« 陋屋の火災 | トップページ | 倒れた墓石 »

2011年10月 3日 (月)

3.11 直後のスーパー

Za110312084_3

Za110312085_3

3月11日は、余震がかなり激しかったので、私は一歩もマンションを出なかった。
ようやく外へ出てみたのは、翌日になってからだ。
都心、麻布の風景は、大地が時おり揺れるのを除けば、ふだんと変わりのない世界であった。
とりあえず当座の食料を確保……と、六本木ヒルズけやき坂下のスーパー『フードマガジン』へ赴き、二階の食品売り場にあがって「あッ」と思わず驚きの声をあげてしまった。
ほとんどすべての棚から食品が消えている。
8年以上、このスーパー(24時間やってる)に通っているが、こんな光景を見たのは初めてだった。
人が、災害が起きた時に真っ先に行動するのは、やはり食料の確保だろう。
私もそう考えていたが、ふだんはモノがあり余るほどの都心で、人がこのように行動するとはまったく考えていなかった。
「そうか、買いだめしなければダメなのか」
思ったけれどもう遅い。どこの商店からも「とりあえず食べられるもの」の姿が消えてしまっていたのだから。
それとトイレットペーパー。
まあ、家には米の買い置きもあったし、副食品などなんとでもなる。トイレットペーパーは二、三週間はもつほどあった。なにシャワートイレだから紙などなくても何とかなる。だから、考えてみればそんなに焦ることはなかった。しかし一時は背筋が寒くなったのも事実だ。
「みんながふつうに使う量だけ買っていれば、こういう全量消失という事態は起こらないのに」と言われるけど、目の前でみんなが買いだめに走っている時、超然としていられる人はいないだろう。
特に子供がいる家庭は。
「少しのんびりしすぎたかな」
反省した私は。それから数日は早起きして、買いにくくなった必需品、パンや牛乳などを入荷した直後に買った。いわゆる「買い出し」だ。
予想していたように一週間しないうちにほとんどの物資は潤沢に供給されるようになり(ガソリンはかなり逼迫していてクルマを使う人はしばらく不便を強いられたようだが)、私の買い出し行為も何日かで終わった。
「被災地のことを思えば、なんということない」
これがその間の我が家での合言葉だったが、たぶん全国どこの家庭でもそうだったのではないだろうか。
しかし、それでもあのがら空きの棚を見た時の衝撃は……。
画像を見返して、忘れないでおいたほうがいい記憶だと思い、このスーパーが廃業したあとになってアップロードしてく気になった。

(この画像を撮影したけやき坂のスーパー『フードマガジン』(西友系)は、2011年8月に閉店撤退した。9年間の営業であった)

« 陋屋の火災 | トップページ | 倒れた墓石 »

街歩き」カテゴリの記事

コメント

震災とは、ほとんど関係がないこちらでも、ペットボトルの水とお茶が消えました。

 地震発生時は埼玉県内(高崎線区内)の古いマンションの5階にいました。
すごい横揺れで、それこそ「もうダメかも」などと一瞬考えました。

 埼玉県内でも利根川や荒川などの旧河川敷を中心に揺れが増幅したりで被害が多かったところもありました。
私のところは線路の近くで、路盤がしっかりしていたので液状化や路面崩壊までには行きませんでしたが、壁の剥落やひび割れ(新しい駅ビルなど)がありました。
また、瓦屋根が落ちたりするところもありましたね。

 でも、それ以上に参ったのは原発の事故でしょうね。東京23区内以外で行われた計画停電に引きずられました。

 地震の発生直後、周囲の被害状況を確認していて気がついたのは古くて管理が行き届かない業務用のエアコン(室外機)が結構屋根の上に転がっていました。まぁ、あれが上から落ちてこなくてよかった(^^;

 我が家では、今回の地震の数日前に非常用の食料や飲料水が不足しているからとネットで注文したばかりで、中にはその当日に届く予定になっていたものもありました。まぁ、物流システムがパンクしましたので数日遅れて到着しましたが(^^;

 でも、本当にすごかったですね。マンションの1階に食品スーパーが入っていたのですが、その前に閉店になっていたのですが、営業していたらどうなっていたのかな?もしかすると大混乱に陥ってしまうのではなかったかなと今にしてみれば思います。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/27542/52895455

この記事へのトラックバック一覧です: 3.11 直後のスーパー:

« 陋屋の火災 | トップページ | 倒れた墓石 »