新宿駅南口旅館街(2)
新宿南口の旭町(あさひちょう)が木賃宿密集地帯だったとは『新宿南口旅館街』で記した。
昭和52年の住所改正で一帯は新宿4丁目とされた。「ドヤ」と呼ばれた木賃宿は「桂屋旅館」側ばかりではなく、明治通りを挟んだ向かい側、天竜寺裏手に陋巷街を形成していた。これが現在に至る新宿南口(木造)旅館街である。
『1960年代の東京〜路面電車が走る水の都の記憶』(写真:池田信、毎日新聞社、08年3月刊)を見ていたら、「旧旭町旅館街」を撮った写真が掲載されていたので、出典を明記したうえでここに転載しておく。撮影は1962年7月。
昭和でいえば37年。電柱がコンクリートに入れ替わりつつある時期。アルミサッシはまだ普及していなかった。
その後、2009年11月にこの写真と同じ場所と思われる地点で旧旭町旅館街を撮影してみた。
↓ほとんどまったく往時の面影を残していない。残る木造旅館は道路左側に見える『相模屋支店』など3軒のみ、数軒がビジネスホテルに転業している。
(追補)2013年7月、かつての旭町に生まれ育ったかたから「上の写真と下の写真は違う位置です」と指摘がありました。どうも別の路地のようです。下の写真は現在の旧旭町の雰囲気としてお捉えください。
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コメント
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下の、現在の写真を撮りにいった時、あるマンションから出てきた中年男性から「写真を撮らないでください」と言われた。(公共の物件でないかぎり、そういう場合はカメラをおさめる。ストリートビュー以来、個人家屋の肖像権がとり沙汰されている。住人への配慮はやはり必要だ)
実は、こういう時こそ、土地の記憶を掘り起こすチャンスなのだ。だからその人としばらく話して、地域の移りかわりについて訊いてみた。そのなかで彼が言うには、「どうもこのところ、カメラをもって撮影する人が多くなったんだよね」。
旧旭町旅館街については、ネット上ではこのブログが最新だろうと思う。ひょっとしたらこのブログを読んで興味を抱いた人が訪問しているのだろうか。
だとしたら嬉しいのだが、住人のプライバシーにはやはり配慮してくださいね。住んでる人のにしてみれば、古びた建物をパチパチ撮られるのは、あまりいい気持ちではないことは確かだろうから。
投稿: 狷介老人 | 2009年12月 1日 (火) 08時01分