとても嬉しかったらしく、そのことを報告してくれたのだが、「実は、一か所、記憶と違ってる部分があるのですが、書き直したんですか?」と質問もしてきた。
 少女がボート遊びの途中、養父の見ている前で船底に放尿するというシーンなのだが(はは、かなりエロでしょ)そこがもっと具体的だったはず——というのだ。記憶では何行も何十行もあったはずが、それが無い、というのだ。
 そういうシーンを書いた記憶はあったけれど、復刻にあたってはほとんど内容に手を加えなかったので「おかしいな」と、新旧二冊の自作を読みくらべてみた。やっぱりぼくの記憶どおりで、そのシーンはあるものの、少女がボートのなかでおしっこする部分は、わずか一行だった。
 その読者は「あるいは似たようなポルノ小説を読んで、その中の似たシーンを間違えて記憶していたのかもしれません」と言っていたが、そうじゃない可能性のほうが高いと思う。
 その部分があまりにもエロくて強く刺激された結果、そのひとの頭の中で「こういうふうだったらいいな」と想像した細部の部分が、記憶に「書き加え」られたに違いない。
 その結果、その人の理想のエロが描写された文章が、原文を読めなくなってしまった長い間に、何行、何十行もの文章になって脳にしっかりと書き込まれてしまったのだろう。
 記憶というのは、そうやって時間と共に変化してゆくものなのだが、作者としては、読者が独自に書き換えてもらうのは、おおいにけっこうなことだ。報告をいただいてなんとも嬉しかったよ。

(『養女』1987のカバー)
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(『養女』の復刻版、『卒業』05年のカバー)
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2008年2月15日 (金)

女の声に勃起する

 最近、LPレコードで音楽を聴いている。レコードプレーヤーが壊れてしばらくレコードをかけることができなかったのだが、知人が「もう使わないから」とプレーヤーを譲ってくれたので、まだ三百枚はあるLPを毎日聴いている。
 ぼくのLPコレクションはずいぶん偏っていて、ほとんど女性のボーカルだ。ジャズが一番多いが、ポップス、カントリー&ウエスタン、歌謡曲、オペラ……とさまざま。聴かないのはJポップスぐらい(おじさんには分からないんだもの)。
 ターンテーブルにアニタ・オディをのっけてそっと針を落とす。ハスキーで甘いアニタのブルースがスピーカーを鳴らす。うーん、たまらん。やっぱりジャズボーカルはLPですよ、アナログですよ。
「何を言ってるんだ、今は再生波形の忠実度も雑音の低さでもCDのほうがずっといい。面倒なLPレコードなんか聴くのはバカだ」とデジタル派には言われるけど、何と言われようとジャズボーカルの、特に女声の暖み、人間らしさ、そう「粘膜」から出る声のエロティシズムはCDなんか足元に及ばない。LPでなきゃ出せない、聴けない音ってあるんだよ。
——と言っても単なる趣味の問題になるけれど、どうして女の歌がこんなに好きなんだろう。それもハスキーな、ちょっとしわがれた感じの、深みのある、しっとりした、熟女の歌声がね、ジャズでも演歌でも、体の内側から熱くさせてくれるんだな。
 若い女性歌手の高くて澄んだ歌声というのは苦手で、オペラでもメゾソプラノまで。キーンというソプラノはダメなんである。
 これは高校時代、ラジオの深夜放送のパーソナリティがね、藤間紫とか岸田今日子とか朝丘雪路とか、当時の「色っぽいおとなのお姐さん」だったせいだろうと思う(はは、年代がバレたね)。彼女たちのしっとりしたハスキーな囁くような声をラジオから聴きながらオナニーしてたので、そういう声を聴くと、下腹部が先に反応してしまうようだ。
 前に「女性の子宮に響くような渋い低音の声の持ち主が羨ましい」——と書いたけれど、女性だって絶対、男の股間を直撃するような悩殺ハスキーボイスがあるはずだ。ぼくの場合はそれがアニタ・オディだったりブルースを歌う和田アキ子だったりするのだけど、そういう声をうまく再生してくれるのはやはりLPレコードなのだ。理屈抜きでそうなのだ。文句あるか。

(画像はドキュメント映画『真夏の夜のジャズ』で、ニューポート・ジャズ・フェスティバルで歌ったアニタ・オディ。この名唱で“ジャズヴォーカルの貴婦人”と称えられた。うーむ、マイクになりたい。(笑)

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2008年2月 8日 (金)

チョコレートSEX

 バレンタイン・ディが来る。最近は年が明けたらもう、街はチョコレートだらけになるような気がする。今朝の新聞にはさまれたチラシもチョコレート関係が何枚もある。
 バレンタイン・ディは欧米では愛しあうカップルの日であって、プレゼントは女性からでも男性からでも贈っていい。その品物もチョコレートに限ったことではなく、何を贈ってもいいのだ。日本のチョコレート「だけ」商戦というのはチョコレート業界の作戦が図に当たった結果である。
 まあここまで普及してしまったものをどうこう言っても仕方ないから、くれるものはもらっておこう。去年は一個だけだったが。(笑)
 チョコレートの催淫作用、媚薬作用は古くから言われていて、かのサド侯爵などはチョコレートに唐辛子をまぜたものを惚れた女性に食べさせて誘惑したとか。どちらかというと男性に対してより女性に対して「エッチな気分にさせる」という効果がありそうだ。
 だからセックスの前に女性にチョコレートを食べさせるというのは、気分を盛り上げるには悪いことではない。口のなかでチョコレートを溶かしながらディープキスを交わすのもいいかな。かなり口の回りが汚れるけど。
 友人のなかにバレンタインのチョコレートをたくさん貰ったやつがいて、彼はそれをどう処分したものかと考えて「そうだ、セックスに使おう」と思いついた。
 チョコレートは体温でもヌルヌルになるから、空の浴槽に二人で入って互いの肌にチョコレートをなすりつけて、口でそれをペロペロ舐めるという前戯から始めたという。
「これはかなり刺激的で、舐めたり舐められたりするだけであんなに燃えたのは初めてだった」そうだ。
 うむ、ぼくのような糖尿病もちには考えるだけでも禁断のプレイだけれども、若くて情熱的なカップルだったら試してみる価値はあるだろう。ただし髪や体毛はチョコレートと相性がよくないので、毛の部分は避けたほうが具合がよいようだ。
「最後はね、彼女のアソコに棒状のチョコレートを押し込んでチュウチュウやったら、これは彼女も喜んでくれたんだけど、終わったあと、体内に残ったチョコレートがいつまでも出てくるので困っていた。アソコには入れないほうがいい」というのが彼のアドバイス。ではお尻の穴なら……。むむ、これは高等プレイですな。ぼくはシングルモルトを飲りながら甘さの少ないチョコレートをつまむ。これが一番。

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2008年2月 1日 (金)

粘膜の法則

 先日の『いろ艶筆』で藍川京さんが書いた『逆行性射精』、つまり射精された精液がペニスの先っちょから出ないで膀胱に入ってしまう現象を読んで、「やっぱり尿道の感覚というのは大事なのだろうなあ」と男として思ったことだ。
 射精の快感は前立腺から精液が噴出する時に起きるのが大部分だけれど、尿道の粘膜には精液が通過する時に快感を味わえるような機能がついているはずだ。尿と違って精液は勢いが違うし粘っこい。それが尿道を駆け抜けて尿道口から噴出する時、独自の快感を生じさせるはずだ。だから男性でも尿道オナニーにハマる人が少なくないんだろう。
 ぼくのところには、メールやホームページの掲示板への書き込みという形で、読者や関係者からいろいろな情報が寄せられるのだが、そのなかにこういう人がいた。
「尿道からマチ針の頭のような、傷のつかないような細いものを入れてやると、尿道口から一・五センチ入ったところで、すごい独自の快感を覚えるツボがある。それはもう男のGスポットみたいなもので、よがり狂うけれど射精することがないので、いつまでも楽しめる」というものだった。
 尿道から細い管を入れて前立腺に達すると、強烈な快感を覚えるという例はいろいろ聞く。これは前立腺そのものを内側から刺激するわけで、当たり前といえば当たり前なことなのだけれど、この人は、それ以前の、先っちょに近いところで感じるというので興味を覚えた。尿道から前立腺まで到達するのは距離が長いぶん困難だ。一・五センチならやりやすいではないか。しかし、なぜ一・五センチなんだろう?
 いろいろ調べてみて理由が分かった。尿道は先っちょから一・五センチのところで太くなり、刺激に敏感になるのだ。
 人間の粘膜というのはだいたいみな同じで、口でも膣でも肛門でも、出入り口のところは鈍感になっていて、少し入ったところから敏感になる。耳かきを使ってみれば耳もそうだと分かるだろう。尿道もそれと同じことなのだ。ぼくは思わず叫んだね。
「粘膜一・五センチの法則!」
 つまりどんな出入り口でも一・五ミリ内側に入れば快感を覚えられる——という法則。ううむ、すごい大発見なような気がするが、どうだろうか。しかし尿道の場合は刺激するとすぐ炎症を起こして苦しむから、ぼくは奨めないけどね。

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2008年1月25日 (金)

さらば「ブラジャー」

 Mixiの仲間が「これはおかしい」と怒っていたのが、某清涼飲料のCM。
 女優のSが、フラフープを回している映像の最後に、「ブラジャーが透けるほど汗をかいた最後っていつだろう?」というナレーションが入る。
 このナレーションに「不快だ」という苦情が寄せられ、メーカーは「こんなに汗をかいた最後っていつだろう?」というセリフに差しかえた。そのことを怒っているのだ。
 どうも「ブラジャー」という具体的な名詞が「不快感」の原因らしいけど、ブラジャーのどこがいけないんだ?
 たぶん文句をつけたのは、中年の汗かきおばさんじゃないか、って気がする。そういう人はブラジャーの締めつける部分が肌と擦れて、汗をかくと湿疹になったり痒くなったりするものだ。だから「ブラジャー」と「汗」の組み合わせがそういう連想を生んで「不快だ」ってことになったんだろう。
 男性にとってブラジャーは単に「おっぱいを包む、セクシーな下着」だ。自分は着けたことがないからそういう連想は働かない。汗をびっしょりかくとブラウスが肌に貼りついて、ブラジャーが透けて見える。そういう光景を想像しただけで元気になるではないか。(笑)
 清涼飲料のCMとしては傑作だと思うけどねえ。二十代から三十代の女性をイメージしたというから、中年の汗かきおばさんのクレームなんか無視すればいいのに。
 ただ、「ブラジャー」ではなく「ブラ」にしたらどうだったろうか、という気はする。クレームは少なかったのではないか。
 いま、女性の下半身を包む下着のことを、公衆の場では「パンティ」とは言わない。「ショーツ」あるいは「パンツ」(アクセントが平板になる)と言う。それと同じような「なまなましい、いやらしい」という語感がブラジャーにも付着してしまったのかもしれない。
 だとすれば女性たちに嫌われた「ブラジャー」という言葉は死語になって「パンティ」同様、使うのはオヤジ年代だけということになりそうだ。官能小説やポルノの作家としては由々しき事態だぞ。(笑)
 とはいえ「ブラジャーとパンティ」と書くから想像力が刺激されるんであって、これが「ブラとショーツ」じゃ、いまいちインパクトに欠けるよね。
 まあ官能やポルノの読者は圧倒的に男性だから、それでもいいといえばいいんだけれど、言葉を駆使する職業だけに、やはりそういう「変化」も考えなきゃいけない。悩むところではあるのだ。

(画像はブラジャーなるものを知らない人のための参考画像。上がそうです。(笑))

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2008年1月19日 (土)

撮らせたヌードの守り方

 かつて、シロウトがプライベートなヌード写真を撮るのは難しかった。撮影はできても現像や焼き付けが難しかったからだ。
 性器やヘアが写ったヌードのフィルムを街のDPE屋さんに持ち込もうものなら焼き付けを拒否されたり、ひどい場合はフィルムを勝手に処分されたりした。自分でDPEが出来る人でないと撮れなかったのだ。
 だから世の女たちは安心していられたのである。「きみのヌードを撮らせてくれ」という男なんていなかった。男たちはみな、一期一会とばかり自分の網膜に女たちの裸像を焼きつけて、思いだしてはオナニーしていたんである。
 ところが今や、誰もがカメラを持つ時代になった。今どき携帯にデジカメがついていないのは珍しいだろう。どんな光景風景でも携帯デジカメでパチリと撮って、その場でメールにして送りつけることが出来る。
 もちろんふつうのデジカメも安くなって普及した。こちらはもっと細かいところまでありありと記録してしまう能力をもつ。
 女たちのヌードも、今や取り放題。パソコンで処理するからいくらでもプリントできるし、インターネットメールや掲示板の投稿でどこへでも送り、誰にでも公開して見せることが出来る。
 こうなると女たちはうかうかと男にヌードを撮らせることが出来ない。後になって自分のエッチ過ぎるヌードが恐喝のネタにされたり、嫌がらせに色々なところで公開されて大勢の人目にさらされたりする。有名女優やタレントのプライベートヌードがあちこちで流出するのは、もはや珍しくなくなった。
 みんな「誰にも見せない。ぼくだけの思い出にするんだ」という言葉にだまされるんだろうが、そんなの大ウソに決まっている。男は自分の獲物を自慢したがるものだ。女性は撮らせたら最後、誰かに見られることは覚悟したほうがいい。
 では、そんな恥ずかしい目に合わないためにはどうしたらいいだろうか。女性映画監督の大宮エリーさんが週刊誌に書いていた。
「自分のヌードを撮らせるのなら、撮る相手のヌード、それもものすごく恥ずかしい姿をこっちも撮らせてもらう。この交換条件に応じないやつには撮らせない」
 なるほどね。これでは男もうかつに外部に見せられない。美しくエロなボディをもつ女性は参考にしてください。

(画像は参考流出画像。(笑)こんなのを顔を修正されないで流布されたら、たまりません)

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2008年1月13日 (日)

日本人が誇れるもの

 最近のニュースで報じられたことだけど、日本の子供たちの学力が国際的な比較でどんどん低下しているらしい。特に理数系の学力は、日本の将来が不安になるぐらい下がってきてるようで、教育関係者も政治家も「なんとかしないと」と危機感を募らせているようだ。
 そりゃまあそうだろうね。日本人はかつて世界でも一番ぐらいの識字率の高さを誇っていた。誰もが字を読める。つまり教育程度が高い。アジアで一番早く民主化を遂げ、工業国として発展できたのも、国民の知的能力が高かったからだ。
 ところが、日本人自慢の知力がどんどん低下しているのだから、かつてのように高度に発展した工業生産が維持できなくなってゆく。資源が無い日本は知的な活動でメシのタネを稼がないといけないのだけれど、この調子ではお先真っ暗——ということになる。
 そりゃ当然だろう。今の日本ぐらい「金が金が」という拝金思想にまみれてる時代はなかったのではないだろうか。マジメに勉強しても、必ずしもお金をかせげるものではない、と分かってきた子供が勉強したがらないのも当然だ。これは、そういうふうに導いてきた男たちの責任だ。
 しかし大丈夫だよ。日本には世界に負けない有数の財産があるんだから。
 それは何だろうか。他でもない、「日本の女性」だ。
 女性なら世界じゅうどこにでもいると思うだろうが、いやいや、日本女性ぐらい美しく魅力的な女性はいない。肌は白くキメ細かで美しく、愛撫していてこんなに官能的な喜びを与える体をもった女性は世界各国に類を見ない。
 みんな比較しないから日本の女性の素晴らしさを自覚できないだけで、本当はこれぐらい国際競争力のある「財産」は無い。ためしに外国の女性と接してみなさい。日本女性の素晴らしさをつくづく理解できるだろう。
「で、日本の女が素晴らしい財産だとして、それをどうしたらいいのだ?」と質問されるだろうね。答えは「分からない」。(笑)
でもいいじゃないか。世界で一番いい女を独占していると思えば、子供の知力が少しぐらい低下したって。うは、なんかヤケ気味だけれど、ダメになってゆく男に代わってこれからは日本の体も心も美しい女たちが新しい国を作りあげてゆく——そういう気がするなあ。

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2008年1月 6日 (日)

タイホされたい!

 新年そうそう、物騒な言葉を吐いてしまうけど、ぼくは逮捕されたいのだ。ミニスカポリスではなく本当の警察官に。
 何の罪かというと刑法百七十五条の「わいせつな文書、図画を頒布し販売し公然と陳列した罪」だ。
「なにを物好きな。そんなの簡単だろう。非常識にエロいことを書けば、すぐ逮捕されるんじゃないか」と思われるるだろうが、それは作家以外の表現者、たとえば写真家、画家、イラストレーター、映画監督……などの、映像で表現する人たちの「特権」みたいなもので、ぼくらのように文章でエロを表現する作家は、警察もお呼びじゃないのだ。
 かつては「チャタレー裁判」や「四畳半襖の下張り裁判」などで文章表現がわいせつだからと関係者が有罪にされる事件があったから、今でもポルノ小説を書こうとする人たちの中には「法律に違反しない書き方ってあるんですか?」と聞かれることがある。
「ありません。悲しいことに何をどう書いてもいいんです」と答えている。
 実際、文章表現がわいせつだとして作家が起訴されたのは、一九七九年に有罪判決を受けた中川五郎の「二人のラブジュース」事件が最後で、それから三十年、裁判になったことはない。いまや「文章のエロは問題にしない」というのが、表現を取り締まる当局の考えかたのようである。
「だったらいいじゃないか。何をどう表現してもいいんなら自由で、困ることはないだろう」と言われるかもしれないが、実はそこが問題なんである。
 エロな文章が規制されていた時代は、作家は間接的な表現で読者の想像力をどう刺激するか、技巧の開発に余念がなかった。ここで筆を間違えると手が後ろに回る、と思えば緊張するよね。
 その規制が外れて自由に用語を使えるようになった今、文章にこめられる「エロの力」というものが増したか、というと、かえって逆なんである。
 取り締まる側が「これはけしからん!」と怒るような表現が失せてしまったのは、取り締まってくれないから書くほうの張り合いが失せたのかもしれない。
 映像表現では当局と表現者の間で熾烈な攻防が行なわれている。そうすると作品には緊張が生じる。ポルノ小説には、そういう緊張感が欠けているんである。それもこれもタイホしてくれない当局が悪い。(笑)
 これからは、絶対にタイホされちゃうようなエロい文章・作品を書きたい、と、そういう意気込みで書いてゆきたい。それがぼくの新年の計である。

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2007年12月27日 (木)

想像力強化オナニー

 男のオナニーというと、セックスの相手をしてくれる女がいないので、仕方なく一人寂しく——というイメージがあるせいか、あまり肯定的に語られることが少ない。
「女に不自由しないからオナニーなんてする必要がない」なんて嘯く男がいたりするものだが、実は、そういうやつはバカである。
 オナニーは男性の生殖機能のメンテナンスのようなものだ。独身、既婚、恋人の有無に関係なく、男なら定期的にやるべきものなんである。その結果、脳もペニスも「いざ」という時、スムーズに対処できるようになる。
「オナニーすると精子がムダに捨てられてしまうのではないか」と思う「もったいない派」がいるかもしれないが、実はそのほうがいいのだ。
 精子というのは睾丸で製造され精嚢で蓄えられるが、やはり保存期限はあって、古いものほど元気がなくなる。オナニーというのは常に元気いっぱいの精子を蓄えておくためにも必要なんである。
 そのオナニーに際しては、「おかず」——性欲を刺激してくれるモノを用いる男性が一般的だろう。エッチな雑誌グラビア、マンガ、小説、あるいはDVDのポルノ映像などを見て興奮させ、その勢いを借りて射精にもちこむ。まあ、中には女装した自分を鏡に映して、それを見てオナニーする——というテクニックを使ったりもするだろう。
 しかし「おかずオナニー」には欠点もあるのだ。それは、想像力を必要としない、ということだ。視覚的な刺激でいとも簡単に勃起してしまうから、頭のなかでいろんな妄想を組み立てる努力が必要ない。
 本来、オナニーはおかずなしでやるのが本当だろうと思う。昔からオナニーというのは何かしら罪悪感を伴っていたものだが、それはなぜかというと、自分の頭のなかに浮かんでくるさまざまな空想を組合わせふくらませて「すっごくいけない、人には絶対言えない、ものすごく恥ずかしくていやらしい」という妄想に育てあげて、その結果として強い勃起を生じさせ、勢いよい射精へと導いたからだ。
 おかずオナニーは、そういった「いけなすぎる」妄想をふくらませる間もなく射精させてしまう。その結果として妄想を生みだす想像力が衰退してしまう。そこが問題なんである。
「ポルノを書く時、いいアイデアとかネタが思い浮かばないんですが、どうしたらいいですか」という質問をされると、ぼくは「おかずなしでオナニーしてごらん」とアドバイスすることにしている。

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2007年12月21日 (金)

下着の謎

 超常現象というほどでもないけど、日常生活のなかで「どうしてこんなことが起こったのか?」という不思議な出来事があるものだ。
 ぼくも、誰に話してもその理由を説明できない現象に遭遇したことがある。ちょっと色っぽいことは色っぽいので、皆さんに謎を解いてもらえればと思い、ここで紹介するとしよう。
 もうずいぶん前になるのだが、今住んでいるマンションに引っ越してすぐの頃だ。
 ある日、まだ眠気のさめないボーッとした頭でマンションの玄関ホールにある集合郵便受けに郵便物を取りにいった。寝るのが遅いので起きるのも遅く、まあ昼に近い時間だった。
 自分の郵便ボックスの蓋を開けて中に入っているものを見たとたん、目を疑った。
 女性の下着が、郵便ボックスに押し込められていたのだ。
 薄いブルーのブラジャー、両サイドを紐で結ぶ淡いピンクのTバックショーツ、それに白いパンスト。要するに若い女性が肌に着ける下着ひとそろいが丸められて入っていた。
「な、な、何だ、これはッ!?」
 眠気もふっとんだ目で何度も見てみたが、それはふわふわスベスベした、色っぽい女性の下着以外の何ものでもないんである。
 どれも明らかに肌に着けたもので、ショーツなどはパンストと一緒に脱いだので、裏返しになってくるみこまれている。香水の匂いがほのかにする。
「ど、ど、どうしたものか!?」
 公共の場で女の下着を手にボーッと立っていたら痴漢か下着泥棒と間違われる。あわててそいつをポケットに押し込み、部屋に戻った。戻ってからじっくり検分してみた。
 ブラジャーもショーツも有名ブランドのもので、着用した痕跡はあるものの、そう汚れているわけではない。パンストも伝線すらしていない。
 ぼくは引っ越したばかりで、住所も知らない知人の誰かがいたずらをするとも思えない。犯行?声明もない。まったくそんなことをされる心あたりがないのだ。
 しかも、それを着けていた本人は、いったいその後どうしたのだろう? 深夜、無人の玄関ホールで全裸になり、下着だけを郵便ボックスに適当に入れて、服だけまた着てどこかに行ったのだろうか? それにしてもなぜ下着だけ脱いだのだ?
 どう考えても分からない。「こんな事情があったのだ」と推理できたかたは教えてください。

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2007年12月14日 (金)

「ぶってぶって」の何が悪い

 最近、不愉快なのが「ぶってぶって姫」という言葉。その人物のことではなく、そう名付けて笑い者にしている連中が不愉快なのだ。
 まあ、その人物が何故マスコミに嘲弄されるかはさておき、彼女がセックスに際して、相手に「ぶってぶって」とねだったのをことさら笑いものにしているのがどうも許せない。
 一番許せないのが、そういう閨房のことを暴露した相手の男性だが、その部分をさも「この女はこういう変態だぜ」と指さして貶めている連中の品格のなさだ。下劣としか言いようがない。
 セックスのパートナーに痛めつけられたり辱められたりして快感を得る人間はいっぱいいる。マゾヒストでなくても、乳首を軽く噛まれる痛みが興奮を呼ぶので「もっと強く」とねだる女性に会うのは珍しくない。「ぶってぶって姫」のおねだりもこんなものだ。
 マゾヒストの快感は、苦痛が脳内のベータエンドルフィンといった物質を作り陶酔感を生みだすためで、これは個人差がある。その人の体質というか特質であるから、品性の卑しさとは無関係である。
 ぶってぶって姫はどこにでもいるし「ぶってぶって殿」だの「ぶってぶって王」だの「ぶってぶって若」だのもいっぱいいる。
 ぼくは商売柄、「女王さま」と会って話を聞く機会が多いが、セックスのパートナーに虐待されて興奮し快感を得る男性のなかには、各界の「大物」と言われる人物が大勢いる。ぶってぶって姫をあざ笑っている下劣な人間よりずっと品性品格のある人たちである。
 ぼくのようなSMモノにしてみれば、「ぶってぶって」と迫ってくるような女性は、これはもうありがたい拝みたいぐらいのもので、こういう女性がいなければサドの男なんて困ってしまうのである。
 だいたい性的な嗜好というのは、ゲイもそうだが各人の自由であって、法律に違反せず誰かに迷惑をかけないかぎり、何をやってもいいのである。特に男女の寝室のなかの行為は、キリスト教でも「神は閨房を覗かない」として、あえて咎めることをしない。
 セックスで「あれをするな、これをするな」と言っても人間はしてしまう生き物なんであるから、神さまも目をつぶって許している。それを、何をえらそうに笑うのだ。ぶってぶって姫の「行為」をバカにする者には天罰が下るであろう。あー、今週はキレてしまったわい。(笑)

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2007年12月 7日 (金)

初めて書いたポルノ小説

 ぼくがエロ雑誌の小説を真似て、自分なりのポルノを書いてみたのは、小学校六年生のことだ。原稿用紙にして四枚ぐらいだったけど、あれが文字通りの処女(童貞か)作だった。栴檀はまさに双葉より芳しかったんである(分かるかな)。
 なんでそんなものをガキが書いたか、という話をしてみよう。
 ぼくの家は若い男たちを多く住み込みで雇う商売だったので、便所は彼らと共通だった。
 時代が時代だったから汲み取り便所で、トイレットペーパーなんてもちろん無く、お尻を拭くのにもチリ紙があればまだいい方、古新聞や雑誌が置いてあって、それを破いて手で揉んで柔らかくして、ゴシゴシと拭いたのである。いやまったく、温水シャワーでお尻を洗って温風で乾かす水洗トイレなんて想像も出来なかった時代だ。
 住み込みの若い男たちはエロ雑誌もいっぱい読む。読んだらそれを便所に持っていってお尻を拭く、そういう習慣になっていたから、便所に行けば、まだ童貞の小学生でもいやおうなくエロ写真やらエロ雑誌やらを読むことになってしまう。
 そういうわけで早くからエロに目覚めてしまったのだけれど、ある時、そういう雑誌のなかですごくエロな小説に出会ってしまった。しゃがみながら激しく勃起してしまったぼくは、しかしひどい失望を味わった。せっかくいいところになったのに、それから先が破かれていた! 先に入った誰かがその部分でお尻を拭いてしまったのだ。
「ちくしょー」と口惜しくてならない。そこから先、どのように物語が展開したか、知りたくて知りたくてたまらない。木の枝を見てもムラムラとヘンな気持ちになる年ごろだったから、頭のなかはそのことばっかり。
 そこでハタと気がついた。
「そうか、読めないんだったら書けばいいんだ!」
 登場人物の性格や舞台の設定はすでになされて、半分まで筋は分かっている。「こんなふうになったらいいな」と思うことを原稿用紙に書いていったら、なんと結末でスンナリと書けてしまった。半分は真似だから処女作というのもおこがましいが、まあ習作だ。「ポルノ小説を書いてみたい」という方がいたら、こういう練習方法もある——と教えることにしている。

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2007年12月 1日 (土)

全裸で毛皮

「暑い、暑い」と悲鳴をあげていたのが、ついこないだのような気がするのに、季節は着実に巡ってきて、今や木枯らしがびゅうびゅう吹くなかを、毛皮のコートを着た女の子が歩いてる。そうだ、今日のテーマは毛皮のコートにしよう。
 毛皮のコートというとミンクとか銀ギツネとかいろいろあるけれど、あれはホントに温かいものだ。極端な話、下はスッポンポンでも上に毛皮のコートを纏えば寒くない。
 露出プレイというのを好む男女は多いが、全裸の女性に毛皮のコートだけを着せて連れ回す男——というのが増えるのも、この季節だ。まあ、夏に毛皮のコートで露出プレイもないだろうからね。
 実際、いい女が毛皮のコートをパッと脱ぐと、下が素っ裸というのは、こりゃインパクトがありますぜ、だんなさん(どうしてそういう口調に)。
 それで思いだしたのがパリの女。
 一番最初に訪ねたのが三十年も前だろうか、ちょうど今ごろのシーズンだった。
 右も左も分からない典型的な「お上りさん」という風体で、パリのあちこちをウロウロ歩き回ったのだけれど、とある夕暮れ、バスに乗ろうとして停留所にいたら、そこに豪華な毛皮のコートをまとったいい女が立っていた。金髪ではなかったけれどもちろん白人。
 で、バスに乗ったら彼女がぼくの前に向いあうように立った。どうも妙な目つきでぼくを見ているなあ、と思ったら、いきなりコートの前をパッとはだけた。なんとその下はパンティも着けていないオールヌード。栗色の逆三角形が目に飛び込んできた。
 彼女はよく考えていたらしく、その角度でヌードが見えるのはぼくだけ。つまりぼくだけに見せつけたわけだ。
「うわわ!?」
 予期していないからね、そりゃパニクリましたよ。いったい何事なんだか分からない。露出狂なのかと思ったりして。
 ぼくがただ驚いて呆然としてるのを見て、ふいにつまらなそうな顔になった美女は、コートの前を閉じて、次の停留所でそそくさとバスを降りていった。
 パリ在住の知人にその体験を告げたら、「ああ、それは観光客狙いの娼婦です」
 なーるほど、あれは無言の勧誘だったのか! それから何度かパリを訪ねたけれど、そういう体験は二度となかった。あの栗色の逆三角形が目に焼きついてるが、そういう娼婦は今でもいるんだろうか。

画像はイメージ参考画像です。

Furcoat

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2007年11月23日 (金)

超デブ女の快楽

「アバラ骨が浮き出ているようなガリガリに痩せた女」と「ムチムチブヨブヨ、相撲取りのように肉がついたデブ女」との究極の選択を迫られたら、諸君はどちらを選ぶだろうか。
 ぼくは絶対に太ったほうだ。もともと豊満なタイプの熟女が好きだからね。とはいえ、好んででっぷりデブの女性を抱こうという気にはなれない。ポチャポチャクラスまでだ。
 ところが世の中には「デブであればあるほど萌え〜」という「デブ女フェチ」の男性が少なからずいる。彼らのほとんどが「百キロ以上が理想」というからすさまじい。ところが日本では、どんなに太っても百キロを越す「大物」はめったにいない。
 これがアメリカになると、デブのスケールが違ってくる。百五十キロを越す重量級は珍しくない。なかには自分ひとりでは立つことも出来ない怪獣的デブがいくらもいる。食べ物も高カロリーだが、そもそも白人はわれわれ日本人とは体の出来が違うのかもしれない。
 それに、アメリカはデブ女フェチの男が多いようだ。最近知った言葉だが「BBW」(ビッグ・ビューティフル・ウーマン)というのがある。これをキーワードに検索してみると、デブ女専門のヌード雑誌がいっぱい刊行されていることが分かる。
 それらの雑誌には、カバか象かと思うような超デブ女たちが色っぽい下着姿や全裸で悩殺的なポーズをとってフェチ男を誘っている。まあ、ふつーの趣味の人間が見たら、頭がクラクラしてしまうだろうから、あまりお勧めはしない。
 こういったデブ女フェチ男たちの多くはマゾなんだろうと思う。彼らが好むのはフェイス・シッティング、いわゆる「ガンキ」で、顔の上に彼女たちの巨大なお尻を載せてもらうこと。何せ平均百五十キロクラスの体重だからね、本気で押し潰されたら窒息する前に首の骨が折れて即死だ。いやはや、命がけの趣味である。
 そういう雑誌を見て思うのは、賛美者がいっぱいいるから、デブ女たちも安心して好きなだけ太れるという事実だ。しかし若くて魅力があるうちはいいけれど、色香が失せてシワシワブヨブヨになったらどうなるんだろう? 人一倍食べなきゃ痩せてしまうわけだし、太り続ければ当然ながら健康も損なうだろう。アメリカの超デブ女たちの存在には謎が多い。

(画像は某BBWマガジンのグラビアから。このニコルちゃん(29)で150キロです。

Bbw_magazine3

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2007年11月17日 (土)

風俗資料館

 先日、ある方の作品展を観に、久しぶりに飯田橋にある『風俗資料館』を訪ねた。
 ここは、知る人ぞ知る、実にユニークな私立図書館だ。
 収蔵しているのは主にSMに関する雑誌、文献、資料。戦後の日本で刊行されたSM雑誌はほぼすべてのバックナンバーが揃っている。SMマニアにはもちろん、雑誌編集者や性風俗研究家などにとっては「宝庫」と言っていい。
 ぼくが最初に訪ねた頃は神楽坂にあった。ぼく自身が持っていない自分の初期作品が見つからないかと思って探索に行ったのだが、ちゃんとその頃の70年代のSM雑誌が保管されていて感心したものだ。
 何年ぶりかで再訪したら館長さんは美人の女性になっていた。収蔵されている資料もよくデータベース化されていて、これだと誰の作品でも探すのは簡単だ。まったくありがたいことである。
 館長さんと話していて驚いたのは、個人の持っていたアルバムやスクラップブックのコレクションも多数、収められていたことだ。
 たとえば女性の切腹だとかオムツとか、非常にマイナーなフェチの人は、一般書やふつうの雑誌、新聞のなかに関係のある記事や写真を見つけると、それを切り抜いて集めるものだ。熱心なマニアだと一生かけて集めた資料はかなりの量になるし、それらは唯一無二のものだから、もし同好の士がいれば非常に貴重な資料となる。ただし、それを作った人が死ねば、そういった類いのものは近親者の手で「おぞましい」とばかりに捨てられ燃やされてしまう。
 それを惜しむマニアが生前、そういった自分のコレクションを寄贈してくれるのだ——と館長さんは教えてくれた。
 なるほど。ぼくも実は、自分だけが「感じる」写真や記事を集めていて、棚いっぱいに詰まっている。これもやはりぼくが死んだら捨てられてしまうものだし、それ以前に興味のない人の目には触れてもらいたくない。
「そういったコレクションをどうしたものか」と悩んで、ここにも書いたことがあるのだが、これで悩みは解消した。風俗資料館に寄贈すればいいのだ。ああ、長年の難問が解決してスッキリだ!(笑)
 もしあなたがSMや特殊なフェチのマニアで、秘蔵のコレクションの処分に困っていたら、こういう施設に寄贈することをお奨めしたい。

(風俗資料館ホームページ:http://pl-fs.kir.jp/pc/top.htm) 

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2007年11月 9日 (金)

熟女のスポーツ

「スポーツは体に悪い」という信念のもと、自分ではやらない人間だが、見るのはやぶさかではない。まあテレビの前でゴロ寝しながらだけど。
 これからの時期は、やはりフィギュアスケートだね。男子はめったに見ない、女子ばっかり。
 しかしフィギュアスケートって不思議なスポーツだ。笑顔を浮かべることが点数になる。笑いながらやっていいスポーツって、フィギュアぐらいじゃないだろうか。
「貧乏人は選手になれない」し、人種的に白人が中心のスポーツということで「こんな特権的なスポーツはオリンピックから外せ」という声もあるのだが、まあ固いこと言わずに「女性の美しさを味わうスポーツ」として堪能しましょうや。
 しかし今シーズン幕開けのアメリカ大会を見てても、ジュニアチャンピオンクラスが大活躍してる。だいたい十四歳、十五歳あたり。こうなると十八、十九の安藤美姫らが「年増」という感じがしてしまう。
 日本の男はロリコン系美少女が好きだから、この年代の少女たちが活躍するフィギュアや体操、新体操などは喜んで見てるだろうが、熟女好みのぼくなんか、不満を抱かないわけにはゆかない。
 そりゃあ飛んだり跳ねたりグルグル回ったりするぶんには体は細く体重が軽い少女のほうが絶対的に有利だ。しかし、そうなると女としての美しさはまだまだ物足りない段階だから、そちら方面の楽しみは味わえない。
「いや、記録を争うスポーツなんだからそれでいいのだ」と言われればそのとおりだが、男としては「女性の美」も争って欲しいのだね。
 それなのに、娘ざかりの年齢になって、体がどんどん女らしくなり、ふくらむところがふくらんでくると、フィギュアや体操といったスポーツは不利になってくる。だから二十歳をすぎて肉体が円熟してきたところで引退を余儀なくされてしまう。それはもったいないではないか。
 熟女ファンとしてつらつら考えるのだけれど、これは階級分けしたらいいんじゃないだろうか。
 ジュニア、ミドル、シニアの三クラスに分けて、シニアクラスは三十になっても四十になっても「美しければ」選手として活躍できるようにすればいい。そうしなきゃ、今にスポーツは「子供のやるもの」になってしまうぞ。ロリコンスポーツ反対!(笑)

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2007年11月 1日 (木)

大統領のジョーク

 日本人が他の国の人々と違うところは「人の名前を事物に付けない」という点だ。
 外国へゆけば、空港、建物、通り、公園、学校——あらゆるモノに人の名前が付いている。アメリカなら「ジョン・F・ケネディ空港」、中国なら「中山路」(中山は孫文の別名)、ロシアなら「レーニン広場」というふうに。
 大統領や首相など国家的なリーダーとなると、これはもういたるところに名前が付けられてる。アメリカ最新の原子力空母は「ロナルド・レーガン」だ。ちなみにアメリカで一番、いろんなモノに名前がついているのはリンカーンで、二位がワシントンだとか。
「モンロー・ウォーク」のように、固有名詞がひろく普及して普通名詞になったものを「エポニム」というのだが、何を隠そう、ぼくの趣味はエポニム探し。そこで今日はアメリカ大統領の名前が妙なコトに付けられた例を紹介しよう。
 その大統領とは第三十代のカルビン・クーリッジ。ある時、クーリッジ夫妻は養鶏場を訪問することになった。時間の都合で先に見学することになった大統領夫人は、鶏舎のなかの雄鶏を見て「このオンドリは一日に何回、メスと交尾するの?」と訊ねた。
 養鶏場の責任者が「三十回ぐらいです」と答えると、喜んだ夫人はお付きの者に「このことを忘れないで主人に伝えてちょうだい」と言った。
 後から見学することになったクーリッジ大統領は、そのことを伝えられて責任者に質問した。「相手をするメスというのは同じメスかね?」
 責任者は答えた。「いえ違います。オンドリは一回ごとに違うメスと交尾します」。大統領はお付きの者に言った。「このことを忘れないでワイフに伝えておくように」
 つまり動物のオスも人間の男も、相手が変わると積極的にセックスし、同じ相手だと消極的になる傾向がある。たぶん世の男たちは皆納得するだろう。
 よって、このジョークを生んだクーリッジ大統領は心理学用語に「クーリッジ効果」という名を残したんである。
 日本語にはこういった個人の名のついたエポニムは極めて少ない。ウソだと思ったら我が国歴代首相の名前がついた言葉を探してみてください。

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2007年10月26日 (金)

夫婦の間の深い谷

 知り合いのSMクラブ経営者から聞いた話。
 人妻で、夫に内緒でM女のバイトをしていた女性が、ある日、お客に呼ばれたホテルからすぐに駆け戻ってきた。
 真っ青になった彼女が言うには、ホテルで待っていた客は自分の夫だったそうだ。妻の行動を疑った夫がアルバイト先をつきとめ、指名予約を入れていたのだ。
「これから夫と話し会いますけれど、お勤めは今日限りで辞めさせてください」と告げて去ったというが、そのあとでどう話し合いがついたか、それともつかないで修羅場になったのか、経営者も気がかりな様子だ。
 彼が言うところでは、その女性がSMクラブで働きたいといってきた動機は、お金のためではなく、自分のマゾ性を満足させたかったからだという。
 夫がいるのだけれど、彼はそっちに興味はなさそうだし、SMのことなど自分から言いだせるものではない。それでSMクラブにくる客によって、マゾ性を満足させてもらっていたわけだ。
 SMに限らずこういう夫婦やカップルは多いと思う。ある趣味を満足させたいのだけれど配偶者にはとても言い出せない、頼めない——と思いこんでる男女は大勢いる。
 ぼくの聞いた例では、夫も妻もSMが趣味で、互いに相手に秘密にして外で楽しんでいたら、あるSMパーティでバッタリ出会い、「どうしておまえがここにいるんだ」「あなたこそどうして?」ということになった夫婦がいたそうだ。
 そのあと彼らが円満に和解したかどうかは知らないが、早いとこ自分たちの性癖を打ち明けていれば何の問題もなかったのだ。それが出来ないのが、夫婦というものの不思議なところである。
 SMクラブ勤めがバレてしまった妻の場合も、これを機会によく話しあって、もし夫のほうが理解してくれたら「雨降って地固まる」で、かえって前より夫婦円満になるかもしれない。そうなって欲しいものだが……。
 ところで、この夫がどうして妻の秘密のバイトのことを知ったかというと、二人で使っているパソコンのブラウザ(インターネットを見るソフト)にSMクラブを閲覧した記録(履歴)が残っていたからだ。
 知られて困るようなサイト、ホームページを見たあとは、最後に履歴を消しておかないと簡単にバレてしまう。誰かと同じパソコンを使っている人は気をつけたほうがいいです。

(画像はブログ『愛妻アルバム』(http://mokosanphoto.blog61.fc2.com/)から。この夫婦の間に谷間はなさそうです)

Aisai_nikki

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2007年10月19日 (金)

秋のセーラー服

 今年は残暑が長びいたせいか、10月になっても白い夏のセーラー服が目立ったが、三連休を過ぎればさすがに姿をひそめ、いまは紺色の冬服ばかりになってしまった。
 面白いことに、六月の衣替えシーズンになると、マスコミは全国的にいっせいに少女たちの白いセーラー服を撮影して「女子高生も衣替え」なんて記事を書く。ところが十月の衣替えシーズンにはまったく触れもしないんだね。それだけ夏のセーラーは、男たちを元気にしてくれるってことなんだろう。
 これほど人気があるんだから、メイドカフェのように「セーラー服カフェ」があってもおかしくないと思うのだが、見かけないねえ。
 街は紺色のセーラー服ばかりだけど、そこに入れば「お帰りなさい、おとうさん」と迎えてくれるウエイトレスはみんな白い半袖の夏セーラー。疲れたおとうさんも元気になるのでは、と思うのだけれど、セーラー服は未成年のイメージがあるからダメなのかな。以前はピンクキャバレーでも「セーラー服まつり」なんてやってたものだけれどねえ。
 話は違うけれど、最近の制服メーカーの調査で、日本の学校で初めてセーラー服を採用したのは、京都の平安女学院高校(当時は平安高等女学校)で、大正九年(1920年)のことだという。それまで日本最初と言われていたのは福岡の福岡女学園で、それより一年早かったらしい。
「それがどうした」と言われると返しようがないのだが(笑)男たちを悩ませるセーラー服も日本の女の子が着るようになって九十年ぐらいの歴史があるんだね。戦時中の女学生も、下はもんぺでも上はセーラー服だった。本来は軍艦に乗る水兵たちの制服なのに、日本の女生徒たちに定着したのはいったいなぜだろう。やはり一番かわいく見える服だからだろうか。
 そういえば昔は男の子もよくセーラー服を着ていた。ぼくも三歳ぐらいの頃、上はセーラーで下は半ズボンの写真が残っている。我ながらかわいい。(笑)
 最近は水兵以外、男のセーラーというのはトンと見かけないけれど、美少年なんか似合うと思う。ほら映画『ベニスに死す』に出てきて中年男を悩ませたでしょ。日本もね、男の子がもっとセーラーを着てもいいと思うんだけどねえ。はは、今回は最初から最後まで、ぼくの趣味が出てしまったわい。

(画像は平安女学院高校の採用した最初のセーラー服を伝える朝日新聞記事)

First_sailor_uniform

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2007年10月14日 (日)

猿ぐつわで興奮

 さて、涼しくなったのでSMの話題でゆきますか(何でだ)。
 猿ぐつわというのは、まあ強盗に押し入られたり誘拐でもされないかぎり、体験する機会がない——というのがふつうだろう。
 こちとらSM大好き人間だから、機会あれば縛ったり叩いたりしてるわけで、もちろんそういう時には猿ぐつわもキチンと噛ませます。これがないとどうもSM度が低い。
 で、SMプレイが初めて、なんて人は猿ぐつわも初めて体験するわけだが、マゾっ気のある女性というのは不思議に猿ぐつわにハマってしまうことが多い。縛ったり叩いたりだけでは興奮しない女性が、猿ぐつわを噛ませたとたん、トロンとなって激しく濡れてしまう例はたくさん見てきた。なぜだろうか。
 猿ぐつわの目的は声を出せないようにするためだから、本格的には口のなかに何か布を詰め、それを吐きだせないように別な帯状の布で唇に噛ませるようにして首の後で縛る。さらに完璧にするには手拭いのようなもので鼻と口にかぶせるようにしてしまう。つまり「詰めて」「噛ませて」「かぶせる」という三段階が本当は必要なんである。
 こういう本格的な猿ぐつわをされると、呼吸が苦しくなる。この息苦しさがどうやら女性のマゾ意識を高めるらしい。なかには条件反射のようになっていて、掌で口を覆ってやっただけで発情し「どうにでもして」状態になってしまうマゾ女性もいる。
 一九五〇年代、アメリカでものすごい人気を集めたセクシーモデル、ベティ・ペイジは数多くの緊縛写真のモデルも勤め「ボンデージ・クイーン」と称された。それらの写真を集めた写真集は今なお出版され続けているが、彼女の表情を見ると、猿ぐつわをされているものが一番、感情が強く出てイキイキしている。
 最近、あるカメラマンが教えてくれた。「アメリカに行った時、かつてベティ・ペイジの緊縛写真を撮り続けたという老人に会って彼女のことを聞いたのだけれど、彼によれば、ベティは本当に猿ぐつわが好きで、緊縛モデルを勤める時は必ず自分から猿ぐつわを要求した、と言っていたよ」
 それで分かった。ベティは猿ぐつわを噛まされて燃える体質だったのだね。ベティの緊縛ヌードはネット上で検索すればいくらでも見られる。ぜひ彼女の猿ぐつわ萌え濡れ写真を見てみてほしい。
 最後にひと言。猿ぐつわを試す時は、窒息しないよう十分気をつけて!

(画像はベティ・ペイジの緊縛画像。ボールギャグを噛まされています)

Betty_bound_sofa2

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2007年10月 7日 (日)

スパンキングの効用

「スパンキング」とは早く言えば「お尻叩き」のことだ。
 最近、ぼくも作品を提供したスパンキング専門誌が誕生した。だからスパンキングの宣伝。(笑)
 日本でも子供を躾(しつけ)るのにお尻をペンペン叩くのは当たり前のことだけれど、子供が大きくなればもう叩かない。
 西欧では大人になってもお尻を叩いたり叩かれたりして喜ぶ男女が多い。もちろんセックスプレイの一環としてとり入れるもので、それは「ラブスパンキング」と呼ばれる。
 実はぼくもラブスパンキング派で、そういう作品をずいぶん書いてきた。
「スパンキングってSMプレイでしょ。こわ〜い」と恐れられることもあるけれど、要するにお尻ペンペンだからね、SMといっても知れたもので、愛好家によっては「スパンキングはSMではない」と主張する派もある。
 まあ、鞭とか縄とか持ちだしてくればSMだろうけど、素手とか定規とかスリッパなどで叩く「軽いお仕置き」としてのスパンキングは、ちょっと味の濃い前戯と言ったほうがいいのではないだろうか。
 お尻というのは厚い脂肪の層があり重要な器官がない。安心して叩いたり叩かれたりして楽しめる。それがスパンキングのいいところだろう。
 どうしてスパンキングが愛好されるのか、いろいろ理由は考えられるが、ぼくのような叩く側(スパンカーという)からすれば視覚的な効果が大きいような気がする。白いお尻は叩かれるとだんだん赤くなる。これは人間がまだサルに近かった頃、メスのお尻は発情すると赤く腫れたようになった。それを見てオスは興奮した。叩かれて赤くなったお尻は原始の記憶を呼び覚ますのではないか、というのがぼくの仮説。
 じゃあ叩かれる側(スパンキーという)はどうなのか。適度な衝撃と痛みがちょうど鍼灸やマッサージのような効果を体に与え、特に子宮などを刺激して発情しやすくするのだと思う。
 だからセックスの前にスパンキングを行なうと、情熱的なセックスを楽しめることうけあいだ。マンネリ気味のカップルなら、パートナーと話しあって一度楽しんでみたらどうだろう(いきなり無理やりやったらダメだよ)。
 ところでマニア同士が会うと「あなたはカーですかキーですか」「ぼくはカーです」なんて会話が交される。面白いでしょ。どういう意味か分からない人は、この記事をもう一度読み直すと分かるはずだよ。

(画像は創刊されたスパンキング専門誌『スパンキング倶楽部』第一号(三和出版)の表紙)

Spanking_club_magazine

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2007年9月28日 (金)

放尿セックス

「おしっこはキレイだ」と言うと信じてもらえないだろうけど、ウソではない。腎臓というフィルターで濾された尿は、膀胱炎などの病気がない限り、バイキンがほとんど無い清浄な液体なんである。
 きれいな水が得られない未開の地では、おしっこが消毒液がわりに用いられている。砂漠の民はラクダのおしっこで顔を洗う。
 それぐらいのものだから、体から出たばかりの尿は飲んでも平気だ。ただし体外に出た尿は時間がたつと有毒なアンモニアが生じるので、新鮮なもの以外は飲んじゃダメ。
 男女ともに尿を出す部分は生殖器そのものなので、放尿という行為はセックスと結びつきやすい。女性の放尿シーンを見たがる男は多いし、飲みたがる男も少なくない。ぼくの友人の官能作家、睦月影郎さんは「惚れた女のおしっこを飲みたがらないような男は男じゃない」と言いきってはばからない。
 わりと一般的な楽しみかたとしては、たとえば座位、騎乗位などの体位で結合しながら女性が放尿する——というのがある。もちろんバスルームなど濡れてもいい場所でやるわけだが、結合部分に熱いしぶきがかかってびしょびしょ濡れるというのは、なかなかオツな気分になれるものだ。
 SMマニアの間で一般的なのは失禁プレイというやつで、衣服を着けたまま拘束された女性が、最後にガマンできずにお洩らしするのを楽しむ責め。
 全裸の場合、バスルームの中なら女性はスムーズに放尿できる。しかしパンティをはかせて放尿させると、かなり苦しむ女性が多い。子供の頃から「お洩らししてはいけない」と躾けられているので、下着を着けていると、いくら尿意に苦しめられていてもなかなか出せないものなのだ。ウソだと思ったら自分で実験してみれば分かる。男も同じことなのだ。
 そうそう、「セックスの最中、おしっこを中出しされたい」という願望をもつ女性もいるね。
 男はギンギンに勃起していると放尿しにくいものだけど、挿入ちゅうにわざと半勃起状態にさせて膣のなかに放尿してやる。ぼくは体験したことがないが、そういう女性の相手をしたことがある友人の話では、尿を中出しされる感覚で、相手の女性はイッてしまったそうだ。精液より「感じる」らしい。
 さらに高度な技術として、アナルセックスの最中におしっこの中出しをする技がある。マニアの間では”温泉浣腸”と言われているものだが……、まあ、その話はまたにしよう。

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2007年9月22日 (土)

包皮をとりもどせ

 かねがね、仮性包茎のほうがズルむけペニスより絶対に具合がよろしい——と主張している。
 この欄にも「包皮の効用」という題で、女装する人が必要あって包皮をわざわざ伸ばすように努力していることを書いた。
 そうしたら「アメリカでは包皮を伸ばす器具が売られているよ」と教えられた。
 調べてみると本当にあるのだ。安いのは数ドル、高いものは百ドル(約一万二千円)ぐらいの「包皮伸張器」が何種類か市販されている。
 テープを貼り付けて引きのばす簡単なものから、トイレ用真空カップみたいなものなどいろいろだ。今もなお「包皮をとり戻したい」という熱心な男たちが自分のペニスを実験台にして新しい器具の開発にいそしんでいるという。「全米男性回復機構」などというPNОがそういう器具の普及をサポートしている。
 なんと「包皮を伸ばす手術」というのも実施されているのだ。これはけっこう痛いし、手術は二回に分けられ、お金もかかる。それなのに「失われた包皮をとり戻したい」と熱心に願う男たちが、その手術を受けている。
 日本では半分バカにされ気味の仮性包茎だが、アメリカでは逆に「仮性包茎のほうがいい」と思う男性が(女性もらしい)増えてきているのだ。
 どうしてかというと、アメリカで生まれた子供は、赤ん坊の時に本人の同意なく(当然だが)包皮をちょん切られることが多いせいらしい。
 ユダヤ教徒の場合は割礼手術というのは必須の儀礼だけれど、信仰に関係なく、医者が「そのほうが後々のためにいい」と、割礼を奨めてきたという事情がある。現在では新生児の六十三パーセントが包皮を切られてしまうらしい。
 ところが最近になって「包皮切除は本当に必要か」と疑問を抱く人々が増え、いろいろな調査がなされた結果、「包皮があったほうがセックスの時に具合がいい。女性も快感を得られる」という報告がもたらされるようになった。
 日本では「ズルむけペニスが一番」と思われているが、アメリカでは考えかたがだんだん変わってきたんだね。ぼくの調査でも、たいていの女性は男性の仮性包茎になんの抵抗もないし、ズルむけペニスより感じると思っている。仮性包茎諸君、自信を持て。きみたちはズルむけ男たちより優位にあるのだ!

(画像は、アメリカで売られている包皮回復器のひとつ。どうやって使うのか……?)

Hohicomeback

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2007年9月16日 (日)

「ネット女」に気をつけろ

 先週はぼくの性癖について「女装する美少年が好き」と書いたけれど、こういう人たちは「女のニセモノ」ではない。「ペニスがついた女の子」なんである。
 それとは別に「女のフリをして男をだます男」というのが、ネットにはけっこう多い。これはパソコン通信というのが始まった頃から「ネットおかま=ネカマ」と言われて、問題にされてきた。
 最近びっくりしたのは、SM動画の販売サイトを主宰していたH・N子という女流カメラマン。六、七年前にスタートした時「SMの魅力を伝えたい」とメールしてきたことがあった。「女性でSMのカメラマンって珍しい」と思って何となく名前を覚えていたが、そのあとサイトの方向性がおかしくなった気がして、興味を失っていた。
 そうしたら最近、そのサイトで「H・N子が過激な野外撮影で逮捕された。作品が押収されたからサイトを閉鎖する」というメールマガジンが送られてきた。
「へえ、この暑いのに大変だ」と思って業界の詳しい人に伝えると「所轄の警察にあたってみたら、逮捕もなにも、そんな事件はありませんでした」という報告。これには驚いたけれど、なんと「H・N子という女性カメラマン、最初だけなんですよ。あれは看板用の名前で、いまはほとんど男が撮影してるようです」と教えられて、もっと驚いてしまった。
 いや〜久しぶりにだまされた。まあ、被害はゼロだからいいんだけどね。
 そんな事件が起きたらすぐに閉鎖するのが当然なのに、逮捕された逮捕されたと騒ぎながら在庫処分大安売りをやってるのだから不思議だった。店じまいすると煽って在庫を一掃するための宣伝戦略だったらしい。警察までダシにして商売してるんだから大胆不敵というか世間をなめきっているというか、もう、本当に逮捕されても仕方のない連中である。
 このH・N子は一例だけど、最近人気のエログと呼ばれる、エロカワイイ女の子たちが書いてるエッチなブログ(ネット日記)も、写真だけは女の子だけど、文章構成は男がやっているものが多いらしい。つまりブログに載せる広告料かせぎが目当てなわけだ。
 男たちは「女がエッチなことをやって公表してる」と思うと、がぜん、好奇心を抱くものだけれど、そこにつけこんで女に化ける男が大勢いるから、ネットでエッチ情報を探す男性はだまされないでね。

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2007年9月 8日 (土)

女装子好きとゲイ

 ぼくのことを同性愛者(ゲイ)だと思って作品のことをいろいろ言ってくる読者がいたので驚いてしまった。
 理由は、ぼくが女装の美少年のことをたくさん書いてるから、てっきりゲイ、あるいはバイ(いわゆる両刀使い)だと思いこむらしい。
 そりゃあ確かにぼくは女装した美少年や美青年が大好きだ。ただし対象は非GIDのパートタイム女装子(じょそこ)さんに限ってのこと。
 女装する人は大きく2つのタイプがある。
「間違って男に生まれてきたけど、本当の自分は女」と思う人。これがGID(性同一性障害)型。男の肉体に嫌悪感を抱き、できれば除去したいと思ってる。女性ホルモンを使うニューハーフと呼ばれる人たちはだいたいこちらに入る。
 ぼくが好きなのは、「体も心も男だけど、ときどき女になりたい」という女装子さん。こちらは自分のペニスや睾丸を嫌わない。かえって誇示したがる人もいる。原則的に体はいじらない。
 この非GID型でも範囲は広く「セックスはやはり女性と」というのから「どちらでもОK」や「男性だけとしたい」というのまで様々だ。
 なぜそういった女装子さんに魅力を覚えるかというと、まあ「変わった生き物」だからでしょうね。(笑)ある時は男、ある時は女、性の境界を行ったり来たりできるってなかなか刺激的な生き方だと思う。
 こういう、ぼくの好きなタイプは、共通して「元気なペニス」を持っている。見た目は女の子なのにパンティの下はむっくりしていて、それを気にせずかえって見せつけたりする。そういうのに憧れてしまう。
「向こうは男なんだから、それを愛するおまえはやっぱりゲイだ」と思われるのも不思議はないのだが、ぼくとしてはパートタイム女装子は男の子じゃないんだね。「ペニスを持った女の子」と思ってる。あくまでも女の子の一変種。だからどんなに美少年美青年であっても女装してなければ何の興味もない。そこがゲイの人との違い。
 そのことはずいぶんあちこちで言ってるんだけど「美少年が好きならゲイだ」と思いこんであれこれ言ってくる人がいるので困る。そこんとこ正しく理解してほしい。
 ついでにあわててつけ足しておくけど、ふつーの女の子、つまり「ペニスをもたない女の子」も好きだからね。大好き。逃げないください。(笑)

(画像は、目下の女装子さん萌え対象、マゾっ子の中川涼子さん)

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2007年9月 2日 (日)

バイアグラは目にくる

「究極のED(インポ)治療薬」として喧伝されたバイアグラ、今はもうすっかり普及した。
 今夜も大勢の男が、これの助けを得てセックスを楽しんでいるかと思うと、これほど世のため人のためになった薬というのもペニシリン以来ではないか、って気がする。
 ただしバイアグラについて誤解されている部分がまだまだ多い。ぼくもいろいろテストしてみた結果をここで報告するので、参考にしてほしい。
 まず最初に言いたいのは「効果は個人差が大きい」ということ。だから過大な期待はもたないほうがいい。どうも効かない人が三割ぐらいいるようだ。
 ただ、使いかたを間違えている人が多い。バイアグラは勃起の時にペニスに流れこんだ血流をストップさせ続けさせる薬だ。そのためにはまず勃起しなければならない。
 バイアグラを分けてあげた知りあいが「薬をのんで勃起するのを待っていたけど、とうとう立たなかった」とぼやいていた。当たり前だ。自分の手、あるいは相手の手やお口で刺激してもらって、とにかく勃起させないと薬の効果は発揮されない。そこを間違えないように。
 バイアグラは医者に言えば処方せんを書いてくれる。一錠あたりの価格は五十ミリグラムで千五百円程度だ。「恥ずかしいから」「安いから」と通販で買う人も多いが、ニセモノが多く出回っているので注意してほしい。
 バイアグラの副作用で危険なのは、心臓病の患者の血圧が下がりすぎること。昏睡してしまうので心臓に不安がある人は絶対に使わないように。
 副作用で案外知られていないのは、目に「くる」ことだ。バイアグラの成分は目の機能をコントロールする成分とよく似ているんだそうだ。それでいろいろな視覚障害が発生することがある。
 ぼくが経験したのは「青視症」とでも言うのかな、服用してコトをすませたあと、世界が真っ青になってしまった。これには驚かされた。熱帯魚の水槽のなかみたいで、それはそれでファンタジックだったけどね。(笑)
 あとでバイアグラの副作用だと分かったけど、まさかペニスと目が関連してるとは思わなかったから、しばらくはずいぶん不安だったよ。まあ、そういう副作用についてちゃんと教えてくれるから、医者に行って処方箋で買うのが一番安全で確実だ。

Viagra

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夏のタマを涼しく

 今年の残暑は厳しい。この記事を書いてる時点でも東京は連日三十五、六度という猛暑に見舞われている。
 エアコンをガンガンかけて涼しくしていられる人はいいが、なかにはエアコンなしで暮らしてる人もけっこういる。ぼくの友人たちにも、理由はさまざまだがエアコンなしで耐えているのが何人かいる。
 三十数度という暑熱も一日二日ならいいけれど、何日も続くと家の隅々まで熱気がこもって、マンションでも壁自体が温まっているから、扇風機ぐらいで涼しくはならないだろう。
「よくがんばってるね」と、そういう友人の一人に聞いたら、彼は「ここ数日、家のなかでは真っ裸で過ごしているんだ。服を脱いでしまえばだいぶ過ごしやすいよ」という。もちろんパンツもはかない。あそこもブラブラさせたまんま。
「うーむ、それは涼しいかもしれない」と感心してみせると「だけどタマというのは邪魔なもんだねえ。ノーパンだと本当に思い知るよ。なんとかならないものだろうか」とぼやく。
 確かにそうだ。チンチンはともかくタマタマのほうは、体の外にぶら下がっていかにも無防備だ。あそこは叩かれたりぶつけたりすると気絶しそうなぐらい痛い、男の最大の弱点だし。
 精子のためには風とおしをよくしておいたほうがいいのだが、ぼくはキチンと包んでおきたいほうなのでブリーフ派だ。しかし真夏はあそこも汗をかいて、ともかくムレてしまう。まったく困ったものだ。
 そこでしみじみブリーフを見てみたのだが、これはもう少し改良の余地があるんじゃないかなあ。タマの部分は汚れるわけじゃないんだから、ここはメッシュのような風通しに適した素材にすればいいのだ。押さえつけてはいるけれど空気に触れる。レースのようなものでもいいけど、そうなるとヘンタイじみてくるな。(笑)
 こういった夏用のブリーフ、名づけて「金冷ブリーフ」というのはどうだ。温暖化が進めばますます猛暑になり、男たちの股間はムレる。金冷ブリーフを作って売りだせば、売れるんじゃないか。下着屋さん、作ってくださいよ。案外、もうどこかで作っていたりして。
 ところでスッポンポンでノーパンの夏を過ごしている友人が質問してきた。
「金玉ってめったに日光があたらない部分だけど、よく広げて日光浴させてよいものだろうか?」 知ってる人は教えてください〜。

(画像は女装子さんが着けてる網のショーツ。これだと涼しいね)

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2007年8月18日 (土)

ヌードモデルの「あいまい領域」

 先週は「絶対領域」について書いたので、今週は「あいまい領域」だ。
 ヌードモデルという職業に昔から興味があって、今も作品のテーマとして調べている。
 この商売もいろいろあって、画家やカメラマンの作品のために必要なプロの美術モデルから、かつて新宿三丁目にあった「ヌードスタジオ」で、酔客をたらしこんで金をふんだくる怪しげなおねえさんまで範囲が広い。
 特に技術や才能が必要なわけではなく、服を脱げばいいだけの話なので、職業としては最初っから「あいまい」なところが多い。
 最近目立つのは、ネット上でカメラマンを探すヌードモデルだ。自分のブログや専門のホームページに登録して「自称カメラマン」のお客を探す。
 どうもこれは「援交」が「売春」とみなされて以来、お金がほしい女性たちが頼るようになった「苦肉の策」の感じがする。
 その証拠に、プロフィールには「ハメ撮り」の有無が必ず書かれている。これがОKというのは、つまりセックスしている状態で撮影されるのを認めるわけで、なんのことはない、セックスさせてお金をもらうんだから、これはもう売春ということになる。
「AV女優だって男優とセックスしてお金をもらっている。それと同じで、これは売春じゃない」という言いわけもあるだろうが、AV女優はセックスの相手からお金をもらうわけではない。ハメ撮りモデルの場合はお客からもらう。そこが決定的に違う。
 しかし、男が女と密室に入って一対一になってからのことだから、これを取り締まるというのは至難の技だろうと思う。最近は「ハメ撮り」という言葉ではなく「どこまで撮らせるかは相談の上」という表現で、あいまいにぼかしてるモデルも多いことだし。
「それはいいことを聞いたわ。私もやってみようかな」と思った女性がいるかもしれないので注意しておくけれど、ふつうのヌードでさえ、ネットに流出したら困ることになる。まして性器を見せたりセックスしている姿がネットで晒されたら、これはもう「お嫁にゆけない」事態を覚悟しなきゃならないよ。
 甘い汁はどこでも吸えるとはかぎらない。男も女も「あいまい領域」に踏み込む時は気をつけよう。

(画像はハメ撮りの例)

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2007年8月10日 (金)

女の子の「絶対領域」

 おじさんになってくると、若い人たちの話が理解しにくくなってくる。世代特有の新語や略語、特有の言いかた(例えば肯定的に用いる「やばい」)を知らないせいもある。
 以前はOLたちが言う「カーデ」というのが分からなくて困ったことがあったが、なんのことはない、カーディガンのことだった。
 こないだも若い男性が「ナイハイが好き」なんて言ってて意味がサッパリ分からない。教えてもらったら「ナイロンハイソックス」のことだという。なるほどね、最近、女の子がはいてる黒い長い靴下がナイハイなわけだ。
 教えてもらうとハイソックスは「ハイソ」、もっと長い膝までのはニーソックスで「ニーソ」と略される。
 さらに膝をこえて太腿に達するのはニーハイソックスで「ニーハイ」だ。こうなるとガーター・ストッキングによく似たものになる。ストッキングは太腿を見せないけれど、ニーハイは見せていい。そこが違うらしい。
 確かに黒いニーハイをはいてる若い女性は、太腿のあたりがやたら眩しい。百メートル離れていても眩しい。
 そうしたら「そこを『絶対領域』って言うんですよ」と教えられた。
 コミックやアニメのファンの間から広まった用語らしいが、女の子がはいている靴下とミニスカート(ショートパンツ)の間の太腿の部分のことを指して言うのだそうだ。
「おー、そうだったのか!」
 おじさんは感心して膝を打ったものだ。(笑)
 今年の夏はどういうものか女の子の白い太腿がなぜか気になって仕方なく、なんだろうかと思っていたのだが、それは絶対領域のせいだったのね(違うって)。
 単なるナマ足よりも色モノや柄モノのニーソやニーハイをはくと、太腿の素肌がよけい強調されて見える。それで「絶対的に魅力的な領域」ということなんだろう。
 まあ、こういう言葉が出来たということは、男の子も女の子も、輝くように白くてスベスベしてムチムチしている太腿の部分に、なにか「神聖」なぐらいのエロティシズムを感じてるってことだ。しかしこの夏はやけに感じるんだよ。どうしてだろうか。
 特にニーハイのなかにはトップのゴムの部分が赤やピンクのレースになっているものがあり、それだと昔の女性がストッキングを留めていたガーターのように思えて、おじさんは少年時代の女たちのスカートの下を思いだして、さらにドキッとするのであった——。

(画像はニーハイソックスをはいた女の子。ショートパンツやミニスカートの裾との間が「絶対領域」だ)

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女が洩らすもの

 何度も書いたことだけど、女性の「潮吹き」現象については、ずいぶんといろんなことが明らかになってきた。
 女性が膣を刺激されると大量の液体を射出することがある。セックスのあと、シーツがびっしょり濡れていると誰もが「オシッコを洩らした」と思い、女性もそうだと信じていた。医者もそう思いこんでいて「これは括約筋が緩いからだ」と言って、ひどい時は手術を受けさせたりした。
 やがてGスポットの存在や、女性にも前立腺に似た器官(女性前立腺)が見つかって、この「潮」は尿とはまったく違うものだということがずんずん分かってきた。
 成分を調べると、男性前立腺液に含まれる成分が含まれていて、潮吹きはハッキリ「女性の射精現象」だと分かっている。絶対にオシッコを洩らしているのではないのだ。その原料は汗や母乳と同じ血液である。女性前立腺のところで血液の水分が細胞内で透明な液とされ、射出されるのである。
 それでも同じ穴から出るので、今なお「あれはオシッコだ」と言い張る男が多い。アダルトビデオでは、女優にわざと尿を洩らさせて、あたかも潮を吹いたように見せかけるテクニックが用いられる。疑似潮吹きだね。その影響もあるのかもしれない。
 ぼくはこの潮吹きに興味があっていろいろ調べているのだが、最新の知見によれば潮を吹く器官はどんな女性にも具わっていて、実はふだんでも少しづつじわじわと潮を分泌しているんだそうだ。
 女性たちの潮吹き体験を聞くと、男の射精のようにピュッと飛ばす形と、そうではなくジワーッと溢れてきて股間を濡らすタイプがあるらしい。こっちは「潮吹き」ではなく「潮満ち」とでも言おうか。
 あるテクニシャンの男性は「女性は誰でも興奮すれば潮が溢れてくる。その時Gスポットの部分を指で掻き出すようにすれば、簡単に潮吹き現象を起こすことができるよ」と教えてくれた。
 この女性前立腺液、なんと驚いたり苦悶したりした時もピュッと出る。ジェットコースターに乗って下着を濡らした女性は、これまでオシッコをチビったと思われていたけれど、「潮」を吹いた可能性が高い。下着を濡らしてバカにされた女性は、文字どおり「濡れ衣」を着せられたことになる。そういう女性は案外、セックスの時に潮を吹く、感度のいい女性なのかもしれないよ。

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2007年7月27日 (金)

包皮の効用

 五月の初めにこの欄で『仮性包茎の味方』という一文を書いた。
 カイチュウ博士こと藤田紘一郎博士が「包皮はもともと”遊び皮“といって、セックスの時に男も女も刺激を得る有用なものです」とおっしゃったことで「包皮があったほうが女も気持ちがいい」と気づいたという内容。
 それからはことあるごとに女性に意見や感想を求めているが、なんと仮性包茎の恋人や夫をもつ女性は性生活にほとんど不満はなくて、パートナーとのセックスにおおいに満足しているという結果が得られた。
 おれは仮性包茎だから恥ずかしい——なんて妙な劣等感をもつ必要はまったくないのだ。かえってズル剥け巨根の男をパートナーにもつ女性のほうが不満が多い。世の女性よ、仮性包茎の男性をもっと大事にしなさい。
 それにしても包皮は「邪魔もの」と思われがちなモノで、男の子などふだんでもよく根本のほうに引っ張って亀頭を露出するように——なんて言われている。ところが世の中いろいろで、完全に剥けている男性が「包茎になりたい〜」と泣くこともあるのだ。
「そんなバカなことがあるか」と疑う人もいるだろう。いや、ぼくも驚いたけれど、ホントにあるんだよ。それは女装をする男性——女装子さんの一部。
 女装愛好にもいろいろあるが「手術はしたくないけど、外見上、完全に女に見られたい」という女装子さんがいる。しかしショーツ姿になったら下腹部のふくらみで一発でバレてしまう。
 そこを隠す技術に「タック」というのがある。睾丸を体内に押し込んでしまうのだ。力士がまわしを着ける時にやっている。すこし練習すれば誰でもできる。
 女装子さんの場合、タマを体に押し込んでからフクロで溝をつくり、サオをその溝のなかにおさめてしまう。うまくやると見た目、女性の割れ目そっくりのものを作ることができる。ショーツをはくと、電車で痴漢に襲われてもばれることがないという。すごい技術だね。
 その工程?でペニスを溝におさめる時、亀頭が剥けていると放尿がうまくゆかないらしい。あそこらへんが水びたしになる。ところが包茎の人間だと包皮がホースの役目をはたすのでオシッコもスムーズにできる。
 だから包皮が足りない女装子さんは、毎日少ない包皮を引っ張ってわざわざ包茎になるよう努力しているというのだ。信じられないだろうけど、これ、ホントの話です。

(画像はタックした女装子さんの股間。ショーツの上から触ってみても女性そっくり)
Tack

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男が味わう女の快楽

 男のセックスと女のセックス、快感の感じかたがまったく違うというのはよく言われることだ。男はペニスを強く勃起させ、勢いよく射精して鋭い快感を得る。この快感は急速に冷めて、回復するまで時間がかかる。
 女性は徐々に快感が高まり、一度ピークに達しても男のように急降下することはなく、二度、三度……とイクことが可能だ。だから快感の余韻も長く続き、その途中で刺激を与えればまた快感が高まる。
 だからテクニックのある男に攻められれば、女性は長時間、何回でもイキまくることが可能だし、失神するほどオルガスムスも味わえる。快感の質に関しては、花火のように一回爆発して終わりの男なんか、とてもかなわない。
 しかしどんなに女がうらやましくても、男と生まれてしまったからには、女の快感を味わうのは不可能だ——と思いこんでいたのだが、最近、女装者のセックスを調べているうちに、彼女?たちの中には外見だけでなく快感も女のように味わえる者がいるのを知った。これは驚きだった。
 女性ホルモンを投与したり、手術で睾丸を摘出した場合、体全体が女性化してセックスの快感も女のようになってくる——とは聞いたことがあるが、別にそういうことをしなくても、女のようなオルガスムスを得ることができるという。
 教えてくれたのはSMクラブの女王さま。そのテクニックはM男といわれるマゾヒストの男性を相手にプレイしているうち、段々に分かってきたという。
 彼女が男を「女性化」するのに使う基本的道具は「コックリング」。ペニスに嵌める金属の環だ。こいつで根元を小便も出にくいほど締めつけておく。
「射精しにくいようにしておいて刺激してやるの。たまらなくなってイッても、精液はチョロチョロとしか出ない。いつもの頭がしびれるような快感は味わえないわよね。ところがそれを繰り返してゆくと乳首とか前立腺とか他の部分が敏感になって、肛門に挿入されるとすごく感じるようになるの。そうなると何度でもイクことが可能になって、最後は女とそっくりの全身で味わうオルガスムスを体験できるようになるのよ」
 ううむ、すごい話だ。そうか、射精の快感を奪えば別の快感を味わえるように体が自分を変えてゆくのか。それは体験してみたいものだが、そこまで調教されるというのも、男らしさが崩壊してしまうようで怖い……。誰か、挑戦してみない?

(画像はコックリングの一種。いろいろな形状、締めつけかたのものがある)

Cockring

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2007年7月15日 (日)

父親の試練

 最近、「父親って大変だなあ」と思ったことがある。ネットで見つけたGIDの少年少女に向けた性知識を教えるホームページ。GIDとは「性同一性障害」のことで、たとえば男子なら「男はイヤだ。女になりたい」と真剣に悩むような子をいう。そういう子が少なからずいるので、彼らをどうやって救うか、それが問題なわけだ。
 そういう子は「ぼくは女の子になりたい」という意志をどこかで表明しなければならない。それを「カムアウト」と呼ぶのだが、たいていは女性の服や下着を身につけ、こっそりお化粧していたりするところを家族の誰かに見られてバレるのが「カムアウト」のきっかけになる。
 バレるのは姉が一番多く、次が母親らしい。そのホームページでは「バレたら正直に『ぼくは女の子になりたい』と打ち明けよう。カムアウトすれば、それ以後、家の中では女の子の服装で暮らせます」と書いてある。ということは、母親や女きょうだいは、男の子の女性化願望を案外簡単に受け入れてくれるということだ。
 では父親はどうなのか。筆者は「父親は何か言うかもしれませんが、気にしないことです」としか書いていない。驚いた。この言い方は何なのだ。
 男の子が女の子になりたいというのだ。本人にとっても親にとっても重大な問題だ。それを「母親が理解してくれれば父親の言うことはどうでもいい」と言わんばかりの書き方。こんなことってあるだろうか?
 ゲイとかGIDのことに詳しい知人の話では「それは、たいていの場合、父親は怒り狂うから、あらかじめ傷つかないように言ってるんでしょう」ということだ。
 実際、息子から自分がゲイだ、あるいは性転換したいと打ちあけられた父親たちは、動転し、半狂乱になるのがふつうらしい。時には殴ったり、絶縁すると脅かしたり、でなければショックで寝込んだりすることも少なくないという。
 つまり父親は母親ほど「カムアウト」に対して寛容な心を持ちあわせていないわけだ。どうしてなのか、ぼくは父親になったことがないので分からないのだが、息子に対してそれだけ「男としての自分の後継者」という期待が大きいのだろうね。
 いろいろな困難や障害を乗り越えてようやく一人前にしたところで、親として最大の試練が待ちかまえているかもしれないのだ。ああ父は辛い。あなたの息子がもしカムアウトしたら、対処できますか?

(参考画像は、アイドル女装子のしょうこちゃん。息子がこれだけかわいい女の子になるのなら、お父さんも許す……?)

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2007年7月 9日 (月)

全裸ハンターイ!

 梅雨になったけれど雨が思ったより降らない。今年の夏も暑そうだ。嬉しくない。
 北国生まれだから体質的に暑熱には弱いのだが、セックスの楽しみに関しても夏はダメなのね。なぜなら全裸が多くなるから。
 どういうものかセックスや性的な好みには「全裸派」と「アンチ全裸派」(着衣派)がいて、全裸派が主流ということになっている。
 ぼくはSMが好きだけれど、SMプレイを実践するマニアでも全裸派が多い。
「服とか下着が体にまとわりついていたら、うるさくてしようがない。パーッと真っ裸にしてガンガンやる。これがSMの醍醐味」だなんて言われ、アンチ全裸派は旗色が悪い。
 しかしセックスやSMというのは能率や効率を考えてやるものじゃない。「真っ裸にしてしまえば面倒がない」と考えるのは、もう人間ではない。
 何がイヤだといって、ポルノでもAVでもすぐに女を全裸にして何かさせたがる連中が一番嫌いだ。何の情緒も感じられないし感興も湧かない。そういうことをさせて喜ぶ「男」の感性が貧しいなあと思うだけだ。
 性器や陰毛にしても下着の陰でチラリと見えるからエロなんで、真っ裸にして大股びらきなんて銭湯みたいなもんだ。
 そういうふうに考えるのも、下着や水着やレオタードなど、女性の肌に密着するモノに対する執着が強い性格だからだろう。
——と怒っても、アンチ全裸派は少数派だから賛同者は少ないと思うが、女を真っ裸にして喜ぶ男たちを見れば、彼らの知能程度はみんな低いことが分かる。想像力というものがない顔をしている。つまりセックスの文化というものが身についていない。野蛮人と同じで、彼らの性行為はただペニスを突っ込んでピストン運動して終り。犬や猫と同じである。ケダモノなみのセックスなんである。
 それに比べてアンチ全裸派は知能程度が高い。想像力も旺盛だ。タイトスカートやピチピチのスラックスに浮きあがるかすかなパンティライン、ブラウスから透けるブラジャーの紐でも楽しめるのだ。全裸派はこういう芸当は出来ないのだ。悲しい連中である。
 女性の肌を包む衣服はセックスの文化を形成してきた。そいつを「面倒くせえ」と剥ぎとって何も思わないのは、やはりどっか心貧しいのだ。あなたが全裸派ならちょっと反省が必要だ。いやホントに。
 ——という具合に、全裸派の悪口言いたい放題を一度やってみたかった。満足。(笑)

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2007年7月 4日 (水)

戦争とバイブ

「おとなのオモチャ」としてのバイブレーターは、今は持たない人(もちろん大人で)がいないぐらい普及している。夫婦者はもちろん、女性だって専用のものを持ってる。男性用のバイブもある。いろんな形のものをひとりで何個も持ってる人も珍しくない。日本は「バイブ天国」と言っていいだろう。
 これだけ愛用されているバイブ、日本の誇るべき発明のようだ。第二次大戦後、昭和三十年代になって、乾電池を入れて使う万年筆型の『ニューハニーペット』という製品が、世界初のセルロイド筐体(きょうたい)電動バイブだと言われている。今のローターを細長くしたようなモノだったらしい。
 そして昭和四十六年、ペニスとほぼ同じ大きさの電動バイブ『熊ん子』が作られ、バイブ・ブームに火をつけた。
 ところが調べてゆくと、実はもっと早い時代に、バイブレーターを作ろうという大がかりな動きがあった。以下は大木至『オナニーと日本人』という本に書かれていることだ。
 それは第二次大戦末期のこと。健康な男性は根こそぎ兵隊にとられ、戦地へと送られてしまった。残された男は病人や老人や子供。若い女性はもとより兵士の妻たちも深刻な「男ひでり」という状況に置かれた。それに戦地で夫を亡くした戦争未亡人が加わる。
 その結果、国内でセックスが極端に乱れていった。どこにいっても「男がほしい」という女性ばっかりだから、少ない男はどんな女でも相手に出来る。「姦通」や「不貞」事件が続発した。警察や憲兵隊がいくら取り締まっても、女たちの貞操は乱れるばかり。男を取り締まっても女たちがおさまらないのでは、「銃後の守り」どころではない。
 困りはてた憲兵隊はとうとう「前線の兵士の志気を弱らせないために、女性用自慰器具の研究開発をせよ」と軍医学校に命令した。設計図は見つかっていないが、仕様によれば精巧なバイブ機能を有した、今でいうバイブレーターだったのは確かなようだ。なんと、女性の性欲パワーがついに国家にバイブを作らせる気にさせたのである。
 幸か不幸か、この官製バイブは、資材不足や技術者不足のために完成しなかった。もし軍部がもう少し早くバイブを完成させ、全国の女性に配給していたら、日本は——負けただろうね、やっぱり。(笑)
 戦争の時に必要とされたバイブを、平和な今、みんなが持って楽しんでいる。皮肉なことだねえ。

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2007年6月25日 (月)

フェチの不思議

 女性に前立腺肥大はあり得ないし、男性は子宮ガンには絶対ならない(ただし乳ガンにはなる)。それは当たりまえだけど、どちらにもある器官なのに、性によってかからない病気があるのだ。
 カミサンが喉を悪くして「喉頭ガンじゃないかしら」と医者にみせたら「女性はまず喉頭ガンになりません」と言われて安心していた。男も女もある器官なのに何でだろう?
 痛風もそうだ。ぼくら中年すぎの男性は、痛風もちが非常に多い。先日、会食した時は五人のうち、ぼくを除いて四人が実際に痛風を経験しているか経験ちゅうで、ぼくも一時、危ないと言われていた。
 ところが女性で痛風もちというのはいないんだって。どうしてなのか、これも不思議だ。
 このように「男性にあって女性にない病気」のひとつに、「フェチシズム」という精神の病気(ビョーキと書いたほうがいいか)がある。
 最も分かりやすい例で言えば、下着フェチシズム。男が下着泥棒やスカート覗きに熱中するのは、異性の下着に対する執着、フェチシズムのせいだ。
 ところが、女性が男性の下着を盗んだり、集めたりする例は聞いたことがない。女性はどうやら、どんなに好きな男性のであっても、彼が身に着けた下着を手に入れ、後生大事に保管などしないのである。
 これは、実に不思議なことだ。どうして男性はフェチになり、女性はフェチにならないんだろうか。
「私は男の体臭に弱いの。匂いフェチなの」などと言う女性がいるかもしれないが、単に特定の匂いに敏感だというだけの話で、これはフェチでもなんでもない。フェチというのは、その対象に接するだけで激しい性的興奮を引き起こすものを言う。極端にいえば、生身の体よりも惹かれてしまうもの、それがフェチである。
 しかし考えてみれば、コレクションというのも男性のものだね。『なんでも鑑定団』を見ていても、女性のコレクターというのはほとんど見ない。
 うーむ、これは実に面白い現象だ。女は男の下着どころか骨董品も集めない、そういう生き物なのだ。どうしてなのか誰か教えてくれないか。
「それはウソだ。おれの彼女は宝石とか貴金属を集めるのに熱中している」という人がいるかもしれないが、それは却下。男は一般的な価値がないものでも集める。女が宝石を欲しがるのは、単なる物欲からなんである。

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2007年6月11日 (月)

女になった夢

 どうもヘンな夢を見てしまった。
 自分が二十歳ぐらいのОLになっている夢だ。
 OLの制服を着て二十人ぐらいの社員がいるオフィスで机に向っている。ごくふつうのどこにでもあるようなオフィス。なにか仕事をしながら、困っていた。ふつうに呼吸しているのに鼻がブルル、ブルルと大きな音で鳴るのだ。
 静かなオフィスなのだ。回りにも迷惑だし、何より恥ずかしい。うら若い娘だもの。「困ったわ。どうしてこんな音がするのかしら」なんて悩んでいる。
 そこで目が覚めた。目が覚めて鼻がブルルと鳴っていた夢の原因は分かった。イビキをかいていたのだろう。浅い眠りだと自分のイビキが聞こえることがある。イビキが大きいとそれで目が覚めたりもする。
 それはいいのだが、問題は、ぼくが夢のなかで若い女になっていたことだ。
 しばらくは信じられなかった。女装しているとか演技しているとかではなく、身も心も完全に女になりきっていた夢なんて、生まれて初めて見たぞ。
 ぼくは官能作家だから、女性の立場になって小説を書くことも多い。そのせいで女になったのかな、と思ったりしたけれど、小説書いてる時は、「女だったら、ここはこういうふうに感じるだろう、こういうふうに行動するだろう」と想像して書いているわけだ。決して女になりきれていない。
 だから「ちょっとの時間でいいから、女になってみたいものだ」と思ったりもする。たとえば女性のオルガスムスなんて、どういうふうに感じているのか、いくら口で説明してもらっても分からないからね。
 そういう願望を夢が実現させてくれたのだろうか。しかし女になっても仕事ちゅうのOLではね。(笑)
 夢なんて妙ちきりんな内容ばかりで、目が覚めた時は驚くけれど、すぐに忘れてしまうものだ。しかしこの夢だけは一週間たっても忘れられない。どんな意味があるのかないのか。心にひっかかって仕方がない。
 折りにふれて「百パーセントの男はいない。どんな男も心の中に『女』を抱えている」と書いてきたけど、頭のなかの「女」の部分がそういう夢を見させたのだろうか。だとしたらもっと何度も見てもいいのだが……。あなたはこんな夢、見たことある?
 でもね、また女になった夢を見る時は、ぜひセックスしてる時の夢であってほしいものだわ、うふん……。
 

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2007年6月 2日 (土)

砂まみれがセクシー

 先日、テレビをつけたら陸上競技の実況中継をやっていた。
 そういうのはあまり見ないのだが、最近の女子選手のユニフォームはヘソ出しルックでパンツはビキニ。なかなかセクシーなので、ついつい彼女たちの活躍を眺めていた。
 中でも気になったのは、走り幅跳びの日本記録保持者、池田久美子選手のジャンプ。
 不思議なもので今まで興味が無かったのに、その日だけは彼女が跳ぶと、なんかドキドキワクワクするのだ。胸がキュンとなるのだ。ググッとそそられるのだ。
 どうしてかなと思って、最終試技を注意深く見ていたら、その理由が分かった。
 走り幅跳びというのは着地したあとのフォームはどうでもいい。勢いのままどーんと倒れこんでゆく。その部分が男の欲望にアピールするのだ。
 だってそれまでは「強い女」が、一瞬の後、あられもない格好で砂の上に転がったり這ったして「弱い女」に見えてしまうのだ。その落差がエロを生むんじゃないか。
 そこで録画した着地後の画像をある掲示板に投稿して「走り幅跳びに萌え〜」と書き込んだら、エロに敏感なかたから鋭い指摘があった。
「走り幅跳びの場合、砂にまみれてしまうでしょう。あれがいいんです。レイプされたあとみたいじゃないですか」
 ガーン! そういう見方があったのか。なるほど〜!
 まあ日本のトップクラスの女性選手をつかまえて「レイプのあとみたいでセクシー」と評論するのも失礼のきわみだけど、いや実際、そうなのだ。砂まみれになる陸上競技というのは、今や走り幅跳びぐらい。露出度の高い女子選手の白い肌が、一瞬で砂まみれになるという貴重な瞬間が、男の欲望を深いところで刺激してくれるんだね。
 そこでようやく分かった。ビーチバレーの浅尾美和選手の人気がすごい理由。あれはビキニの水着のせいばかりではないのだ。
 最初はきれいだった肌が、球を追って転がっているうちにだんだん砂で汚れてゆく。その部分がエロなのだ。ドキドキワクワクさせるのだ。
 ウソだと思ったら浅尾選手が芝の上でビーチバレーをやってると想像してみるといい。ね? あんまりセクシーじゃないでしょ。肌を汚す砂がビーチバレーのエロの本質。信じなさい。

ハ(画像は浅尾美和選手)

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2007年5月26日 (土)

睾丸よ目覚めよ

 知人からAVの作品にAV男優として出てくれないかと頼まれ、先日、出演してきた。なに、「インポの悪漢」という設定なのでパンツを脱がない役。ただボーッと立ってるだけなので、それで女優さんの裸を見られるのだから、得といっちゃ得だ。
 現場では「どうも悪人に見えないですね。もっと何とかなりませんか」と困らせてしまった。悪役というのは難しいものだと初めて分かった。誰でもなれるものではないのだ。
 その撮影現場で会ったAV男優さんは、剃毛——つまり女性のヘアーを剃るのがすごく上手だった。簡単なようであれはなかなか難しい。初心者はどこかで肌に傷をつけてしまうものだが、その男優さんはきれいにツルツルに剃りあげてしまった。
 最後の仕上げは爪楊枝ぐらいの小さなカミソリ。複雑微妙な部分のヘアーもきれいに剃れる。聞いてみたら女性の眉毛用カミソリなんだそうだ。そういうものがあるなんて知らなかったよ。
 その男優さんがヘアーを剃るのが上手なのは、自分のヘアーも剃る必要があるからだ。男優だってあの部分、形よく整えておかねばならないんである。
「得に睾丸ですね。タマの部分はカメラによく映るんで、裏側までいつもきれいサッパリ剃っています」と言う。
 なるほど本番の演技で見ると、毛深い体質なのにもかかわらず、彼のタマタマには一本の毛も見えなかった。そういうところにも神経を使わねばならないとは初めて知った。
 話は変わるけれど、先日ある方から「木酢液石鹸と亀の子タワシで体を洗うと肌によい」と教えられたので実行している。最初はおそるおそるだったけど、なるほど肌のザラザラがとれてツヤツヤしてきた。
 そうやってタワシでこすって一番気持ちのいいのはどこかというと、実は睾丸だった。これは自分でも驚く発見だった。
 だいたいあそこは、急所だということでこれまで過保護にされすぎていたきらいがある。甘やかされていた。それがいきなりタワシである。ゴシゴシである。向こうもビックリしたに違いない。「何をするんだ!」と怒ったかもしれないが、深窓のお姫さまが粗暴な男に出会って性に目覚めてしまったみたいなものかな、いや、実に爽快なのだ。ウソだと思ったら試してみなさい。タワシって思ったより痛くないから。

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2007年5月19日 (土)

男がリバになる時

 SM実践派の知人(男性)と久しぶりに会った。彼はバリバリのS、つまりマゾを責めて喜ぶサディストだった。
「最近、そっちのほうはどう?」と聞いてみたら、相好を崩して「えへへ」と照れながら「それがねー、実はリバになっちゃったんですよ〜」と言うではないか。
「ええッ、きみが!?」と、ぼくは驚いてしまったね。
「リバ」というのは「リバース」「リバーシブル」の略語で、知ってる人は知ってるだろうけど、やおい系、BL(ボーイズラブ)系の人たちの間から広がった専門用語だろう。
 リバースは「逆転」だから「立場が反対になる、反対の役割をこなせる」という意味。SMだったらサドがマゾに、ゲイやレズだったらタチ(攻め=男役)がネコ(受け=女役)に回ることを言う(昔は男色の世界で「どんでんが来る」とか言ったそうだけど、最近は言うのかどうか)。
 その友人が言うには、ある日、SMプレイをした相手の女性が「ひょっとしたらあなた、リバの素質があるかも」と、Mプレイに誘ったのだそうだ。
「えー、おれってそっちの気はないハズなんだけどなあ」と迷いながら試してみたら、何と、責められているうちにどんどん気持ちよくなって、最後は最高の快感のなかでイッてしまったんだそうだ。以来、これまでの責め一本やりのプレイから、責めたり責められたり、立場を変えるリバで楽しんでいるという。
 最初は、自分は「S」だ「タチ」だ「攻め」だと思っていた人間が、ふとしたキッカケで反対の立場に立って快感を覚えるという「性的役割の逆転現象」は、時々、耳にする。
 実は知りあいのなかにも、最初のラウンドでは男がS、女がMで、二ラウンドめは女がS、男が女装してMで——という楽しみかたをしているカップルがいて「これは楽しいだろうなあ」と思っていた。今度リバになった知人も「立場を変えて倍楽しめるんですからリバのほうが絶対いいですよ。館さんもぜひどうぞ」と熱心にすすめるのである。
 いや、確かにそうだと思う。ふつう人は、自分がSだとかMだとかなんとなく思っているけれど、それは絶対的なものではないようだ。だから固定観念にとらわれず、時には逆の立場にトライしてみることも必要なのかもしれない。案外、自分もリバだと分かって、快楽の世界が倍に広がるかも。

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2007年5月12日 (土)

女王さまはセクシー

 イギリス映画『クィーン』が公開されている。ぼくのごひいき女優ヘレン・ミレンはこれでアカデミー主演女優賞をもらった。それも嬉しいことだが、実はあるシーンを見られたことが嬉しかった。
 ダイアナ元王妃が車の事故で亡くなったあと、エリザベス女王が哀悼の意を表するか表しないかで、メージャー首相と対立する——という内容なのだが、その苦悩のさなかで女王さまは孫(つまりダイアナの息子)たちをオンボロジープに乗せて荒野をぶっとばすのだ。
 これには日本の観客も驚いた。ある映画評論家は「女王さまは運転免許を持ってるの?」と疑念を呈したぐらいだ。
 冗談言ってはいけない。女王さまの前歴をご存知ないのか。第二次大戦時の自動車兵であるぞ。
 イギリスでは王侯貴族は率先して戦争に参加する義務がある。エリザベス王女も早くから戦線に出ることを志願していたが、当時十九歳にしてすでに女王になることが決定していた娘を危機にさらすのをためらった父王は、ドイツの敗戦が決定的になってからようやく、娘を兵役につかせた。
 時にエリザベス十九歳。王女は泥まみれ油まみれになりながら戦場で嬉々としてジープを運転したり修理していたのである。
 つまりあのおばちゃんは若い頃、ジープをぶっ飛ばしてブイブイ言わせていたレディースみたいなもんだったのである(すごい比喩だな。英国大使館から抗議されなきゃいいけど)。
 ぼくは「女だてらに」とか「男まさり」と言われるような女性が好きで、特にクルマをかっ飛ばすような女性を見るとグッときてしまう。そういう時の彼女たちってすごくセクシーに見えるのである。だから『クィーン』のなかで四駆を運転する女王さまにはビリビリと痺れてしまったのである。ああイギリス国民がうらやましい。
 少し調べてみたら、女王さまがジープを走らせたスコットランドのバルモラル城というのは広大な敷地をもち、山から森から原野からみんなあるんだそうだ。要するに私有地のなかだから、どんなにぶっ飛ばしてもスピード違反にはならない。それもまたうらやましい。
 しかしイギリスって国もすごいね。王室の内部のゴタゴタを平気で映画にしたのに、それを見た女王さまは喜んで監督と俳優を宮殿に招待した。ユーモアの分かる女王さまって最高にしびれる!

(画像は『クィーン』でエリザベス女王を演じるヘレン・ミレン)

Queen01

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2007年5月 9日 (水)

仮性包茎の味方

 前回は「世界で一番注目されるペニス」として、ミケランジェロのダビデ像をとりあげた。その時に書いたように、このダビデのペニスは明らかに仮性包茎である。
 ダビデ像は十六世紀のものだが、紀元前のギリシャ・ローマ彫刻で男の裸像をみると、亀頭が露出したものは見られない。古代からペニスは仮性包茎が当たり前なんである。
 考えてみれば当たり前のことで、パンツをはかない動物はすべて包茎か、でなければ体のなかにペニスをしまいこんで、平常時に傷がつかないよう保護している。
 人間で包茎が問題になるのは、勃起した時に亀頭が露出しない真性包茎の時だけ。これは男の1パーセントがそうだといわれる。マリー・アントワネットの夫、フランス王ルイ十六世がそうだったので、結婚してもしばらくの間、この夫婦はセックスレスだった——というのは有名な話。
 包茎でも勃起した時に亀頭が露出し、セックスがちゃんとできるのであれば、仮性包茎はなんの問題もないのだが、「真性包茎は病気」(これは正しい)に引きずられて「仮性包茎は半分病気みたいなもの」と思われているのは困ったことだと思う。割礼をしなければ成人の男性の60パーセントは仮性包茎だという。
実は仮性包茎のほうが「正常」なんである。それで問題がないことは、AV男優にも仮性包茎が案外ことで証明されている。
 先日、東スポに毎日連載している「カイチュウ博士」こと藤田紘一郎博士とお話する機会がに恵まれた。たまたま割礼の話題になった時、先生が「包皮を切除するのは性感を鈍くして過剰なセックスに走らないようにした習慣でしょう。包皮はもともと”遊び皮“といって、セックスの時に男も女も刺激を得る有用なものです」と言われたのでハッと思ったことだ。
 なぜかというと、かねてから風俗の女性に「包茎の男性は気になるか」と質問しても「清潔なら別に気にならない」という答が圧倒的なので。不思議に思っていたのだ。
「そうかー、包皮があったほうがホントは具合がいいのか!」
 包皮がむけて亀頭がビョンと飛びだしたように理解できた。仮性包茎の男子は、包皮のない連中よりも心強い武器を持っているのだ。 だからもっと堂々としていいのだよ。——というわけで、ぼくは仮性の味方です。(笑)

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2007年4月27日 (金)

世界一有名なペニス

 サイズは別として「世界で一番注目されたペニス」となれば、ミケランジェロの彫刻、ダビデ像のペニスではないだろうか。
 イタリアはフィレンツェ、アカデミア美術館に保管されているが、その複製は市庁舎前の広場にも展示されているので、毎日、大勢の観光客がその像を見上げている。
 全裸で雄々しく立ちはだかる股間のペニスと睾丸は実にリアルに刻まれている。この像を見上げた人々は男性も女性も、「うーん、これは……」と思わずその人なりの感慨に耽ってしまうのではないだろうか。ぼくは「平常時でこれだけなら勃起したらどうなっただろうか」と思ったね。
 何せ完成したのが五百年前、これまで何億人の目に触れたか想像もつかない。しかも全世界に複製が作られ、美術の教科書にも載っているから、日本の少年少女だってダビデ像のペニスは見ているはず。
「なるほど〜、男のオチンチンとタマタマはこうなっているのね」とウブな少女にも分かるから、これはある意味、絶好の性教育の教材だとも言える。
 ぼくはフィレンツェのホンモノも見ているのだけど、イギリスはロンドンのアルバート美術館にある複製を見た時は面白かった。なにげなく像を載せた台の裏側に回ってみたら、やはり石で出来た大きなイチジクの葉っぱに紐がついたものがぶらさがっているではないか。
「なんだ、これは?」と不思議に思って説明を読んだら思わず吹きだしてしまったね。王室の女性——女王や王女がこの像を見る時は、このイチジクの葉っぱで股間を隠したというのだ。「レディには恐れおおい」とバタフライで隠したわけだ。まあそれぐらいダビデ像のペニスはリアルなんである。
 このペニスについては、実は大いなる論争がある。見ればお分かりのように、このペニスは皮をかぶっている。包茎なのだ。まあ典型的な仮性包茎だろう。
 ところがダビデは旧約聖書に出てくるユダヤ民族の王。ユダヤ人は、みな生まれてすぐ「割礼」といって包茎手術を受ける。だからユダヤ人の男性に包茎はいないのだ。
「このダビデはユダヤ人なのにどうして包茎なのか」という問題は、完成当初から論議の的になり、それは今でもえんえん続いている。ユダヤ教徒にしてもキリスト教徒にしても由々しき問題だからね。
 宗教的な面からも、このペニスはこれからもずっと、老若男女の熱い視線を浴び続けるに違いない——。

(画像左はフィレンツェ、アカデミア美術館に陳列されているダビデ像、右は拡大図)

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2007年4月23日 (月)

自縛にご注意

「ジバクについてコメントをいただきたいんですが」と週刊誌から電話をもらった。
 最近は「ジバク」というと「自爆」のことだが、こちらの「ジバク」は「自分で自分を縛る」ほうの「自縛」。先日、某大手新聞の記者が自宅マンションの玄関先で、後ろ手錠をかけ口にガムテープを貼られた状態で死亡しているのが発見された。
 政治部記者だってということもあり「暗殺説」も取りざたされたのだが、警察の調べでは自宅に大量のSM雑誌があったことや侵入逃走の跡が無いことから「事故死」と発表された。
 現場の状況から、死亡した記者は自縛プレイに耽っていた途中、口のなかに詰めていた靴下が気道を塞ぎ窒息死したものらしい。
 取材にはSM作家という立場からコメントしたのだけれど、どうも気が重かった。死者が気の毒でならなかったからだ。
 SMマニアで自縛を楽しむ人は多い。もっぱらマゾの人が被虐感を味わうために自分を拘束して楽しむのだろうと思われるけれど、サドの人でも緊縛趣味が高じた時、縛る相手がいない時は自分の体を縛ってしまう。有名な縄師だった方も「緊縛の欲望が高まった時はよく自縛したものです」と告白されていた。
 これは性交とオナニーの関係のようなもの。オナニーをみんなが楽しんでいるのと同様に、自縛はノーマルな人が思うほど「変わった行為」ではないんである(とアブノーマルな人間が言うのも妙なことだが)。ネットで「セルフボンデージ」で検索すると、海外では多くのサイトがあって、多くの愛好家がさまざまな楽しみかたを研究しその成果を発表していることが分かる。
 ただ、自縛はうっかりすると事故につながる。過去にも自縛プレイを楽しんでいるうちに脱出できなくなり死亡した例がいくつもある。自縛を趣味とする人はたいてい一度、二度とピンチに遭遇するもので、その経験から自分なりの安全対策を考えるようになるものだ。
 しかし日本では自縛プレイについて語る場もメディアも稀なので、そういう先輩たちの編みだしたノウハウが知識としてなかなか普及しない。SM雑誌をみても自縛プレイに関する記事はめったに無い。
これからはもっと「安全な自縛プレイ」に関する情報が流通し蓄積されるようになってほしいものだ。
 ふーッ、この回はなぜか書きにくいテーマだったなあ。(笑)

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2007年4月14日 (土)

AV女優の実態

 アダルトビデオを見て「こんな子がどうして?」と思うのは、男ならみな同じじゃないだろうか。それぐらい美人でかわいい、気立てのよさそうな女の子がカメラに裸をさらしてセックスしている。
 今でもそうだが「セックス関係でお金を稼ぐ」ということは「不潔」「堕落」「まともな人間のすることではない」というイメージで見られる。官能作家やってるぼくも日常身にしみて「差別」を感じているのに、そのぼくでさえ「何が彼女たちをこういう世界に導いたのだろう?」と思うことがしばしばだ。
 その回答の一つとして「そういう子は少女期の家庭環境に問題があったからだ」というのがある。そう言われると男たちは「そうだろうなあ。それなりの事情がなきゃこういうことはしないだろうな、うんうん」と納得してしまうのだが、はたしてそうだろうか。業界の人に聞くと「そりゃ一部はそういう子もいるけれど、たいていはごくふつうの子だよ」と言う。
 彼女たちは「特別」なのか「ふつう」なのか、ずっと知りたいと思っていたら、知りあいのAVライター大坪ケムタ氏が『世界が100人のAV女優だったら』(扶桑社)という本を書いた。現役のAV女優100人をアンケートしてその回答を分析し彼女たちの実像に迫ったという力作だ。
「これで長年の疑問が解決される」と発売前に読ませてもらった。一読して驚かされた。
 AV女優のほとんどが「ごくふつうの家庭に育ったごくふつうの子」ではないか。まあ四人に一人は親が離婚しているけれど、家庭の問題で潰されてしまったような子はいない。そういう子はもともと苛酷なAVの世界で生きてゆけないのだろう。
 AV監督の二村ヒトシ氏は「AV女優にならなくても社会でちゃんとやってゆけるきちんとした女の子ばかり」だという。世の親は皆、自分の娘がAV女優になる可能性があると覚悟したほうがいい、ということだ。
 詳しくは本を読んでほしいが、どうやらAV女優になる子は「自分のなかの何かを壊したい、変えたい」と思っていたふしがある。編者は「AV業界は第二の学校生活、部活の続きのようなものではないか」とみる。彼女たちはAVの世界に飛び込むことでこれまでの目立たなかった「端役」から「主役」となり「自立した女」に成長してゆく。ほとんどのAV女優が「職業にプライドを持っている」という答えに、業界のなかで鍛えられ逞しくなっていた姿を見ることができる。この本を読んで、思わず感動してしまったことであるよ。

Ootsubo_avbook

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2007年4月 8日 (日)

年齢と性的魅力

 またぞろ、アイドルタレントが年齢を偽っていたと騒がれている。
 ぼくはかつて芸能記者をだった。駆け出しの頃、人気の女性演歌歌手をインタビューしたことがある。
 その歌手はぼくと同郷で、彼女の家はぼくの家のすぐ近くだった。ぼくがもの心ついた時には彼女はすでに上京していたので、ぼく自身は少女時代の彼女の記憶はない。ただ親や兄たちはよく覚えていて、一緒に遊んだこともあるという。で、最初に顔を会わせた時、そのことをまず告げた。そうすれば打ち解けてくれるだろうと思ったからだ。
 ところが、逆に彼女の顔がこわばって、打ち解けるどころか、ぼくを敬遠するような態度になった。子供時代のことはひどくあいまいな返事しかもらえなかった。当然ながらインタビューはあまりいい結果ではなかった。
 気落ちして社に帰りデスクに報告すると、苦笑して「年をごまかしてるからだな」と教えてくれた。
確かめてみると、なるほど彼女の公称年齢だとぼくが覚えていないわけがない。四、五歳は若くサバを読んでいた彼女にとって、子供時代のことを詳しく知ってる芸能記者なんか疫病神みたいなもので、敬遠されて当たり前だったわけだ。今はどうか知らないが、昔の芸能界は、それぐらい年齢サバ読みが当たり前だった。
 これが芸能界ではなく風俗の世界となると、身元を隠したがるせいもあって、今でもサバの読みかたはハンパじゃない。この間、風俗で働いている女性にしばらくぶりに会ったら、なんと彼女、十年前にデビューした時と同じ年齢でお店に出ているんだという。
「いくらなんでもそれじゃサギだろう」と思ったけれども、風俗の女の子の年齢は商品の「希望小売価格」みたいなもので、お客のほうもある程度心得て女の子に接しているんだろうね。
 ところが驚いたことに、風俗店のなかには、逆に年齢をプラスする「逆サバ読み」するお店もあるのだ。それは「熟女専門店」。三十代ぐらいでは客が「若すぎる」というので、三十五歳だったら四十五歳ぐらいにしてしまうのがふつうだという。なかでも超熟女——つまり老女を売りにしている店では、六十代でも満足しない客のために、二十歳ぐらい逆サバを読ませて七十歳だと言わせている店もある。たはは、ぼくも熟女好みだけど、そこまでは……。

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2007年3月30日 (金)

Vバック

 知らなかった。そんな秘密兵器があったとは……。
 なに、女性の下着なんだけど、ずっと不思議に思っていたのだ。
 ほら、最近の若い女の子はローライズのジーンズをはいているでしょう。しゃがむとお尻のほうまで見えてしまうやつ。
 呑み屋のスツール(背もたれのない椅子)に腰かけてても、ジーンズの上のほうにショーツが見えて、ドキッとしてしまうよね。
 ぼくは地下鉄で六本木駅をよく利用するけれど、大江戸線の長くて急な上りのエスカレーターで、目の前にいる女の子たちがローライズのジーンズをはいていると、そりゃもう壮観だ。
 スケベなおじさん(つまりぼく)は胸中ほくそ笑みながらそれとなく目の保養をしているのだけれど、中にはショーツが見えない女性がいるのね。お尻の割れ目がダイレクトに目に飛びこんでくる。
「ややや!」と最初は驚いたものだ。今でも驚くけど。
 お尻の割れ目まで見えるというのは、ひょっとしたら「ショーツをはいてないの?」と思ってしまうではないか。しかし下着なしでジーンズをじかにはいてたら、あそこの居心地が悪いんじゃないか、と考えるだけでこっちも居心地が悪くなる。
 それを不思議がっていたら「あれは秘密兵器があるんですよ」と教えられた。
 それが「Vバック」。Tバックの縦横の交点をうーんと下にずらした感じのショーツが売られていて、極端なローライズをはく子は、そのVバックをはいていたのだ。
 さっそくネットで調べてみたが、今ひとつ構造が分からない。どうもVバックだと尻たぶ(お尻のほっぺた)が丸出しになってしまうらしい。
 それでショーツの役目が果たせるのか不思議なのだ。実物を見ないとどうなっているのか分からない。はいた感じはどうなんだろう。気持ちよくないんじゃないか。
 周囲の女性に聞いてみたが「はいてませんよ、そんなモノ」と睨まれてしまった。うーん、どうなってるのだ、まったく。
 という具合に、今の世の中、うっかりしてると知らないものが続々出てきて、世のなかの動きに遅れてしまったと焦ったりするけれど、考えてみればどんなショーツやパンティをはいていても男は「脱がすだけ」なんだから、知らなきゃ知らないでどうということはないんである。はは、今回は何かやけくそだな。

(Vバック参考URL)
http://www.teglet.co.jp/tp/beauty/vback/vback.html

Vback

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2007年3月23日 (金)

前立腺の不思議

 前回、男の乳首で、感じる・感じないの差があることを書いた。
 乳首で感じる男性に共通しているのは、Mっぽくてどこか女っぽいという共通した特徴がある。
 そのことを周囲に話したら反響がすごく、なんと「乳首をいじられているだけでイッてしまう」という男性が何人もいた。聞いてみるものである。
 乳首で感じる男性や、そういう男性を相手にしているSの女性の話を聞いていて、また新しい法則が得られたような気がする。
「乳首で感じる男は前立腺でも感じやすく、やはりMっぽく女っぽい」という法則だ。
 前立腺は尿道の奥を取り巻くドングリみたいな器官で、射精の時に精子とまじる液を出す。つまり精液を作る器官だ。われわれがこの器官を意識するのは、年をとって尿が出にくくなった時からで、それ以前は存在すら気づかない人が多いだろう。
 確かめたい人は、誰かに肛門から指を入れてもらうといい。ひとさし指の先がちょうど届くあたりの膀胱側に、妙に重苦しく感じる部分があるのが分かはずだ。触るとコリコリした膨らみ。それが前立腺なんである。
 ここを刺激するとペニスを刺激しなくても射精することが知られていたが、やがて風俗で前立腺マッサージがブームになった。
 人によっては強い快感を感じ、ペニスを挿入されて感じる女性のように身悶えして喘ぎ、最後は射精してしまう。前立腺で感じる男性は案外多いのである。
 しかし乳首同様、感じない男は徹底して感じないんだね。ぼくも刺激してもらったことはあるけど、ヘンに気持ち悪いだけで少しも快感を感じなかった。感じる男たちがうらやましい。
「訓練で感じるようになるから、続けてみなさい」と言ってくれる女王さまもいるけど、そうなるのも怖いような気が。(笑)
 女の場合はこの部分にGスポットという、強いオルガスムスを得られる部分がある。よく「Gスポットは前立腺の痕跡器官」と言われるけれど、胎内では男も最初のうちは女として作られていたことを考えると、「前立腺はGスポットのなごり」というほうが正しい。感じて当たり前の場所なんである。感じる人は多いに感じて楽しむほうがいい。

〔画像は、前立腺を刺激する快楽グッズ「エネマグラ」)

Enemagra

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2007年3月16日 (金)

男の乳首は役に立つ?

 以前、副乳について書いた時、「男性の乳首はなぜあるのか」という疑問について書いた。
 確かに男の体の中で、乳首ぐらい役に立たないものはない。少しでも乳が出るのであればともかく、一滴も出ないのではねえ。
 前にも書いたように、母親の胎内では赤ん坊はみんな「女用」の設計図をもとに成長する。しばらくして「この子は男にします」という指示が出て、そっちに分けられた胎児は今度は「男用」の設計図で成長してゆく。つまり受胎から少しの間は男の子でも女の子として育つので、その間に乳首がついてしまうんである。
 設計チェンジの段階ではもう改造が間にあわず、乳首だけはそのままという状態で「完成」してしまうのだから、男(オス)の乳首はいわば神様の修正ミスだ。
 しかし、男の乳首は本当に役立たずのモノなんだろうか? 「前と後を区別する目印になる」というのは笑い話だが、中にはハッキリと「役に立っている」と言う男がいるはずだ。
「そこをいじられたり吸われたりすると気持いい、感じる」という男性はけっこういる。そう、性感帯になっている場合がよくあるのだ。
 男性を興奮させるのが職業の風俗嬢はこのことをよく知っていて、まず乳首を刺激して男の反応を見る。感度のよい男性は女性と同じように乳首もふくらみ、固くなる。
 SMクラブの女王さまたちに言わせると「乳首が勃起する男性はマゾっぽい」そうだ。SMプレイでなくても、乳首で感じる男性は「攻め」より「受け」にまわりたがり、感じてくると女性そっくりに喘いだり悶えたりする。
 いろいろな情報を官能作家として検討すると、どうも乳首で感じる男は「マゾ性が強く」、セックスにおいては「女性的な立場に立ちたがる」ようだ。
 考えてみれば乳房は女性性の象徴のような部分だ。たぶん設計チェンジの時に乳房部分の工事はかなり進んでしまったので、そこだけ女と同じぐらい感じるようになってしまったのではないだろうか。
 男性は一度、女性に乳首をソフトに刺激してもらってほしい。それで快感を感じるようであれば、あなたは男の快楽だけではなく女の快楽も一部分楽しめる「お得」な体に恵まれているということだ。その快楽を生かすセックスを楽しんでほしい。
 そういうぼくは、刺激されてもどうも感じないんだよね。少しばかり残念な気がしてならない。

(参考画像は、女装子界のアイドル「しょうこ」ちゃんの乳首。彼女?の乳首もホンモノの女性のように感じるのだろうか)

Chikubi

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2007年3月 9日 (金)

男は声でモテる

 自分の声があまり好きではない。「もっといい声が出せればなあ」といつも思う。
 子供の頃、録音された自分の声を聞いて、まったく別人だと思い、それが本当に自分が発している声だと分かった時は死にたくなった。それぐらい自分の声はイヤだ。
 どうも頭から高い調子でキンキンと発せられがちの声なのだ。興奮するとさらにキンキン度がすごくなり、自分でも「これはひどい」と思う。
 だいたい頭から声が出るような男って、軽佻浮薄に思えるでしょ。反対に声が重いと人格も重厚のような気がする。
 女性は、ズンと子宮を揺さぶるような低音の声に絶対に惹かれるはずだ。勝負にならない。くそー、ぼくの声が城達也のような「プラチナの低音」だったら、絶対にもっとモテたはずだ。
 自分の声が嫌いだとは言うものの、人と話すのが嫌いかというと、それとこれは別なんだねえ。けっこうおしゃべりが好きなのだ。呑んでる時なぞベラベラしゃべりまくっているらしく、それでヒンシュクを買っている気がする。いつだかもゲイバーで、ママに「オカマが一番嫌いなのはあんたのようにペラペラキイキイ話す男なのよ。私たちの出番が無いじゃないのッ」と叱られたことがある。ごめん、商売のジャマして。
 そうだよなあ、声が軽いと話す内容も軽い。ヤクザを演じる俳優さんは、みな、渋い声の持主で、しかもめったに言葉を発しない。めったに発しない言葉だからズンと人の心を動かすんだね。いやあ、キンキン声のおしゃべり男というのは我ながらイヤな奴だなあ。
 声がいいと女にモテる——という話で思いだしたのは、平安朝のモテモテ歌人、元良(もとよし)親王。ほら百人一首で「わびぬれば今はた同じ難波(なにわ)なるみをつくしても逢はむとぞ思ふ」という歌を歌っている貴公子。
 この歌の相手は上皇の后。天皇より権威のある人の后を奪ったというぐらいのドンファンで、とにかくモテてモテてモテまくった。「源氏物語」の主人公、光源氏は元良親王がモデルだといわれている。
 この元良親王、「徒然草」によれば、正月に宮中で祝賀の辞を述べる時は、まことに音吐朗々として、何キロも離れたところまでも聞えたというから、まさに「子宮にズン」という声の持主だった。だからモテたんだねえ。
 ああ、今度生まれた時はそういう声の持主になりたい。
 

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2007年3月 2日 (金)

歯医者のか・い・か・ん

 歯茎が腫れて痛むので久しぶりに歯医者に行った。ガマンも限界に達してイヤイヤ行ったのだ。
 悪さをしている部分を治療するのに麻酔注射をされ、ドリルとガリガリと削られた。歯を削られるのだけは何度やられても慣れるということはない。
 ぼくは特に痛みに弱く、子供の頃は二、三度、治療中に失神してしまった。痛いのより先に恐怖で気が遠くなってしまうのだ。母親には「本当に臆病者なんだから」と呆れられたけど、痛いのは怖いのだから仕方がない。
 しかし歯の治療もぼくらが子供の頃から格段に進歩しているね。ドリルの性能もずっと良くなったし、麻酔注射もそんなに痛くなく、効き目も確かだ。とはいうものの、頭蓋骨まで響くようなドリルで削られる感覚というのはいい気分じゃないね。歯医者はやっぱり行きたくない。
 ところが女性で「歯医者さんに行くのは好きです」と言う人がいて驚いた。
 彼女は歯医者がはめた薄いゴム手袋の感触が好きなんだという。「口のなかをゴム手袋をはめた指であちこち触られると快感」なんだそうだ。これは一種のフェティシズムなんだろう。ぼくはいくら美人の衛生士さんでも、口のなかを触られるのに特別な感情を覚えたことはない。
 そうそう、世の中にはマスク・フェチという人種もいるのだ。女性がマスクをかけた姿に欲情する。これからの花粉症の季節はさぞ楽しいだろうが、そういう男性が歯医者にくれば、女性スタッフは全員マスクをして接してくれるのだから、これはもう天国みたいなものだ。少しぐらい痛いのなんてどうでもいいだろう。わざと虫歯をひどくさせてせっせと歯医者通いをするマスク好き男もいるかもしれない。
 そういえば、SMの心理に関係する本を読めば、耐えられないような苦痛を好んで味わいたがるマゾヒストというのがゴマンといる。
 ふつうのSMプレイというのは、性的な快楽とセットになっているから「痛いけど気持ちいい」という状態にさせる。性的な刺激なしで「ひたすら痛いだけ」のプレイだと、みんな逃げ出すと思う。
 ところが「痛ければ痛いほど快感」という人種がいて、なかには麻酔なしでドリルで歯を削られて快感を味わう人もいるんだそうだ。ひゃあ、考えただけで気が遠くなりそうだ。
 そういう人間になりたいとは思わないけれど、歯医者なんて怖くない——という部分だけはうらやましいねえ。

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2007年2月23日 (金)

捨てる女、捨てない男

 女性イラストレーターのMさんが、mixi(ミクシィ)内の日記に書いていた。
「男は昔の女の写真や手紙は取っておくらしいけど、どうして? 女は昔の男のモノなんてパッパッと捨ててしまうのに」
 この疑問については、大勢の友人知己から意見や感想が寄せられて、実に六十四個も発言がついてしまった。
 それらを読むかぎり、男は確かに以前の女の思い出につながるモノを捨てないで持ち続けることが多い。反対に女性は、昔の男のモノなぞ「おぞましい」とばかり徹底的に捨てている。
 んー、そう言われてみればぼくもそうであるな。「秘密の隠し場所」みたいなところには、過去の思い出につながるモノがいろいろしまいこまれている。
 性格にもよるだろうけど、男は過去にこだわり、女はこだわらない、ということは言えると思う。Mさんの日記に反応して発言を寄せた人たちもその傾向は認めている。
 そこからぼくが連想したのは、フェティシズムの男女差だ。セックスに関してモノにこだわるのは圧倒的に男だ。女性の下着を盗む男はいっぱいいるが、男性のパンツを盗む女なんて聞いたことがない。性に関するモノのコレクションは圧倒的に男がやるもので、女性が何かのコレクターだというのは非常に珍しい。
 つまり、本来の意味におけるフェティストは男だけだということになる。これが昔から不思議だった。なぜ女性は男性のように、異性の身体パーツや身につけるモノに執着しないのだろうか。
 男はまったくの見ず知らずの女性の下着でも盗んでまでコレクションするのに対し、女は自分に関係のあった男のものはなおさら汚らわしいものであるかのように捨てて捨てて捨てまくって後悔することがない。
 男を蝶、女を花に例えることが多いが、花から花へ飛び回るはずの男のほうが過去について未練たらしく、女のほうがアッサリしているのは本当に不思議だ。
 そういえば学校の同窓会などでも、積極的に呼びかけ参加するのは男のほうではないだろうか。最近は特に、卒業すると同時に学校時代を懐かしむ男の子が異様に多いように思える。女の子のほうが現在を楽しみ、将来に夢を持ち、過去にこだわらないように見えるのだが、ぼくだけの錯覚だろうか。誰かその理由を説明してくれないか。

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2007年2月16日 (金)

デジタルコピーの時代

 官能作家仲間のAさんが怒っている。
 ネットのなかで電子本を売っている電子出版サイトで、彼の長編作品がタイトルそのまま、作家名だけ変えて売られていたのだ。その作家は女子高生だと名乗っていた。
 愛読者からの通報を受けて調べてみたら、驚いたことにその「女子高生作家」は官能作家の有名どころの作品を軒並み二十数本、Aさん同様完全にパクって売って、利益を得ていたのだ。
 もちろん他の作家さんや出版社も激怒してただちに販売サイトは作品を削除、目下、告発や損害賠償を含めた法的措置をどうするかの交渉が進んでいる。
「女子高生作家」は自分のブログで「ごめんなさい」と謝っているが、ごめんですむような問題ではない。著作権侵害はレッキとした犯罪なので「出来ごころ」として簡単に見過ごせるようなものではないのである。関係者がみんな怒っているから、まあただではすみそうにない。
 それにしても、プロの作家が書いた本二十数冊を女子高生と名乗る人物が「私が書いたものですう」と持ち込んできて、内容どころかタイトルも何もチェックしないでオンラインで販売していた電子出版社もどうかと思う。こちらの責任もきつく問われなければならない。
 どうも犯人は「まともに日本語も書けない」国語力の弱い人間らしい。そんな人物が完全パクリの本を多数売りだすことが出来たのは電子本が出回っているからだ。電子本のテキストはデジタルデータだから一瞬にして完全なコピーが出来る。つまり一冊ぶんのデータがあれば何の手間もなく無限にコピーが作れるという仕組が、犯罪を誘発することになる。
 そのことを知ってしまうと犯罪の誘惑に駆られやすい。コピーが精密簡単になって増えるのはニセ札だ。そのために紙幣は「透かし」などの技術でニセ札を作りにくくしている。
「これからの時代、デジタル盗作を防ぐための策が必要だ」という議論も作家のなかで交されるようになった。その中で面白いと思ったのは、自分の作品のなかに「デジタル透かし」のようなものを入れる技術。たとえば「王」という文字があればわざと「玉」としておくのだ。盗作者は一字一字校正などしないで一気にコピーしてしまうから、そういう誤植があれば、たちまち盗作だとバレてしまう——という仕組み。ふむ、うまく出来ている。でもこんな対抗策を考えなきゃならないご時世というのも困ったものだねえ。

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2007年2月10日 (土)

お姫さまだっこ

 ある朝、起きてみたら体じゅうが痛い。いったい何をしたんだと考えてみた。
 まったく色っぽい話と関係なく、完全に意識のない女性の体を抱えあげて運んだことを思い出した。
 まあ五十キロぐらいの体重だろう。ぐにゃりとしたのを抱えあげて歩いたのだ。その時は必死だから何とも思わなかったが、一夜明けて関節や筋肉が悲鳴をあげるのは無理もない。
 いや実際、人間の体とは重いものである。殺したあとでどうにもならず、バラバラにしてしまう殺人犯の気持はよく分かる。
 おじさんたちは知らないかも知れないが、若い人たちの間に「お姫さまだっこ」という言葉がある。男性が女性の体を横抱きにかかえ上げるスタイルを言う。
 欧米で結婚式の後、新郎が新婦を抱いて家に入る時の、あのスタイルね。若い女性にとってはロマンチックな抱かれかただろう。
「お姫さまだっこして〜」とねだられた男もいるだろう。さて、きみは出来るかな?
「簡単だよ」と言えるのは、若くて体力に自信がある人だろう。中年すぎて腹に肉がついた男性は気をつけたほうがいい。まして相手がぽっちゃり型の女性だと、ヘタをすりゃ腰を痛める。
「お姫さまだっこ」は、抱かれる相手が首に手をかけたりして協力するから、まだしもラクだが、これが完全に意識がないか死んでたりしたら、重さは倍にも感じられる。
 ぼくは二十代の頃、プロパンガスの配達に従事したことがある。五十キロ入りガスボンベは容器を入れると六十キロの重さがある。それを一人でトラックから下ろし、肩にかついで二、三十メートルぐらいは歩くことが出来た。
 今はとても自信がないが、その時にかつげたのは、ボンベというのはガチガチに固いからだね。
「六十キロぐらい大丈夫」と思っても、人間のぐにゃりとした体は持ちにくいことはなはだしい。たとえば完全に酔いつぶれた大人の体を持ち上げるのは、大の男が二人がかりでも難しいものだ。
 えーと、何を言いたいか忘れてしまったが(笑)つまり男なら、女性をいつでも「お姫さまだっこ」できるぐらいの体に鍛えておきたいということだ。女性も時々、「お姫さまだっこ」をせがんで、男性の体力を測定してみるといいかも。ついでにロマンチックな気分にもなれるしね。

(画像は、お姫さまだっこの古典?映像「風と共に去りぬ」のクラーク・ゲイブル、ビビアン・リー)

Dakko

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2007年2月 2日 (金)

叔母という存在

 先々週・先週と2回、兄と妹の「あぶない関係」を書いたので、今回は叔母さんと甥の関係について。(両親のどちらかの姉は正しくは「伯母」だけれども「叔母」に含めることにする)
 先日、ある雑誌に叔母と若者のエッチな関係を書いたら、編集者から「公序良俗に違反するのでまずいです」とクレームがついた。最終的にはパスしたのだけれど、最初はかなり戸惑った。
「これは近親相姦だ」↓「公序良俗違反だ」と言われると、近親愛もよくとりあげる官能小説はかなりつらい。確かに叔父と姪、叔母と甥は結婚できないけれど、エッチしてはいけないという法律はない(もちろん親と子のエッチも直接禁止する法律はない)。
 男の子の場合、叔母さんというのは、家族の周辺にいてかなり接近する機会の多い成熟した女性であるし、叔母さんのほうにしても母親よりは客観的に「男」として眺められる余裕のある相手だ。要するに「エッチの教師」「エッチの教え子」として好適な関係なので、官能小説の世界では描かれることが多いテーマなんである。
 実際、叔母さんによってエッチを教えられた青少年の実例は、かなりひんぱんに見聞きできる。
 これが叔父と姪となると、わりと嫌われるようになる。つまり「教える」というより「性的虐待」「レイプ」に近くなるからだろう。
 自然主義作家の島崎藤村を「嫌いだ」という人は多い。なぜなら彼は、兄の娘である姪のこま子とセックスして、子供まで生ませてしまった「いけない叔父さん」だったからだ。特に後始末に困って自分だけフランスに逃げていったので、「こんな卑怯者、偽善者はいない」とまで憎まれる原因になっている。
 ともあれ、日本の古代では叔父と姪、叔母と甥の関係は今ほど避けられていなかった。これをいちいち咎めていたら日本の歴史は大変なことになってしまう。この関係を禁止するようになったのは人類の歴史のなかではきわめて最近のこと。優生学的な意味、つまり悪い遺伝子を表面化させないということでは正しいけれど、「近親相姦だから」と厳しく目くじらをたてていては、性に目覚めた青少年が実地教育を受ける最適の相手を失うことになる。
 性愛のパートナーとして叔母さんの存在を認めてやらなくては、日本の将来は危ない、とぼくは主張したいのである。

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2007年1月26日 (金)

兄と妹・奇妙な関係

 先週は兄と妹の間の「あぶない関係」について書いたけれど、それで思いだしたことがある。
 モノ書き仲間にK君というのがいる。その彼が打ち明けてくれた話だ。
 K君が中学生の頃、叔父さんの娘、つまり彼のいとこにQちゃんというかわいい女の子がいた。Qちゃんは二つ三つ年下の小学生。まあ、いとこ同士だからQちゃんはK君のことを「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と慕ってくれて、まとわりついてくる。
 K君も思春期まっただなか、自分には弟だけだったから、Qちゃんに「女」としての興味を抱いてしまったのは、まあ当然のことだろう。
 そうなるとやるのは「お医者さんごっこ」だ。K君はQちゃんが自分になついているのをいいことに、お医者さんになってQちゃんに対し、まあ男の子なら説明しなくても分かることをいろいろやって楽しんでいた。
 そうするうちだんだんエスカレートしてきて、Qちゃんのなかに入れたくなったりするわけだが、幸か不幸か未遂に終ったらしい。K君が言うには「半分ぐらいは入った」。
 それだけですんだら、これはいとこ同士の「あまずっぱい」性的な思い出で終ったところだが、とんでもないことが起きた。
 ある日、K君は父親に呼ばれて「おまえはもらい子で、本当の父親はおじさんなのだ。明日からそっちの家に帰りなさい」と言われた。
 つまりK君の養父は自分に子種が無いと思って、弟の次男坊を自分の養子にしていたんだね。ところがその後、本当の息子が産まれた。しばらく様子を見ていると兄よりも弟のほうが出来がよさそうだ(そりゃ先入観があるからね)。だから「この子はいらない。返そう」ということになったらしい。
 何も知らされていなかったK君は、それはもう天と地がひっくり返ったような驚きに打たれた。自分が家族だと思っていた両親や弟がいきなり「他人」になったわけだから。当然、いとこだったと思っていたQちゃんは実の妹だということになる。その妹をK君は……。
「実の両親のところにひき取られても、しばらくは彼女のこと、まともに見られなかったよ〜」。
 もちろん、実の兄妹と分かってからは「お医者さんごっこ」はしたことがないそうだ。

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2007年1月21日 (日)

兄と妹・あぶない関係

 渋谷区の「女子短大生バラバラ殺人事件」は、その後、犯人の兄と被害者の妹の間に性的な問題があったと報じられている。
 ぼくは女のきょうだいがいなかったので、それが残念だったのだが、自分の思春期のことを思い返してみると、一つ違いの妹がいるということは、ちょっとやっかいなことかもしれない。
 男として性に目覚めてきた時に、妹というのは「一番身近な女の子」なわけで、どうしても性的な関係をもちかけたくなるだろうと思う。
 ぼくは商売柄?近親相姦をいろいろ取材しているのだけれど、作家仲間のT君は「中学校時代、小学生の妹にフェラチオさせていた」という体験を語ってくれた。その後、彼は「フェラチオ作家」として名をなした。妹さんのおかげである。まあしばらくの間、嫌われたらしいが。(笑)
 バラバラ事件の犯人も、妹と仲が悪かったのはそういうことがあったのだろうと容易に推測される。これはもう、年が近い兄妹の宿命みたいなものかもしれない。
「そんなことはない。おれは妹に性的な興味をもったことはない」という兄貴はいる。まあ、こっちのほうが多数派だと思う。「人間は近親相姦を避けるように、本能がブレーキをかける」という説があったが、それはウソらしい。人類学者の研究によれば、人間は放置しておくとごく自然に近親相姦をするようになるんだそうだ。
 では「女きょうだいに興味を覚えない」という男の子は、どうしてそうなるんだろう?
 これも人類学者の研究なんだけど、「同じ屋根の下で家族が一緒に食事する家庭」は近親相姦をしなくなるという結果があるそうだ。これは世界じゅうどこでも共通してそうらしい。
 どうして食事を一緒にすると家族間で性的な関心が薄れるのか分からないが、それほど親密に暮らしていると異性でも家族の体臭になじみすぎるということじゃないか、って気がする。
 性的な興奮を呼びおこす第一のものは体臭や髪の毛の匂いなのだが、もう毎日嗅ぎなれてしまうと、鈍感になってしまう。それは夫婦の間でもそうだろう。思いあたるでしょう。(笑)
 食事を毎日一緒にとること——これが兄妹の「あぶない関係」防止策。世の親たちに奨励したい。

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2007年1月15日 (月)

夢の芸者遊び

 きっかけは、「某所に女形芸者さんがいます」という情報だった。ぼくが女装した男性に興味があることを知って教えてくれた人がいるのだ。
 歌舞伎の世界では女形は当たり前で、芸者が出てきてもそれはすべて男性なのだが、現実に女装した芸者さんというのは非常に珍しく、東京でも二人しかいないそうだ。
 紹介した雑誌によれば、その女形芸者さんはまだ二十歳と若く、写真を見ると本物の?芸者さんにしか見えない艶やかさだ。
 中学生の頃からお座敷に出ていたそうだが、まさか男の子とは思わない金持ちが「水揚げさせろ」と迫ってきて大変困った——というようなことが書かれていた。
 その話をネットでしていたら、若い世代の人が「水揚げって何ですか?」と言うので、「ああ、そういう時代なんだなあ」と思ったことである。
 ぼくらおじさん世代が子供の頃は、花柳界つまり芸者さん世界はまだそんなに遠いものではなかった。どこの地域にも「三業地」「色街」「花街」と言われる場所はあって、そこに行けば芸者さんは珍しくなかった。ぼくの父親たちも何かあると芸者さんを呼んで宴会を開いていた。
 いま、芸者さんを揚げる——という宴席はめったにない。せいぜい温泉に行った時ぐらいではないだろうか。
 ぼくも女形芸者さんに関心があるけれど、その人と会うのにどうしたらいいのか、芸者遊びについて調べてみたら、ちょっとビビってしまった。いろいろシステムが面倒なことは知っていたが、結果的にかなり高い「遊び」になるからだ。
「水揚げ」というのは辞書には「遊女や芸妓が初めて客と寝ること」なんて書いてあるけれど、辞書を作る人がもう知識が無いんだね。調べてみると、デビューする芸者(芸妓ともいう)のスポンサーになってやろうというお客(旦那)は舟を買って、その上で芸者と寝たから「進水」と同じ意味で「水揚げ」と呼ぶことになったらしい。これはそうとうな財力がないと出来ることではない。
 とにかくお金がかかるのが芸者遊び。現在は個人的に湯水のようにじゃぶじゃぶお金を使える人は少なくなって、クラブやバーで遊ぶようになり、芸者遊びは陰が薄くなったわけだ。
 それでも芸者さんは、男にとって憧れだ。まあ死ぬまで一度は、粋な芸者遊びをしてみたいものだが……無理だろうなあ。(笑)

(画像左は『AERA』掲載の女形芸者、英太朗さん。右は京都での某団体の芸者遊び。料金は一人13万6千円だった(朝日新聞より))

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Geisha_asobi

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2007年1月 5日 (金)

エロの勝者

 去年のお正月に「官能作家の初夢」として「インターネットの普及で、通販でポルノチックな本も買いやすくなる。その結果、ぼくのような官能作家の本も売れてきてウハウハになる」と書いた。
 半分当たった。本はもう「ネットで買う」の当たり前になってしまった。”ウェブ2・0“という言葉が流行語になったように、これまでは「売れるものだけが売れ、売れないものは消えてゆく」という時代から「売れないものもそれなりに売れ続けて利益があがる」という時代になった。今年はその動きはもっと加速されるだろう。
 だからといってエロのメディアで稼いでる人たちがウハウハになったか、というと、どうもそうではないようだ。
 ぼくの友人でエロライターを自称するY君が、昨年『エロの敵』というノンフィクションを出した。そのなかでY君は、インターネットが普及してきたことによって従来のメディアは軒並み、売れ行き減少によって衰退へと追い込まれている——という、実に好ましくない現状を分析してくれた。
 なぜエロメディアが衰退してゆくかというと、インターネットではほとんどのモノがタダで手に入るようになったからだ。
 見たいもの知りたいことがネット上でタダで手に入るのなら、何もお金を出して本やDVDを買う必要はない——というわけだ。
 では、エロメディアに未来はないのだろうか? エロ本もエロマンガもエロビデオも、これから消えてゆく一方なのだろうか?
 決してそうではないと思う。情報を提供する側が「タダでも手に入るモノ」を作ってたら、これはネットに負ける。当たり前だ。
 これからのエロは「ネットでは見つからないエロ」で勝負しなきゃいけないということだ。
「それは何だ?」と思うでしょ。ぼくも知らない。(笑)でもヒントはある。
 エロ本でもエロビデオでも、ある特定の分野にひどくこだわった「マニアもの」という分野がある。まあ児童ポルノのようなヤバいものではなく、「そんなのが好きなの? なにが面白いの?」と誰もが驚くような分野で、マニアが凝りに凝って作って自費出版、自費制作したような作品が、これが高い値段でもけっこう売れている。これですよ、これ。今年のエロの勝者は、「ネットでは見つからないエロ」を発見したものがなるんである。それを信じて努力してみようではないか。

(画像はエロメディア関係者必見の書『エロの敵』)

Eronoteki

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2006年12月29日 (金)

現代の奴隷市場

 以前、このコラムで『オークションの快楽』というのを書いた。その中で《モノを競り落したり、競り合わせて高値で売ったりするのがこれだけ楽しいのだから、もし人間をセリで売買したらどうだろうか? ……奴隷オークションはサディストやマゾヒストの最高の快楽のはずだ。ネットではなく、実際に女奴隷を壇上に引き出しての「女体セリ」というのが行われた話はぼくも耳にしているのだが、残念ながらこの目で見たことはない》——と書いた。
 その後、都内の某所で「おんな市」という女体セリが行われていることが分かった。消費者金融の内幕を追究したノンフィクション『下流喰い』(ちくま新書)という本のなかで、金融ジャーナリストの須田慎一郎さんが潜入ルポを書いているというので読んでみた。
 氏は噂をきいて知り合いに頼みこみ、関係者のような顔をして「おんな市」の会場に潜入することに成功した。会場はホストクラブで、営業していない昼間に行われた。集まってきた中年の男たちは、風俗業界の闇の部分にいる人間だ。
 やがて女たちが十人ほど姿を現した。全員パンティ一枚の裸で、ヘソのところにマジックインキで番号が書かれていた。
 寒々しい蛍光灯の明かりの下で彼女たちは無表情でうつむき加減に立ちつくし、裸身に男たちの視線を浴びている。二十代の茶髪の娘もいれば四十代のオバサンもいて、タイプはいろいろだったが、外国人や未成年はいなかったという。
 参加者が紙に金額を書いて入札する形式で、女たちは無言のまま、買われた業者たちによって連れ去られた——。
 年に何度か開かれる「奴隷市」に出品されるのは、ホスト狂いの果て何百万というツケや借金を作った女性客。風俗業者たちが借金総額に五十万円程度という相場でセリ落とし、彼女たちをタコ部屋に住わせ、ある期間、体を売らせて稼がせる。もちろん最低限の生活だろう。
「ひどい話だ」と思うのがふつうだろうけど、ぼくは読んでいてSM作家の血が騒いで興奮したね。ただ、女たちは身の不幸を嘆く様子など少しもなく、アッケラカンとして、セリは愁嘆場もなく淡々と終了した——というのが残念だ。もう少しSM的に盛り上がってほしい。(笑)
 ホスト遊びにのめりこんでいる女たちに、こんな末路が待ちかまえているとは——。いや、いい勉強になりました。

(画像は、まさか現代の奴隷市場というわけにもゆかず、ジャン=レオン・ジェロームの描いた『ローマの奴隷市場』です)

Dorei_ichiba

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2006年12月22日 (金)

百人一首はポルノチック

 そろそろお正月も近いので、それらしい話題を探そう。(笑)
 ここ何年か、百人一首に取り組んでいる。別にカルタをやるためではなく、ひたすら暗記しようと努力しているのだ。
 百という数は、暗記するのに多すぎず少なすぎず、もの忘れ防止、記憶力増強のトレーニングにちょうどいいのじゃないか、と思ったからだ。
 一日一首づつ覚えていったから、三カ月ちょっとで百首全部を暗記できた——と思ったら、最初のほうをすでに忘れてしまっていた。一つ覚えると一つ忘れる、というふうで、いつまでたっても百首パーフェクトに暗記できるようにならない。情けないことである。
 ただ暗記するだけでは脳に刻まれないんだろうと思い、今度は『mixi(ミクシィ)』の日記に、ちょっとしたメモや感想をつけて書き残すことにした。そうすると確かに忘れにくい。今ようやく二十首を書いたところだけど、読んでくれる人(マイミクという)はわりと面白がってくれる。
 百人一首は、最近は「一首も知らない」という人も多いけれど、学校によっては生徒に暗記を義務づけているところもある。少なくなったにしろカルタを楽しむ人たちも健在だ。日記を読んでくれた仲間も「百人一首は日本人の基礎教養。面白いから子供に読ませてます」という感想も届いた。そうするとちょっとまごつく。
「ん? 子供に? そ、それは問題だな……」と困惑してしまうんである。(笑)
 なにが問題かというと、百人一首は平安時代、宮廷にいた貴族や女官が詠みかわした和歌から選ばれたもので、実に半分近くが恋の歌だからだ。男から女へ、女から男へ、誘ったり誘われたり怨んだり怨まれたり、ずいぶんと生々しい愛欲の感情が歌われている。
 たとえば儀同三司の母の《忘れじの行く末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな》なんてのは、恋人と初エッチしたあとの若い娘が「これ以上の歓びはもう味わえないだろうから、いま死んでしまったほうがいいかも」という、セックスの感激を歌った歌なんである。そこんところを子供にどう教えたものかねえ。
 百人一首のほとんどはエロとポルノなんである。こうなったら、そっちの方面から百人一首を観賞する本でも書いてやろうかね。いやまあ、それよりも百首、ちゃんと暗記するのが先なんだけれど——。

(画像は儀同三司の母「忘れじの」の取り札)

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2006年12月15日 (金)

太腿の魅力

 先日、NHKがキャンディーズの回顧番組を放映した直後から、ネットでは中年オヤジたちの感激の声がとびかった。
「いやー、懐かしい、泣けた!」「好きだったランちゃん、あんな感じだっけ?」「たまらん『ほほ笑み返し』!」「みんなかわいかったなー!」
 デビューが1973年、解散コンサートが78年4月。三十年がたつのだから、当時紅顔の少年だった連中も四十代、五十代の中年オヤジ。それでも熱く感想を語りあう姿はかわいいもんである。(笑)
 かく言うぼくも見ましたよ。若かった頃の甘酢っぱい思い出が甦ったね。しかし一番驚いたのは、彼女たちの着ていたフリフリのドレス。やたら短くてパンツがすぐに見えそうだ。ほとんど付け根まで見えてる三人のスラリとした太腿がやたら眩しい。
「えーッ、あんなに超ミニだったっけ?」
 ちょっと信じられなかった。記憶と違う。
 そういう印象を抱いたのはぼくだけでなく、他のオヤジたちも同じ感想を洩らしていた。
「あれだけ短かったのに、当時は別に何とも思わなかった。どうしてだろう? 今でもググッとそそられるのに」
 三十年という時間が記憶のなかのキャンディーズにもう少し裾の長いドレスを着せてしまったわけだ。これは不思議な現象だ。
 キャンディーズの太腿を思い出したついでに、この冬の太腿の話。ぼくが住む六本木・麻布界隈ではホットパンツというのか、超短いショートパンツにロングブーツというスタイルの女の子がやたら目につく。
 そうすると白い素肌が露出している太腿から膝のあたりまでが、やけにググッと迫ってきて、うーん、そそられる!
 まあ、もともと女性の太腿にはそそられるタチなのだ。官能作家仲間には「ふともも作家」と称せられる牧村僚さんがいるが、ぼくだって負けないぐらい太腿が大好きなんである。
 太腿の魅力は何かというと、女性の力強さが凝縮しているからだと思う。誰だって、あの太腿で首をギューッと締めつけられたいと思うでしょ。え、思わない? そりゃヘンタイだ。ほら、○×○をしていて女性がイッた時、ぐぐッと……。(以下略)
 ついつい妄想が膨らんで、「首を締めつけられたい太腿女性ベストテン」なんてランクを考えてしまった。一位はなんと言ってもフィギュアスケーターのミキティだ。ぼくの場合、フィギュアを見る楽しみは、力強い太腿を見る楽しみだからね。さて、あなたの一位は誰?

Candies

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2006年12月 8日 (金)

荷風の未公開ポルノ

 永井荷風といえば文化勲章をもらった文豪でありながら、『四畳半襖の下張り』という、きわめてすぐれたポルノ小説を書いた人だ。
 1959年に79歳で亡くなったが、生前、もう一編のポルノ小説を書いたことが知られている。荷風の日記『断腸亭日乗』の1948年1月3日の項に「春本濡ズロ草紙を草す。また老後の一興なり」と記されているからだ。しかし荷風の生前はもちろん、死後もその作品は発表されなかったし、その作品が存在するかも定かではなかった。ところが1986年になって、その抜粋がある雑誌に発表され、ようやく『ぬれずろ草紙』と題された荷風ポルノの概要が分かった。
 荷風がこれを書いたのは戦後の混乱期で、巷にはパンパンと呼ばれた米兵相手の娼婦が横行していた。『ぬれずろ草紙』のヒロインは、パンパンに混じって米兵相手に乱交を繰り広げる若い未亡人の話だった。
 しかも彼女は戦死した夫がまだ生きている時に、強盗に襲われて夫の目の前でレイプされるという体験がある。おかげで夫婦とも変態露出プレイの快感に目覚め、いろいろ快楽を追求してきたという過去がある。そのあたりが後半、回想シーンとして描かれている。つまりSMっぽいの好き未亡人が相手かまわず進んで股を広げてやりまくる過激なポルノなのだ。
「お、それって面白そう!」と思うでしょ。(笑)
 いや、雑誌には、穏当なところだけこま切れに紹介されているのだけど、『四畳半』が格調高い文語体なのに『ぬれずろ』は口語体。読みやすく分かりやすく、いやらしい部分は徹底的にいやらしい。荷風も発表を前提にしていないからのびのびと筆を走らせていて、ポルノが氾濫している今でもどぎついぐらいの描写だ。著作権者のかたが「これは発表できない」と思ったのは当然だ。文豪の名を汚すことになるしね。
 しかし、荷風というのはひどく高潔かと思うと信じられないぐらい卑俗な面を見せる、二面性の作家だった。その人間性を研究するためにも、『ぬれずろ草紙』の完全版をどこかで出版してくれないものかと、ずっと願っている。ああ読みたい読みたい。死ぬまで読みた〜い。

(画像は、秘蔵されている『ぬれずろ草紙』原本。一と二の二冊に分かれている。
『永井荷風ひとり暮らしの贅沢』(永井永光ほか、新潮社より))

Kafu_nurezuro

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2006年12月 1日 (金)

やっぱり卵は精力剤

 フランスに在住のH画伯が個展を開くため久しぶりに日本に帰ってきた。。
 女性の下半身や性器をモチーフにした非常にエロチックで特異な鉛筆画を描く。その細密な技法は驚異的とも言えるもので、A4版ぐらいの大きさのを完成させるのに毎日10時間描いて一カ月はかかる。それに費やすエネルギーは莫大なものだ。
 そのエネルギーを何から得ているか興味があったので食生活を尋ねてみたら「卵です」という答が返ってきた。なんと一日に十個の卵を食べているというのだ。
 聞けばH画伯は一日二食主義で、どちらもスパゲッティ。それに卵を五個づつ入れて食べているという。あとは缶詰のツナと野菜を炒めたものぐらい。炭水化物たっぷりの高カロリー食で、医者が聞いたら怒るような食生活だろう。しかしH画伯は五十代の後半なのに髪も黒々、肌も若々しく、筋肉は隆々、冬でもコートは着なくて、Tシャツで過ごしている。まあ毎日ジムに通って熱心にトレーニングしているというから、それぐらい高カロリーの食事をしても問題はないのだろう。
 ぼくなんか生活習慣病のカタマリだから、「コレステロールの多い卵は食べないほうがいい」と言われ、本当は大好物なんだけど二日に一個ぐらいに押さえている。毎日十個も食べていたらどうなるんだろう?
「問題ありません。いたって健康です」とH画伯は言う。それに、卵はあっちの意欲ももり立ててくれるんですよ」と聞き捨てならないことも言うではないか。
 絵の題材が女体だけに、旺盛な性欲も描くためには必要なのだが、卵のパワーが性欲をもりもりと強めてくれるらしく、卵を食べないとあっちの方もたちまちパワーダウンしてしまうらしい。
 昔から卵は精力剤として愛用され、女性と一戦交える前に生卵を呑むのはおまじないだった。調べてみるとウソではなさそうだ。卵にはメチオニンというタンパク質とビタミンAが豊富に含まれていて、これらは脳から睾丸に送られる性腺刺激ホルモンを増やす役目がある。つまり卵をたくさん食べることでヤル気もわいてくるのだ。最近の研究では卵のコレステロールはさほど心配するほどのことはなく、一日二個ぐらいなら毎日食べても平気のようだ。実際、卵を食べても食べなくても心筋梗塞の危険度に影響はない、という結果も発表されている。卵はどんどん食べて、ヤル気まんまんでGОだ!

(画像上は参考写真、下はH画伯作品)

Egg

Hayashigahaku_leggirls

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2006年11月24日 (金)

カキでエンジョイ!

 カキのおいしい季節になってきた。貝のカキね。
 殻のなかの身にレモンの果汁をふりかけ、ツルッと食べてしまう生ガキは最高だけど、カキフライも好きだな。カキの入ったカレーもうまい。ああ、カキ鍋もいいねえ。
 カキは「海のミルク」と言われるぐらいタンパク質やミネラルの類が豊富で、体によい食べ物だ。特にフランス人は男性の強精剤として愛好されている。つまりカキを食べると充実した性生活が楽しめるというのだ。
 カキには亜鉛が豊富に含まれている。この亜鉛というのは、人間のセックスにとても重大な役割をになうミネラルで、脳のなかでこれが不足すると、まず「ヤル気」が起きなくなるらしい。ムラムラしにくくなるのだ。カキが強精剤だというのは、亜鉛が性欲を強めてくれるからだろう。
 さらに睾丸のなかで精子が作られる時に、亜鉛は必要不可欠な物質なので、亜鉛が不足すると精子が少なくなり元気もなくなるらしい。
 イキのいい精子をいっぱい作ってドバッと放出するためには、ある程度の量の亜鉛が必要ということだ。セックスやオナニーで精液を消費する率の高い若い世代は、特に気をつけて亜鉛をとるようにしたい。
 ところが最近、インスタント食品や偏食しがちな食生活で亜鉛が不足して、男性の性欲が減退したり精子のパワーが不足して受胎させる能力が失せるという傾向が強まっているんだとか。
 それ以外にも、発育がさかんな年代に亜鉛が不足するとすぐにカッとなる「キレやすい」心理状態になるともいう。
 いま社会を悩ませている「セックスレス症候群」「少子化」「すぐキレる子供や若者の増加」……という問題は、どうも亜鉛不足がかなり影響していると専門家はみている。
 カキは亜鉛を簡単にとる絶好の食べ物で、十グラムぐらいのを二粒食べれば、一日の必要量がまかなえてしまう。だからカキのおいしくなるこれからの季節、せっせとカキを食べて性欲を強くし元気のいい精子をいっぱい作ろうではないか——と、ついカキ関連団体の宣伝みたいな文章になってしまったが、これはホントのことだから信用するように。
「生ガキはおなかをこわしそうだし、カキフライは作るのが面倒だ」という「内食派」の人には簡単この上ない「カキのジラジラ焼き」をおすすめする。
 熱したフライパンに油をひかずカキをポンと入れ、中火で転がしながらジラジラジラと熱を加え、ぷっくりふくれてきたら日本酒少々塩少々をかけて出来上がり。レモンを絞ってパクリと食べるとおいしいよ!

Oyster

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2006年11月17日 (金)

ミミズの効用

 先々週、女流作家Nさんが「息子が自分のペニスは小さいのではないかと心配している」とmixiの日記で相談した話を書いた。
 そうしたら早速、記事を読んだ九州のかたからメールをいただいた。
「私の住んでいるところには青ミミズという大きなミミズがいます。そのミミズに小便をかけるとペニスが大きくなります。私は最初信用していなかったのですが、中学生の時にふと青ミミズに小便をかけたところ、みるみる巨根になってしまいました。青ミミズのおかげだと信じています」
 うーん、よく「ミミズに小便をかけるとオチンチンが腫れる」と言われるが、一時的に腫れて大きくなるのならともかく、永久的に大きくなるとは……。
 にわかには信じがたい話だ。そもそもミミズに尿をかけると腫れるというのは本当だろうか? ネットで検索してみると、同じ疑問をもつかたが経験者からの体験を集めていた。その結果、驚くべきことが分かった。
 従来、ペニスが腫れるのは、放尿する時、ミミズや土を触った汚い指でペニスに触れるからだと思われていたが、ミミズに触ったりしなくても放尿しただけでペニスが腫れた例がたくさん報告されているのだ。
 これは不思議なことだ。まるでミミズの毒が小便を伝ってペニスに届いたみたいだが、もちろんそんなことはあり得ない。
 だがミミズを研究している人が「ミミズは危害を加えられると体液を噴射して身を守るのです」と教えてくれていた。実際に何個所から液を噴きだしている画像もあった。鳥や他の動物から身を守るためにミミズもそれなりに対策をとっているわけだ。
 青ミミズというのは四国や九州に多くみられる巨大なミミズで、体長三十センチぐらいはザラ。異臭をもつ粘液でヌルヌルしているそうだ。
 そういう怪物的なミミズに子供が小便をかけたら、勢いよく噴霧された体液がペニスに届くことはじゅうぶん考えられる。もしその体液に含まれる未知の成分が、子供のペニスの成長を促す機能をもっていたら……。
 いや、まったくの想像だけれども、そうだったらペニスのサイズに悩む男たちの悩みはたちまち解決されるではないか。Nさんのような母親たちも喜んで買い求めて息子に与えるだろう。
 どこかで青ミミズの体液を研究して、そういう効果の薬を開発してくれたら、バイアグラに匹敵する売れる薬になると思うけどね。無理かなあ。(笑)

(画像はミミズを刺激して毒液を噴射させているところ。オリジナル出典不明)

Mimizu_shower

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2006年11月11日 (土)

下着ドロの日本記録

 ちょっと興味があって、報道されるたびにチェックしているのが下着泥棒。
 犯人の年齢は、下は十代の少年から上は八十代の老人まで。職業も、教師から僧侶までさまざまだ。独身者が犯行に走るように思えるけれど、案外、妻帯者も多い。
 事例を調べていって驚かされるのは、下着泥棒たちの「収集」にかける情熱のすごさだ。何年も盗み続けているうち、何千枚もの下着の山を築いてしまった犯人は珍しくない。
 おそらく日本記録保持者ではないかと思われるのは、今年の八月、四国で逮捕された四十代の会社員。彼はほぼ五年間のうちに一万二千二百枚余の女性の下着を盗んだ。女性の部屋に侵入して、あらいざらい盗んでしまうという手口で、犯行は二百回に及ぶ。一回で六十枚ぐらい盗んだ計算。
 彼は妻と二人の子供がいたのだが、盗品は屋根裏部屋に隠していたという。そのうち、盗品の重みで天井が落ちてしまったかもしれない。
 いくら溜めこんだからといって売れるものではないし、誰かに自慢して見せるわけにもゆかない。いつかは処分しなければならないだろうに、一万枚もの下着、どうやって処分したらいいのだ。
 捕まる危険を考えると、実にバカバカしい行為としか言いようがないのだが、本人は空しいとか愚かだとか思わないんだろうね。ただただ下着に憑かれて、どんどん、もっともっと、いっぱいいっぱい集めたくて集めたくて仕方がなくなるんだろう。コレクターとしての情熱には圧倒されるしかない。
「そのエネルギーを他のことに使えばよかったのに」と思うのは常識人の言うことで、犯人にとっては屋根裏の下着の山に囲まれている時が至福の時だったんだろう。分かるような分からないような……。(笑)
 もともとコレクションというのは、何の気なしにいくつか集めるところから始まる。当初は「次はこれ、その次はあれ」という計画性があるものだが、ある量に達した時に、いきなり理性がぶっ飛んで、ただ闇雲に収集に熱中してしまうことが多い。
 下着泥棒の場合、資金というのは必要ないから、最初は出来心や面白半分だったのが、一度タガが外れてしまうとブレーキがかからず、たちまち何百枚、何千枚という数に達するんだろう。まったく困ったものだが、そういう男たちは絶えることが無い。女性の悩みも永久に続くわけだ。

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2006年11月 4日 (土)

母親の心配

『mixi』(ミクシィ)って知ってますね? 
 インターネットのなかで知りあい同士が日記を公開したり同じテーマで語る場(コミュニティ)をもったりする、一種の社交場。これまでのインターネットとは少し違う「仲間うち感覚」が人気を呼んで、どんどん参加者が増えている。
 そのmixi仲間のひとり、女流作家のNさんが、心配ごとを日記に書いていた。
「十歳の息子が、トイレで友達とペニスを見せっこしたら、自分のが小さいようなので、悩んでいる。私が見ても少し小さいかな?と思うぐらい。心配です。子供のペニスはこれからも成長するのでしょうか? 父親のサイズが遺伝するものでしょうか?」
 Nさんはバツイチの母子家庭なので、相談するダンナさんがいない。それでみんなに相談してきたわけだ。
「そう聞かれても……!?」と、ぼくなんか困ってしまったね。子供の頃から自分のペニスのサイズなんか気にしたことがなかったし、成長がいつ終ったかも気づかなかった。
 だいたい精液が出る前は、ペニスはおしっこを出すためのホースでしかない。おしっこがちゃんと出てれば問題はなかった。
 サイズの大きい、小さいが気になるのは、やはり定期的にオナニーするようになって、ペニスというのがおしっこを出すホース以外の役目もある、と分かってからだろう。つまり男女のセックスがどういうものか分かってきてから気になるものじゃないだろうか。
 ということはNさんの息子さんは、そろそろそういう具体的なことが分かってきたということかな?
 ペニスのサイズは個人差が大きくて、子供でも大きいモノを持ってるやつもいる。そういうデカマラのガキを見て劣等感を感じたのだろうが、大切なのは必要な時にちゃんと勃起して、射精が出来ること。サイズなんてさほど問題はない、と思うのだけれどね。
 ぼくは今ごろになって「どうもぼくのは小さいほうかな」と思うようになったけれど、ちゃんと男としての用を足せてきたから、サイズの悩みはちっとも感じないできた。
 Nさんにはとりあえず「勃起しても小さいなら問題だけどちゃんと大きくなるのなら大丈夫だよ。試してみたら?」と言ってあげたのだけれど、「そ、それは……」とかなりビビっていた。はは、健全なお母さんに見守られて息子さんは幸せである。(ペニスの成長について情報をお持ちのかたは、ぼくのブログでお教え願います。「館淳一」「いろ艶筆」で検索すれば分かります)

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2006年10月27日 (金)

小さな尻の女王さま

 日本には二種類の「女王」さまがいる。一つは皇室典範で決められている「三世以下の嫡男系嫡出の子孫の女性」。要するに天皇陛下かご兄弟の女のお孫さん。このたび生まれた悠宮さまのお姉さんお二人は法律上の正真正銘の「女王」さまなのである。
 もう一方は、ガラリと世界が違って、風俗業界でマゾのお客を相手にサービスする女性のこと。黒い網タイツをはいて右手に鞭、左手にロウソク——というイメージの、あの女性たちですな。
 ディープな世界ではあるけれど、需要あれば供給ありで、東京だけでも何百人という数のプロの女王さまがいる。
 そういう女王さまに憧れる男性たちのための雑誌があって、魅力的な女王さまがズラリと顔を、というか体を並べておられる。つまり女王さまカタログ。
 ある時、その雑誌で女王さまを撮影しているカメラマンに話を聞いたことがある。
 どんな職業でも苦労話というのはあるもので、彼の場合はと聞いてみると「女王さまのお尻が小さい」ということなのであった。
 女王さまという商売は、マゾの男性を圧倒し屈服させ支配することがメインであるから、冷酷な印象を与える美女であることは言うまでもないが、それに加えて堂々とした体格でなければならない(必ずしもデブということではないよ)。
 多くのマゾ男性が望むプレイは「ガンキ」——顔面騎乗というやつで、あお向けに寝た男性の顔の上に女王さまがお尻をデーンとのっけるプレイである。
 そのためのお尻は大きければ大きいほどいいわけで、多くのマゾ男性はバーンと張りだしドーンと重量感のある、迫力満点の堂々としたお尻を渇望する。
 ところが実情は、そのカメラマン氏が嘆くように、重量級お尻の女王さまは「めったにいない」のである。
「年々、女王さまのお尻は小さくなっていますね。形はいいんだけど重量感がない」と嘆く彼に「でも表紙にはいつも、ドーンというお尻がのっかってるじゃないですか」と言うと、苦笑して秘密を明かしてくれた。
「あれは苦肉の策で、画像ソフトを使い大きく見えるように加工してあるんですよ。そうでもしないと見栄えがしないんです」
 女性のお尻が小さくなって困る業界もあるのである。この「小尻化」はやはり「少子化」と関連しているのだろう。なんとかしないと国が滅びるぞ。

(参考画像は顔面騎乗専門SMクラブ『スウィートスメル』
http://sweet-smell.com/index2.html
のギャラリーより)

Ganki_09

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2006年10月20日 (金)

お値打ちセーラー服

 秋は寂しい。木の葉が枯れて散るせいだけでなく、女子高生の白い夏服か消え、紺色の冬服に衣がえしてしまうせいだ。
 セーラー服はやはり、半袖の夏服がいいよね。来年の初夏まで見納めか——と思うと、いい年してセーラー服ファンのぼくは、とても寂しく悲しくなるのである。
 ところでいつも思うのだが、セーラー服など高校の制服は、卒業すればもう用がない。それをみんなどうしているだろう? ある女性に聞いたら「お母さんがクリーニングに出してタンスにしまってあるのよ。もう着る機会はないから捨ててもいいのにね」と言っていた。まあいろいろな思い出があるものだから、捨てられない人もいるだろう。
 そこで話はネットオークションのことになる。
 前にも書いたけれど、ネットの世界ではオークションがものすごく賑わっている。この活況に目をつけ、出品された中からめぼしいモノを安く落として、それを高く売りさばく人たちが増えてきた。中には月収百万、二百万と稼いでいる人も少なくない。目ざとくチャンスを見つけて飛びつけば、金もうけのタネはネットのなかに転がっているんである。
 かつては古いセーラー服を持っててもどこに売ったらいいか見当もつかなかったが、今やネットで売りに出せば、それが人気校、有名校のモノだったらたちまち買い手が飛びついてくる。まあ「ミラーマン」と呼ばれた人もセーラー服を持ってる時代だから、中古セーラー服市場が活気を呈するのは当たり前といえば当たり前なのだ。
 さっきもちょっと調べてみたのだが、東京都内の名門女子高セーラー服は、安くても十数万円、高ければ夏冬セットで五十万円以上もの値がついている。
 これから女子高三年生の夏服が市場に出回るから一時的に値は下がるけど、来春あたりは払底して値が上がる。それを見越して、いま買いに出る人も多いだろう。
「中古のセーラー服ってそんなに儲かるのか、よしおれも一発稼いでやろう」と思う人がいるかもしれない。しかし中には、人気女子高の制服をコピーして、ホンモノのように思わせて売る業者もいるのだ。コピー品はファンの世界ではほとんど価値がない。うっかり手を出すとヤケドをすることも多いのがオークションの世界だ。セーラー服だってバカにすると痛い目にあうかもよ。

(画像は単なる参考。これがお値打ちというわけではありません)

Sailor_auction

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2006年10月13日 (金)

ブーツの匂い

 このコラムで、春のエロティシズムは春風にまくれるスカートだと書いた。夏のエロティシズムは若い娘の浴衣姿と書いた。
 では、秋のエロティシズムとは何だろう? ぼくの場合は断然、女性がはくブーツだね。
「人間には二つのタイプがある。なんでも二つに分けなければ気がすまないタイプと、そうでないタイプである」というジョークがあるが、ぼくは「男には二つのタイプがある。女性のブーツに惹かれるタイプと、そうでないタイプである」と言いたい。
 どうして女性のブーツ姿が好きなのかというと、まず颯爽として見えるからだろう。ブーツをはいた女性は、まさに「闊歩」という感じで元気そうに歩く。だらしないミュールとは大違いだ。
 第二に、フロイト的には女性の靴は女性器をイメージさせるせいか、男の欲望を深いところで刺激してくれる。つまり妙にセクシーに感じる。
 最後は、やはりブーツのなかで蒸れた足の匂いを想像するからではないだろうか。適度に蒸れた女体の匂いというのは、どこであってもいいものだ。それにブーツの革の匂いが混ざるのだから、まあ男にとっては芳香だろうね。
「私、二日ぐらいお風呂に入らなくて、靴をはき続けた自分の足の匂いって、好きなのよ。家に帰って靴を脱いでストッキングを脱いで、自分でクンクン嗅いで『いい匂いだな〜』ってうっとりする」というホステスさんがいたけれど、えらいものである。女性はそうでなくてはいけない。
 とはいうものの、過ぎたるは及ばざるがごとしで、これが悪臭になったら迷惑になるだけ。「足が臭い」というのは「おやじ」世代専門のように思われているが、実は不潔なギャルの足もそうとう臭いという結果が出ている。
 アメリカの超アイドルスター歌手、ブリトニー・スピアーズは、飛行機(もちろんエグゼクティブクラス)の中で、愛用のウエスタンブーツを脱いだとたん、ものすごい匂いがして周囲の席から苦情が出、乗務員から「ブーツを脱がないでください」と言われてしまった。
 バタフライの模様がついたウエスタンブーツはブリトニーブーツと呼ばれてブランド化しているが、これではイメージダウンだね。
 うーむ、しかし、ブリトニーの足の匂いなら、少しぐらい臭くても——と思うけどな。嗅いでみたいものだ。

(画像はロングブーツをはいたブリトニー・スピアーズ)

Britney_spears_25sized

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2006年10月 6日 (金)

性教育基本法

 安倍内閣の最優先政策は教育基本法の改正なんだそうだ。それだったらついでに性教育基本法というのも作ってほしいね。
 日本は昔から「純潔教育」が重視されてきた。つまり「セックスから子供は遠ざけておいて、大人になるまで教えなくてよい」という考え方だ。今でも絵本などでセックスを分かりやすく教えようとすると大騒ぎになるのは、純潔教育の名残りである。
 女流官能作家のIさんはぼくよりひと回り下の世代だけれど、純潔教育で「性はいやらしいものだ」と教えられてきた。その結果、高校時代まで「キスをしたら妊娠する」と思っていて、ファーストキスをした後はひどく悩んだらしい。
「今はセックスに関する情報は氾濫しているから、学校で教えなくても子供たちは自然に学んでゆくものだ」と言う人もいるけれど、必ずしもそうではないと思う。
 家庭は核家族で一人っ子が多く、遊び仲間が少ない。先輩が後輩の面倒をみるという風習も稀になった。そうなると、たとえば「射精」とか「オナニー」とか、男の子が知らなければいけない基礎知識がしっかり理解できないことが多い。
 特に生まれて初めて射精した時、たいていの子供は知識が与えられていないから「病気ではないか」と驚き、悩むものだ。ぼくも「これは膿(うみ)が出たのか」と、かなり悩んだ記憶がある。そのうち「気持ちがよくなると出るものなんだ」と分かってきたが、今度はオナニーのやり方が自己流なもので(手を動かすより何かに押しつけて刺激する)、発育が遅れたんじゃないかってまた悩んだ。(笑)
 今の若い人たちに聞いてみても同じようなもので、つまりはセックスの一番基本的なところは誰からも教えてもらえず、おかげでずいぶんと妙なクセがついたケースも多い。
 というわけで「性について最も基本的な知識を早めにしっかりと学校で教える」という法律を作ってほしいのだ。でないと「セックスはめんどうだ」と考える若者がどんどんセックスレスになってゆく。セックスを楽しく体験することができなきゃ少子化の悩みは解消しない。安倍首相、お願いしますよ。

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2006年9月29日 (金)

昔の少年たち

 少々、知るのが遅かったけど、アダルト・ビデオの『ビデ倫』でヘアーが解禁されるんだってね。
 出版物ではとっくの昔に解禁されていたヘアーも、ビデオの世界では『ビデ倫』だけはチェックが厳しく、女の一番エロチックなゾーンにはずっとモザイクやぼかしがかけられていた。
 ようやくそれが解禁されて、モヤモヤした味気なさを味わってきたAVファンには朗報だろう。「過去に出た名作女優のヘアーも、復刻されれば見られるようになる」と期待する声も大きいが、原板が残っていないので、すべての名作でヘアーが甦るというわけにもゆかないようだ。
「ふーん、そういう時代になったか」としみじみ思ったのは、ぼくらおじさん世代の少年時代を思いだしたからだ。その頃はヘアーなど論外で、外国から輸入される雑誌もインクで消されていた。ビデオなんて論外である。
 同世代のちょいエロおやじが集まると「いかにオナニーのおかずを手に入れるか」で苦労した話になることが多い。
 中学生高校生だと「『平凡パンチ』や『プレイボーイ』もなかなか買えず、捨ててある雑誌や週刊誌のなかからエロっぽいものを抜き取るのが学校の行き帰りの習慣だった。
 古本屋が一番「宝庫」だったけれど、ニキビざかりの少年たちには、なかなか買いにくい。「いらない本を二冊買って、エロ本を一冊サンドイッチにしてレジに持っていったものだ」なんて苦労話、誰もが経験したことだろう。そうやって手に入れたエロなグラビアよりも、いまの少年向け週刊誌に載ってるアイドルの水着や下着のグラビアなんか百倍もエロだったりして。
 マンガだってすごいよね。「これが子供の読むマンガか!」って、エロ作家が怒りながら思わず勃起してしまうぐらいだ。(笑)
 これだけエロな素材がいたるところにあって、小学生まで簡単に手に入れられる現状は、うらやましいと言えばうらやましいけれど、ちょいエロおやじ達は口を揃えて「昔のほうがよかった」と言う。
 素材がひどいものだったから興奮するためには努力が必要だった。現在の百倍もの想像力をかきたててオナニーしなければならなかったのだ。
 そういった苦労が、いまのちょいエロおやじたちの豊かな人格の基盤を作ったのだ——と思うけど、どうだろうか? 

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2006年9月22日 (金)

勃起の悩み

「四十の中折れ」という言葉をご存知だろうか。知らない人は幸せである。(笑)
 若い頃は鉄のようなガチガチの固さを誇っていたムスコも、四十歳の声をきくようになると、どうも頼りなくなる時がある。最初はいいのだがピストン運動の途中でヘナーとなって、ムスコの親をあわてさせることになる。
 一度そういうことがあると「今度は大丈夫だろうか」と不安になり、そう思うだけでよけいにダメになったりする。これが心因性のED(勃起不全症)だ。
 こういう悩みは、まあたいていの男性が持っているか、やがて持つようになるのだが、いましがたネットで面白いニュースを見つけた。
 あるイギリス人がトルコで勃起促進のための特殊な器具をペニスに埋め込む手術を受けた。電波を使うリモコンになっていて、イザという時にコントローラーのスイッチを入れると、埋め込まれた装置が作動して使用可能なサイズにまで膨張するというものらしい。
「これで勃起の悩みは解消」と喜んで帰ってきたイギリス人、スイッチを入れもしないのに勃起することがたびたび起きるので驚いた。調べてみると、隣人がガレージを開ける時に使う無線のリモコン装置のせいだった。朝と夜、隣人が車を出し入れするたびにその人のペニスもギューンとおっ立ってしまうのだ。自分も出かけなきゃいけない時など困ったことになる。
 国内では修理できないのでトルコまで行って周波数を変えてもらわないといけない。でも、もしその周波数が別の何かに使われていたら……。
「いちばん悲しいのは私の勃起する対象が四輪駆動車だということです」という嘆きには笑ってしまったが、いやあ便利な道具にも思わぬ落とし穴があるもんだ。
 本当にそういう器具が開発され実用に供せられているかは確認できないけれど、空気ポンプを埋め込み、手動でふくらませる埋め込み型勃起補助装置というのは実用化されているので、そこを自動化したものが開発されても不思議ではない。
 今は勃起不全にはバイアグラということになってるけど、そういう薬が効かない人はけっこう多い。高血圧や心臓病で使ってはいけない人もいる。最後の手段としての勃起促進ツールは、もっと安全で高性能なのが開発されてほしいものだ。はは、ぼくのが完全に役に立たなくなる前にね。

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2006年9月15日 (金)

鼻をきかせる

 最近の女たちはいい匂いがする。
 高級な香水をつけているという意味だ。
 ぼくは出かける時間こそまちまちだが、仕事場から帰る時間は一定して八時すぎ。降りるのは地下鉄の六本木駅だけど、その時間のホームはホステスさんたちの香水でむせ返るようだ。
 まあ、いい匂いがするのにはこしたことがないけれど、そういうプンプンの香水にまじって、一日働いたOLさんの少し汗ばんだ肌や髪から匂いたつ女そのものの匂いがツンと鼻の奥を刺激してくれると、「おお、これが最高の香水!」と嬉しくなるね。
 幕末の頃、西洋人が日本に来て驚いたのは男も女も体臭がしないことだったそうだ。いや、ちゃんとしてるのだが、体臭のきつい西洋人からすれば無臭も同然だったのだ。それだけ日本人は清潔好きということなのだろう。
 余談になるけど、外国でタクシーに乗ったりエレベーターで誰かと一緒になった時、あまりの体臭の濃さに頭がクラクラすることがある。さすがは肉食の本場だと感心する。
 そういう民族と比較すれば、日本人は西洋人がつける、匂いのきつい香水をつける必要は薄いと思う。それこそ石原裕次郎が好きだった「石鹸の香り」ぐらいの匂いが、本来の体臭とまざって男をくすぐってくれる——と思うがどうだろうか。
 そういえば、これは東京スポーツの記事で読んだのだけれど、去年の暮れ、神奈川県で捕まった泥棒は、ホステスがひとりで暮らすマンションばかりを狙って盗みを続けていたという。
「ホステスは出かけると夜遅くまで帰らないので、仕事がしやすい」という理由からだが、ではどの部屋にホステスが住んでいるか、どうやって分かったのだろうか。ずっと張り込んでいるとしたら時間がかかりすぎる。
 その泥棒は、ホステスが出かけ終えた時間帯にマンションに入り、各部屋の玄関あたりの匂いをくんくん嗅いで歩いたのだそうだ。
 ホステスは出がけに必ず香水をふりかけてゆくから、玄関のあたりにはその匂いがプンプンしている。泥棒はその匂いでホステスが住んでいる部屋を識別したという。いやー、感心したね。
 よく「鼻をきかせる」と言うけれど、最近は実際に匂いをかぎ分けて仕事する人などいなくなった。この泥棒は褒められないけど、嗅覚を磨いて活用したところを、なんとかして褒めてやりたい。(笑)

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2006年9月 8日 (金)

男のなかにいる「女」

 友人のひとりが、脇の下に妙なイボがあるので、病院で診察を受けた時に、ついでに「これは何でしょうか?」と質問してみたという。
 医者の答は「副乳ですね」。
 副乳というのは人間がケダモノだった頃の名残り、いわゆる先祖返り現象のひとつで、二対め、三対めの乳首のことだ。女性では脇の下近くや脇腹に副乳があるのはそう珍しいことではなく、ぼくも何人かの女性のを見たことがある。しかしさすがに男の副乳というのは珍しいので、ぼくも驚いた。
 医者の話によれば、男性でも副乳持ちはいるのだけれど、本人も回りもホクロかイボだと思って気がつかないだけのことらしい。
 友人は苦笑しながら「しかし男はそもそもおっぱいなど必要ないのに、どうして余計な乳首がついているんだろうね」と疑問を口にした。
 これは「妊娠初期の段階までは胎児はみな女として発育する」からだと分かっている。つまり受胎してしばらくの間、ぼくら男もみな女だったわけだ。
 ところが六週間めあたりで遺伝子の作用により、ある胎児は脳から男性ホルモンを分泌するよう指令がゆく。その結果、女の子の土台の上に男の子の体が作られてゆき、ついにはおチンチンとタマタマのついた男として生まれることになる。乳首の部分は改造に間に合わなかったので残ったのだ。
「人間、最初はみな女の子だった」と聞くと「なるほどー」と思うことがいくらもある。
 母の胎内で体は男の子になったけれど、脳が男になり切れない場合があって、そういう場合は「性同一性障害」と呼ばれる。もちろん女性にも逆のことが起こり得る。
 それとは別に、ちゃんと男の脳なんだけど、その底に消しきれない「女」が、どんな男のなかにでも残っている。——そう考えると、歌舞伎の女形を始めとする女装の文化というものが、どの社会にも受け入れられている理由が分かる。ぼくら男は、意識しないけれど自分の心のなかに、あたかも乳首のように「女」を残しているのだ。
 よく「男だろう、キンタマぶら下げてるのか」などと強がりを言う男がいるけれど、彼らは実は自分のなかに「女」がいることが怖いのだ。だからやたらに「男」をふりかざす。そういう気がするね。もっと自分のなかの女を直視すれば、世界を見る目も変わってくることだろう。

(画像は大衆演劇の名女形、竜小太郎。
http://www.aiesu.co.jp/Istarento/RK_2.htm)

Oyama

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2006年9月 1日 (金)

軍服女にしびれる

 CSでやってる『犯罪捜査官・ネービーファイル』というドラマ番組がお気に入りだ。
 一種の法廷モノだが、それに軍事サスペンスが味付けされている。航空母艦や軍艦や艦載機も出てくるので、そういうのが好きなせいもあるかもしれないが、お目当ては女性主人公(キャサリーン・ベル)の制服姿である。
 舞台となっているのはアメリカ海軍法務部(JAG)で、海軍内部の犯罪や事故を軍事法廷にかけるのが任務。判事も検事も弁護士もみな軍人だから、女性主人公も海兵隊所属の中佐。この将校制服がキリリとして、彼女が出てくると、ひたすらしびれてしまう。
 女性の制服姿はもともと好きなのだけれど、セーラー服を別格とすれば、やっぱり女性将校や女性兵士の軍服姿というのが一番だ。
「強い女」が好きだというせいもあるが、「女」を隠しているのに制服の下から匂いたつ「女」のエロチシズムがいいんだなあ。説明しにくいが分かる人は分かるだろう(笑)
 まあ警官もそうだと思うけれど、軍人というのは訓練によって姿勢が矯正されている。だから歩く姿がとても美しい。
 以前、あるところで出会った女性が、いつも姿勢がシャンとして歩く姿もキビキビとして美しいので「ファッションモデルをしていたの?」と聞いてみた。「いいえ、海上自衛隊にいました」という答を聞いて納得したことだった。
 ミュールの踵をカンカンと耳ざわりに鳴らしてズルズルだらだらと歩いているいまどきの若い女は、みんな自衛隊に入れて歩き方を習わせるべきだ——と言っても自衛隊が困るだろうけど。
 最近はコスプレのブームで、女の子が軍服を着ている姿を目にすることも多いが、どうもピンとくる子がいない。それはやはり、姿勢と態度なんだろうと思う。
 厳しい訓練を経た女性の軍人は、それなりにリンとした雰囲気と威厳を身に着けている。なにも訓練したことがない女の子がいきなり軍服を着て銃を持っても、ぼくはまったくしびれないのだ。
 特に日本の女性に似合わないのはナチスの親衛隊の軍服。コスプレでは人気があるのだけれど、似合った例を見たことがない。やはり金髪碧眼長身のゲルマン系の女性でないと着こなせない制服なんだよ。ちゃらちゃらした女の子が着るのはやめてくれ。それだったら鉢巻きにたすき掛け、薙刀持った巴御前のようなのがよっぽどいい。はは、古いね。

(画像は『ネービーファイル』のマック中佐ことキャサリーン・ベル)

 Jag10102100

Jagservise

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2006年8月25日 (金)

浴衣に感じる

 最近、女性たちの間で浴衣(ゆかた)が好まれているのだろうか。東京の街中でも浴衣を着てそぞろ歩く娘たちの姿が目につく。
 浴衣というのは肌の露出度が少ないのに、浴衣姿が新鮮に見え、思わず「いいなあ」とみとれてしまうのはどうしてだろうか。
 露出しすぎの女の子たちを見慣れすぎたせいかもしれない。特に最近はキャミソールやヘソ出しルックで、男たちは目のやり場に困ることがしばしばだ。ローライズの子なんか、少し屈んだらお尻の割れ目まで見えてしまうことも珍しくない。
 その反動でキリリとすがすがしい浴衣姿に感じてしまうのだろうか。きっとそうだ。
 まあ、浴衣にしろキモノにしろ、肌の露出度は少ないのだけれど、それでも洋服にないセクシーな部分がある。それは「身八つ口」(みやつくち)だ。袖の付け根、脇の下のところが縫い付けられていなくて、隙間ができている。あの部分のこと。女性のキモノはみなそうなっている。
 言葉も意味も知らない若い人が増えてきたというけれど、オトナの男にとって、和服や浴衣の身八つ口は、なんとも誘惑される個所なんである。
 まあ説明するまでもないと思うけれど、浴衣の女性を後ろから抱き、身八つ口から手をするりと滑りこませると、簡単に乳房に触れることが出来る。だから「あれは男が女を口説きやすいように作られてるんだ」などという説まである。確かに、あの穴を利用しておっぱいを揉み揉みして、彼女をうっふんと言わせたことがある男なら、その用途以外には考えられないかもしれない。
 しかし、身八つ口というのは本来、子供のキモノだけにつけられたもので、以前は大人のキモノは脇の部分はちゃんと縫いつけられていたんだって。
 それはなぜかというと「子供は体温が高いから、どこかに隙間を作って熱を逃してやらなければいけない」という考えかたがあったらしい。そこで子供のキモノだけ脇の下に穴を開けておいた。それが次第に大人のキモノもそうなって、今では身八つ口があるのがふつうになってしまった。
 その理由というのは明らかではないけれども、男たちも女たちも「これは都合がいい」と思ったからに違いない。ふと考えたのは日本人は体臭が薄いので、ここを利用して脇の下の匂いを異性に嗅がせたいと考えたのかもしれない。
 体臭のきつい西欧人だと、服の脇の下を開けようという発想は湧かなかったと思うがどうだろうか。

(画像は美濃加茂市ホームページより)

Yukata

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2006年8月19日 (土)

アマチュアの時代

 夏コミの時期だ。夏のコミックマーケット。説明するまでもないが日本じゅうのアマチュア漫画家が自費で作った個人誌・同人誌を売買する即売会だ。
 その規模は年々拡大して、期間ちゅうの売り上げ高は莫大なものになる。アマチュアが作ったものとバカにしてはいけない。プロが顔色をなくすような質の高い作品はゴロゴロしている。コミケ市場で認められてプロになる作家も多い。
 そういうのを見て感じるのは、今の日本ではアマチュアが強くなり、相対的にプロの価値が弱くなってきたということだ。
 その例として鮨の業界がある。鮨職人というのはこれまではどこかの店で修業し、技術を学び、独立して店を持ち、評判を呼ぶまで十年、二十年も時間がかかる——というのが常識だった。
 ところが最近は「修業歴ゼロ、握りなどの仕事は独学で覚えた」という鮨職人がいきなりお店を出すようになった。しかも、そんなお店でもたちまち高い評判を得て「その道ウン十年」という親方たちの名店と肩を並べて紹介されているのが珍しくない。
 鮨職人に限らず、日本では何ごとでも「修業・練習の積み重ねが大事」と思われてきた。プロの親方やお師匠の下で雑用や下ばたらきをしながら芸を盗み、血のにじむような努力を積み重ねてようやく一人前になる——というのが職人にしろ芸術家にしろ当たり前のことだった。
 ネットの時代がそれらの常識を一気にひっくり返したように見える。「技術なんてある程度の勉強で身に付く。大事なのは売りだすための人間関係——つまりコネだ」というのがネットの時代の思想のようだ。だからコネさえ作ることができれば素人でもプロを簡単に追い越せる——という風潮が大勢を占めるようになった。
 ある意味、それは悪いことではない。「ノアの方舟は素人が作り、タイタニックはプロが作った」という諺もある。官能ポルノの世界でもアマチュアがプロの領域を犯してくるようになるのは時間の問題だろう。現にネット上ではアマチュアの作品群がどこにでもアップされ、無料でダウンロードされている。
 プロ作家としてはちょっと凹みそうになるけれど、そういう時代こそプロの実力を見せつけるチャンスなのかもしれない。「金を払ってもこれが見たい、読みたい」と思わせる作品を生みだしているプロをバカにしちゃあいけないよ——と自分を元気づけている今日この頃なのだ(笑)

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2006年8月10日 (木)

スカートの危機

 総務省の家計調査によると、女性がスカートを買わなくなっているそうだ。
 パンツ(下着じゃなくて女性のズボンね)がだんだん優勢になってきて、九十年代の半ばごろからスカートは負けてきて、去年は、パンツは二枚ぐらい買ってるのにスカートは一枚も買わないというパンツ派が圧倒的優勢になったという。。
「やっぱりなあ」と思った。ここ数年、街で見る女性たち、特に若い世代ではジーンズやパンツがやたら目につくようになったからだ。
 蒸し暑い夏、男の目から見るとスカートはいかにも涼しそうで羨ましい。なのに夏になってもパンツ派は減りそうもない。女の特権であるスカートを、彼女たちはどうして嫌うようになったんだろう。
 最初は「盗撮されるのがイヤでスカートにしてるのかな」と思ったりしたけど、それよりも経済的な問題なんだとか。スカートより使い回しがきくので、服を選ぶときに迷わなくてすむという気楽さもパンツ派を増やしているらしい。
 それとは別に、ぼくは体型が関係しているんじゃないかと思う。ヒップが大きい女性は重量感が強調されるパンツを敬遠する。今の若い女性はいかにもお尻が小さい。パンツが苦にならないのだ。かつてはヒップがバンと張りだした「安産型」といわれる体型が多かったが、今はなかなかいない。少子化の原因は女性たちがスリムになりすぎてるせいだよ、きっと。
 ぼくは豊満タイプの女性が好きだからパンツが優勢になって細い女の子ばっかりになるのは悲しい。たとえスリムなスタイルの子が好きな男性でも、電車で真向かいの席に座る女性は絶対、スカートであって欲しいと思うはず。パンツではパンチラの楽しみも味わえないではないか。
 とはいえパンツルックにも楽しみが無いわけでもない。ぴっちりしたパンツをはいているとパンティのラインが布地ごしにクッキリと浮き上がる。これが妄想を刺激してくれるんだね。
 ネット上でもパンツ女性のヒップを観察するホームページがいくつもあって、パンティラインにこだわる男性が多いことが分かる。ぼくも仕方がないから、スカートが再び優勢になるまで、パンツ女性のヒップをじっくり観察して妄想を楽しむことにしよう。

(画像は最近のパンツ派ギャル——六本木路上にて)

Pant_gals

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2006年8月 4日 (金)

「超」究極のオンラインセックス

 前々回、「究極のオンラインセックス」というのを書いた。
 自宅で待機している女の子とリアルタイムで「演技」と「会話」を楽しめるのがライブチャット。ネットではいま盛り上がっている。
 しかしそれだけでは物足りないから、バイブとオナホールのようなモノを使って、パソコンを介して性器や性感帯を刺激したりしあったりして楽しんだらどうだ——と提案してみたのだ。
 そうしたらブログを読んだ人からすぐに反応があった。「それはもう実現していますよ」。
 驚いて教えられたサイトに行ってみたら、なるほど、客は特性の男性用オモチャと女性用オモチャを使い、ライブチャットの相手を物理的に刺激したり刺激されたりして楽しめる仕組みになっている。すごいではないか。
 さすがにIT時代まっさかり。ぼくが考えるぐらいのことはとっくに実用化しちゃっているのだ。くそー、時代に遅れてしまったぜ。
 くやしいから、その上を行くアイデアを考えてみた。
 全身がすっぽり覆われる、ダイビング用のウエットスーツのようなものを作るのだ。仮にリモスーツとでも名づけよう。
 男性のリモスーツには男性の性感を刺激する部分にそれなりの仕掛けが装着されている。女性の側には男の形をした人形があり、そこにはセンサーがついている。どちらもパソコンに繋いで、情報が双方向に伝わるようにする。
 客がリモスーツを着て、ライブチャットの相手に「どこそこをどうして」と頼むと、女の子は男の人形のその部分を刺激する。その刺激はデジタルデータに変換されて相手のスーツに届き、仕掛けが作動する。
「乳首を噛んで」と言われた女の子が男の人形の乳首を噛むと、リモスーツの内側の仕掛けが作動して、それを着ている男は乳首を噛まれたような刺激を感じるわけだ。そういう刺激が全身に与えられれば、完全な双方向オンラインセックスが可能になるではないか。離れていても愛を交わせる究極のグッズである。
 さあ、どうだ。これを読んだライブチャット業者さんは、さっそくリモスーツを作ってくれたまえ。アイデア料はいらないよ。でも試作品が出来たら実験台になってあげるから、声ぐらいかけてね。

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2006年7月28日 (金)

びしょ濡れの快楽

 季節にはその季節でしか味わえないエロティックな快楽がある。春先にこの欄で書いたように、春一番が吹く時期は「パンチラ」の楽しみがある。
 では夏のエロティックな快楽とは何だろうか。ぼくの場合、それは「びしょ濡れ」だ。
 梅雨の末期や台風が通過した時など、豪雨に襲われることがある。テレビのニュースではよく街頭で傘がオチョコになって役に立たず、頭から爪先まで濡れネズミになった人たちの映像が映し出される。どういうものかカメラマンは若い女性や女子高生を好んで映す。そのほうが「被害」が分かりやすいからだろう。「あー、あんなに濡れてしまってかわいそう」と思わせたいからかもしれないが、ぼくなんか逆に、濡れてる彼女たちの姿にズキンと感じてしまうのだ。
 白いブラウスやセーラー服は濡れると肌にぴったり貼りつき、下着までハッキリ見えてしまうほど透けてしまう。これが何とも言えずエロなんである。さらに、あわてふためいた姿がサディスティックな欲望をかき立てて、よけいムラムラする。困った男だ。(笑)
 ぼく自身はそういった「服を着たままびしょ濡れになった」女性を見るのは好きだけど、自分が濡れるのはあまり好きじゃない。しかし世の中、服を着たままびしょ濡れになることで性的に興奮する男女がいるのだ。
 そういう趣味を「WAM」(ワム)ともいう。ウエット・アンド・メッシーの略だ(ウエットは「濡れる」でメッシーは「まみれる」)。WAMマニアにとって、これからの台風来襲シーズンは待望の季節だろう。
 台風が襲ってくると、ふだんなら夜遅くでも人の目がある場所、たとえば公園や空き地や駐車場などは無人になる。そういう場所こそWAMマニアのパラダイスだ。
 彼ら彼女らは真夜中、わざわざ外に出て行き、服を着たまま思いっきり豪雨に打たれるのである。もちろん誰にも見られる恐れがないから全裸になったってOKだ。水たまりのなかをゴロゴロ転がって全身泥まみれになって恍惚とするマニアもいる。夏だから雨はさほど冷たくない。長時間楽しめる。
 ふだん彼らは自分の欲望を満たすため、我が家の浴室などでひっそり楽しんでいるのだが、豪雨の夜だけは豪快に思うぞんぶん、濡れまくる楽しみを味わえるわけだ。うーん、書いていてなんだか羨ましくなったぞ。

(画像はWAM専門『ふぇち工房』制作『びじょぬる食堂』のスチール)

  Bjonuru

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2006年7月21日 (金)

射精の快楽

 官能ポルノを書くためにいろいろ取材をしてきて分かったことは、男も女も“感じ方“は千差万別、人それぞれにずいぶん違うということだ。
 このことは女性についてはわりと早く分かることだが、男性についてはなかなか分からなかったものだ。つまり男は、自分の肉体の感じ方がスタンダードだと、つい思ってしまう。
 たとえばオナニーの仕方ひとつでもずいぶんやり方が違う。イク時も「おーッ」と叫んだり唸ったりする男もいれば、顔色ひとつ変えず淡々と洩らして終りという男もいる。
 この射精の時の感じ方でセックスにのめりこむ男とそうでない男の差がつくのだと思う。射精してもあまり感じない男は早くに女とかセックスに興味を失ない、他のことに関心を向ける。
 何か一つのことに没頭して一生を捧げるような学究的な人物は、どうもセックスであまり快感を感じられない体質なので、子供を作ってしまうとはやばやとセックスに無関心になり、ふつうの人間よりもムダに時間を浪費しないのではないか、という気がする。
 ぼくなんかはそれと反対で、セックスにしろオナニーにしろ楽しくてたまらないからその快楽を追求するのに忙しくて、ふり返ってみるとずいぶん時間を浪費してしまった。まあ、それを後悔するというわけでもなく、セックス、特にSMの快楽を追い求めなかったほうが死ぬ時に後悔するだろうと思う。
 女性の場合、性感が豊かだとそれこそ失神することもある。ある夫婦と知りあったのだが「妻のほうがすぐ失神してしまうので、二度三度と長い時間、セックスが楽しめないのです」と夫が嘆いていた。イキやすいからいいというものではないのだ。
 男性で失神するやつはいないだろうと思うが、記録を調べると射精すると同時に気が遠くなり、長いこと意識が薄れたままでいる男性もいる。ぼくも本当に気持ちよくイク時があって、そういう時はなんだか体が溶けて蒸発したのではないかという、ふわふわした心地よさに浸る場合があったが、失神するほどの快楽は未だ味わったことがない。
 男はセックスに没頭しすぎて外敵に襲われるのを恐れて、すぐに陶酔が冷める体質になっている、などと説明されているが、今は原始時代と違うのだから、男も失神するほどのオルガスムスを味わってもいいんじゃないかと思う。そのうち進化してそうなるのだろうか、それとももうみんなそうなっているのだろうか。男たちの感じ方をもっと調べなきゃいけないね。

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2006年7月14日 (金)

究極のオンラインセックス

 技術の進歩は新しいセックスのやり方をもたらす。最近はライブチャットというのが人気だ。
 パソコンにつけるカメラも安くなり、光ケーブルなどの導入で大量のデータを早く送れるようになった。それを応用したのがライブチャットで、客が特定のサイトにアクセスしてカタログから選ぶと、自宅で待機していた女の子のパソコンに繋がり、向こうからリアルタイムで彼女の映像と音声が伝えられてくる。こちらからのメッセージはキーボードから文字で行なう。
 画像はカラーで鮮明だし、昔のテレビ電話のようにギクシャクしてない。声だけのチャットでは味わえない視覚的な快楽をたっぷり味わえる。こちらが特に機材を用意する必要もない。
 女の子にしても安全に自宅でも暇な時間を利用できる。そんなこんなでライブチャットで稼ぐ女の子が急増している。
 それはいいけれど、男としてはやはり物足りない部分はある。画面に映る女の子のエロティックな姿を見て自分の手で刺激するのだけれど、その感覚をもっとリアルに感じられないだろうか。
 そこでぼくが考えたのが究極のライブチャットグッズ。女の子の側にはペニスの形をしたセンサーを接続し、客の側には女のあそこの形をしたセンサーを接続する。まあ形態は「バイブ」と「オナニーホール」みたいなものやね。
 違っているのは女の子が与えた刺激がデータ化されて男がハメているセンサーに伝わるということ。つまり舌で舐めるとか揉むとか締めつけるとか、そういう動きが伝わってくるわけだ。もちろん双方向で、こっちの動きも向こうに伝わる。こちらでピストン運動すると向こうはそうされているふうに感じるわけだ。すごいだろう。(笑)
 こういうグッズが出来たら、男も女も限りなく安全で無害なセックスが楽しめるはずだ。遠距離恋愛のカップルも愛を交わせる。早く誰かが開発してくれないものか。無理かなあ。

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2006年7月 7日 (金)

オークションの快楽

 ネットでのオークションにハマってる人が多い。ぼくもその一人だ。
 オークションというのはつまり「セリ」だ。こういう売買方式というのは、生鮮食品の市場ぐらいでしか行われていなかったから、一般の人々はめったに体験することがなかった。しかしネットでオークションサイトが開かれると、たちまち人気を集めて、今では何百万という人たちが参加して活発な売り買いをやっている。
 ぼくのSM関係の知人は、女性が着ている服をビリビリ引き裂いて裸にしてゆくのが好きという趣味の持主だが、一回ごとにちゃんとした洋服をダメにしてゆくのだから金がかかるのが悩みだった。
 しかしネットでオークションが始まると、あらゆる種類の衣服が安く手に入れられる。今ではウエディングドレスだろうがパーティドレスだろうが、心おきなく引き裂いて楽しんでいる。
 ぼくもSMに関係した資料が出品されているのを見つけてはオークションに参加している。これって最後の最後までどうなるか分からないから、本当に欲しいものを落したい時はドキドキしてしまう。
 その一方で不要になったモノを出品することもある。そういう場合は最低価格は適正だったか、セリにかけたものの応じてくれる人がいるものか、不安でドキドキしてしまう。誰か欲しいという人が現われるとホッとするし、競り合いになって落札価格がどんどん上がってゆくと嬉しい。
 モノを競り落したり、競り合わせて高値で売ったりするのがこれだけ楽しいのだから、もし人間を売り買いしたらどうだろうか? SM系ポルノ作家としては、作品のなかではいろいろ書いてきたけれど、やっぱり実地に体験してみたいものである。
 人間をモノとして扱う、モノのように扱われる、そのことに刺激と興奮を味わうのがSMの極致だから、奴隷オークションはサディストやマゾヒストの最高の快楽のはずだ。ネットではなく、実際に女奴隷を壇上に引き出しての「女体セリ」というのが行われた話はぼくも耳にしているのだが、残念ながらこの目で見たことはない。
 しかし、たとえ実地に参加できたとしてもいったいどれだけの金がかかるものか。貧乏作家の身では資金がまず問題だ。奴隷オークションに参加して楽しむなど夢また夢、トホホの話なんである。

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2006年6月30日 (金)

女体密閉フェチ

 密室に魅せられる。ぼくの作品にはよく地下室や物置、押入れ、箱、檻など、閉じられた空間が登場する。
 子供の頃から狭い空間に入りこむのは好きで、それは「子宮回帰願望」として説明できるのだけれども、それとは別に、狭い空間のなかに女性を閉じこめたいという願望も異常に強い。これはいったい何なのだろうか。
 ずっと前のことだけど、テレビでさまざまな芸人が登場するショーを見ていたら、男の芸人がスーツケースをぶら下げて現われた。トランクといっても片手でぶら下げられる中ぐらいの大きさ。彼はそれをテーブルの上にポンと置いた。
「何が入ってるだろう?」と思って見てると、蓋が開いた。なんとレオタードに網タイツ姿の美女が、手足を複雑に折り畳んだ状態で詰め込まれていたのだ。
 彼女は信じられないほど柔軟な肉体の持主で、自分でクネクネと体を動かして手や足を伸ばし、スーツケースから抜けだすと、ストンと床に降り立った。特に小さいというわけではなく、ごくふつうの身長だった。
 それを見ていて性的にものすごく興奮してしまった。いまでもオナニーする時、ついその女性がスーツケースから出てきたり、また入ってゆくシーンを思いだしてやってしまう。(笑)
 前から江戸川乱歩の小説のなかに箱や檻の中に閉じこめられる美女や美少年のお話があって、そういうのを読んでいるとゾクゾクとするほど官能的な興奮を覚えたものだけど、その極致がテレビでみたスーツケース美人だった。
 一時、アングラ演劇が盛んな頃、マンションの一室で演じられるようなSMショーをずいぶん見に行ったものだけれど、そういう中で一番記憶に残っているのは、観客がぎっしり入った部屋の片隅にさりげなく置かれたロッカーのなかに裸女が押し込められている——という設定のショーだった。まさかそんなところに誰か入ってると思わないところから女が出てくる。その瞬間、言いようのない興奮を覚えて、それもオナニーの定番ネタになってしまった。
 ダンボールを見ても、拘束した女性を押し込めることを想像してしまう。だから路傍にダンボールが置かれていると、中に女が押し込められている妄想がバクハツして立ち止まってしまう。路上で発情しちゃうんだから変態もいいとこ。いやはや困ったもんである。

Mistress14p03

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2006年6月23日 (金)

すぐなれるホスト

 中村うさぎさんが出張ホストについて体験ルポを書いているのを読むと、女性に気に入られるホストになるのも大変だと思う。
 ホストといえば、まずはイケメンであることが必要最少条件。これだけで日本の男の九十パーセントは資格がない。
 身長や体型も「見られる」程度でなければいけないし、女性をノセる会話能力や、「ダサい」と思われないセンスも必要だ。何より身だしなみに手間ひまを惜しまない性格の持主でなければならない。そうなると、あなたもあなたもあなたも……みーんなホスト失格だ。(笑)
 だから昔から、ぼくも含めて男たちは「ホスト」と聞くと条件反射的に「ケッ」と軽蔑を感じるようになっている。イケメンだけを武器に女にオベッカを言って、要するにだまくらかして金をせびる卑しい男たち——がホストだと。これはもう完全にブ男のひがみである。ネットの時代、そういう先入観は捨てたほうがいい。ひょっとしたらあなたも今すぐホストになれるかもしれない——そういう時代になっているんである。
 いま風俗業はいっせいに無店舗出張型に切り変わっている。届けだけだせば一人でも「出張ホスト」になれる。ネット上で探すと、そういう個人営業のホストは無数にある。
「そうは言っても、要求される資格は店舗型のホストと同じだろう」と思うかもしれないが、そこはアイデア次第だ。
 ぼくが考えて一番見込みがありそうなのは「マゾのホスト」だろう。これはある程度マゾヒストでないと無理だけど、イケメンでなくても、いや年齢や体型にあまり関係なく、なれるのではないか、という気がする。
 世には「男をいじめてみたい」と思う女性はけっこういるものだ。そうでなくてもムシャクシャした時、誰かをいじめてストレス解消したいという気分になるのはふつうのこと。そういう時に電話一本で呼びつけて、好きに叩いたり蹴ったり罵倒したり、いろんな屈辱を味わわせてやれる男がいたら——。
 もしマゾの気がある男性がいたら、お金はもらえたうえに自分の願望を満足させてもられるのだから、こんないいことはない。ネットで調べると、すでにそういうマゾの出張ホストはけっこういる。
「いや、おれはマゾじゃないから」という人は、智慧をしぼって、新しいタイプの出張ホストを考えてみるといいだろう。

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2006年6月18日 (日)

【号外】官能小説講座の講師を

去年もやったサンケイスポーツ主催「告白・官能小説の書き方講座」、今年もやるというので、また講師にひっぱり出されました。

【告白・官能小説の書き方講座】
開講日:7月の毎土曜日
 7月1日(取材デー) 館淳一
 7月8日(男性作家デー) 牧村僚、安達瑤、館淳一
 7月15日(女流作家デー) 菅野温子、鷹澤フブキ
 7月22日(エディターデー) 双葉社、太田出版  桃園書房の編集者
 7月29日(ドキュメントデー) 牧村僚、太田出版
総合司会と解説:文芸評論家・永田守弘
時間:午後1時30分〜3時30分
場所:日本ジャーナリスト専門学校(豊島区高田2-6-7)
交通:池袋東口から渋谷行き都バス・池86、学習院下1分。JR高田馬場駅から徒歩約13分
参加費:各回 5000円、5回通し2万円(当日支払い)
申し込み:サンスポおはよう面
電話:03-3275-8948(月〜金 13時〜19時)
FAX:03-3243-8492(毎日24時間)
締め切り6月28日
============================
当日会場での申し込みも大丈夫でしょう。
ぼくは1日と8日に出ますがメインは1日です。官能小説を書いてみたいと思っているかたはもちろん、「館淳一ってどんなやつだ」と思ってひやかしに見てやろうというかたも歓迎です。(^_^;)
二次会もあります。

館 淳一

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2006年6月16日 (金)

見てみたいポルノ

 先週書いたのは『秘密物件処理業』。自分が死んだあと、誰にも見られたくない秘密のモノをどうしたらいいかという問題で、それを解決する実にすばらしいアイデアを述べておいた。
 それに関連してふと思い出したのが、狩野亨吉(かのう・こうきち)という人物のこと。夏目漱石の友人で、極めて特異な性格の持主として後世に名を知られている。
 この人の人生は大きく二つに分かれる。
 まず前半は教育者。一八九八年、三十四歳の若さで第一高等学校の校長になった。名校長の誉れが高かった。その後、京都帝国大学文科学長となり、幸田露伴を教授として招いた。
 四十三歳まで教育者として精力的に活動したけれど、神経衰弱になって辞職すると、以後はまったく官職につかず、池袋ちかくのみすぼらしい家で書画や刀剣の鑑定で生計をたてた。その合間、安藤昌益の研究など学者として膨大な文書を書いたけれど、ほとんど発表することはなかったという。つまり晩年はひきこもり老人だったわけだ。
 しかし狩野を尊敬する知識人は多く、そうそうたる学究たちが彼を師と仰いだ。つまり一級の学者だったんである。
 しかしこの人にはもう一つ、別の趣味があった。それは春画や浮世絵の蒐集。「日本一の春画コレクター」と言われている。お固いはずの学者なのにエロやポルノを集めるのにものすごい情熱でとり組んだ人なのだ。
 まあ、それだけだったら「春画コレクター」ぐらいの肩書きですんだのだけれど、この人が七十七歳で死んだあと、弟子たちが師のボロ家を整理したら、とんでもないものが出てきた。
 精緻をきわめた自筆の「あぶな絵」が数百枚も見つかったのだ。つまりポルノ絵だ。狩野亨吉は春画を集めるだけではおさまらず、自分で筆をとってコツコツとポルノ絵を書きまくったのである。
 さらに大学ノート三十冊に、やはりコツコツと書いたポルノ小説も見つかった。これには弟子の教授たちもイナバウアー。一人は「絵を見たとたん、先生に抱いてきた尊敬の念が吹き飛んだ」と語っている。そりゃそうだよね。生前はそういう面を全然見せなかったんだから。
 生涯童貞といわれた狩野亨吉が執念をこめたポルノ絵とポルノ小説、東大の駒場図書館に秘蔵されているらしいが部外者は近づけない。どんなものだったのか見てみたい。ああ見てみたい。見る方法はないものか。

(画像は晩年の狩野亨吉)

Kano_kokichi

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2006年6月 9日 (金)

秘密物件処分業

 最近、上京してきた女性に会った。妻子のある恋人もSMが好きで、彼の地方出張につきあって、行った先でプレイを楽しんでいるのだという。
 道具やら衣裳を詰め込んだ大きなバッグを持ち歩かねばならないので、SM愛好家の旅行はチト大変だ。
 彼女は独身なのだが「旅行先で何かあったりしたら、あとが心配ですよ」としみじみ言う。
 自分の部屋には道具や衣裳のほか、SMに関係した本やビデオテープ、自分が恋人と映った写真・画像などもいっぱいある。もし事故か何かで死なないまでも入院した場合、両親が彼女の部屋に入れば、驚くことになる。今まで秘密にしていた娘の趣味嗜好がバレてしまうからだ。
 そういえば、以前も知りあいの独身女性が旅行に出るたび「これお願い」と小さなバッグを預けられたものだ。中身はバイブレーター。やはり「何かあった時」そういう秘密の物件は親にも見つけられたくないんである。
 前にも『子バレ問題』で書いたけれど、こういった「見られたくないモノ」をどうするか、エロやSM、特殊な趣味の愛好家はみんな頭を悩ませているに違いない。そういった秘密は自分が死んだあとも知られたくない。特に家族や身内には。しかし死んでしまえば隠したものも見つけられ、秘密は白日のもとに晒されてしまう。
「それを考えると死ぬにも死ねないね」と、仲のよいSMマニアが告白してくれた。彼の場合、趣味嗜好は妻にも秘密にしている。だったら秘密がバレるようなものはいっさい身辺に置かなければいいのだが、長く趣味としてやっていると、愛着のある、思い出のあるモノが増えてどうしても捨てられないものである。
 いや、特殊なマニアでなくても、エロっぽいものは自分の死んだあと、家族に見られたくないだろう。ぼくだってそういうものは幾つか持ってる。
 そこでいつも「秘密物件処分業」という業者がいてくれたらいいなあ」と思うのだ。
 他人に知られたくないモノはすべて預かってもらっていて、必要に応じて出し入れする。そこまでは従来の貸し倉庫と同じだが、違うのは「本人が死んだり一定期間連絡が途絶えた時」は、自動的に誰の目に触れないよう、預けた物件を焼却処分してくれること。絶対に信用がおける業者が現われたら、けっこう客を集められると思うけど、どうだろうか? 誰かやってくれないかね。

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2006年6月 2日 (金)

ひとりクンニは可能か

 エロが好きな仲間といろいろバカ話——つまりワイ談をしていると、ひょんなことから作品のアイデアを得られることがある。
 先日はオナニー談義になり、それぞれがウンチクの限りを尽して男や女のいろいろなオナニーのやり方を披露しあった。その結果、男性の場合、究極のオナニーはやはり「ひとりフェラ」だということになった。専門用語ではオートフェラチオ。自分のペニスを自分の口でくわえ、刺激するオナニーだ。
 男なら誰でも「なんとかやってみたい」と思ったことがあるはずだ。ぼくも少年時代、体がまだ柔らかかったころ、いろんな姿勢で試してみたけれど、背中や首が痛いだけで、とうとう成功しなかった。
 その時集まっていた男たちも全員、同じ願望を抱き、試みてみたことがあると白状したが、誰ひとり成功者はいなかった。
 しかし知り合いのなかには出来る者がいて、ぼくは実演を見せてもらったこともある。体が柔軟でペニスが十分に長ければ、ひとりフェラは不可能ではない。その証拠にウェブで検索してみれば、男たちが自分のペニスをくわえて楽しんでいる画像がいっぱいのサイトはいくらもある。ぼくらは努力が足りなかっただけのことなのだ。
 では女性の「ひとりクンニ」はどうだろうか? ぼくは実際に見たことがないし「やれる」という女性に会ったこともない。試しにウェブで「オートクンニリングス」で検索してみても、実行している画像や愛好者のサイトは見つけられなかった。
「女は男と違って体の外に突き出てないから無理なんでは?」と誰もが思う。
 しかし「ひとりクンニ」について言及されているホームページや掲示板はたくさんあって、それを調べてゆくと「できる」「できる女性を知っている」「見たことがある」という報告は少なくない。ヨガの上級者クラスになると、女性が自分の性器をクンニするぐらいは楽勝らしい。
 しかし、それを人に知らせたり実演してみせたりする女性は、ひとりフェラの男性に比べるとずっと少ないようだ。なぜだろうか。
 ある男は「そもそも女性は、男よりも自分の性器に関心が薄いんだよ。レズの気質でも無いかぎり、そうやって楽しむ気にはならないんじゃないかな」と言う。
 うーん、どうなんだろう? こればかりは女性に聞いてみないと分からないね。読者もまわりの女性に聞いてみて、結果を教えてくれないだろうか。

(画像は、海外のサイトで見つけたもの)

Selflick

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2006年5月26日 (金)

失業ラブドールの行方

『お人形さん風俗』というタイトルで、この欄でラブドール風俗を紹介したのは半年ぐらい前のこと。
 性器の部分まで精巧に作られた性交用美少女人形が、本来対象にしていた購買層を越えて人気が広がり、そういう性向がなかった男性たちの興味をそそって、売り上げが急上昇し販売元は大成功した。
 ただし値段が高いのでおいそれと買うわけにはゆかない。そこで登場したのがラブドール風俗なんである。
 店舗型とデリバリー型の二つがあって、店舗型はマンションなどの一室にラブドールが置かれていて、案内された客が彼女(?)を相手に楽しめるというシステム。無店舗型は電話一本でラブドールが希望の場所まで運んでもらえ、終ったらまた回収しに来てくれるデリバリーシステム。
 一時は、このラブドール風俗が雨後のタケノコのように乱立したけれど、ここに来て廃業する業者が続出しているという。知り合いの風俗店経営者も「店舗型とデリと両方やってたけど、撤退しました」と言うので、理由を聞いてみた。
「五月から改正された風営法の影響が大きいんです。これまでは規制されていなかったラブドール風俗も風営法の対象になったので、店舗型、無店舗型、どちらも警察に届けなければいけなくなったのですが、店舗型は近くに学校、病院、公園があればダメなので事実上、市街地では営業できなくなりました。無店舗型は届けを出せばやれないことは無いんですが、重量が四十キロ近くあって、しかも非常にかさばる。運ぶのが大変で保管も大変。利益も思ったほどではないので見切りをつけました」
 そんなこんなで、あれほど増えたラブドール風俗も今や衰退の一路。となると業者が買い求めたラブドールたちもご用ずみとなるわけだ。つまり全国的に大量のラブドールが失業して路頭に迷っていることになる。
 試しにネット上の中古市場を検索してみると、なるほど撤退した業者が放出したらしいラブドールが半値程度で売りに出されている。一時はあれだけもてはやされたのに、再就職先を探しているとは……、なにか可哀想になるじゃないか。
 でも純粋なラブドールファンにとっては、風俗で稼ぐような生き方(?)はやっぱり邪道だろう。「ラブドールはひとりのご主人さまに仕えるべき。これでいいのだ」と歓迎しているのではないだろうか。

(画像は参考画像。本文とは関係ありません)
Lovedall1

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2006年5月20日 (土)

ガーターベルト問題

 男性はたいていガーターベルトを着けた女性が好きだ。おしゃれなエッチを演出するモノとして、雑誌のグラビアヌードには欠かせないアイテムになっている。
 ネット上で女装愛好者が自分の艶姿を自慢する投稿掲示板を見ると、そこに登場する女装子(じょそこ)さんたちはほとんどがガーターベルトを着けている。「女らしさ」を強調させる最高の下着というわけだ。
 しかし現実の世界では、女性たちはガーターベルトなんか持っていない。持ってる率はスリップ以下だろう。パンストより着用に手間がかかり、いつもたるみに気をつけていなければならない腿までのストッキングを吊る気にならないのは当たりまえだ。
 少し前までガーターベルトなんてなかなか手に入れられなかった。よほどの大都会のおしゃれな下着店でもなければ置いていなかったのである。
 インターネット通販が普及すると、ガーターベルトのような品物でも簡単に手に入るようになった。「男がそんなに好きなら、着けてみてもいいか」と思う女性も増えてきたのか、セルフ・ヌードのサイトでもガーターベルトを着けたヌードを見ることが多くなった。
 それ自体は昔からのガーターベルトファンであるぼくにとっても喜ぶべきことなんだけれど、問題が一つある。
 パンティの上からガーターベルトを着けて、それからストッキングを吊ってしまう。これは間違いなんである。
「えーッ、どうしてえ? カタログなんかは必ずそうなっているよ」と怒る女性もいるだろう。そのとおり、ランジェリーのカタログではガーターベルトの紐(サスペンダーという)はたいていパンティの上になっている。
 あれは、実はガーターベルトをよく見せるためにそうしているので、着用見本ではないのだ。本来はまず真っ裸の状態でガーターベルトを着け、ストッキングを履いて、それからパンティを着ける——というのが正しい順序。そうすることでトイレで脱ぐ時も問題は起きない。
 もしキミの彼女がガーターベルトをパンティの上から着けていたら、間違いを正してやってほしい。もっとも紐パンのように極端に小さく薄いパンティの場合は、下に着けても許される。というか、そのほうが肌に違和感がないのだ。なにごとも例外というのはあるんである。

(画像は正しく着用したガーターベルト)
Girter_belt

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2006年5月12日 (金)

ヴィーナスの丘

 ヴィーナスの丘——と言われて「はあ?」と思う人がいるかもしれない。最近、あんまり聞かないからね。
 女性の下腹部、ヘアーに覆われた隆起した部分を優雅にそう呼ぶ。日本語で学術的に言えば恥丘、文学的に言えば陰阜(いんふ)、ポルノ的に言えば秘丘。ぼくは「悩ましく隆起した肉の丘」と書くこともある。「なんだ、土手かよ」と言われたら優雅もクソもないんだけれども。(笑)今のように性的なことをアケスケに書けない時代、ポルノ作家はこういう表現も必要だったのだ。
 ではなぜ、女性の下腹部のあの魅力的な隆起を「ヴィーナスの丘」と呼ぶのだろうか。
 これは「ミロのヴィーナス」に代表されるギリシャ・ローマ時代の彫刻、ヴィーナス像に由来している。それらのヴィーナス像に共通しているのが、ふっくらとした下腹部の隆起で、誰もが魅惑されてしまったから「ヴィーナスの丘」と称されるようになったんである。
 まあヴィーナスに限らず、恥丘が小高く隆起している女性は少なくない。これを「モリマン」と呼び、モリマンを特に愛好する男性は多い。
 ではなぜ恥丘が発達してモリマンになるのだろうか。恥丘の下には恥骨という骨があって、思春期になるとこの骨が発育してくる。同時に恥骨を覆う部分の皮下脂肪も増えてきて、小高い丘になるのだ。
 海水浴のシーズン、水着姿の女性をよく観察すると、幼女や少女は恥丘が目立たない。やがて乳房やヒップの発達に比例して恥丘が隆起して、出産を終えた女性はだんだん低くなってゆく。つまりモリマンは若い女性に一番多いということになる。
 だから「モリマン女は性感が豊富だ」という俗説が生じるのだが、医学的には証明されていないらしい。恥丘(恥骨)を圧迫すると感じる女性は多く、見た感じやぼくの経験から「低い女性よりは豊かかな」という気はするんだけどね。
 面白いことに、ヴィーナスの像は、早く言えば若い女性のヌードなわけだけど、他の部分は著しく写実的なのに、下腹部のヘアーはなぜか表現されていない。
 従来、芸術的な観点、あるいは当時のワイセツ観の問題から表現しなかったのだろうと思われていたが、ギリシャ・ローマ時代の女性は下のヘアーを剃るのが身だしなみだったらしい。剃毛という習慣がヴィーナスの丘という優雅な名前を生んだのだ。「へあーそうだったのか」なんて言わないでね。(笑)

(画像は参考まで(笑))Vinus_no_oka

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2006年5月 7日 (日)

女のセックス中毒(2)

 容姿になんの問題もなく、育った家庭環境も良好で、本人の知能程度も高く、学歴も高い。一点非の打ちどころのないそんな「お嬢さま」が風俗の世界に飛び込んでくる——そういう現象を見聞きすることが少なくない、と前回書いた。
 ぼく専門のSMの世界でも、現役の令嬢やセレブ風人妻といった、ふつうの世界では「高嶺の花」として足元にも近づけないような女性が、なぜかSMクラブのM女になっているのは珍しくない。「東電OL殺人事件」の被害者がよい例だが、どうしてそんな現象が多発するのだろうか。
 彼女たちに訊いてみると「男性とセックスしないと落ち着かず、イライラする」のだという。薬物中毒の患者がドラッグを切らしたのと似た禁断症状が現われるらしい。
 ではセックスするとオルガスムスを得られるかというと、これがそうでもない。たいてい「あまり感じない」とか「本当にイッたことはない」と答える。セックスしたがる女というとすぐ「淫乱症」という言葉が浮かぶが、そうではないんである。
 では金のためでも快感のためでもなく、彼女たちはなぜセックスしたがり、男漁りの手間がかからない風俗店にやってくるのだろうか。それも辱められるのが専門のSMクラブのM女にまでなって。
 こういう症状を「性依存」というが、その理由が研究によってだんだん分かってきた。
 性依存の女性たちには、実はもう一つの共通点があったのだ。それは「しつけに厳しい母親」の存在である。反対に、母親の過度な干渉を受けずにのびのびと育った女性は、こういったセックス中毒の症状を示すことは少ない。
 だんだん分かってきたことだが、「勉強ができるお行儀のいい子」でいるように厳しくしつけられた女性は、やがて無意識に「今の自分は本当の自分ではない」と思うようになるらしい。つまり母親にいいように作り上げられた「作品」だ。そこで母親に反抗するよう、わざと「作品」である自分を壊したり汚したりするような行動に走る。その一番効果的なのはセックスでぼろぼろに汚れること——。なるほど、そう説明されるとよく分かるね。
 問題は、彼女たちが真の理由を知らないで無意識にそういう行動に走っていることだ。
 子供をあまり厳しくしつけるとそういう反動が起きる、ということだが、しつけが緩すぎて犯罪の加害者や被害者になってしまう少年少女もいる。しつけというのは、まったく難しいものだ。
 

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2006年4月28日 (金)

女性のセックス中毒

 ぼくの最近の研究テーマは女性の「性依存」だ。早くいえば「セックス中毒」かな。
 毎日誰かとセックスをしないと不安で、落ち着かない。誰でもいいから相手を求めてうろつく。そういう女性が少なくない。最近は出会い系サイトというのがあるから、性依存の女性にはとても便利だ。
「セックス中毒」というから「セックスするのが好きで好きで仕方のない淫乱な女なんだろう」と思うけど、必ずしもそうではないのが、この性依存症患者の不思議なところなんである。
 数年前、東電OL殺人事件というのがあった。昼は有能なキャリアウーマンが、仕事が終るとケバケバしい装いをして渋谷の盛り場の街頭で「立ちんぼ」として客をひいていた。その女性が殺された。
 被害者の表の顔と裏の顔が極端に違うので誰もが驚いたものだ。その後、ルポライターの佐野眞一さんがずいぶん詳しい調査をされたけれど、彼女がなぜ「立ちんぼ」という最低の娼婦となったのか、最後まで納得のいく説明はできなかったようだ。
 しかし佐野さんの取材で、被害者の女性は特にセックスが好きではなかったこと、セックスでオルガスムスを得ることはなかったことが分かっている。金が欲しいわけでもなくセックスが好きでもなかったのに、誰に強要されたわけでもなく何年も娼婦をやっていたのだ。
 結局は「心の闇」として片づけるしかないのだが、ぼくはのちに「性依存」という精神症状を知って、この被害者は、これだったのではないか、と思うようになった。
 性依存——セックス中毒に陥る女性はいくつかの共通点がある。知能程度も学歴も高く教養がある。どちらかというと厳格な親(特に母親)に躾けられて従順な性格である。そして必ずしもセックスで快感を覚えていない。
 そういう「育ちがいい」女性が、ある時期から突然、男を漁るようになる。男に抱かれないと不安になりイライラする。それはアルコール中毒や薬物中毒の患者が、酒やドラッグを切らした時に覚える症状と同じだ。
 ひっきりなしに男を求める場合、一番いいのは風俗の世界である。風俗で働いている女性のなかには、それこそ東電OLに負けない有能な、社会生活では高い評価を得ている女性が珍しくない。
 ぼくもSMクラブなどでM女として働いている女性のなかで、そういう女性を何度も見た。つまり正真正銘の「お嬢さま」「元お嬢さま」が娼婦になっているのだ。
 なぜ、彼女たちは娼婦に身を落すのか——それについては次週で考えてみよう。

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2006年4月21日 (金)

スリップはなぜ消える?

 最近、よく見かけるのが「裾レーススカート」というやつ。街中で出会うと思わず「あれッ」と思って視線がはりついてしまう。
 一瞬、スリップの裾がはみ出ている、いわゆる「シミチョロ」状態なのかと錯覚するんだね。スリップ大好きおじさんとしてはどうしてもドキドキしてしまう。
 夏になってヒラヒラと涼しげな素材のスカートにレースがついたのが出回ってくると、まるでスリップのまんま歩いてるんじゃないかと錯覚することもしばしばだ。
「それぐらいだったら、いっそスリップを着て外を歩いてくれないかな」と思う。キャミソールが外着になったのだから、同じ現象がスリップに起きてもいいんじゃないか。そういうファッションを誰か仕掛けてくれないか。
 そんなバカげたことを妄想するのも、最近めっきりスリップを見る機会が無くなったからだ。若い女性や少女たちに関しては、スリップという下着はもはや死語に近いかもしれない。
 スリップなんて一枚も持っていない女性が大多数という時代、昔ながらのスリップを愛するおじさんたちは、残念で悲しいんである。
 しかし海外のランジェリー関係サイトを見ると、スリップは日本ほど衰退している様子がない。ネット上のカタログにはちゃんと多様なデザインのスリップが掲載されている。どうして日本だけ、スリップが衰退してしまったのだろうか。長いこと理由が分からなかった。
 たまたま海外に住んでいる女性が日本に里帰りした時、スカートをまとめて買ってゆくので、不思議に思って理由を聞いてみた。
「だって向こうのドレスやスカート、裏地が付いてないのよ。自分で縫い付けるか、それが面倒ならスリップを着なきゃならないの」
 そ、そうであったか! 上に着た服が肌にまつわりつかないように、滑らせるために着るから「スリップ」なのだ。それは本来、服に裏地がなかったから必要とされたものなのだ。
 ところが日本の婦人服というのはひどく親切で、買った時から裏地がついている。そうであればスリップは不要になるわけで、だから衰退してしまったのだ。
 うーん、日本というのは、目に見えないところに妙に丁寧なことをする国なのだなあ。おかげで大好きなスリップが消えてなくなるじゃないか。スカートに裏地を縫うなー。はは、無理か。

(画像はアメリカのスリップ・フェチサイトから)

Slipsoft1

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2006年4月14日 (金)

永井荷風の異常性

 永井荷風といえば、文化勲章を受けた文豪だが、日本で一番有名なポルノ『四畳半襖の下張り』の作者でもある。
 ぼくは、生涯、情痴小説しか書かなかった偏屈な荷風が好きで、いろいろ調べているのだが、調べれば調べるほど新しい事実が分かって、ますますその人物像にひきこまれてしまう。
 たまたま、ある資料を読んでいたら「荷風は異常性欲の持主です」と主張する人物の発言に目が留まった。
 性的な異常といえば、荷風の後輩、やはり文豪と呼ばれる谷崎潤一郎のほうが濃厚だ。強くてたくましい女の足に踏まれたがった人だからね。荷風は性欲が旺盛で、いろんな女たちと交渉をもったが、ぼくの目から見て変態だと思ったことはなかった。
 ところがその人物は「荷風は異常にフェラチオを好んだ」と言う。まあ現在、フェラチオを異常だと思う人間は少ないだろう。フェラチオなしのセックスでは、男たちはつまらないんじゃないだろうか。ぼくも「このおっさん、ヘンなこと言うなあ」と思った。
 ところがもっと読んでいったら「確かにこれは異常だ」と驚かされた。
 荷風は昭和の初め、ある娼婦と出会い、彼女の性愛テクニックに魅了され、身請けして愛人とする。そして九段に待合を経営させた。待合というのは芸妓(この場合は娼婦)を呼んで楽しむところだ。
 荷風はそこで客の男たちと娼婦たちの性行為を覗き見して楽しんだりしていたらしい。そこまでは荷風の伝記に記されている。
 ところがその愛人、歯を全部抜かれてしまったというのだ。荷風がそう命令したのだろう。あるいは大金を払って身請けしたというのは、総入れ歯にすることと交換条件だったのかもしれない。
 総入れ歯をはずせば固い歯がないのだから、フェラされる男性として実に気持がいい——という。ぼくは試したことが無いから分からないけどね。(笑)
 荷風は女の肉体には執着したけれど、情は薄く、飽きるとすぐに捨てる人物だった。ところがこの女性は飽きられる前に、精神に異常をきたしたことが理由で進んで別れるんである。
 実は、彼女が荷風のあまりの異常性に「これでは殺される」と怯え、わざと精神異常を装って逃げ出した——というのが真相らしい。
 女の歯を全部抜いてしまった荷風という人物、まだまだいろんな秘密が隠されていそうだ。

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2006年4月 7日 (金)

ニセモノの時代

 民主党永田議員の「偽メール事件」が問題になったが、電子メールはいくらでも書き換えることが可能なモノだから、内容だけを手に入れても証拠能力はゼロに等しい。
 アメリカでは八十年代にすでに「電子メールそれだけでは証拠にならない」という裁判所の判断が出ているのだ。
 偽メールは文章の問題だが、画像もまた同じ難問に直面している。
 いったんコンピューターにとり入れられた写真や絵は、いくらでも描き変えて似たような別の画像にすることが出来る。ウェブ上では、アイドルやらセレブの女性が全裸になったりセックスしているワイセツな画像が氾濫して当事者たちを悩ませている。
 もちろん他人の体に本人の顔をくっつけただけの代物なのだが、出来のよいものはよほどの専門家が見ても分からない。される側にとってはひどい迷惑だが、そういうニセの画像をせっせと作って流しまくる「アーティスト」が大勢いるのだ。いろんなパーツを組みあわせて作品を作るのをコラージュというのだが、ネットの世界では「コラ」と縮めて呼ばれている。
 ぼくの「いろ艶筆」はバックナンバーをブログにして掲載しているが、適切な画像があればつけることにしている。前回は『パンチラの楽しみ』だったので、いろいろ探してみたら、女性アナウンサーらしき女性が街頭でナマ中継ちゅうに風が吹いてスカートがめくれ、パンティが丸見えになった画像が見つかった。なかなか刺激的である。
 テレビの画面から録ったもののようで「この放送はぼくも見ました」というコメントもついていたので、実際に放映されたものなら間違いないだろうと思い、拾ってブログに転載しておいた。
 ところがなんと、詳しい人から「これはコラの名作として知られている作品ですよ」と指摘されてしまった。
 改めてしげしげと見つめてみたが、上半身と下半身、実にうまく組みあわせているので、ぼくの目ではとてもコラとは思えない。それぐらいよく出来ている。
 こういうふうに技術が発展してくると、困るのは報道カメラマンではないだろうか。タレントの不倫現場をカメラに収めても「それはコラです」と言われたら反証するのが難しい。最近のカメラマンはほとんどがデジタルカメラを使っているから、写真からもすでに証拠能力が失われてしまったことになる。文章も画像もホンモノかニセモノか分からない、そんな時代になってしまったのだ。

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2006年3月31日 (金)

嫉妬という不思議

 いろいろさしさわりがあるので仮名で書くのだけれど、知りあいにAさんという人がいる。妻子があるけれど女性方面には活発で、愛人、恋人多数。それなのに風俗遊びも絶やしたことがない。
 世間的には浮気してばかりの夫なわけだが、バレないんだか諦めてるのか分からないが、奥さんとトラブルになったことはない。男と生まれてきたからにはAさんのように豪快に女性たちとつきあいたいものだ——とかねがね羨んでいた。
 そのAさんが浮かない顔をしている。理由を聞いたらB子さんのことだという。
 B子さんとはかつての恋人のひとりで「ナイスバディの床上手、おまけに気立てもいい」と一時はのろけまくっていた。たしかに傍にいるだけでなんかムラムラしてくるような色っぽい美人だった。
 二人の関係は一年ぐらい前に途絶えたらしい。最近は全然会っていないという。そうしたらAさんの親しい友人であるCさんが「B子さんとつきあっていいか」と聞いてきたというのだ。
 CさんはかねてからB子さんに気があったけれどAさんに気がねして男女の仲になるのを避けていた。見ているとどうやらAさんと切れたようだが、もしAさんが気を悪くしたらいけないと思い、念のために許可を得にきたらしい。
 AさんはB子さんにのぼせていた時も、彼女を独占しようとはしていなくて、B子さんはB子さんで別な複数の男性ともつきあい、その関係についてAさんにも相談していた。もちろんB子さんの側から妻子のあるAさんを独占しようという動きを見せたことはない。「拘束しあわない大人の関係」をAさんも自慢していた。
 そういうAさんのことだから、もう切れて久しいB子さんがCさんであれ誰であれつきあうのにとやかく口を出すはずがない。当然のように「どうぞご自由に」と答えたのである。
 それなのに暗い顔をしているのは「Cが何も言わずにB子を口説いたのなら何とも思わないんだけどね、口説いていいかと面と向かって言われると、不思議なもんで、もう気にもしていなかったあの子がCに抱かれるのが気にいらなくてねえ……。おれはめったに嫉妬したことがないんだけど……」とため息をついていた。
 寛容のカタマリのようなAさんでさえ、別れた女性に嫉妬する気持になるのか。男心は複雑で微妙だ——。

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2006年3月24日 (金)

パンチラの楽しみ

 春一番、春二番と、風の強い日が続いた。外出には向いていないけれど、外に出れば出たで強風がもたらす楽しみがないわけではない。女性のスカートがまくれて、パンチラが見られる楽しみだ。
 我が家の近くのオフィス街は、ビル風が強いので、そこを歩く女性は必ずスカートがバアッとまくれるという名所(?)がある。風の強い日、昼少し前にその場所の近くのコーヒーショップに入って待っていると、ランチに出てくるОLたちがスカート押さえてあわてふためく姿をたっぷり眺められる。白い三角形は十人ちゅう六、七人は確実に見えるという、強風の日だけの特上席なんである。
 パンチラファンといって、女性たちのスカートの下に異常な興味を抱き、なんとか覗いてやろうという男はけっこう多い。しかしそのために鏡を用意したり手提げ袋のなかにカメラを仕込んだりすればご用になる。風の強い日にまくれるスカートを見るのは犯罪ではないから、こんな安上がりで苦労のいらない楽しみというのもない。
 それに不思議なもので、相手がまったく意図していない状態で下着が見えちゃうというのは、不思議に興奮を誘う。ストリップの舞台で踊り子さんが見せてくれる大股びらきより興奮することがある。
 しかし男というのは、どうしてスカートの下から下着を覗きたがるのだろうか。ぼくの知りあいでピンサロ遊びが好きなやつがいるのだが、ある時、ある店でさんざん楽しんだあと、二階にあるその店を出て、階段を下りてゆく途中、たぶん出勤してきたピンサロ嬢とすれ違ったんだそうだ。
 その子がミニスカートをはいていたので、彼は「ひょっとして覗けるかも」と思い、すれ違いざまに振り返ってみたら、予想どおりバッチリと股間に食い込むパンティを拝むことができた。
「やったー、ラッキー!」と内心大喜びした彼は、考えてみればその少し前まで店内で何人もの女の子の全裸を観賞し、パンティどころかパンティを着けてない部分をたっぷり見てきたわけだ。
「そのおれがパンツがチラッと見えただけでドキドキしてラッキーだと喜ぶんだから、いったいどうなってるんだろうね」と笑っていたけれど、いや、そういう体験って誰でもあるよね。
 モロ出しよりパンチラに興奮する——男たちのこういった性質はポルノを書くうえでもおおいに参考になることじゃないかな。

画像はパンチラ投稿画像から。残念ながらコラージュのようです。

Kazechira

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2006年3月17日 (金)

ポルノを書くには(2)

「ポルノ小説を書いてみたいけど、どうやって書いたらいいのか、さっぱり分からない」と戸惑っている友人からアドバイスを求められた話の続き。
 友人もまた文章でメシを食ってる人である。自分の体験という題材はあるのだ。ポルノごときすぐ書ける、と思ったが、いざとなると全然書けないでウンウン唸るだけ。
 こういう人は実に多い。文章に少しばかり自信がある人で「ポルノなんて」と小遣い稼ぎの軽い気持で取り組んだら、まるで泥沼状態。ようやくできあがったものをポルノ文庫の編集部に送ったら「使いものになりません」と送り返されガックリ――という例は山ほどある。
 たかがポルノではあるが舐めてかかってはいけない。これでもけっこう難しいものなんである――と自分の職業を自慢しておいて、さて、ポルノをすらすらと書くコツ。
「まずポルノを読みなさい」
 つまずく人はそもそもポルノをあまり読んでいないのである。どんなものか分かってないでそのジャンルの作品が書けるわけがない。
 まずいろいろなポルノを読むこと。その中で自分がグッとくる作品を見つけること。これが先決。グッとくる作品こそお手本とするに足る作品なのだ。
 そういう作家の作品をじっくり読み込んだら、一番興奮する場面でストップしてみよう。その先を読まないで、自分の頭で物語を進行させてみる。自分が興奮するほう興奮するほうに物語を作り、登場人物を動かしてゆく。それまでに設定はできているのだから、お手本をもとにしてゆけばそんなに難しくないはずだ。
 それを仕上げることができたら、もうコツは身に着いている。今度は自分の物語を作りあげてゆけばいい。
 大事なことは「自分が興奮すること」。
 ――以上のことはぼくの体験に基づいている。ぼくは小学校六年生の時、あるポルノ小説を読んだ。残念なことにいい所で破かれ、あとは読めなくなっていた。口惜しいから自分で考えて続きを原稿用紙に書いてみた。けっこうスラスラ書けた。前半部分がお手本になってるから書けたのだ。
「そういうお手本になるポルノというのを、たくさんの中から選ぶというのは大変だ」と悩むことはない。まずぼくの作品を読みなさい。いいお手本になること請け合いだ。そうならない人は――ポルノ作家になる資格はありません。(笑)

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2006年3月10日 (金)

ポルノを書くには(1)

 最近の携帯はカメラを写したりゲームをしたり音楽を聴いたり、いろんな機能がついている。もはや「電話もできる」何か別のものになってしまった感がある。
 さらに驚くべきことに、なんと「本も書ける」のである。
 ワープロで作品を書くようになって二十年のぼくだが、携帯のちっちゃなキーを押して文字を打つのは苦痛だ。だから携帯ではメールを使いこなせない。
 ところが若い人たちは、これが全然苦にならないんだね。左右の親指を使ってもの凄いスピードで文字を打ち込んでゆく。携帯の変換ソフトもすぐれた機能がついていて、キーを打つ回数も少なくてすむんだそうだ。
 ある編集者に「若い作家さんに文章の書き足しを頼んだら、その場で携帯を使って、四、五枚の原稿をささッと書いてくれた。驚いたよ」と聞かされて「世の中、変わった」と思っていたら、なんと携帯を使って原稿用紙五百枚ぶんの本一冊を書き上げてしまった作家が現われたそうだ。そのような作家はこれからどんどん増えてゆくに違いない。机に原稿用紙をひろげ、万年筆で書いては破り、書いては破り――なんて作家は、もうどこにもいないんである。
 とはいえ、書くための道具は違ってしまっても、文章を書く苦労というのは、実は昔も今も変わらないのだ。
「ポルノぐらいなら書いてみたい、書ける」と思う人が多いのだろうか、よく「どのように書いたらいいんでしょうか」と聞かれることがある。ついこないだは、評論家として名をなしてる友人が「ポルノを書いてるけど難しいねえ」と打ち明けられ、驚いた。
 もう恋とは無縁と思っていたら、ずっと年下の女性と突然に恋愛関係に陥ったというのだね。その恋は残念なことに破れたのだけど、そのめくるめくような体験をポルノ小説に仕立ててみたいという。
「いざ、書き始めてみると、しかし、何をどのように書いていいのか、迷うことだらけでちっとも書き進めない。そんなはずではなかった」と悩んでいる。で、ポルノをスラスラと書く、コツというかツボを教えてくれと頼まれてしまった。
 うーむ、それを教えてしまうと商売仇が増えて困るんだけど、まあ、長年の友人だから教えてあげることにした。――と、ここまで書いて分量が尽きたので、続きは次回に書こう。

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2006年2月24日 (金)

女とフェロモン

「女の子たちの生理が重なってしまうことがあって、そういう時は本当に困ってしまう」
 知りあいの風俗業者が嘆いていた。
「それってフェロモンの関係かな」と答えたのは、ヒトフェロモンが発見されるきっかけになったのが、女性の生理が重なる現象だったと伝えられているからだ。
 フェロモンのなかでも異性をひきつける性フェロモンは人間には存在しないとされていた。ところが1980年代、アメリカの大学の女子寮で、同室になった女子学生の生理周期が同じになることが分かり、それがヒトフェロモンの発見につながった。
 その業者のところには女の子たちが待機している部屋があって、何人もの子がそこでおしゃべりしたりゲームをしたりマンガを読んだり、まあみんなでゴロゴロしてるから女子寮に似ている。
「そうか、女の子が一緒にいるとよくないのか。待機させる場所を考えないといけないかなあ」と、彼は頭を悩ませていた。
 しかしまあ、そうは言ってもフェロモンについては分からないことが多い。ただ分かっていることは、女性の発するフェロモンは匂わない、ということだ。
 よく「フェロモンがむんむん匂う発情女」なんてキャッチコピーを見かけるが、ありゃ大ウソ。フェロモン自体は匂わない物質なのだ。嗅覚を感じるのとは別の部分で察知している。むんむん匂っているとしたら、それは女性特有の体臭だ。
 もう一つ、フェロモンを嗅げば男はたちまちビンビンに発情する――というのも、まったくのウソ。女のフェロモンは逆に、男の気持をやわらげるほうに働く。発情させるというより「一緒にいたい」という気持を促進させるらしい。
 男だけの職場や組織――たとえば軍隊や刑務所などではケンカや暴動が発生しやすい。そういうところに少しでも女性がいると殺伐とした雰囲気がやわらいで、争いが減ることが分かっている。これもフェロモン特有の作用だという。
 今は「フェロモン含有」をうたった香水や化粧品が発売されているが、それをふりかけるだけで一発で男性や女性がその気になってくれる――なんてことはあまり期待しないほうがいい。
 出会って「なんか気になるなあ」と思う子がいたら、案外、それがフェロモンの効果なのかもしれない。まあ、ともかくよく分からないものなんである。

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2006年2月17日 (金)

戦う女はエロティック

 トリノ・オリンピックで熱戦がくり広げられている。
 ウインタースポーツで何が好きかといえば、かつてはフィギュア・スケートだった。もちろん女子。
 早い時期にビデオデッキを買ったのも、女子フィギュアをじっくり見たかったから。一時はけっこう夢中になって見ていた。
 お尻が好きだから、後ろ向きで滑走している時にユニフォームの裾がまくれて、まるいお尻がくっきり見えるのがね、実にいいですなあ。
 今でも見ることは見るけれど、昔ほど熱心ではなくなった。自分でも不思議で、どうしてかなと考えてみたら、あれは「女らしさ」が過剰なまでに表現されるスポーツだからだと気がついた。女の美しさというのを「これでもか、これでもか」と押しだしてくる。その部分に引いてしまうようになった。
 昔はストリップの舞台が大好きでいつもかぶりつきで見ていたけど、だんだん興味が失せてきて、今はめったに見なくなったというのも、「女らしさ」というか「女そのもの」をムキだしにして押し付けてくるから引けてしまったんだと思う。
 ではどういう魅力をスポーツの女性に求めているかというと、「なりふりかまわぬ真剣さから生まれる女のエロティシズム」とでも言おうか。もう「女らしさ」なんてどうでもいい、ただベストを尽して勝つのだ! と力強く戦う女性選手の姿にしびれてしまうんである。
 男でもそうだろうと思うが、一つことに熱中している人間の姿というのは官能的に美しい。ぼくの場合、女性がエロなんてまったく関係ないところで髪振り乱して何かとぶつかりあって戦っている現場に、かえってエロを感じてしまうことが多い。不思議だ。
 スキーの滑降の女子選手なんて、滑ってる最中はフルフェイスのヘルメットかぶってるし、体型だって男子選手とそんなに変わらない。滑ってる間は男もなければ女もない。だけどゴールしてからヘルメットを脱げば髪がぱあッとなびいて白い歯と一緒ににこやかな笑みがこぼれる。あの瞬間がいいよね。
 うーん、説明するのが難しいけれど、戦ってる時と戦い終えた時との落差に感じてしまうんだろうね。まあぼくが「強い女」にしびれるタイプだと言えばそれまでのことなんだけど。
「美しくて強い女がなりふりかまわず戦いまくる」冬の祭典、バンザイ。

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2006年2月10日 (金)

ポルノ小説の影響

 官能小説とポルノ小説はどう違うのか、と聞かれることがある。一般的には官能小説はエッチ部分の描写がソフトで、ポルノ小説はハードということになっているが、じゃあハードとはどういうことなのか。
 ぼくの定義によれば「読んで必ずオナニーしなければならない状態にもってゆくのがポルノ小説、そうでないのが官能小説」だ。ポルノ作家はそういう計算をしながら「どうだ、これでもか、これでもか」と読者を興奮させ勃起させるように描いてゆく。
 ところが昨今、官能もポルノも女性の愛読者が増えてきた。ぼくら男性作家は男をどうしたら興奮させるかはお手のものだけど、女性がどの部分にどう反応するかは、いまひとつよく分からない。女性を興奮させるポルノについては、女性作家のほうがやはり巧みではないかという気がする。
 まあこういう作品は性的に興奮させるだけだから、オナニーしてしまえばスッキリするわけで、たとえばSMでいくら残虐な行為を描いても「よし、おれもやってみよう」とは思わないものだ。
 実際、そういうジャンルのポルノが解禁されている社会のほうが抑圧されている社会よりも実際の犯罪が少ないとされている。ポルノ作家は社会から性犯罪を低下させることに貢献しているのだ。えへん。
 それでもポルノに影響される読者がいないわけではない。ぼくの場合、美少年や美青年が女装して性的な体験をするという「シーメールもの」というジャンルの作品を早くから書いている。『ナイロンの罠』という作品を発表した時は、ずいぶん大勢の読者が影響されたようで、今でも「あれにはハマりました」と言われることがよくあるし、そういう関係のお店に行くと「あれを読んだおかげでシーメールになっちゃいました」という妖しいおねえさん(?)に必ず声をかけられたものだ。それで幸せになってくれればいいけど世間的には「オカマ」だからねえ、いろいろ大変だと思うと、やっぱり書いた責任というものを覚えないわけにはゆかない。
 つい最近は、強制的に女性化されマゾ奴隷になる男を描いたぼくの作品に影響され、女装に夢中になったあげく奥さんにバレ、離婚したという男性からファンメールをいただいた。今は独身でバリバリ女装ライフをエンジョイしているらしい。
 ぼくの小説がその人の人生を大きく曲げてしまったわけで「これからももっとあのような作品を書いてください」と言われても、家族の運命も考えると、ちょっと複雑な心境になってしまうのである。

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2006年2月 3日 (金)

子供のトンデモな名前

 フランスでは最近まで、子供に名前をつけるのに法律で制限があった。キリスト教の聖人500人のうちから選ぶ以外、好き勝手に名前をつけられなかったのだ。そのためフランスの俳優をみれば分かるように「ジャン」だの「ポール」だの「アラン」だの同じような名前がズラリと並ぶ。
 あまりに変わりばえしないので、親の中には二つの名を組みあわせて「ジャン=ポール」のように変化をつけたりした。ジャン=ポール・ベルモンドがその例だ。
 それではあまりに不自由だというので、この法律は改められたが、そうすると「ケビン」「ボブ」「トミー」といったアメリカ人のような名前が増えて、伝統を愛するフランス人を嘆かせているらしい。
 日本は使える漢字に制限はあるものの、どんな読みかたをしてもいいので、かなり自由である。それでも昭和の時代まではある程度の節度があった。せいぜい森鴎外が自分の子供に於菟(おと)杏奴(あんぬ)、茉莉(まり)、類(るい)と付けたのが「西洋かぶれ」として話題になったぐらい。それだって日本の社会のなかでじゅうぶん通用するよう、考えられていた。
 しかしヤンキーと呼ばれ「夜露死苦」なんてクルマに書いて喜んでいた世代が親になるにつれ、子供にトンデモな名前がゾクゾクとつけられるようになった。
 最近の子供につけられた変わった名前を集めたサイトを見れば、たいていの人間が「ありえねー!」と叫ぶだろう。ぼくも「マジかよー!」とのけぞってしまったね。
「麻理緒音都」って名前がある。「まりおねっと」と読むのだそうだ。「樹茶」は「きてぃ」なんだと。親の顔が見たい。それとも子供の将来は芸能人と決めているのだろうか。
「光凛」は「こうりん」じゃなく「ぴかりん」で「光宙」は「ぴかちゅう」。こうなると正気なのかどうか疑いたくなる。
 極めつけは女の子の名で「亜菜瑠」。「あなる」って、それ……。絶句してしまうよ。役所は受けとった時「アナルというのは『お尻の穴』っていう意味ですよ」と教えたのだろうか。知ってて付けたのなら「悪魔」より悪質だね。
 この子、必ずや「やーい、ケツの穴」とからかわれいじめられるだろう。ぼくだったら自殺してしまうかも。親が早く心を入れかえて子供が物心つく前に改名してくれることを願うしかない。
 しかし、こういう親を取り締まる法律が必要なんじゃないかね。これってりっぱな虐待だよ。

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2006年1月27日 (金)

子バレ問題

 官能ポルノが好きな人には、たいてい一つの難しい問題がつきまとう。「本やビデオをどうやって家族の目から隠すか」という問題だ。
 ぼくはSMが専門だが、SM愛好家は自分の妻(あるいは夫)にも内緒で活動している人が多い。まして子供には絶対に知られたくないだろう。
 ぼくの作品の愛読者から「結婚する時に集めていた本を全部処分してしまって後悔してるんですよ」とよく言われる。捨てない場合でも隠し場所に厳重にしまいこんでいる人がほとんど。
 しかし不思議なもので、隠したものは必ず見つかるものなんである。最近も、ぼくの本を集めてくれているファンの一人が「どうやら館さんの本を娘が見つけて読んでしまったらしい」と言ってきた。
 新刊を二、三冊買って、隠し場所にしまいこむ前に、まあ気をつけてはいたのが、ちょっとしたスキに発見され、読まれてしまったらしい。高校生の娘さんだというが、やはり父親としては困惑してしまうところだ。
 娘さんのほうは特別、態度が変わったということもないという。父親としては「あれを読んだのか」と確かめることさえ出来ず、知らんぷりをしているのも白々しいし、どういうふうにしたものかと相談したかったらしい。
 ぼくとしても答えようがない。覆水は盆に返らずだ。「もしショックを受けたら態度に出るはずだけど、そうじゃないのなら安心していいのでは」ぐらいしか言えないよね。
 SMの世界に入ってきた人にきっかけを聞くと、「親兄弟が持っていたSMの本を見て」というのがとても多い。実はぼくもそうだ。
 子供だっていつかはSMという行為があることを知る。早いか遅いかだけの問題で、少しぐらい早く知ったからといって、その人の人生がめちゃくちゃになったりはしないだろう。娘さんだって、すでにそういう情報の洗礼を浴びているかもしれない。それに、ぼくの本を読んだのなら絶対に面白いと思ったはずだから、ぼくとしては「ファンが一人増えた。しめしめ」とほくそ笑んでいるのが本心なのである。

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2006年1月20日 (金)

男は顔じゃない

 女性ライターのMちゃんとバッタリ顔を合わせた。いま三十代半ば、「恋多き女」の見本のような女性で、彼女に紹介される相手はいつも絵に描いたようなイケメン。連れてない時は必ず携帯にとりこんである最新のボーイフレンドの顔を見せて自慢してくれる。
「今はどんな男の子とつきあってるの?」と聞いてみると、今回ばかりはちょっと微妙な照れたような顔して口ごもった。
「それが……、とーってもぶっさいくな男なの!」
 ぼくはちょっと信じかねた。
「またまたー、他でもないキミがブス男くんとつきあうわけないでしょう」
「いや、それがホントにホントなのー。私自身、『この私がなんでこんなブ男と!?』って信じられないぐらいなんだからー」と言う。
「じゃあどんな顔してるのよ、見せてよ」と言うと、例によって携帯を取りだして見せてくれた。
 うーむ、なるほど。中年のかなりハゲたおっさんが写っている。どこにでもいるような、人はよさそうなおっさんだ。確かにハンサムではない。ふた目と見られないブ男ではないけれど、彼女のこれまでのお相手からは二、三ランクは落ちるだろう。
「ふーん、うーむ……」とぼくはコメントに詰まった。あまり率直に言ってご機嫌を損ねられても困る。とりあえず、「これまで見せてもらったなかでは、最年長だね。こんな年上が好みとは思わなかった」と言ったら、
「違うの。これで私より年下なの。老けて見えるのは若ハゲだから」
「ぎょえーッ?」
 今度は目を疑った。そう言われてみれば、顔全体は若い。髪が後退してるせいでグンと老けて見えてしまうのだ。
「ねー、ひどいでしょ」と言う彼女はそれでも何だか嬉しそうだ。絵の仕事で知りあって、最初はあまりに自分の好みと違うので、まさか彼と恋に落ちるとは思ってもいなかったが、何度か会ううち、ごく自然にデキてしまったのだという。
「彼は彼で自分はブ男でハゲてるから絶対に恋人は出来ないだろうと諦めていたんだって。今は私という女がいて、した後は『いま死んでも本望だ!』って言うのよー」
 聞けば彼はある方面では傑出した才能の持ち主なんだそうだ。ただのイケメン男とは違う生活力もあるし精力も逞しいという。
「ブ男で若ハゲで……」と嘆いてみせるMちゃんは、けっこうまんざらでも無さそうである。彼女もついに「男は顔ではない」と分かるイイ女になったのだな〜。ぼくもなんだか嬉しかったね。

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2006年1月13日 (金)

男が「買われる」

「入金を拒否しますか?」というタイトルのメールが届きだした。スパムと呼ばれる、無差別に勧誘してくる迷惑メールの一つだ。たぶん皆さんのところにも届いているのでは。
 最初はびっくりするよね。「えッ、何のことだろう?」と思う。誰かがぼくにお金を払おうとしているわけだから。
 開いて読んでみると、ある人妻がぼくにお金を払いたいのだという。契約金を払います、月々別にまたお支払いします。まずお金をゲットしませんか、という内容。「よく考えたなあ」と笑ってしまう。(笑)
 ここ数ヶ月、このようなスパムメールがやたら増えてきた。内容は決まって「女性がセックスしてくれる男性を求めている。してくれたらお金を払う。ウチの会員になってくれたらそういう女性を紹介する。登録してみないか」というもの。中には女性の名義で「私は美人でもないし若くもない。でも性欲はある。男性と違ってどこかで性欲を満足させようとしてもなかなか出来ない。セックスしてくれたらお金を払うから、契約してくれないか」というのもある。同じようなのが毎日何通もしつこく送られてくる。
 やりたい盛りの若者だったら「えーッ、女とやれてお金がもらえるのか。それだったら申し込んでみようか」と思うかもしれない。まあ人のことは言えないが、ある程度の人生経験を積んできてそう簡単にボッキもしなくなってくると(情けないが)「世の中、そんなうまい話があるわけない」とまず思う。皆さんもそうだろう。
 実際に申し込んでみたことはないが、だいたい想像がつく。何やかやの理由でまずお金を要求され、払い込んだらそれで終りだ。でなければさまざまな個人情報を奪われて(メールアドレスから銀行口座番号まで)それを悪用されることになる。
 ぼくの知ってるケースはこういうのだ。「金持の女性を紹介してくれる」という組織に入会して、実際にある女性とホテルに行ったら、いきなり彼女が怒りだして帰ってしまった。そのあとに怖いお兄さんが出てきて「おまえのおかげで上得意のお客さんを失ってしまった。どうしてくれる」とすごまれた。びっくりするような額の金を払って許してもらえたというが、まあ、うまい話というのはそんなもんなんである。じゅうぶん気をつけてほしい。

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2006年1月 4日 (水)

官能作家の初夢

 2006年はどんな年になるだろうか。幸い景気は上向きなので、ぼくなんか「金回りがよくなればいいなあ」と、極めて現実的なことしか考えられないのだけれど、あえて「夢」を抱くとしたら「本がまた売れる時代になれ」という願いが叶うことだ。
 90年代の後半から紙の本はどんどん売れなくなった。出版不況で作家やライターも苦しめられてきた。
 原因は出版界の構造改革が遅れたことだとぼくは思う。うまい具合に本が流通しなくて読者が本と接する機会、買う機会が得にくくなっているのだ。たとえば書店の店頭で欲しい本が見つからない。仕方なく注文すると何週間も待たされる。急いでいる時は間に合わない。書店もどんどん減ってしまった。
 そのダメな部分をカバーするように勃興してきたのがインターネット通販だ。『アマゾン』のような書籍やCDを扱うIT企業が急成長してきたのは、購読者が便利なシステムを整えてきたからだ。オンラインで本を注文するとふつう二、三日で届く。送料も気にならないぐらい安い。書店が近くにない人たちはこれでグッと本が買いやすくなった。
 ぼくはネット通販が始まった頃、「官能ポルノ本はこれでガンガン売れるようになるぞ」と信じて疑わなかった。
 官能やポルノは題名も表紙も刺激的だ。欲しいと思っても書店でレジに持ってゆくのが恥ずかしく、気おくれしてしまう。ぼくだって自分の本が買いづらい。(笑)
 これがネット通販だと、なんの気がねもない。今まで買いそびれていた層が買ってくれるようになるから、官能ポルノは売り上げが伸びるはず――そう期待していたのだが、ぼくが予想していたほどにはネット通販の売り上げは遅々として伸びてくれなかった。やはりパソコンを使いインターネットを使いこなせる層が絶対的に少なかったのだ。
 しかし去年あたりからネット通販の利用者数は爆発的に増加してきている。オンラインで売れる本は書店を抜きそうな勢いだ。06年は完全に抜いてしまうだろう。
「本はネットで買う」と思う人がここまで増えてくれたらもう大丈夫。出版界、特に官能ポルノ部門はこれで息を吹き返すこと間違いなし。ぼくの本もインターネットでどんどん売れるはずだ。ああ、未来は明るい。(笑)皆さんもネットを利用しておおいに官能ポルノを買って楽しんでくださいね。

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2006年1月 3日 (火)

「やばい」は「すてき」

 言葉の意味というのは、時に変わってしまうことがよくある。
「エッチ」というのもその一つで、大正期に女学生の間で流行った時は「H」と書くのがふつうだった。
「HENTAI=変態」の頭文字で、当時の変態性欲ブームが影響して、最初は「変態的な人物、行動」を指したのだろうが、これまでは「淫らな、エロティックな、いやらしい」という意味で使われてきた。
いまの中年世代までは、その意味で用いていただろう。「あいつは酔うとHになるからなあ、周りが気をつけないと」のように。
 ところが八十年代を過ぎてから、若い女性、少女たちが「エッチする」という動詞の形で使うようになった。この場合の「エッチ」はズバリセックスを行うこと、性行為そのものを指す。だから「おじさんはエッチだからエッチしたくない」なんて言い方も過渡期は可能だった。いまは「いやらしい」という意味で使われるケースは少ないのではないだろうか。
 最近、同じように意味が変わってきて、ぼくのようなおじさん世代が「あれれ?」と驚くのは「やばい」という言葉だ。
「やばい」は「いやあぶなし」が変化したものだと言われている。要するに危険がさし迫っている状態。
「おい、そこまで鉄筋減らしてやばくないか。地震がきたら倒れちまうぞ」というふうに使われてきた。ここまでは誰もが知ってることで、説明するのもバカバカしい。
 ところが最近、実は十年ぐらい前から、そういう意味ではない「やばい」が若い世代によって使われるようになった。知ってる人は知ってるだろうけど、知らない人もいるかもしれない。それはやばいことなので、以下に書くことをよく読んでください。(笑)
「あの店のラーメン、やばいよね。クセになる味なんだ」
「あ、おじさん。やばい! そのテクニック、メロメロになるぅー」
 若い人のそんな言い方を耳にしたり言われたりすることがあったら、それは専門家の間では“肯定やばい“と言われる新用法の「やばい」である。
 危険が迫ってるわけではなく、彼ら彼女らは「びっくりするぐらい、いい」「ドキドキするぐらい、すてき」という肯定的な意味で使っている。ベッドで女の子が「やばい」と叫んだ時は、「危険日だ」ということではない――かもしれないので、あまりギクッとしないように。

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2005年12月23日 (金)

トイレ全裸派

 最近、ふと気づいたことなのだが、ぼくはトイレで用を足したあと、あまり身じまいせずに出てきてしまうクセがある。
 外出先ではさすがにないが、家のトイレで大をすませた後など、パンツどころかズボンも半分上げた状態でそそくさと出てしまうのである。
 それほどせっかちな性格でもないのになぜだろうと不思議に思い、いろいろ考えてみたら「これは子供の時に染みついた習慣だ」と思い当たった。
 ぼくが生まれた故郷は最北端の町で、冬はものすごく寒かった。トイレ(当時は便所と言ったが)で少し長居すると、お尻が凍傷になりそうなぐらい寒かった。当然ながら少しでも早くストーブのある温かい部屋に行きたい。だから用を済ませるとパンツを引き上げるのもそこそこに脱兎のごとく飛びだすのが常だった。
 今のトイレはマンションの中心部にあって寒いなんて感じない。便座も電熱でポカポカだ。それなのに身じまいもそこそこに出ようとするのは当時の習慣の名残りだろう。まあぼくが子供の頃は暖房も建築も貧しくて、家のなかはそれだけ寒かったのだ。
 それに関連して思いだしたのが、ネットで得た情報なのだが「トイレ全裸派」とでも呼ぶべき人たちの存在。
 男女を問わず、トイレで大をする時は、すべての衣服を脱ぎ捨て全裸にならないと落ち着いて用を足せない人種が、どうもある程度の数、存在するらしい。
 ある女性は自分の姉がそうだと報告している。「外で用を足せなくて大急ぎで帰宅するなり真っ裸になってトイレに飛び込む。玄関からトイレまで上着から下着までが一列に脱ぎ捨てられているのは壮観」だとか。確かにこういうクセがあると外で大はできないねえ。
 トイレに入る時は下だけスッポンポンになる人も多いようだ。これはトイレ半裸派。半裸派にしろ全裸派にしろ、なぜそこまで脱がないと用を足せないのか、その理由を聞いてみたいものだが、たぶん本人にも分からないのではないだろうか。
 分かるのは、こういう人たちの育った家はトイレが冬でも寒くなかったということ。ぼくが子供の頃の家では、真冬にトイレで全裸になったら数分で凍死したよ。まあ最近は北国の家もトイレまで温かくなっているようだから、トイレ全裸派はますます増えてゆくかもしれない。

(画像はイメージです。彼女がトイレ全裸派なわけではありません)toilet_allnude

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2005年12月16日 (金)

バイブ新時代

 バイブレーターは男にとって、頼れる逞しい相棒である。
「おれなんか自前のサオ一本でどんな女もメロメロよ」とうそぶく性豪も、いつかはバイブと二人三脚(二本三脚か)になるんである。バイブはタフだからねえ。
 しかし、女にとってバイブは良きパートナーだったろうか。どうも男の思いこみで設計されていて、真に女たちを喜ばせるモノであったかどうか疑問だ。
 男たちが考えるバイブは、なにはともあれ「ペニスの代用」だから、なるべく実物のペニスに限りなく近い棒状のものがいい、と思いがちだ。それにクリトリス刺激のための突起をつけた、俗に言う「熊ん子」タイプが圧倒的に主流を占めてきた。
 ところが最近、インターネット通販によって女性たちが積極的にバイブを買い求めるようになってくると、「女による女のためのバイブ」というのが登場してきた。
 サイトのカタログで確認してもらえば分かるが、男たちが考えるバイブとはまったく違った形状のものが目につく。
 中には「えッ、これがバイブかよ!?」と思うような、説明されても用途が分からない宇宙生物みたいな形のものもある。
 どれも女たちが思う「ツボ」を刺激しやすいように設計されていて、そうなると従来型バイブとはどんどん違った形になってゆくわけだ。男と女の考えかたの違いがこれほど露骨に現われてくるとは思いもしなかった。まさにバイブの革命である。
 違いの一番の部分は、膣の前壁、いわゆるGスポット・ゾーンを刺激しやすくしてあることだ。そのために先端から中ほどまでがくの字に隆起する。全体的にはSの字型になる。
 もう一つの違いはクリトリスを刺激する部分も広く、厚めになっているということ。熊ん子タイプは先端が尖っていてピンポイントにつつくことになるが、女性にはそういう形は好まれないようで、親指の腹のように広い曲面をもち表面がザラザラしている形状がいいようだ。
 その結果、極端なものはUの字型になって、クリトリスとGスポットを挟みこむようにして刺激できるものもある。カスタネットを思い浮かべてほしい。
 そうやって女性たちがいろいろ試しながら設計したものがどんどん市場に出回ってきた。 男たちも「バイブはペニスの代用」という思いこみを改めて、新しいタイプのバイブを使って研究してみよう。

(画像は新タイプのバイブレーター『オナマグラ』)
onamagura

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2005年12月 9日 (金)

東京と大阪「ありあり」の違い

 ぼくは北海道の生まれで、高校時代までは北海道の方言を話していた。大学生になってからはずっと東京語を話している。
 だから自分には使えない大阪弁というのに妙に魅力を感じる。特に若い女性がポンポン話す大阪弁は耳に快く響く。
 大先輩の作家、阿部牧郎さんの官能小説に大阪を舞台にしたОLたちを描くシリーズがあるのだが、その中で彼女たちの話す柔らかい大阪弁は、読むだけでも官能的な味わいがあってうっとりするほどだ。
 そんなわけで大阪弁に関する本が目につくと必ず買ってしまう。その魅力がどこにあるか知りたいからだ。最近では、女優のわかぎゑふさんが書いた『大阪弁の秘密』(集英社文庫)というのが面白かった。
 ぼくら関東系の人間がなんとなく「大阪弁とはこういうものだろう」と思っている「常識」を、彼女は「ちゃうちゃう、それちゃうで」と訂正してくれるのだ。
 たとえば「儲かりまっか」という日常のあいさつ、その返事は「ぼちぼちでんな」だと思ってたら、違うのだ。この場合、「さっぱりわやですわ」と答えなければ「品格を疑われる」という。目からウロコ!でんな。

 そのうち「ありあり、なしなし」という項目が目にとまった。「おや」と思ったのは、関東でもこういう言い方はするからだ。
 しかし読んでみると、ぼくが知っているのとは違う場面で使う言葉だった。たとえば喫茶店でコーヒーを注文する場合、「砂糖もミルクも必要」という場合が「ありあり」、ブラックなら「なしなし」だ。関東ではあまり耳にしない。便利だから使えばいいのにと思う。
 ぼくが知ってる関東での「ありあり、なしなし」とは、実は風俗の世界の用語だ。一般の人は知らないかもしれない。
 ニューハーフとかシーメールという、本来は男性なのに女性の姿になって接してくれる風俗店がある。そういうお店に働く「女性」のうち、サオ(ペニス)もタマ(睾丸)もそのまま、というのが「ありあり」で、サオは残してタマを取ったのが「ありなし」。サオもタマも取ってしまったのは「なしなし」なんである。サオをとってタマを残しても何にもならないから「なしあり」というニューハーフさんは存在しない。
 ちなみにぼくは、「ありあり」タイプがとっても好きやねん。

(画像はニューハーフヘルス『YOU & MAI』のMAIちゃん。彼女は「ありあり」だ。『YOU & MAI』のURLはhttp://nyaopuu.kir.jp/division/yam/index.htm)mai_177

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2005年12月 2日 (金)

風俗遊びと血液型

 風俗嬢が書き手として参加しているメールマガジンに、現役のソープ嬢がおもしろいことを書いていた。
「お客さんの血液型と遊び方の関係」を自分なりにデータを集め、それをまとめて報告していたのだ。
 彼女によると、O型の男性は「わりとのんびり構えて、プレイ中はおしゃべりも楽しんで、でも、やるときはやるぞっ!と燃える」タイプだという。「プレイには真剣にとりくんで、比較的気持ち良く昇天する」そうだ。
 反応も素直に表現してくれるので、ソープ嬢にとっては一番やりがいがあるお客といえる。
 それに反してAB型は「あまり楽しそうに過ごす人は少ない」という。当人は満足したかもしれないが、そういった感情を正直に表わさない。
 言ってみれば「ヌキ」重視の遊び方で、まだ時間が残っていても、プレイが終わると「あ、僕、もう帰ってもいいかなぁ」と、さっさと帰ってゆく客が多い。これではサービスのしがいがない。上客にはなりにくいよね。
 A型の客は「理性の枠が壊れることは、めったにない。あえぎ声もめったにあげることがない。たまに乱れてしまった場合でも、『ああ…はずかしいことをしてしまった……』と、店を出てから、反省する」んだとか。風俗にハマルこともなく、自分流の風俗ライフを淡々と楽しむタイプ。
 特にA型に顕著なのは「最後のシャワーを女の子にまかせず必ず自分で浴びるような、よい意味で、潔癖な」男性らしい。まあソープ嬢としてはやりやすいよね。
 さてB型。「気に入った女の子に通い続けるなど、いちばん風俗にハマリやすいタイプ」だそうだ。
「プレイよりも『遊びに来てる』感のほうが、大きいので。ソープ嬢も仕事を忘れて楽しいひとときを過ごせることが多い」という。ソープ嬢としてはもっとも理想的な客ではないか。
 ちなみにO型とB型は共通して、プレイ後のシャワーは、少しばかりローションが残っていても「ああ、いいからいいから」と言って、そそくさとすませてしまうのが多いとか。
「あー、当たってる」と思ったかな? ぼくなんかあまりにもピッタリなんで驚いてしまったよ。(笑)
 あ、ちなみにぼくの血液型はB型である。

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2005年11月25日 (金)

わかめ酒の季節

 寒くなってきて、時には「熱燗でキューッとやりたい」と思う機会が増えてきた。
 ところが最近は、お店で熱燗を頼むといい顔をされないことが多い。特に銘酒を置いていると自慢する店ほどその傾向が強い。
 最近の日本酒はかつてのように燗をして呑む性質の酒では無くなってきたからだ。逆にキリリと冷して呑むほうがおいしい。だから「熱燗で」などと頼むと「酒を知らないやつ」とバカにされかねない。
 日本酒の通という人に聞くと「昔は酒のなかに不純な成分が多く入っていたから、熱を加えてそれらの成分を揮発させたほうがよかった。今はそんな必要がない。かえって味をそこねる」と言う。
 それでも体が冷えきっている時は、キリリと冷えた酒なんてイヤだ。そう言ったら「ぬる燗にしなさい。それこそ人肌ぐらいに」とアドバイスされた。
 人肌というと三十六度ぐらい。それぐらいの熱さなら香りもたち、味も損なわれないのだという。
「だったらわかめ酒が一番だね」と言ったら、その通の人は「うーむ、それこそ不純物が混じるからなあ」と難しい顔をしていたけど。
 最近は「わかめ酒」などと言っても知らない人が多いかな。若い人はビールやワイン、焼酎のほうに走って、日本酒はあまり呑まれないからねえ。
 これは花柳界(これも死語か)華やかし頃に、芸者遊びの一環として生まれた、遊戯としての酒の飲み方なんだろうと思う。
 女性が全裸になって横たわり、腿と腿をぴったり着ける。そうやってできた股の部分の凹みにお酒を注ぐ。黒々としたヘアーがお酒の底でユラユラ揺れて見えるのを海底のわかめにたとえたので「わかめ酒」。もちろん呑む人は下腹部へ直接口をもってゆきチュウチュウとすするわけだ。うーん、何と優雅で楽しいお酒の飲み方だろうか。
 エッチなことが好きな、かなりヘンタイ度の高い大人が何人かで酒を呑みながら「たまにはわかめ酒を呑みたいものだ」などと言いあっていたら、好色なことでは人後に落ちない人物が憮然として「おれは嫌いだ」と言う。どうしてかと思ったら、彼は剃毛マニアで、女性の下腹部は常にツルツルでないと気がすまない性分なのだった。
 ということは、彼の場合は「かわらけ酒」ということになるのだろうか。おっと「かわらけ」も通じなくなってきた言葉だなあ。

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2005年11月18日 (金)

クリトリス発見

 最近の小説界は時代ものがブームだ。
 官能ポルノの世界でも時代ものが売れているそうで、ぼくなんかにも「時代もので書きませんか」という誘いを受ける。
 子供の頃から吉川英治の時代小説を読みふけっていた。読むのは大好きだ。しかし書くとなると二の足を踏んでしまう。
 時代考証というのが、とても難しいと思うからだ。そんなに厳密にやる必要は無いと思っても、たとえば江戸時代、会話では「……です」という言い方をしなかった、と知ると、それだけでもびびってしまう。何を書いても間違ったことを書いてしまいそうだ。
 先輩の皆さんが一生懸命、いろいろ調べて真剣に書いているところに、無知なぼくが踏み込んでは申し訳ないではないか。
 では近代ならいいか、というと、これだって難しい。「関東大震災のニュースをラジオで知った誰それは、急ぎ、汽車で東京へ向かった」などと書いたら大間違い。関東大震災の頃、ラジオはまだ実用化されていなかった。過去を舞台にしてキチンとした小説を書かれている作家を本当に尊敬してしまう。
 ところで、文芸評論家のKさんのエッセイを読んでいたら「洋の東西を問わず、人々がクリトリスを知ったのは二十世紀になってからである」と書かれているではないか。思わず「そんなバカなー」と叫んでしまったね。クリトリスは「さね」「おまめ」などと呼ばれ、日本人は昔からそこをいじくってきたのではなかったか。
 しかしK氏によれば、江戸時代のポルノ文献や浮世絵を見ても、クリトリスは描写されていないし性感帯としても記されていないというのだ。
 西欧のポルノにしても、かのカザノヴァやドンファンら、希代の色事師やプレイボーイたちの記録にも、クリトリスは現われてこない。クリトリスの存在がハッキリ描かれるのは、なんと第二次大戦後になってからだという。つまりポルノに限らず性愛の世界では今から六、七十年以前、クリトリスというものは存在しなかったことになる。
 それ以来、ぼくも気をつけて昔の浮世絵やポルノ文学を読んでいるのだが、たとえば精密な女性器の図版でも、膣内のヒダはハッキリ描かれているのにクリトリスがどこにも見当たらないのは確かだ。
「いや、そんなことはない」と反証を挙げられるかたは、ぜひ教えてください。

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2005年11月11日 (金)

出し入れが問題

 官能小説評論家の永田守弘さんが編集した『官能小説用語表現辞典』(マガジンハウス)という本がある。これを開くと昨今の官能ポルノ小説に用いられた特殊な表現が、山のように収録されている。
 特に多いのは女性器や女体の表現で、千件以上、全体の3分の2を占めているのには、この分野のプロであるぼくも驚かされる。つまり文章で女体を表現する仕方は、官能ポルノの場合、それだけ豊かだということだ。
 たとえば女性器そのものを表現するのに「女のアノ部分」とすませてしまう場合もあるし、「羞恥の源泉」と抽象的に描くか「濡れ羽色の恥毛に飾られた鮭肉色のビラつき」というふうに具体的に書き表わす場合もある。どういう言葉を選び、表現の仕方をとるかでそれぞれの作家の個性がきわだってくる。読者にとってはその多彩な表現が、官能ポルノを読む楽しむ要素になっている。
 こういった用語の多くは、辞書に載っていない。作家が知恵を絞って作りあげた造語が多いせいもあるが、他の分野ではめったに使われない言葉や、あからさますぎると思われる言葉は退けられてしまうのだ。誰もが耳にし口にする「おまんこ」でさえ代表的な国語辞書のほとんどが載せていない。日本語を勉強する外国人がこの言葉を辞書でひいても、理解できないわけだ。理不尽だよね。
 そういう特殊な用語のひとつに「抽送」というのがある。「ちゅうそう」と読み、男性器を女性器のなかで前後に動かす動作をいう。まあ「ピストン運動」だ。
 この「抽送」は、ぼくもよく使うのだけれど、ときどき「それは間違っていますよ」と指摘されることがある。
 ネットのなかにポルノ用語を説明したホームページがあり、その中に「『抽迭』(ちゅうてつ)という語を『抽送』と書き誤ったものが広まってしまった」と書かれているので、それを信用した人が(お節介にも)言ってくるのだ。この前は有名作家W氏が作品のなかで「抽送」を使ったら、あるブログが「Wは作家のくせに言葉を知らない」と批判して、ちょっとした騒ぎになった。
 ぼくは「本当にそうなのか」と思って調べたことがある。中国語を話すかた何人かに聞いたら、誰もが「『抽迭』なんて言葉は見たことも聞いたこともない。意味が分からない」と答えた。では「抽送」はどうかと聞くと、とたんにニヤニヤする。「抽は引き抜く、送は入れる。要するに入れたり出したりすることで、何の問題もない」。何のことはない、そのネット辞書が誤っていたのだ。
 そういうわけだから「抽送は間違いだよ」なんてせせら笑う人がいたら「それは間違いだよ」と教えてやってください。

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2005年11月 4日 (金)

脳でイク女たち

「ナンパのための催眠術を教えている人がいるんですよ」と教えられて、「そ、そんなけしからんことを教えるとは何ごとだ」と言いつつ、内心は喜んで講習会のようなパーティのような集まりに参加したことがある。
 独学で術を会得したという催眠術師さんから、いかに巧みに女性と仲良くなれるか、いろいろな方法を教えてもらったのだが、それらのテクニックを駆使してぼくがすぐにナンパの達人になれるかというと、まったくそんなことはなくて、やはり最初から社交的でもの怖じしない、パフォーマンス的なことが好きな性格の人でないと催眠術ナンパは難しいということが分かっただけだった。世の中、そうおいしい話は無いのである。
 ただ、その場で見せられて、ひどく驚かされたパフォーマンスがある。
 実験台の女性を催眠状態にしておいて、彼女に握りこぶしを作らせる。そうすると親指と人差し指の間に穴ができる。その穴の部分に触れて「これがあなたのお××こなんですよ。ここを刺激されると気持ちよくなってイッてしまいます」と暗示をかけるのだ。
 術を解かれたあとの女性は、別の暗示によって、言われたことはすべて忘れている。ただ深層意識は覚えているのだ。
 しばらくして、平常の意識に戻っている彼女に催眠術師が「ちょっと握りこぶしを作ってごらん」と命じて、その穴の部分に自分の人差し指をあてがった。あたかもペニスを挿入するかのように指を動かされると、なんと彼女は「あ、あッ、ああー」といきなり感じだして、あれよあれよと言う間にイッてしまったのである。
 つまり暗示によって彼女の性器は握りこぶしに移動してしまったのだ。いや、握りこぶしにも性感帯ができたということか。
 ということは、女性の体のなかでは必ずしも性器や、すでに知られている性感帯でなくても、オルガスムスを得られるようになっているということだ。脳が「ここが感じる」と思いこんでしまえば、おでこだろうが鼻の先だろうが、刺激されればイッてしまうことになる。実際、小鼻とか指の股とか妙なところを刺激されるとイッてしまう女性は数多くいる。
 結局、女性は頭の中で考えただけでイクように作られているということなのだろう。
「この術を利用すれば不感症の女でもイクのでは」と思ったけれど、「その場合はまずイクことを覚えさせるのが先決」と言われてしまった。なるほど、イクということがどういうことか分からない女性に「イケ」と命令しても無理なのである。

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2005年10月28日 (金)

お人形さん風俗

 彼女がここまでブームになるとは思わなかった。いまや全国どこでも誰でも、彼女を抱いて愛撫し、どんなことでもして楽しめる。
 ――と書くと驚くだろう。なに、ラブドール・デリヘルという新しい風俗のこと。
 ラブドールとはほぼ等身大の女性のお人形。昔はダッチワイフと言った。その用途はもちろん性欲処理。
 ダッチワイフ時代はビニールの風船をふくらませた、情けないシロモノだったが、いまのラブドールはまったく違う。材質のシリコンゴムは人間の肌のような感触があり、ずっしりと重くて抱き心地もホンモノと変わらない――そうだ(はは、ぼくもまだ抱いたことがない)。
 アメリカで作られたラブドールは輸入すると六十万円などと騒がれていたが、今は国産でもすぐれた品質のものがその半額以下で手に入るようになった。
 と言っても、性欲処理の道具にそこまでお金をかける男性はそうそういない。もともとは身体にハンディキャップがあって風俗にも行けない人のために作られたものなのだ。
 ところが、外見がとても愛らしく、あまり人形人形らしくないところから「ラブドール萌え」という現象が発生した。製造元が予想していなかった「ふつうの男性」がラブドールを求めるようになったのだ。今ではラブドールファンのための専門誌まで発行され、オーナーたちが自慢のマイドールを連れてのオフ会も開かれるようになった。
 これに目をつけたのが風俗業界。個室でラブドールを抱く、専門のヘルスができた――と聞いたのがついこの間なのに、最近はラブドールをお客のもとに届けて、使用後に回収するというラブドール・デリヘル(宅配ラブドールとも言う)が一気に全国にひろまった。まあ買うとなったら。けっこう高いものだからね。
 電話一本で、お客のもとに業者が届けてくれる。その料金は、まあ生身の女性の三分の一ぐらいか。あの部分は取り外しが出来て洗えるから衛生的にも問題はない。
「いい若い者が、何が悲しくてダッチワイフを金で抱くんだ」と怒るおじさんもいるだろうが、生身の女性に対する気づかいが必要ないし、何をしても怒らない。見た目もホントにかわいいから、ぼくでも試してみたくなる。
 そのうち、女性が男の子のラブドールを抱いて楽しむ日も来るのだろうか。ちょっと興味があるんだけど、どうだろう。

(画像は「オリエント工業」ホームページより)
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2005年10月21日 (金)

「屁股」って何?

 インターネットの世界では地球の裏側でも一瞬にして情報が届くから、国と国の距離は無いに等しい。問題は言語だ。どんな情報でも読めなければ役に立たない。
 その点、中国は日本と同じ漢字を使っているから、中国のサイトに入っても何となく意味が通じる――ような気がする。親しみやすさが違う。
 とはいえ、大きく意味が違ってくる場合もあるから油断はならない。この前、偶然に中国のホームページで卓球の福原愛について書いた記事が目に留まったが、なんと彼女のことを「白痴」と表現しているではないか。
「愛ちゃんを白痴と呼ぶとは何てことだ!」とファンなら怒りまくるだろう。ぼくも最初はびっくりした。しかし記事全体の感じは愛ちゃんをほめているようだ。
 だんだん分かってきたことだが、日本では「知能程度が低い」という意味の言葉が、中国では「愛らしい」「愛嬌がある」という意味なのだ。こちらでは悪い意味があちらでは良い意味。ここまで正反対だと何かの拍子にケンカになりかねないね。
 そういえば少し前だけど、日本の出版社で出している官能小説誌を台湾で出すことになり、創刊号にぼくの作品も中国語に翻訳されて掲載されたことがある。
 中国語版が贈られたのでさっそく自分の作品を読んでみた。すべて漢字の羅列だからお経を読んでいるようなものだが、「秘裂間湧出了愛液」「連大腿内側都被濡」なんて部分は高校で習った漢文よりもっと分かりやすい。
 それはいいのだが、読みすすむうちにやたら「屁股」という語が登場するので首をひねってしまった。もちろんぼくはそんな単語を使ってない。
「ヘマタ」って何だよ、と原文と参照してみたら、それは「お尻」とか「ケツ」と書いた部分の訳語だと分かった。へーッ、お尻は中国語で「屁股」なんだ!
 発音は「ピーグゥ」。特別にワイセツな意味などなく、ごくごく一般的に使われる語のようだ。調べると台湾では『拍拍屁股去戀愛』というラブソングが売れてたりする。
 それにしても「屁」は中国語でも「おなら」という意味だよ。それはまあ、お尻はおならのでる股のあたりに違いないけどねえ……。
 ちなみに「打屁股」といえば「厳しく批判する」という意味だそうだ。隣国の言葉なのに理解できない人が多いという現状は「打屁股」しなければいけませんな。

(画像は中国語に翻訳されたぼくの文章)

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2005年10月15日 (土)

SMの心

 先ごろ亡くなられた明智伝鬼さんから生前にお聞きした話を書こう。
 明智さんといえばSM業界では知らぬ者のいない緊縛師、晩年はボンデージアーティストとして知られたかただ。
 ふだんは温厚そのもの、人間味溢れる人なのに、女体を前にしてひとたび縄を手にすると情け容赦のない、まさに「縄の鬼」と化して女体を責めて残酷美を生み出してみせた。
 追悼会には大勢の女性が多数参列して涙を流していたが、多くは生前の明智さんに縛られて魅せられたM女さんたちだったろう。
 そんな明智さんのもとに、ある時、どうしても縛って欲しいという人妻さんが地方から上京してきた。ごくふつうの家庭でごくふつうの生活をしている女性だったらしい。
 望みどおりに緊縛され責めてもらった女性は、感謝して帰郷していった。
 それ以来、彼女は年に一度か二度、上京して明智さんの事務所を訪ね、縛ってもらうのが恒例になった。もちろん夫や家族には内緒だ。ふつうの家庭の主婦であれば上京するための時間や費用を捻出するのも大変だったろうが、彼女にとっては明智さんを訪ねることが生きがいになっていったらしい。
 訪問できない間は、緊縛されて責められることへの思いを胸に秘めて耐えているわけだが、その夢がかなって上京して、明智さんの事務所のドアを開けて足を踏み入れた時、感極まって文字どおりオルガスムスを味わって倒れてしまうほどになったという。すごい話ではないか。
 ぼくもSMの世界でいろいろな人に会ってきたが、やはりマゾヒストの女性というのは永遠の謎だ。人間は快を求め苦を避けるのが当たり前なのに、なぜ好き好んで痛めつけられ、辱められたがるのだろうか。
 最近分かってきたのだが、そういう人のSMプレイというのは、肩こりや腰痛に悩む人が受けるマッサージや整体のようなものではないだろうか。
 マッサージや整体は受けている間、やたら痛いし苦しい。ひいひい泣き叫ぶこともある。でもその痛さが快感につながり、終ったあとはとても気分がいい。
 マゾの人には「そんなに簡単なものではない」と怒られるかもしれないけれど、SMプレイが心のマッサージだと思えば、なぜ彼らが夢中になるのか分かるような気がする。苦しい思いをすることが心の解放につながるからなんだね。なんかあの世で明智さんが苦笑しているような気がするが……。合掌。

(画像は97年、渋谷デパートメントHでSMショーを実演中の明智伝鬼氏。裸女の股間に著者の顔が……)

departmentH3

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2005年10月 7日 (金)

ドライな絶頂感

 男と生まれて女性をうらやましいと思うのは、やはりオルガスムスの違いだろう。
 男性のそれが一瞬で終ってしまうのに対して、女性の場合、性感が豊かに開発されていれば、何回でも連続した絶頂感を味わうことができる。これを「マルチプル・オルガスムス」(多重絶頂感)というそうだが、男性には不可能だと思われていた。
 ところが最近、「男でも女のようにマルチプル・オルガスムスを味わえる」という説が唱えられるようになった。
 男のマルチプル・オルガスムスは射精しないわけだから日本では「ドライ・オルガスムス」と呼んでいる。射精してイッた場合は「ウエット・オルガスムス」だ。
「射精せずに絶頂感を味わうなんてできるわけがない」と思うでしょ。ぼくも最初はそう思っていた。
 ところがある朝、ぼくは性夢を見た。色っぽいので有名な熟女女優のMとやっている夢だった。そしてぼくは夢のなかで絶頂に達した。気の遠くなるような快感が頭のてっぺんまで突き抜けた。次の瞬間、それが夢だと気づいて「しまった!」と思った。てっきり射精してしまったと思ったからだ。
 しかし――とび起きてパンツを脱いで調べてみると、なんと精液の形跡もない。呆然とした。これがホントの「夢を見たような気分」だ。
 では、あの快感はなんだったのだろうか。確かにホンモノの射精と同じ、いや、それ以上の快感が全身を貫いたのだ。
 ――ということは、男は射精しなくても、脳だけでも同じような快感を味わえるということではないか。その体験以来、ぼくはドライ・オルガスムスが可能だと確信するようになった。
 現実にドライ・オルガスムスを楽しんでいる男性の多くは、肛門から特殊な器具を挿入して前立腺を刺激し、射精なしの絶頂感を味わっている。達人になるとひと晩中、強烈な絶頂感を楽しんで、その域に達すると「もう女なんかいらない」と思うらしい。
 言ってみればオナニーの一種なのだが、ここまでくれば究極のオナニーと言っていいだろう。しかし長時間の努力も必要なようで、ダメな人間はどれだけ練習してもダメらしい。
「それだったら、イクのは一回きりでも生身の女の体を抱いてイクほうがいい」と思うだろうか。ぼくはその技術を身に着けておきたかったが、年齢的にもう遅いだろう。残念ッ。

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2005年9月30日 (金)

よい不倫

 不倫についての専門家というのが世の中にいる。私立探偵だ。
 私立探偵は夫や妻が不倫してるかしてないか、その相手は誰か、という調査に日夜取り組んでいる。不倫してる男女のいろんなパターンをイヤというほど見ているから、不倫問題専門家になるわけだ。
 そういった私立探偵がネットで発行しているメールマガジンをいくつか購読しているが、そのなかに「よい不倫というのもある」と主張している探偵がいたので感心させられた。
 彼は、多くの不倫カップルを調査してきた結果、「不倫がバレず、その関係を続けることで相手と共に人間性が豊かになるようであれば、それはよい不倫だ」と言ってのけてる。大胆な結論である。
「そんな不倫があるか」と思われるかもしれないけれど、奥さんにバレることなく長期間、他の女性とつきあっている男性はけっこう多いらしい。
 そういう夫たちに共通しているのは、まず経済力があることだという。金銭のことで妻に不安感や不信感を抱かせない状態であることが大事なのだ。
 次に想像力が豊かで知性があること。バレるのは考えが足りないのだ。どういうふうにふるまえば疑いを抱かれないか、それを想定できる人間でなければならない。そのためにはふだんから妻との関係を良好にしておくことも必要だ。セックスもちゃんとして喜ばせておけば「想定外」の疑いを抱かれることはない。
 そして三つめに、強い自制力の持ち主であること。快楽の欲望に溺れて毎日のように密会していればバレるのは当たり前。どんなに会いたくても適切なチャンスが来るまでジッと待つ。その忍耐力が持続する不倫を可能にするのだ。
 そして最後。片方が耐えているのに相手のほうががまんできないと、争いが起きてバレることになる。双方が相手や相手の家族が不幸にならないように思いやっているようなカップルは、人間的にも成長することが多い。これがいちばん大事なことだと、不倫専門家の探偵は言う。
 うーん、そういう条件をクリアできるというのはよほどの金持ちで頭がよくて思いやりのある人格者ということになる。我々凡人には、とてもよい不倫なんてできっこない。そういう凡人に対するアドバイスは「不倫はあきらめなさい」。確かに正解だね、トホホ。

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2005年9月23日 (金)

最高に変わったフェチ

 最近は「ぼく、おっぱいフェチ」「おれは尻フェチ」なんて高校生が言ってる。それは単に「巨乳の子が好き」「お尻を見るとムラムラするタイプ」ってことで、そんなの当たり前だろうが。フェチでもなんでもない。
 フェティシズムは「節片淫乱症」なんて訳されるぐらいで、ある「モノ」に対して激しく執着し欲情する、病的に歪んだ性癖のことをいう。フェチは本来、人には言えないおぞましく恥ずかしいものであるはずだ。
 たとえばパンティフェチというのは、女性が身に着けたパンティに欲情し、なんとかして手に入れてオナニーで満足する行為だが、必ずしも女性の肉体を欲しない。生身の女よりもあの一枚の布きれに入れ込んでしまった人間だけがパンティフェチと呼ばれるに値する。
 時々現われるのだが、女性を襲って下着や靴などを脱がせて逃走するフェチ人間がいる。レイプしようと思えば出来るのに女性には何もせず、、脱がした下着や靴を大事に抱えてそのまま逃げてしまうのだ。
 正常人が考えるとわけが分からない犯罪だが、これが本当の、りっぱな(?)フェチのありかたなんである。
 ぼくが一番変わったフェチだなと思ったのは「着衣フェチ」というもの。
 女性が服を着ていればいるほど欲情するというフェチで、夏になって薄着になると悲しみ、冬にモコモコ着込むようになると嬉しいという、実に理解しにくい性癖なのである。
 実際にお目にかかったことはないけれど、ある風俗嬢に聞いた着衣フェチ男は、彼女がお仕事のために全裸になったとたん、それまで勃起していた一物はへナーとなってしまって、怒り狂ったという。結局、すべての服をコートまで着なおさねばならなかった。
「ヘンなフェチだなあ」とぼくも理解できなかったが、ある時、突然に着衣フェチの感覚が理解できた。
 彼は「女性の肌と衣服の間にこもる空気」に魅せられているのだろう。となるとぴっちりした下着より昔のズロースのようなゆるゆるふわふわしたものがいい。何枚も重なっていればいるほどいい。肌と衣服、衣服と衣服との間の温められた、体臭のこもる空気を嗅ぎ、感じることで強い性欲を覚えるに違いない。
 いやまったく、フェチはかくも奥が深いビョーキなのだ。「おっぱいフェチ」などと軽々しく使ってもらいたくないものだ。

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