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2009年12月

2009年12月13日 (日)

開業時の伊勢丹

新宿区の『新宿歴史博物館』が刊行している『新宿風景〜明治・大正・昭和の記憶』(2009/1, 販価1000円)を入手しました。
まあ、例の『丸物』や『五十鈴』についての写真情報が得られないかと期待したんですが、『丸物』については屋上が映っている写真が一枚、『五十鈴』については収穫ゼロでした。
ところが自分的にはおもしろい写真が見つかったんです。
伊勢丹が提供している数葉の写真のなかに、「新宿店開店時の全景 昭和8年(1933)」というのがあったのです。引用を明記した上で、ここに掲げるのがそうです。

いま「新宿の伊勢丹」というと、新宿三丁目、明治通りと新宿通りの交差点北西角に面したファサードが印象的なので、最初っから角地に建っていた——と思われるでしょうが、そうではないのですね。角地には「ほてい屋」という、大正時代からの百貨店が聳えていたのです。
なんと老舗の百貨店の隣に、いきなり新興勢力の「伊勢丹」が肩で押しのけるようにして真横に開店しちゃったんですね。
その証拠写真がこれです。真上からみると少し横棒の短いLの字のようにほてい屋を包囲しているのが分かります。
(くわしいいきさつについては、こちらをどうぞ)

『徘徊日記』にも書いてありますが、ほてい屋はこの時、業績が下向きでした。伊勢丹も開業に当たっては「吸収合併』を働きかけたと思いますが、そこは老舗の意地、「負けてたまるか」と合併話を蹴って土地建物の売却を拒否したと思われます。
伊勢丹経営陣は「そうは言っても、いずれは我がほうの軍門にくだるのは間違いないだろう」と確信していたんですね。自分たちの店舗を建てるにあたって、各フロアの高さを同じに設計しておいたのです。つまり「ほてい屋」がギブアップした時に、すぐに店舗を吸収、融合できるようにという深慮遠謀からです。
その「策謀」がハッキリと読み取れるのがこの写真なんです。
伊勢丹六階の天井のラインがほてい屋のそれと横一線になってるのが見てとれます。

晴れがましい伊勢丹の横で少し煤けた感じのほてい屋が身をすくめてるように見えませんか。
ほてい屋は2年後、ついに伊勢丹に身売りします。現在の伊勢丹本屋が完成したのは昭和12年のことでした。「待ってました」とばかり二つのビルは合体し癒着し融合してしまいました。
各階の床面が同じ高さなんですから、くっつける工事は簡単なものだったでしょう。数ヶ月で完了したと思われます。
ちなみに、これも『徘徊日記』のほうに書いたとおり、地下一階食品売り場だけはフロアの高さが整合せず、最近まで店内に段差が残っていました。ご記憶のかたもおられるでしょう。
それ以外は、店内くまなく歩いても「融合部」を発見することは難しいですね。いまはほてい屋の記憶はまったく消失していると言っていいでしょう。

ところで下の写真をよく見ると、歴史とは関係なく、面白いものが目に留まりませんか。
手前のビル(たぶん銀行)の屋上で二人の男性が離れて立っています。何をしてるんでしょうか。ぼくにはキャッチボールをしているように見えるのですが。
しかし危ないですよね。ボールが逸れたら通行人の頭の上。いけませんよ〜。(笑)

(昭和8年9月28日、伊勢丹が開店した。写真提供 株式会社伊勢丹)

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2009年12月 8日 (火)

計算された目心地のよさ

直前のエントリー『なぜか目に心地よく』は、なにげなく飛び込んできた「さりげない」視覚的な心地よさを覚えて撮った光景。「目心地のよさ」をミニスクーターを置いた人は特に意図していない。(「目心地」(めごこち)とは新語だろうか)
その一方で、道を歩く人の視線を意識して、目心地よく風景を作りだしてくれる人もいる。まあデザイナーとか建築家とかそういった人たち。
この建物はできたばかり。どうやらデザイン事務所のようだ。そこに置かれたニュービートル。その色づかいが、見る人の目心地のよさを考えて置かれているとしか思えない。さすがデザイナー。
試しに頭のなかでいろいろな色をこのクルマに与えてみても、どうも最後はこの色に落ち着いてしまう。

(2006年4月撮影。港区西麻布1丁目にて)

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